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窃盗症論2     古生物としてのクレプトマニアと現代の医学と法学

 

村松太郎 (慶應義塾大学医学部精神神経科)

本稿は窃盗症論1と一体を成すものである。

 
  起   結

 

1

窃盗症の被告人を擁護も非難もしない。本稿はこの立場を堅持して進める。

 

2

1は窃盗症論における最も重要な事項である。窃盗症について語るとき、人はしばしば、意識的・無意識的を問わず、擁護か非難かどちらかの立場を取りがちである。

 

3

擁護か非難かのどちらかの立場を取れば、それは典型的な論点先取であり、すでに論証ではない。結論を決めたうえでその結論に向けて記述していることにほかならず、それは演説であって論証ではない。窃盗症論と題した本論は、窃盗症についての中立な立場からの論述である。

 

4 (窃盗症とは)

窃盗を繰り返す。外形的にはそれだけである。

 

5

外形的にはそれだけであるが、窃盗症は、医学的にも法学的にも、非常に興味深いテーマを豊富に内在している。

 

6

医学的には、精神障害とは何かという問いにかかわる。

 

7

法学的には、責任能力とは何かという問いにかかわる。

 

8

精神障害としての窃盗症 Kleptomaniaクレプトマニアは、19世紀前半のフランスのモノマニー論に遡る10)。19世紀前半とはクレペリンが生まれる前で、したがって統合失調症の原型である早発性痴呆の概念さえなかった時代である20)

 

9

人々が「精神病」について持っているナイーヴなイメージは、精神の全体的な異常(精神活動の広範な領域におよぶ異常)であろう。このイメージは現代でも近代でも、そしてそれ以前の時代でも基本的に同じであったと考えられるが、実際には、精神の部分的な異常というものが存在する。19世紀前半に、それはモノマニーと名づけられた。

 

10

モノマニー論は、エスキロール  (Esquirol  1772-1840) によって唱えられたもので、彼は当時の心理学の影響を受けて人間の精神機能を知・情・意に分類し、それぞれの異常としての精神障害、すなわち次の3種類のモノマニーが存在するとした10)30-70)

 

11

「知」の異常: 幻覚や妄想を主症状とする「知性モノマニー monomanie intellecuelle」

「情」の異常: 情動と性格の障害を中心とする「情動性モノマニー monomanie affective」

「意」の異常: 放火、殺人、酩酊などに走る「本能性モノマニー monomanie instinctive」

 

12

窃盗症 Kleptomanieは、本能性モノマニーの一つである80)90)

 

13

当時、manie マニーという言葉は、狂気 folie と同義語であった10)。その後の精神医学の進歩に伴いマニーという語は徐々に診断名から消えていった。現代では公式に認められている診断名の中で窃盗症 kleptomaniaと放火症 pyromania、そして抜毛症 Trichotillomaniaだけにこのマニー(マニア)という語が残っている。こうした事情を指して中谷は、放火症と窃盗症を、いわば現代まで生き延びた古生物であると表現している100)

 

14

エスキロールの「本能性モノマニー」は、その後、クレペリン(Kraepelin, E.  1856-1926)によって整理され、クレペリンはこれを衝動狂(impulsives Irresein; 衝動性精神障害と訳される場合もある)と呼んだ110)120)

 

15

現代では窃盗症は「衝動制御症」というカテゴリーに分類されているが130)、このカテゴリーの起源は100年以上前のクレペリンの教科書の「衝動狂」であると見ることができる。

 

16

クレペリンは彼の教科書に、衝動狂という分類は仮のものであって、他の病態との境界は曖昧で、衝動狂に分類した病態を統一する特徴も曖昧であると記している140-160)。つまり、衝動狂と仮に名づけた一群の病態が精神障害として存在すること自体は確かに認めたうえで、精神障害の分類体系上の位置づけは保留していたのである。

 

17

「衝動狂」と名づけられてはいるが、衝動狂の患者の症状としての行動は、患者自身の意思による自然なものに見えるとクレペリンは記している170)。これは現代において窃盗症を論ずる場合にも非常に重要な点である。

 すなわち、「衝動狂」という名前のイメージとは異なり、患者の行為は、俗に言う「衝動的」とか「衝動行為」には見えないということである。窃盗症におけるこのことの重要性は『窃盗症論1』「転」(Case TLの2審判決についての論)、「結」(Case TLの差戻審判決についての論)、で示した通りである。

 

18

クレペリンが衝動狂の一型として記載した窃盗症の要点は次の通りである180)190):

① 無意味に大量の物品を盗むという客観的な態様と、窃盗についての本人の主観的な報告をあわせると、窃盗の衝動が抵抗し難いほど強度であることが導かれる。

② 犯行の態様が大胆かつ巧妙なことは、衝動制御の問題を否定する根拠にはならない。

③ 女性の月経周期や性的興奮との関連が強い

 

19

③を除くと、17と合わせ、現代のDSM-5やICD-11の記載200)にほとんど一致している。100年以上前と現代の概念がほとんど一致しているというのは驚くべきことである。これは、クレペリンの炯眼を示しているとも言えるし、窃盗症についての精神医学の100年以上の停滞を示しているとも言える。窃盗症は「古生物」なのである。

 

20

クレペリン210-230)以後の精神医学における窃盗症の記載をざっと振り返ってみる。

 

21 (ブロイラー)

ブロイラー(Bleuler, E. 1857-1939)はその教科書に「反応性欲動 Die reaktiven Trieb」の一つとして窃盗症Kleptomanieを記載し、「盗むために盗む」という点が通常の窃盗すなわち「物が欲しくて盗む」ものとの違いであると明記している240)250)。窃盗症についてのブロイラーの記述は基本的にクレペリンと一致しており(「反応性欲動」はクレペリンの「衝動狂」にあたるとブロイラー自身が明記している)、彼もまた窃盗衝動を性衝動に結びつけている。

 

22 (クレッチマー)

クレッチマー (Kretschmer, E. 1888-1964)は、「短絡反応Die Kurzschlußhandlungen」の一つとして窃盗症を記載している260)270)。クレッチマーも窃盗症と女性の性欲の関係の深さに言及している。

 

23 (シュナイダー)

シュナイダー (Kurt Schneider  1887-1967)は彼の主著『臨床精神病理学』に、衝動的に行われる不合理な窃盗というものがあることを記載しており、一次的な(primäre)衝動の発露であるとみなさなければならないと述べている280)290)

 

24 (エイ)

エイ (Henri Ey  1900-1977; 「エイ」「エー」と表記されることもある)は「反社会的反応Les réactions antisociales」の一つとして窃盗症を記載している300)310)

 

25 (呉秀三)

呉秀三 (1865-1932)の1894年の教科書320)には、「種々ノ病的慾」の一つとして「窃盗症Stehlsucht, Kleptomanie」が、不合理な窃盗をするものとして記されている。

 

26

呉秀三による窃盗症Stehlsucht, Kleptomanieの記述から抜粋する330)

 

何モ自分ハ困窮シテ欲シクテ買へナイカラ盗ムノデナク。随分無用ナ詰ラン物ヲモ盗ム。是ハ殊ニ婦人ニ多ク。就中妊娠中月経中ニアル。精神病的体質又臓躁性体質ハ其本ニナルコトガ大部分デアル。

 

27(石田昇)

石田昇(1875-1940)の教科書(1918)340)には、「衝動性精神病」の一つとして「窃盗Diebstahl」が記されている。

 

28

石田昇による衝動性精神病の記述は次の通りである。現代にもそのまま通用する見事な要約である350)

 

本病は発作性若しくは持続的に誘発する所の病的傾向及び衝動を以て主徴候とする變質病にして行為に對する明白な理由なく、患者は単に抵抗すべからざる衝動の犠牲に供せらる丶に過ぎず。 

 

29

そして窃盗Diebstahlについて、石田昇は次の通り記している。

 

無意味なる窃盗行為多し、殊に月経、妊娠の際に於ける婦人に観察せられ、窃盗する物品は往々衝動者にとりて価値なきもの多し、尤も一定の物品に對する欲望に駆られて為すもあり、例へば萬引の如し、或は色情と関係を有するあり。

 

30 (植松七九郎)

植松七九郎(1888-1968)の教科書(1948)360)には、「精神病質或は精神病質人格」の一つとして「窃盗Kleptomanie」が記されている。

 

31

植松七九郎は窃盗Kleptomanieを「道徳感情低下に基く」「殊に意志欠如人並に情操欠如人に多く認められる」としている370)

 

32 (大熊輝雄)

現代の我が国の精神医学教科書の代表といえる大熊輝雄 (1926-2010)の『現代臨床精神医学』における窃盗症にあたる記載は第5版(1994) 380)が初出で390-410)、それぞれ「病的窃盗」として、「病的放火」「病的賭博」「抜毛症」とともに、「第6章 神経症関連障害、人格・行動の障害」の中の「D 人格障害の類型」の一つとしての「習慣および衝動の障害」に収載されている。

 

33

大熊輝雄による病的窃盗の記載は次の通りである(これは抜粋ではない。これが全文である)。

 

明らかな合理的動機をもたない、そして自己と他者の利益を損害する反復性の行為が行われ、その行為は強い衝動によって駆り立てられて起こり、本人はそれを制御できないものをいう。原因は不明である。

 

34

現代のドイツの代表的な精神医学教科書である Psychiatrie, Psychosomatik, Psychotherapie 420)には、習慣の異常と衝動制御の障害 Abnorme Gewohnheiten und Störungen der Impulskontrolle の一つとしてPathologisches Stehlen (Kleptomanie)が収載されており、内容はICD-10の窃盗症の記載とほぼ一致している430)。但し、生物学的事項についてはICD-10より踏み込んだ記述がなされており、病因の一つとして神経生物学的因子が明記され、さらにはその具体的内容として、セロトニン系、ドーパミン系、前頭葉機能が記されており、薬物療法を行う場合としてSSRIが推奨されている440)

 

35

現代のドイツの代表的な司法精神医学の教科書であるNedopilのForensische PsychiatrieにもAbnorme Gewohnheiten und Störungen der Impulskontrolle の一つとしてKleptomanie 450)が収載されており、その記載はICD-10の窃盗症の記載とほぼ一致している460)

 

36

現代のフランスの代表的な精神医学教科書であるPsychiatrie 470)には成人のパーソナリティ障害および行動障害Troubles de la personnalité et du comportement chez l’adulte の一つとしてLe vol pathologique (kleptomanie)が収載されており480)、そこには「明白な動機のない窃盗。自分にも他人にも利益がないのに窃盗を行う。窃盗前の緊張と、窃盗後の安堵がある」とだけ記されている490)

 

37

現代のイギリスの代表的な精神医学教科書であるNew Oxford Textbook of Psychiatry 500)には Impulse-control and its disorders, including pathological gamblingと題された章にKleptomaniaが収載されている510)。その記述は窃盗症には200年の歴史があることから始まり、以下、DSM、ICDを中心とする現代の窃盗症概念が解説され、疫学的データの紹介などを経て、病因としてのセロトニン系や前頭葉機能に言及されている520-540)

 

38

現代のアラビア語で書かれた代表的な教科書であるالطب النفسي المعاصر  (Altibb Alnafsy Almuaaser 『現代の精神医学』) 550)には、「衝動・習慣障害」の一つとして窃盗症が、ほぼ1ページを割いて記述されている560)。要旨は次の通りで、ICDなどの記載に一致している。

 

窃盗の衝動に抵抗できず、自分が使用しない物、あるいは金銭的な利益にならないものを窃盗する。窃盗した物品は、破棄したり、人に譲ったり、ためこんだりする。配布したり、保存したりする。

 

39

現代のアメリカの代表的な精神医学教科書であるComprehensive Textbook of Psychiatry 70) における窃盗症の記載は事実上はDSMの紹介になっており、その内容は40とほぼ一致している。  

 

40 (DSM)

窃盗症Kleptomaniaは、DSM-I(1952)ですでにaccessary term として記載されているが70)、DSMで衝動制御症関連の病態が初めて独立したカテゴリーとして記述されたのは1980年出版のDSM-Ⅲで570)、その一つとしてKleptomaniaが収載され580)、現在のDSM-5に至っている590)

 

41 (ICD)

衝動制御症がICDで初めてカテゴリー化されたのは1975年出版のICD-9 600)の 「衝動制御症、他に分類されないもの」312.3 Disorders of impulse control, not elsewhere classifiedで、窃盗症はその中に記載されている。その後も窃盗症は「衝動制御の障害」と位置づけられており、ICD-10では「F63 習慣および衝動の障害 Habit and Impulse Disorders」の一つとして 610)、ICD-11では「衝動制御症」の一つとして記載されている620)

 

42

以上の歴史を簡潔にまとめれば次の通りになる 630):

 窃盗症(クレプトマニア)が精神医学で初めて病気として記載されたのは、19世紀、エスキロールの「本能性モノマニー」の一つとしてである。

そしてクレペリンが「衝動狂」という暫定的なカテゴリーを提唱し、以後、現代まで、窃盗症は「衝動」をキーワードとして記載され続けている。

43

では窃盗症における「衝動」とは何か。

ICD-11の「衝動制御症」の冒頭には次の通り記述されている620)640):

 

衝動制御症は、ある特定の行為への強い衝動、欲動、駆り立てるものに抵抗できず、その行為を繰り返してしまうというものである。

Impulse Control Disorders are characterized by the repeated failure to resist a strong impulse, drive, or urge to perform an act …

 

44

この記述には二つのキーワードがある。第一は「衝動」である。第二は「繰り返してしまう」である。

 

45

精神医学には、「繰り返してしまう」を主徴とする病態として、「嗜癖addiction」という概念がある。したがって精神障害の分類学的には、衝動制御症は、嗜癖との異同が問題になる。

 

46

結論を先に述べると、衝動制御症と嗜癖の境界はきわめて曖昧である。これは44の第一の点、すなわち「衝動」の意味とも密接に関連している。衝動制御症の衝動は、日常用語としての衝動とは、重なる点もあるが、重ならない点もあるのである。

 

47 (衝動)

「衝動制御の障害」と言われれば、「衝動的に行ってしまう行動」がイメージされる。それは「衝動」の次のような用法と一致するものである。

 

48

臨終の人の枕もと等で、突然、卑猥な事を言って笑いころげたい衝動を感ずるのです。

                                                                                           (太宰治「風の便り」650)より)

 

49

ここから読み取れる「衝動」の意味は、第一に、熟考を経ることなく発生した意思であり、第二に、それは抵抗し難い意思であり、第三に、その意思を行動に移すことが不適切であるということである。日常用語としての「衝動的」や「衝動行為」という言葉のニュアンスによく一致した用法である。

 

50

突然に脳内に発生し、人はそれに駆り立てられるように感じる。これが「衝動」という言葉の一つのイメージである。そしてそれを直ちに行動に移したとき、「衝動的」「衝動行為」などと呼ばれる。だが「衝動」には次のような用法もある。

 

51

日本を去らずにいられなかった衝動のうしろに学閥への憎悪や私と結婚できないことの絶望もさることながら、その口にだしようのない経験のたてる瘴気がおぼろげながらしぶとくからみついていたのではあるまいか。

                                                                                                                                               (開高健『夏の闇』660)より )

 

52

この「衝動」の内容は「日本を去る」という意思である。その意思は、あるいは最初は突然に発生したのかもしれないが、熟考を経た後も維持され続けている。直ちに行動に移してもいない。行動に移すことが不適切とも言えない。すると48の太宰の例と共通しているのは、「にはいられなかった」、すなわち、抵抗し難く、駆り立てられるような性質を持つ意思ということのみである。

 

53

では「抵抗し難く、駆り立てられるような性質を持つ意思」が「衝動」という言葉のコアであろうか。

 

54

「衝動」は辞書には次の通り記されている670):

 

① 強く心をつき動かすこと。また、そのように働きかける力。

② よく考えないで、発作的・本能的に行動しようとするこころの動き。

 

①と②は並列に記されているが、両者の論理関係は、①の一つの現れとして②の「よく考えないで、発作的・本能的にする行動」があるという構造になっている。そして52に記した「抵抗し難く、駆り立てられるような性質を持つ意思」は①「強く心をつき動かすこと。また、そのように働きかける力。」とほとんど同義である。すなわち「強く心をつき動かすこと。また、そのように働きかける力。」を脳内に発生する意思という観点から記述したものが「抵抗し難く、駆り立てられるような性質を持つ意思」である。

 

55

43に前述のICD-11の衝動制御症の冒頭の記述はこうであった:

 

衝動制御症は、ある特定の行為への強い衝動、欲動、駆り立てるものに抵抗できず、その行為を繰り返してしまうというものである。

Impulse Control Disorders are characterized by the repeated failure to resist a strong impulse, drive, or urge to perform an act …

 

56

あらためて読み直してみると、ここには「突然に発生した」という意味も「熟考を経ずに発生した」という意味も含まれていない。したがって「特定の行為」への「抵抗し難く、駆り立てられるような性質を持つ意思」が、衝動制御症でいう「衝動」であることがわかる。それは54の①「強く心をつき動かすこと。また、そのように働きかける力」と記述することもできる。

 

図1   

図1. 衝動の諸相.

A  脳内に発生するインパルス: 最も広義の「衝動」。 ICD-11の衝動制御症の「衝動」はこれを指している。 B  突然に発生: より狭義の「衝動」。日常用語としての「衝動」はこれを指すことが多い。 C  周囲が目に入らず行動として発現: 日常用語としての「衝動行為」。衝動制御症は、「衝動(A)を「制御」することの「障害/症 disorder」」だが、その症状は日常用語の「衝動行為」(C)とは一致しない。衝動(A)が行為として発現するとき、それは周囲が目に入らない(C)という性質の行為になるとは限らないのである。

57

そうした「衝動」による「行為」を「繰り返してしまう」のが「衝動制御症」である。

 

58

したがって衝動制御症の一つである窃盗症とは、「窃盗したいという、抵抗し難く、駆り立てられるような性質を持つ意思」が発生し、その意思による行為すなわち窃盗を「繰り返してしまう」という病態である。

 

図2 

図2. 衝動制御症としての窃盗症の概念.

「発生した衝動による行為=窃盗」を「繰り返す」のが窃盗症である。この衝動は、個々の窃盗の直前に発生する(本人は「スイッチが入る」などと表現する)のが典型的であるが、それ以外の時でも潜在的には存在しているとみることもできる。

59

かくして、『窃盗症論1』の被告人TLの高裁の判示が、窃盗症の本質を見失った全く的外れなものであることは明らかである。高裁判決文の一部を再掲する680):

 

被告人は、窃盗を行うという衝動に突き動かされてやみくもに万引きをしたというのではなく

 

窃盗症をはじめとする衝動制御症の「衝動」は、「やみくも」という言葉で描写されるような性質のものではないことは、ここまで紹介してきた教科書群の記述から明らかな通り、精神医学では常識に属する事項である。高裁は「衝動的」「衝動行為」といった日常用語のイメージに囚われて、その地点で思考停止している。

 

60

但しここには、責任能力概念としての「行動制御能力」と、精神医学概念としての「衝動制御」の関係をどう考えるかという重要な問題があるが、それについては「結」で再訪する。59で指摘したのはあくまでも精神医学における窃盗症の「衝動」概念との関係である。

61

窃盗症の衝動は、「窃盗への衝動」という意味では病的でない窃盗と共通しているが、病的でない窃盗の衝動は物品への合理的な欲求から発生するものであるのに対し(欲しいという合理的な欲求があって盗む)、窃盗症の窃盗は物品への合理的な欲求なしに発生する(盗むために盗む)という点が決定的な違いである(図3)。

 

図3

図3. 病的でない窃盗と窃盗症の窃盗

図の「衝動」は図1のA、すなわち脳内に発生するインパルスを意味している。図の「行為」は窃盗を指している。

A: 病的でない窃盗。人が物を盗むときには、通常、衝動(=窃盗という行為への衝動)が発生する前段階として、特定の対象物品(たとえば食品)に対する合理的な欲求が存在する。すなわち病的でない窃盗は、図3Aに示される通り、対象物品に対する欲求(合理的な欲求)がまずあって、そこから衝動が生まれ、その衝動に従って行為がなされ、物品を入手するという順に展開していく。

B: 窃盗症の窃盗。窃盗症の窃盗は、「盗むために盗む」と要約できる行為で、特定の対象物品に対する欲求は動機ではない。すなわち図3Bの通り、物品に対する合理的な欲求から生まれる衝動による行為ではなく、健常者には発生しない病的な衝動(黄色でハイライトした衝動)の発生によるものである。(したがって図3Bには物品に対する合理的な欲求-衝動は存在しない)

 

62

43に示した衝動制御症の二つのキーワード、「衝動」「繰り返してしまう」の、第二の「繰り返してしまう」に進もう。「特定の行為」を「繰り返してしまう」という結果が発生しているのが衝動制御症である。

 

63 (嗜癖)

すると45に記したように、衝動制御症は、嗜癖との異同が問題になる。精神医学には、「繰り返してしまう」を主徴とする病態として「嗜癖addiction」という概念があるからである。

 

64

「繰り返してしまう」とは、「やめるべきなのにやめられない」ということである。それが嗜癖である。嗜癖は物質嗜癖と行動嗜癖に大別される。物質とは薬物やアルコール、行動とはギャンブルやセックスや窃盗である。

 

図4

図4. 物質嗜癖と行動嗜癖.

嗜癖addictionは、端的には、「やめるべきなのにやめられない」ことをいう。

物質(薬物、アルコール)がやめられないのが物質嗜癖、行動(ギャンブルなど)がやめられないのが行動嗜癖である。

65

嗜癖に類似した語として依存dependenceがあり、現代では嗜癖と依存はほぼ同義語として扱われている。行動についての嗜癖を依存と呼ぶのは本来誤用であるが 690)700)、我が国ではこの誤用が定着しており、「ギャンブル等依存症対策基本法」という法律名にまでなっているという現状に鑑みると、もはや正常化は不可能と言うべきであろう。その現実は認めつつも、本稿では医学的に正しい嗜癖という言葉を用いる。

 

図5

図5. 嗜癖と依存の関係.

WHOは1969年に、物質嗜癖を依存dependenceと呼ぶことを定め、嗜癖という言葉は公式の医学用語からはいったん排斥された。但し依存は物質嗜癖にのみ用いる用語であって、行動嗜癖を行動依存、行為依存などと呼ぶのは誤りであるが、我が国では慣用的に物質嗜癖も行動嗜癖も依存と呼ばれている。

66

「繰り返す」ことは、望ましい場合もある。自分や他人のために何かを繰り返すのは通常は望ましいことである。望ましくない場合や、何らかの問題が発生している場合に、それを「嗜癖」と呼ぶのである。

 

67

米国嗜癖医学会 (American Society of Addictive Medicine; ASAM)による嗜癖の定義は次の通りである(下線は村松による)710):

 

嗜癖は治療可能な慢性疾患である。嗜癖は脳内神経回路、遺伝、環境、本人の人生体験の複雑な相互作用によって発生する。物質嗜癖は当該物質を強迫的に使用し、行動嗜癖は当該行動を強迫的に行うもので、有害な結果が発生しているのにもかかわらず、やめられないことがしばしばある。

他の慢性疾患と同様、嗜癖も、予防と治療が一般に有効である。

Addiction is a treatable, chronic medical disease involving complex interactions among brain circuits, genetics, the environment, and an individual’s life experiences. People with addiction use substances or engage in behaviors that become compulsive and often continue despite harmful consequences. 

Prevention efforts and treatment approaches for addiction are generally as successful as those for other chronic diseases.

 

68

ここでいう物質とはアルコールや薬物、行動とはギャンブルや買い物などである。「有害な結果が発生している」のであるから、繰り返すことは望ましくない。「やめるべきなのにやめられない」のである。

 

69

ICD-11 620)には嗜癖行動 addictive behaviourの記述がある。そこには、「繰り返される、報酬的な行動repetitive, rewarding behaviours」であって、何らかの問題が発生している場合を指す、とある 720)。これもまた「やめるべきなのにやめられない」を別の言葉で言っているにすぎない。

 

70

69の記述中、「報酬的rewarding」は不自然な日本語であるが、これは本人に「快」をもたらすことを意味する言葉で、人間を含む動物の脳内に存在する「報酬系reward system」と呼ばれる神経回路に対応する表現である。米国嗜癖医学会の定義にも明記されている通り、脳内の神経回路の状態が、嗜癖の原因を構成しているのである。これについては本稿「」に詳述する。

 

71 (依存)

「依存」の方が、「嗜癖」よりはるかによく知られている言葉であろう。だが医学用語としては、依存は後発である。先に挙げた古典的な教科書群には「嗜癖」(あるいは「中毒」730-760))という言葉はあっても「依存」という言葉はない。

 依存dependenceが公式用語として定められたのは1969年、WHOによる次の記述である(記されているのはこのdrug dependenceの記述のみで、単独の語としてのdependenceの記述はない)770):

 

薬物依存drug dependence: 生体と薬物との相互作用の結果として生じるある特定の精神的または身体的状態。この状態は主に行動として現れ、その薬物を継続的ないしは周期的に摂取したいという衝動が常にそこにはある。この衝動は、その薬物の精神への作用を体験する、あるいは、時にはその薬物の中断から来る不快を避けるという目的から生まれる。耐性はあることもないこともある。一人の人が複数の薬物に依存することもある。

Drug dependence.  A state, psychic and sometimes also physical, resulting from the interaction between a living organism and a drug, characterized by behavioural and other responses that always include a compulsion to take the drug on a continuous or periodic basis in order to experience its psychic effects, and sometimes to avoid the discomfort of its absence. Tolerance may or may not be present. A person may be dependent on more than one drug.

 

72

したがって「薬物依存」は「物質嗜癖」と同義である。

 

73

以来、ほぼ半世紀にわたり我が国では、「嗜癖」という言葉はあまり用いられず、「依存」がそれに替わる言葉になっていた。

ところが近年では公式の医学用語として「嗜癖」という言葉が復活し、「依存」の影がやや薄くなっている。それを象徴しているのがDSMで、2013年に出版されたDSM-5では「依存」という言葉は消滅し、物質については「使用障害」という言葉に替えられている。ICD-11では、物質については「依存 dependence」、行動については「嗜癖 addictive behaviour」が用いられている。

 

74

前述の通り、ICD-11には、嗜癖(行動嗜癖)は「繰り返される、報酬的な行動であって、何らかの問題が発生している」、衝動制御症は「ある特定の行為への強い衝動、欲動、駆り立てるものに抵抗できず、その行為を繰り返してしまう」と記されている。この二つの記述の構成要素を対比してみると、図6の通り、嗜癖と衝動制御症はほとんど同じ概念であることが見て取れる780)

 

図6

図6. 嗜癖と行動制御症.

衝動による行為は不適切なものも適切なものもある。衝動制御症と呼ばれるのは、不適切な行為が反復された場合(A)と、適切な行為が反復されて問題が発生した場合(B)である。DSM-5に衝動制御症として明記されている窃盗症と放火症は、いずれも行為そのものが不適切であるから、(A)に位置している。一方、違法薬物への依存はDSM-5では物質関連障害および嗜癖性障害に分類されているが、不適切な行為をやめられず反復するのであるから、同じように(A)に位置するとみることができる。そしてアルコール依存症(DSM-5ではアルコール使用障害)は、本来は不適切な行為には分類されない飲酒という行為が、反復されて問題が発生したという状態(それでも飲酒をやめられない)であるから、(B)に位置している。すると図の通り、衝動制御症と嗜癖は概念的には完全に重なることになり、両者を区別する根拠を見出すことはできない。

75

ではなぜ現代の公式の診断基準において、衝動制御症と嗜癖が別のカテゴリーになっているのか。

 

76

医学生物学的には、嗜癖の方が衝動制御症よりはるかに研究が進んでいる790-820)。臨床においても、嗜癖の方が衝動制御症よりはるかに治療法が発展している830)。クレペリンは「衝動狂という分類は仮のものであって、他の病態との境界は曖昧で、衝動狂に分類した病態を統一する特徴も曖昧である」「(衝動狂に分類したものについては)精神医学的研究がまだまだ進んでいない」140)150)と言った。すなわちクレペリンが定めた衝動狂というカテゴリーはいわば「控え室」であって、その後の精神医学の発展に伴って本来のカテゴリーに分類し直されることが想定されていたのである。

 

77

ところがそれから100年以上が過ぎた現在もなお、その「衝動狂」という控え室が、「衝動制御症」と名だけを変えて現存している。衝動制御症と嗜癖の境界が曖昧なのであれば、窃盗症をはじめとする障害は、嗜癖に分類し直した方が、特に当事者のためには、有益なはずである。

 

78

その分類し直しが現に行われた唯一の実例が、いわゆるギャンブル依存症である。

 

79

ギャンブル依存症は、ICD-10では「習慣および衝動の障害 Habit and Impulse Disorders」に「病的賭博 Pathological gambling」という名で収載されていたが、ICD-11への改訂にあたって新たに設置された「嗜癖行動症」に分類し直され、「ギャンブル行動症 Gambling disorder」という名になっている。

 

80

DSM-Ⅳ-TRでは「他のどこにも分類されない衝動制御の障害 Impulse-control disorders Not elsewhere classified」に「病的賭博 Pathological gambling」という名で収載されていたが、DSM-5では「物質関連障害および嗜癖性障害群」の「非物質関連障害群 Non-substance-related disorders」に「ギャンブル障害 Gambling disorder」という名で収載されている。DSM-5のカテゴリー名は「非物質関連障害群 (原文はdisordersと複数形)」であるが、収載されているのはギャンブル障害のみである。

 

81

ICDでもDSMでも、ギャンブル依存症だけが、衝動制御症という控え室を出て、行動嗜癖に、いわば「昇格」したのである。

 

82

なぜギャンブル依存症だけが昇格したのか。「やめるべきなのにやめられない」と同じように記述できる窃盗症や強迫的性行動症(いわゆるセックス依存)が衝動制御症に分類されたままになっているのはなぜか。

 

83

その理由としてDSM、ICDが述べているのは、ギャンブル依存症には十分な生物学的データがあるというものである840-860)。確かに生物学的データは疾病分類学において非常に重要な一要素ではあるが、他の精神障害に目を向ければ、十分な生物学的データなどまだないものは膨大にあるのだから、それがなければ控え室から出さないというのは奇妙である870)

 

84

そもそも精神医学は、そして精神医療は、病気の証拠としての客観的所見が得られない人々の苦しみを扱ってきた。そして研究を重ね、彼らの訴えの裏付けになる生物学的所見を見出すことで、確かにそれが病気であることを示し、そして治療法を開発し、人々を救ってきた(図7)。

 

図7 

図7.  精神疾患の誕生.

もともとはある人物の精神に障害ありとする根拠は、その人物の言動が標準から逸脱しているという認識から始まっていた。その逸脱が精神の異常でしか説明できないと結論されたときが病気と認知されたときで、それが精神障害という概念の誕生である。そしてその逸脱の基盤にある機序の解明の研究が進行し、それが合理的な治療法に開発に繋がるという歴史を、多くの精神疾患がたどってきた。つまり生物学的な機序の同定や解明は病気と認知された後にくるものであって、前にくるものではない。

85

そのような歴史を振り返ってみれば、生物学的データがなければ嗜癖とは認めないというのは奇妙なことである。

 

86

この奇妙さには何らかの理由がある。それは、嗜癖行動症の側の理由と衝動制御症の側の理由である。

 

87

まず嗜癖行動症の側の理由。嗜癖行動症というからにはつまりは嗜癖なのであるから、物質嗜癖と同様に扱われるのが正当である。ここでいう「扱われる」とは、病気として医療や福祉の対象にされるということである。しかしながら嗜癖行動症は、正常な習慣との境界が曖昧で、行動を表面的に観察した限りでは正常な習慣と区別することは困難である。正常な習慣に対して医療・福祉の限られた資源を投入すれば社会は破綻する。したがって病気と認定されることには他の病気に比べてハードルが高くなるのはごく自然であろう。

 

88

次に衝動制御症の側の理由、すなわち窃盗症などが衝動制御症というカテゴリーにとどめられている理由であるが、これは二つ考えられる。

 

89

第一は、「衝動的」という日常用語との違和感が比較的少ないため衝動制御症という分類が受け入れられやすいことである880)

 

90

第二は、衝動制御症に収載されている疾患が、犯罪と密接に関係しているという事実である。

 

91

DSM-5には「衝動制御症」という独立したカテゴリーはない。衝動制御症は「秩序破壊症」「素行症」とまとめて「15章 秩序破壊・衝動制御・素行症群」に収載されている。この15章は医学的分類としては独特の章で、何らかの意味での反社会的な行動であることが収載の根拠であるとDSM-5に明記されている890)

 

92

ICD-11では「衝動制御症」は、将来の定住先(=分類先)が決まるまでの「控え室」である。DSM-5はその控え室に、「秩序破壊」や「素行症」も入室させ、「秩序破壊・衝動制御・素行症群」という不自然な看板をつけたが、その看板を裏返してみればそこには「反社会的集団室」と書かれている。つまりDSM-5は、控え室を反社会的集団室に変えたのである。

 

93

患者当事者のために行われるべき医療を支える疾病分類学において、反社会的であることすなわち他者の苦悩や被害を基準に分類根拠とするのはかなり異様なことであるが、精神障害に独特の現実に即した事情であるといえばその通りであろう。このような事情を是認するかどうかは別として、DSM-5の15章は本来の医学的根拠には基づかない分類であることは認識する必要があろう。すなわち15章に分類されているものは、先の図7の「逸脱の認識」の段階において、その「逸脱」が反社会的なものであるという共通点を持っているのである。

 

94

したがって衝動制御症は、精神疾患としての病気の認定でしばしば問題となる、「正常と異常の境界の曖昧さ」に加えて、当該行動が犯罪であるという大きな特徴を有する障害群であるということになる。

 

95

正常との境界が曖昧であれば、病気と認定することに慎重になるのは当然である。では当該行動が犯罪であることについてはどうか。犯罪を病気とみなすことには抵抗感があるのが自然である。だが生物学的には、それが犯罪であるか否かということは、病気と認定するか否かということは無関係のはずである900-930)

 

96

物質使用症に目を向けてみる。そこに分類されている障害のうち、アルコールという合法薬物と覚醒剤・大麻などの違法薬物では、社会的には大きく意味が異なる。したがって臨床場面での対応もかなり異なる。それでも同じ「物質使用症」に分類されているのは、生物学的には、その薬物が合法か違法かということは何の意味も持たないからである940)

 

97

それに対し、行動嗜癖については反社会的か否かによってカテゴリーが別にされている。DSM-5が示したこの分類法には一貫性がないと言えばその通りであるが、分類とはそもそもが恣意的なものであるから、批判にはあたらないであろう950-980)

 

98

事実として言えることは、窃盗症は(放火症も)、症状それ自体が犯罪であるという独特の特徴のため、医学・医療の恩恵を受けにくく、診断も、治療も、支援も、分類も、他の疾患に比べて著しく遅れているということである。

 

99

そして、仮に「衝動制御症」という控え室から出て「嗜癖」に昇格したとしても、まだ巨大な問題が控えている。嗜癖もまた病気であるとは認められにくく、病気であると認められたとしても、当該嗜癖行動が犯罪ないし犯罪的であったとき、それが病気の症状であるという理由で非難が軽減されるかという問題である990)。この問題には本稿「結」で再訪する。

 

100(窃盗症の三重苦)1000)

いかなる病気であれ、その病気の症状は、本人の意思によってコントロールできないか、できたとしてもかなり限定的であるということにまず異論は出ないであろう。したがって、窃盗が窃盗症の症状である以上、窃盗は本人の意思によってコントロールできないか、できたとしてもかなり限定的であるとみなすのが当然で、逆にそうみなせない場合に(そうみなせない場合ももちろんある)、その理由の提示が要求されるというのが窃盗症の刑事裁判における本来の形であるはずである。しかし現代の裁判実務はそうはなっていない。本稿「起」から、その理由として3つの要因を抽出することができる:

1 衝動制御症というカテゴリ

このカテゴリーに分類されていること自体が、窃盗症の「衝動」の本質を誤解させ、また時には、そもそも精神障害ではないという誤解を強めている。

2 嗜癖の責任能力

窃盗症は嗜癖の一種とみるのが妥当であるが、仮に嗜癖に分類されたとしても、嗜癖という障害による行動であることは非難軽減の根拠にはなりにくい。

3 症状=犯罪

窃盗症の症状である窃盗は、症状であると同時に犯罪でもある。「症状に影響されてなされた犯行」については、その影響の程度によって責任能力が論じられることになるが、では窃盗症のように「症状=犯罪」の場合にはどう考えるのか。他の障害における「症状に影響されてなされた犯行」と同じ論理を適用するのであれば、窃盗症の症状である窃盗の、窃盗という犯行への「影響」は、常に100%かそれに限りなく近いものになるが、その論理が社会に受け入れられるとは考えにくい。するといかなる論理を用いるのが妥当なのか。替わる論理が見出せないとすれば、TL差戻審 (『窃盗症論1』の「結」)のように異常精神論の密輸でもする以外には症状の影響を否定する方法はないが、逆にそのような論法が今後も通用するのであれば、窃盗症の犯行の態様が表面的には異常に見えない以上、窃盗症は常に完全責任能力となり、病気の著しい影響が認定されることはないということになろう。

 

 この錯綜した三重苦を解きほぐす方法ははたしてあるか。

承に続く (別ページにリンク)

(未完)

 

 

(起)

10)影山任佐: フランス司法精神医学の源流. モノマニー学説成立の文献的考察. 犯罪学雑誌 47: 45-65, 1981.

20) クレペリン(KRAEPELIN, E.  1856-1926)が早発性痴呆という名で記載した病態が現代の統合失調症の原型である。

30) Jean-Étienne-Dominique ESQUIROL: Des maladies mentales  1838   (復刻版 trénésîe Éditions  Paris  1989)

40)精神のごく部分的な異常、すなわち、ひとつの対象または一連の対象に限定された異常を抽出し、ピネル (PINEL, P. 1745-1826)がmélancolieと名付けた。そしてピネルの弟子のエスキロール (ESQUIROL, J.E.D. 1772-1840)はmélancolieを、悲哀と抑うつを伴った部分的な精神病délireであるlypémanieと、高揚と情熱を示す部分的なdélireであるモノマニーmonomanieに分け、モノマニーをさらに①monomanie intellecuelle (知性モノマニー: 体系化した幻覚や妄想が中心となる)、②monomanie affective (感情性モノマニー: 情動と性格の障害が中心となる)、③monomanie instinctive (本能性モノマニー: 放火、殺人、酩酊などに走るもの)に分けている10)50)。このうち、本能性モノマニーが衝動制御症というカテゴリーの起源であるとされる60)70)

50) 保崎秀夫 精神分裂病の概念 金剛出版 東京 1978.  p.17

60) Herpertz S, Saß H: Impulsivität und Impulskontrolle. Zur psychologischen und psychopathologischen Konzeptionalizierung.  Nervenarzt 68: 171-183, 1997.  

70) Kaplan HI and Sadock BJ: Comprehensive Textbook of Psychiatry. 6th Edition. Williams&Wilkins 1995.  p.1409

80) 影山1981 10)によれば、Kleptomanieという命名はマルク(Charles-Chrétein-Henri MARC. 1771-1840) による。マルクは、ピネル、エスキロールとともに多数の精神鑑定に従事した精神科医である。エスキロールの主著とされる1838のDes Maladies Mentales30)には、クレプトマニアという語は見出せない。モノマニーの3型の嚆矢としては同書が挙げられるのが常であるが、同書にはmonomanie intellecuelle、monomanie affective、monomanie instinctiveという語が確かに記されているものの、monomanieがこの3型に分けて記載されているわけではない。同書のモノマニーの記載は§Ⅰから§Ⅴに分けられており、その5つはMonomanie érotique(性欲モノマニー), Monomanie raisonnante (論理モノマニー), Monomanie d’ivresse(酩酊モノマニー), Monomanie incendiaire(放火モノマニー), Monomanie homicide (殺人モノマニー)である。すなわち1838年のエスキロールの教科書には、放火症にあたる記載(Monomanie incendiaire)はあるが窃盗症にあたる記載は見出せない。なおこのうちMonomanie raisonnanteは、「理性的モノマニー」と訳されたり、Monomania affective (情動性モノマニー)と呼ばれたりすることもあるが、エスキロールのMonomanie raisonnanteの記載30)からは、「論理モノマニー」あるいは「理屈モノマニー」とするのが適切であると思われる。エスキロールが記しているMonomanie raisonnanteの具体例は、「本人は理屈としては正しいことを言っているが、実生活的にはそぐわない理屈で、対人関係に大きな支障をきたし、社会適応は困難」というものだからである。現代でいえばむしろパーソナリティ障害に近い概念であるように読める。

90)クレプトマニア(Kleptomania, Kleptomanie)は従来から「窃盗癖」「病的窃盗」「窃盗症」などと訳されてきたが、本稿では原則として窃盗症に統一する

100) 中谷陽二: 秩序破壊的・衝動制御・素行症群. 臨精医 43増刊号 159-165, 2014.

110) Hoff P: Emil Kraepelin und die Psychiatrie als klinische Wissenschaft. Ein Beitrag zum Selbstverständnis psychiatrischer Forschung. Springer-Verlag, Berlin, 1994 (那須弘之訳 クレペリンと臨床精神医学 星和書店 東京 1996)

120) 中谷陽二: 衝動制御の障害---概念と位置付け---.  臨床精神医学 34: 139-146, 2005.

130) 窃盗症Kleptomaniaは、DSM-5では「秩序破壊的・衝動制御・素行症群 Disruptive, Impulse-Control and Conduct Disorders」、ICD-11では「衝動制御症群 Impulse control disorders」、ICD-10では「習慣および衝動の障害 Habit and Impulse Disorders(これは成人の人格および行動の障害 Disorders of adult personality and behaviourの下位分類項目である)」に分類されている。

140) クレペリンは「衝動狂」という項の冒頭に次の通り記述している150):

(以下、訳文は特にことわりのない限り村松による)

C. Das impulsive Irresein

Unter der vorläufigen Bezeichnung des impulsiven Irreseins wollen wir alle diejenigen Formen des Entartungsirreseins zusammenfassen, denen die Entwicklung einzelner krankhafter Neigungen und Triebe eigentümlich ist.

(中略)

Wir betreten hier ein noch sehr wenig erforschtes Gebiet der Psychiatrie, dessen innere Einheitlichkeit ebenso zweifelhaft ist wie seine Umgrenzung.

C. 衝動狂

特定の病的傾向と衝動が特有の形を取る変性狂気160) というものが存在する。そのすべてを仮に衝動狂と呼ぶ。(中略) 衝動狂について論じることは、これまでの精神医学でほとんど研究されていなかった領域に足を踏み入れるということである。衝動狂として記載する病態と、他の病態との境界は曖昧である。衝動狂として記載する病態を統一する特徴もまた曖昧である。

参考までにDeeplによる訳文も示しておく:

衝動的な狂気という仮の呼称のもとに、個々の病的な傾向や衝動の発達が特有である退行性狂気のすべての形態をまとめたいと思う。(中略) 私たちは、これまでほとんど研究されてこなかった精神医学の領域に足を踏み入れ、その境界線と同様に内部の統一性にも疑問符がつくようになりました。

150) Kraepelin E: Psychiatrie. Ein Lerhrbuch für Studierende und Ärzte. Achte, vollständig umgearteitete Auflage. Verlag von Johann Ambrousius Barch 1915.

160) 変性狂気 EntartungsirreseinsのEntartungは「変性」だが、現代医学でいう変性より広い意味を持っている。クレペリンの教科書150)にはpsychische Entartung、Entartungshysterieといった記載もある。 

170) 原文は次の通り150):

Im Gegensatz zu den Zwangsbefürchtungen erscheint dem Kranken sein Handeln im allgemeinen nicht als unnatürlich und aufgezwungen, sondern als der Ausdruck des eigenen Willens.

強迫とは対照的に、患者の行動は全体として不自然だったり強制されたりしているようには見えず、自分の意思によるように見える。

180) 本文19①②③で依拠した部分の原文150)はそれぞれ次の通りである(下線は村松による)。

① 無意味な窃盗という客観的な態様と、窃盗についての本人の主観的な報告をあわせると、窃盗の衝動が抵抗し難いほど強度であると思われる。

p.1907 

Es läßt sich jedoch die Erfahrung nicht von der Hand weisen, daß auch unter diesen letzteren Fälle vorkommen, bei denen ebenso die ungeheuerliche Ausdehnung und die Sinnlosigkeit des Stehlens wie die Angaben der Täter selbst eine triebhafte Unwiderstehlichkeit des Dranges nahelegen.

② 犯行の態様が大胆かつ巧妙なことは、衝動制御の問題を否定する根拠にはならない。

Dreistigkeit wie überlegte Schlauheit des Vorgehens spricht dabei durchaus nicht ohne weiteres gegen die Triebhaftigkeit.

③ 女性の月経周期や性的興奮との関連が強い

Auch hier überwiegt bei weitem das weibliche Geschlecht, das namentlich in der Zeit geschlechtlicher Umwälzungen, während der Menses, in der Schwangerschaft, verhältnismäßig leicht derartigen Regungen unterliegt.

190) 後述の他の医学者の記載にも見られる通り、この時代においては窃盗症の原因は女性性にあるという考え方が優勢だったようである。放火症についても同様である。おそらくこれは時代の潮流を反映した学説であったと思われる。現代の窃盗症の中には、女性性との関連が推定できるケースもあることはあるが、それが窃盗症全体に一般化できるかどうかは別の話である。

200) 以下の通り、クレペリンの記述に相当するものがDSM-5やICD-11にも見られている:

「窃盗についての本人の主観的な報告」

DSM-5: Recurrent failure to resist impulses to steal objects ・・・

ICD-11:  A recurrent failure to control strong impulses to steal objects.

「無意味に大量の物品を盗む」

DSM-5: ・・・that are not needed for personal use

ICD-11: Lack of an apparent motive for stealing objects (e.g., objects are not acquired for personal use or monetary gain). / Although individuals with Kleptomania may desire the items they steal and have a practical use for such items, they do not need these items (e.g., they may have multiples of the same item, they have more than adequate financial resources to purchase the stolen item).

「犯行の態様が大胆かつ巧妙」

DSM-5: Although individuals with this disorder will generally avoid stealing when immediate arrest is probable (e.g., in full view of a police officer)

「女性の月経周期や性的興奮との関連が強い」とはDSM-5にもICD-11にも記されていないが、「女性に多い」ことは記されている。

DSM-5: Females outnumber males at a ratio of 3:1.

ICD-11: Women are significantly more likely to be diagnosed with Kleptomania.

210) よく知られているようにクレペリンは、1883年の教科書(第1版)に改訂を重ね1926年の第9版までを出版しているが、衝動狂という語は1896年出版の第5版220)から登場しており、その冒頭の第一文は先に引用した第8版のそれ140)と同一である。(第4版では衝動狂にあたる記述は衝動性精神薄弱impulsiver Schwachsinnになっている)。クレペリンが衝動狂として記しているのは次の6つである: 「Pyromanie 放火症」「schwere Angriffe auf das Leben der ihrer Obhut übergebenen Kinder machen 殺人症」「Giftmischer 毒物混入症」「anonymen Briefschreiber匿名手紙症」「窃盗症 Kleptomanie」「買物症 Kaufsucht」

このうち、窃盗症についてのクレペリンの記述は次の通り(p.1907):

Wenn die triebhafte Mordlust der Giftmischer dem gesunden empfinden vollkommen unbegreiflich erscheint, führen von dem nunmehr zu betrachtenden krankhaften Stehltriebe (“Kleptomanie”) unverkennbare Beziehungen zu den gewöhnlichen Triebfedern der Begehrlichkeit und der Habsucht hinüber. Ganz besonders gilt das von einer ersten Gruppe, den „Warenhausdiebinnen“. Es handelt sich hier um Frauen, die der ungeheuren Verführung nicht widerstehen können, wie sie die lockenden, gleichsam zum Zugreifen hergerichteten Auslagen unserer großen Warenhäuser darstellen. Unter solchen Umständen kann bei Personen, die sonst jeden Eingriff in fremdes Eigentum weit von sich weisen würden, ein Zustand von aufgeregter Begehrlichkeit erzeugt werden, so daß sie ohne Rücksicht auf ihre Bedürfnisse, die Möglichkeit der Verwertung, die Folgen ihres Tuns einstecken, was ihnen in die Hand fällt. Bei der Entdeckung erklären sie dann, sie könnten sich nicht erklären, wie sie dazu gekommen seien; es habe sie zu ihrer Tat getrieben. Derartige Aussagen sind naturgemäß mit größter Vorsicht aufzunehmen. Dennoch sprechen die Tatumstände wie das Verhalten der Täterinnen vielfach dafür, daß sie in einer gewissen Verwirrung gehandelt haben, daß Überlegung und Selbstbeherrschung durch triebhafte, mit lebhafter innerer Erregung einhergehende Anreize über den Haufen geworfen wurden. Im gleichen Sinne läßt sich die Begünstigung solcher Diebstähle durch die Menstrualzeit wie die Häufigkeit hysterischer Begleiterscheinungen deuten; eine meiner Kranken, die auch sonst schon an Krämpfen gelitten hatte, verfiel nach der Verhaftung in einen Ganserschen Dämmerzustand. Bei bis dahin unbescholtenen Täterinnen wird die Annahme einer Triebhandlung selbstverständlich näher liegen, als bei Gewohnheitsdiebinnen.

毒殺者の欲求に駆られた殺意が健康な感覚では全く理解できないものであるとしても、病的な窃盗欲(「クレプトマニア」)と通常の貪欲や強欲との間には、間違いなく繋がりがある。特に、最も典型的な「百貨店泥棒」ではその傾向が顕著である。「百貨店泥棒」とは、大きな百貨店の魅力的なディスプレイを前にして、その誘惑に抗えない女性を指している。他の状況であれば盗みなどしない女性が、このような状況下では、興奮した貪欲な状態が生まれ、自分の手に入るものは何でも、必要もないのに、また自分の行為の結果も顧みずに、とってしまうのである。そして逮捕されると、「どうしてとってしまったのか自分でもわからない。自然に手が出てしまった」と述べるのである。(訳注 「自然に手が出てしまった」の原文は es habe sie zu ihrer Tat getrieben であるから、直訳するのであれば「行為に駆り立てられた」となろう。この「sie könnten sich nicht erklären, wie sie dazu gekommen seien; es habe sie zu ihrer Tat getrieben.」は、我が国の窃盗症患者が「スイッチが入ってやってしまった」と述べる主観的体験にあたると思われる)。このような供述の解釈には細心の注意が必要であるのは当然である(訳注 供述の文言だけからは、通常の万引き犯の言い逃れと区別がつかないから)。しかしながら、犯罪の状況や本人の行動からは、犯行はある種の意識変容の中で行われており、生き生きとした内面の興奮を伴う衝動的な刺激によって分別や自制心が圧倒されていることがしばしば明らかになるのである。同じ意味で、このような窃盗が月経に関連してなされることから、ヒステリーの随伴症状であるという解釈が可能である。私の窃盗症の患者の一人は、けいれんの既往があり、窃盗で逮捕された後にガンザーの朦朧状態に陥った。これまで非の打ちどころのなかった加害者の場合、強迫行為の想定は、常習的な窃盗犯の場合よりも当然近いものになるはずである。前科前歴のない窃盗症の患者においては、常習的な窃盗犯と比べると、リビドーの関与が当然に大きいと考えられる。

220) Kraepelin E: Psychiatrie. Ein Lerhrbuch für Studierende und Ärzte. Fünfte, vollständig umgearteitete Auflage. Verlag von Johann Ambrousius Barch  1896.

230) クレペリンの教科書の一部を翻訳したものとして、みすず書房の叢書(全6冊)があるが、衝動狂 impulsive Irreseinの部分は訳出されていない。衝動に関連した記述は叢書の中の第6巻 『精神医学総論 (西丸四方、遠藤みどり訳. 1994年)』の「意志と行動の障害」の章の「衝動行為」というセクションである。同セクションに「病的な欲動」として次の19のものが収載されている:

拒食  大食  嗜癖  自傷  病的性欲  自慰  逆の性感 婦女刺傷魔  悦楽殺人者  マゾヒズム  精神的自慰  フェティシズム  編み髪切り魔・窃盗  獣姦  蒐集欲  濫費癖  窃盗癖  放火癖  殺人癖  毒害者

これは原書150)ではⅡ Die Erscheinungen des Irreseins のStörungen des Wollens und Handelns のKrankhafte Triebe (p.401)の部分である。

一方、180)、210)に引用した窃盗症Kleptomanieについての記述はⅩⅤ. Die originären Krankheitszuständeの C. Das impulsive Irresein からの引用で、この部分は日本では翻訳書として出版されていない。

240) Eugen BLEULER: Lehrbuch der Psychiatrie. Achte Auflage, umgearbeitet von Manfred Bleuler, 1949.

250) ブロイラーは窃盗症について次の通り記述している 240)  p.374

Die echten Kleptomanen haben einen aktiven Trieb, sich fremdes Gut anzueignen, oft ganz unabhängig davon, ob es ihnen nützlich sein kann; sie stapeln es oft nur auf, verschenken oder vernichten es, lassen es unter Umständen dem Bestohlenen auf irgendeine Weise wieder zukommen. Es handelt sich also im Gegensatz zum gewöhnlichen Stehlen um ein Stehlen um des Stehlens und nicht um des Diebesgutes willen. Häufig steht die Unwiderstehlichkeit im Zusammenhang mit den Stehlakt begleitenden sexuellen Gefühlen. Es können auch Bewußtseinstrübungen oder hysteriforme Dämmerzustände den Trieb begleiten so daß man von Stehlen im hysterischen Anfall reden könnte. Die Psyche im allgemeinen erscheint dabei nicht auffallend krankhaft; die Moral kann ganz gut sein, wenn auch langjährige Kleptomane dem Unrecht, das sie tun, gegenüber etwas abgestumpft zu sein pflegen. Die genaue Analyse der moralischen Einstellung der Kleptomanen ergibt oft Gegensätzlichkeiten zwischen besonders hohen moralischen Aspirationen und amoralischen Impulsen.

真の窃盗症は、他人の所有物を窃盗するという強い衝動を持っている。その衝動は、その物品が自分にとって有益かどうかとは全く無関係のことが多い。盗品は溜め込む・人に譲る・何らかの形で返却することが多い。したがって、通常の窃盗とは異なり、盗むために盗むのであり、物が欲しくて盗むのではないのである。窃盗に対する抗い難い衝動は、窃盗に伴う性的な感情と結びついていることがしばしばある。窃盗は意識変容や解離性の昏迷状態で行われることもあり、本人が窃盗は解離性の発作中に行なったと述べることもある。一般に、精神が異常であるようには見えない。窃盗症者では規範意識は損なわれていない。長期にわたり窃盗を繰り返すうちに、窃盗に対してある程度無感覚になることはあっても、モラルの意識は十分に高い。窃盗症者のモラルについて精密に分析すると、高いモラルの意識と、モラルを欠いた衝動の間の矛盾がしばしば明らかになる。

260) Ernst Kretschmer: Medizinische Psychologie (1956) 

(西丸四方・高橋義夫訳 『醫學的心理學』 みすず書房 1955)

270) クレッチマーの教科書260)では、Die Persönlichkeiten und Reaktionstypen (人格と反応型)の中分類のひとつ Die Primitivreatkionen(原始反応)の中のDie Kurzschlußhandlungen(短絡反応)の一つとして、Kleptomanieが次のように記載されている。  

pp.238-239

Allerdings gibt es auch große Gruppen von scheinbar motivschwachen Kurzschlußhandlungen, hinter denen sich in Wirklichkeit doch starke affektive Triebkräfte verbergen. Diese Triebkräfte stammen dann entweder aus starken, nicht unterdrückbaren perversen Nebenkomponenten der Persönlichkeit oder aus alten Komplexwirkungen. Hierher gehören viele Fälle von zwangsartig und scheinbar rätselhaft auftretenden Antrieben und Gelüsten, z. B. von sog. Kleptomanie (impulsivem Stehlen) und von sinnlosen Morden und Grausamkeitsdelikten. So entpuppen sich manche Warenhausdiebstähle wohlhabender Damen als einfache Sexualperversionen, indem etwa Samt oder Seide für sie sexuell lustbetont ist und das heimliche Entwenden solcher Stücke ihnen die höchste sexuelle Erregung verschafft. Für symbolischen Diebstahl haben wir früher schon ein Beispiel gegeben. Und manche unerklärliche Mordtaten besonders scheußlicher Art sind sadistische Akte: es gibt historisch berühmte Beispiele solcher Kinderschlächter und Giftmischerinnen. Sogar Brandstiftung kann sich mit sexueller Erregung verknüpfen.  --- Bei manchen Impulshandlungen allerdings müssen wir heute zugeben, daß wir ihren psychologischen Mechanismus noch nicht kennen, zumal viel gar nicht aus äußerlich gewordenen psychologischen Konstellationen, sondern z. B. aus endogenen periodischen Verstimmungen entspringen.

勿論その背後に実際にはやはり強い感情による衝動力が潜んではいるが、見かけは弱い動機しかないような短絡行為もたくさんある。そしてこの衝動力は人格にある抑圧できない強い倒錯的な副次的成分から生じているか、或いは古いコンプレクスの作用によるものである。強迫様に一見不可解に現れる衝動や欲望の大部分のものはこれに属する。例えば所謂窃盗狂(衝動性窃盗)や無意味の殺人や、残忍な犯罪等がそうである。富裕な婦人が百貨店で窃盗をする事があるのは、単なる性的倒錯がその正体であることがこれでわかる。即ちビロードや絹は彼女に強い性的快感を起し、それらの品をひそかに万引する事は激しい性的興奮を起させるからである。象徴的窃盗については前にその例を述べた。又殊におそろしい、説明しがたい殺人行為のあるものは嗜虐的行為である。史実にもこのような児童虐殺者や女の毒殺者の有名な例がある。放火さえ性的興奮に結びつけられる事がある。 --- 多くの衝動的行為についてとにかく今日認めなければならない事は、その心理的機構はまだわからないという事である。殊にこれらの行為は決して外部に現れた心理的布置から発生するのではなく、例えば内因性の周期的な機嫌の変調から発生する事が多いからである。

(西丸・高橋訳 86-87頁。下線は翻訳書では強調の傍点)

 

クレペリンの記載と同様、女性の性との関連が強調されている点は現代の目から見ると奇妙に映るが、この時代にはこうした解釈が優勢だったようである。

但し心理的メカニズムについてのクレッチマーの立場は「とにかく今日認めなければならない事は、その心理的機構はまだわからないという事である」という謙抑的なものである。このように「まだわからない」ことは認めたうえでクレッチマーは「これらの行為は決して外部に現れた心理的布置から発生するのではなく nicht aus äußerlich gewordenen psychologischen Konstellationen」(西丸・高橋の「外部に現れた」「心理的布置」は” äußerlich gewordenen”” psychologischen Konstellationen”の直訳であるが、よりわかりやすくシンプルに言えば、「心因では説明できない」という意味である)、「内因性の周期的な機嫌の変調から発生するaus endogenen periodischen Verstimmungen entspringen」、すなわち内因性であると述べている。但し内因性というのは「例えば z.B.」という留保つきであるから、内因性以外のものもあると言っていると読めるが、心因性については gar nicht という表現で明確に否定している。

なお、上の引用部分に登場するコンプレクス Komplex という語をクレッチマーは教科書の中で次のように定義している:

p.218

Affektstarke Erlebnisse, besonders unangenehmer Natur, haben nun bei bestimmt veranlagten Menschen manchmal die Tendenz, zu seelischen Fremdkörpern zu werden, sich so stark von dem weiterströmenden Flusse psychischen Geschehenen abzuspalten und zu isolieren, daß sie mit dem Willen, von ihnen loszukommen, nicht mehr weggebracht werden können. Sie lassen sich nicht aufsaugen, sie können weder einfach vergessen noch für das aktuelle psychische Geschehen nutzbar gemacht werden. Sie bilden selbständige energetische Nebenzentren, die in den inzwischen längst weitergeströmten psychischen Gesamtablauf peinlich störend hineinwirken. Solche energetischen Nebenzentren nennen wir Komplexe.

ところで強い感情を伴う体験、特に不快な性質のものは一定の素質のある人間では往々精神的異物となる傾向を持ち、精神的事象の流れからひどく分離し孤立して、それを捨てようとする意志をもってもはや除去し得なくなる。それらは吸収もされず、簡単に忘れられもせず、現実の精神事象に役立たせられる事もない。それらはエネルギーを持つ独立の副中枢を作り、このものはそれまでずって流れて来た精神的な経過全体に作用を及ぼしてひどく妨害する。このようなエネルギーを持った副中枢をコンプレクスと呼ぶ。

(西丸・高橋訳 63頁。下線は翻訳書では強調の傍点)

さらには欄外に次の注が付されている:

Der Ausdruck “Komplex” stammt von Bleuler und Jung. Er wird häufig auch in einem weiteren Sinne, einfach für gefühlsbetonte Vorstellungsgruppen überhaupt gebraucht.

コンプレクスという言葉はブロイラーとユングに始まる。これは屢々廣い意味で使われ、單に強い感情を伴った觀念群一般を指すこともある。

(西丸・高橋訳 63頁)

 

280) Schneider, Kurt: Klinische Psychopathologie.  12 unveränderte Auflage. 1980.

(平井静也・鹿子木敏範訳 臨床精神病理学. 文光堂 1957)

290) シュナイダーの『臨床精神病理学』280)の各論部分は、

・Psychopathische Persönlichkeiten 精神病質人格

・Abnorme Erlebnisreaktionen 異常体験反応

・Schwachsinnige und ihre Psychosen 精神薄弱とその精神病

・Der Aufbau der körperlich begründbaren Psychosen 身体に基礎づけうる精神病の構成

・Zyklothymie und Schizophrenie 循環病と精神分裂病

の5章から構成されており、衝動制御症にあたる章はない。Kleptomanieという語の記載はどこにもなく、精神病質人格の章にもそれにあたる記載はない。Kleptomanieに相当するものの記載は巻末の Anhang: Pathopsychologie der Gefühle und Triebe im Grundriß (付録: 感情と欲動の病的心理学概説)の Ⅲ Dynamik der Triebe und ihr Verhältnis zum Willen 感情と欲動の病的心理学概説の中にあり、そこにはseelishce Triebe 欲動の異常として、periodischen Wanderer, Trinker, Verschwender, Brandstifter, Stehlsüchtigen (周期性放浪者、飲酒家、放蕩者、放火犯、窃盗癖者 ・・・いずれも平井静也・鹿子木敏範の訳による)が挙げられている。そして、これらには了解可能な動機によるものもあるとしたうえで次の通り述べている:

Im konkreten Fall verschlingen sich natürlich beide Möglichkeiten. Am allerschwersten zu deuten sind gewisse Formen triebhaften Stehlens von Dingen, die nicht irgendwelchem Bedarf oder Genuß dienen, und Brandstiftens. Hier bleibt eine kleine Gruppe von Fällen, die man, wenn man nicht mit unbewußten Motiven arbeitet, sondern im Beschreibenden bleibt, als primäre seelische Triebentladung auffassen muß.

もちろん、ふたつの可能性はたがいに錯綜している。最も解釈がむずかしいのは、身体の享楽に役立たないものを盗むある種の欲動窃盗と放火である。我々が、無意識の動機などという概念を用いず、単に記述的立場の範囲内にとどまるならば、ここに取り残される小さな一群の症例は、一次的な心的欲動発散と解しなければならないであろう。

(平井静也・鹿子木敏範訳 臨床精神病理学 178頁)

300) Henri EY, P.Bernard et Ch. Brisset: Manuel de Psychiatrie.  Sixiéme Édition   

Revue et Corrigée  Masson  1989.

310) アンリ・エイのManuel de Psychiatrie 精神医学マニュアル300)には次の通り記されている。 P.352

Certaines kleptomanies constituent de tells  <<passages à l’acte >> de nature obsessionnelle

ある種の窃盗症は典型的な強迫行為である

320) 呉秀三 精神病学集要 吐鳳堂書店 1894年 (復刻版 創造出版 2002)  (上)

330) 呉秀三の教科書320)から本文26に引用したのは「五、種々ノ病的慾」からの一文で、「窃盗症  Stehlsucht, Kleptomanie」という語はそこのみ(p.213)に記されているが、「窃盗」については別の部分にも記載がある。

一つは「四、衝動性動作」(p.211)である:

又或ハ器質性促迫(肉體上感覺)ガ盛ニナツテ其(遺傳又ハ後天ノ)欲望(窃盗・飲酒等)ヲ喚ビ起シテ其ヲ實行スル様ニナルコトガアル(色慾倒錯・強姦・自殺・殺人・放火)

「六、強迫行為」にも記載がある(p.214):

窃盗慾ナドトイツテ、物品ガ欲シクナツテ盗マズニ居ラレナイ、盗ムマイト骨ヲ折ルト苦悶ガ起リ窃ムトヤツト楽ニナル。

上記「四、衝動性動作」「五、種々ノ病的慾」「六、強迫行為」は、「第二巻 證候通論」「第三編 意志及行為ノ障礙」「第貳 性慾ノ異常」の下位項目である。但し呉のいう「性慾」は、現代でいう「性欲」とは異なり、本能的欲望をすべて「性慾」と呼んでおり、現代でいう「性欲」には「色慾」という語があてられている。

 また、同じ「第三編 意志及行為ノ障礙」の中の「第壹 意志ノ障礙」「甲 意志の發動ノ強度ニ於ケル異常」「第二 意志ノ亢進」にも「窃盗」の記載がある(p.172):

即チ臓躁ニ於テハ感情ガ活潑デアツテ、其行為ノ發スル前ニ悟性上ノ準備ヲスル餘地ガ殆ンド全クナイ爲メニ、急卒ニ思ヒモ寄ラス目的ノナイ行爲(窃盗・濫行・自傷等)ニ出デルコトガ稀有デナイ。

340) 石田昇 新撰精神病学 南江堂 1918 (復刻版 創造出版 2003)

350) 石田昇の教科書340)から本文28に引用したのは「第十四編 生来性病的状態(變質病)」の中の「(三)衝動性精神病」(症候)と題された第一段落(p.460)の一部である。

第一段落と第二段落の全文は次の通り:

(症候)己記恐迫的苦悶に於ては、行爲の危険なりと思惟する際には之を実行するに先つて内部の爭闘起り、遂に病的衝動を抑圧するを例とすれども本病に於ては抵抗力薄弱に何等躊躇の色なく最兇の行為を遂行し、且つ其結果を後悔する念も亦微弱なり。即ち本病は發作性若しくは持続的に誘発する所の病的傾向及び衝動を以て主徴候とする變質病にして行爲に對する明白な理由なく、患者は單に抵抗すべからざる衝動の犠牲に供せらる丶に過ぎず。

此の如き行爲は一種の強迫的行爲にして其内容無害なるものあり、或は衝動に駆られて多数の鶏卵を石に抛ちて之を破壊せしめ或は夜窃に屋上に登りて石を放下するの類是れなり、或程度迄は健康者に於ても此種の衝動的傾向潜在す。

そして本文29に引用した窃盗症の記載は、上に続く各論にあたる部分にある。各論部分の冒頭のこの一文は重要である:

更に重要なるは一定の方向に発育する所の衝動にして左の数種あり。

窃盗症はこの「数種」の一つとして記載されている。他にここに記載されているのは、「放浪衝動」「放火」である。加えて 「之と密接なる関係あるもの」として、「病的購買症」「濫集熱」「殺傷衝動」が記載されている。

そしてこの「(三)衝動性精神病」は次の一行で結ばれている(p.463):

(法律的関係) 多くは不論罪たるべし。

360) 植松七九郎: 精神醫學. 文光堂 東京 1948

370) 植松七九郎 (1888-1968)の教科書360)から本文31に引用した記載の全文は次の通り:

道徳感情低下に基く生物一般の寄生的行為であって、殊に意志欠如人並に情操欠如人に多く認められる。犯罪行為としては軽微な本行為は生物学的に見れば情意的に最も下級に迄低下せることを意味し、その意義は重大で、之を繰り返す犯罪者は改善に見込がない。

380) 大熊輝雄  現代臨床精神医学 第5版 金原出版 東京 1994

390) 大熊輝雄 (1926-2010)の『現代臨床精神医学』は、1980年の第1版400)以後、改訂が重ねられ、大熊没後の第12版410)からは東京大学の精神科医を中心とする「改訂委員会」による改訂版として出版されている。窃盗症についての記述は本文33に記した通りごく簡単なものにとどまっている。この記述は第5版から第11版まで同一で、第12版(2013)で初めて原因について、「衝動行為(p.102)の一つで、その快感については中脳辺縁ドーパミン系(報酬系、p.38)の関与が論じられている。」という記載が見られている。この第12版では窃盗症はL パーソナリティ(人格) e 習慣および衝動の障害に分類されている。

400) 大熊輝雄  現代臨床精神医学 金原出版 東京 1980

410) 大熊輝雄 / 「現代臨床精神医学」第12版改訂委員会 現代臨床精神医学 第12版 金原出版 東京 2013

420) Psychiatrie, Psychosomatik, Psychotherapie.  2nd ed.  Schneider, Frank. editor.

Berlin, Heidelberg : Springer Berlin Heidelberg : Imprint: Springer, 2017.

430) ドイツの教科書Psychiatrie, Psychosomatik, Psychotherapie 420)の窃盗症の記述は次の通りである:

Pathologisches Stehlen (Kleptomanie)  F63.2

Wiederholter Drang, Diebstähle zu begehen, wobei die gestohlenen Gegenstände dem Betroffenen nicht dazu dienen, sich selbst oder andere zu bereichern. Die gestohlenen Sachen werden oft gehortet, weggeworfen oder verschenkt.

Betroffene berichten über eine zunehmende Spannung vor der Tat und ein Gefühl der Befriedigung während und sofort danach.

Zwischen den Diebstählen treten mitunter Schuldgefühle auf, die aber einen Rückfall nicht verhindern.

窃盗の衝動を繰り返す。本人の利益にも他者の利益にもならないものを盗む。盗品は、溜め込む・捨てる・人に譲渡してしまうことが多い。犯行前に緊張感が高まり、犯行中や直後は満足感に包まれると患者は述べる。窃盗について罪悪感を感じても、再発を止めるには至らない。

以上、『Psychiatrie, Psychosomatik, Psychotherapie.』の窃盗症についての記述はほぼICD-10をドイツ語に翻訳したものといってよい内容である。参考までに、このドイツ語の記述のdeeplによる英訳文を下に示す。

Repeated urge to commit theft, where the stolen items are not used by the individual to enrich themselves or others. The stolen items are often hoarded, thrown away, or given away. Victims report increasing tension before the crime and a sense of gratification during and immediately after. Feelings of guilt sometimes occur between thefts, but do not prevent relapse.

440) Psychiatrie, Psychosomatik, Psychotherapie.420)には、Abnorme Gewohnheiten und Störungen der Impulskontrolle (F63)の要約が次の通り記されている。

Zusammenfassung

Abnorme Gewohnheiten und Störungen der Impulskontrolle (ICD-10: F63) umfassen eine heterogene Gruppe von Störungen, bei denen bestimmten unkontrollierbaren Impulsen wiederholt Handlungen folgen, die für den Betroffenen und / oder für andere Personen potenziell schädlich sind; darunter pathologisches Spielen, pathologische Brandstiftung (Pyromanie), pathologisches Stehlen (Kleptomanie) sowie die Trichotillomanie. Pathologisches Spielen (Glücksspiele) ist wahrscheinlich die häufigste Impulskontrollstörung. Ätiologisch sind v. a. Lernprozesse, Persönlichkeitsfaktoren (z. B. Impulsivität, »sensation seeking«) und neurobiologische Risikofaktoren (verminderte Aktivität des serotonergen sowie dopaminergen Systems, Funktionsstörung frontaler Hirnregionen) relevant. Therapeutisch kommen insbesondere Techniken der kognitiven Verhaltenstherapie zum Einsatz, soziotherapeutische Maßnahmen sowie ergänzend Psychopharmakotherapie, bevorzugt mit selektiven Serotoninwiederaufnahmehemmern (SSRI).

習慣および衝動の障害(ICD-10: F63)は、ある制御不能な衝動による行為を繰り返すものの総称で、その行為が本人や他人に害となりうる場合をいう。習慣および衝動の障害に分類されているのは病的賭博、放火症、窃盗症、抜毛症である。この中では病的賭博がおそらく最も頻度が高い。病因としては、学習過程、パーソナリティ要因(たとえば、衝動性、いわゆる「刺激欲求傾向」など)、神経生物学的因子(セロトニン系、ドーパミン系の活性低下、前頭葉機能障害)が関連している。治療法としては、認知行動療法、社会療法、補助的な精神薬物療法(選択的セロトニン再取り込み阻害薬(SSRI)が推奨される)などがある。

450) Forensische Psychiatrie.  Klinik, Begutachtung und Behandlung zwischen Psychiatrie und Recht.  Jürgen Leo Müller und Norbert Nedopil.  5., überarbeitete Auflage.   Thieme Stuttgart  2017

460) NedopilのForensische Psychiatrie.450)から抜粋する:

Auch beim Pathologischen Stehlen oder bei der Kleptomanie ist der Impuls, der als unwiderstehlich geschildert wird, entscheidend. Dem Konstrukt zufolge dient die Beute nicht der Bereicherung, sondern wird weggeworfen oder gehortet.

病的窃盗すなわちクレプトマニアでは、抗い難いと言うべき衝動が決定的なものとなる。盗品は自分ために利用されるのではなく、捨てられたり、溜め込まれたりする。

470) Psychiatrie   2nd ed. OLIÉ, Jean-Pierre. GALLARDA, Thierry. DUAUX, Edwige.

Cachan : Flammarion medecine-sciences, 2012.

480) Psychiatrie 470)では窃盗症は、成人のパーソナリティおよび行動障害 Troubles de la personnalité et du comportement chez l’adulteの一つとして記載されている。なおそこには、病的賭博・病的窃盗・病的放火についてはWHOは消極姿勢(reticent)を示しているという記述がある。

(成人のパーソナリティおよび行動障害は、生理的障害と心理社会的要因に関連する行動症候群Syndromes comportementaux associés à des perturbations physiologiques et à des facteurs psyshiques の下位項目で、第6章.  主な精神疾患の診断Chapitre 6.  Diagnostic des grandes affections psychiatriques に収載されている。

490) 原文は次の通り:

Le vol pathologique (kleptomaie) : le sujet vole sans mobile apparent de gain pour lui-même ou une autre personne. Il décrit une tension préalable et un soulagement survenant après le vol;

500) New Oxford Textbook of Psychiatry.  Third edition. / edited by John R. Geddes, Nancy C. Andreasen, Guy M. Goodwin.  Oxford, England : Oxford University Press, 2020

510) New Oxford Textbook of Psychiatry 500)の Impulse control and conduct disordersは、次の2つのセクションに分かれている:

Impulse-control and its disorders, including pathological gambling

Conduct disorders and antisocial personality disorder in childhood and adolescence

収載されているのは次の8症である:

Oppositional defiant disorder

Intermittent explosive disorder

Pyromania

Kleptomania

Gambling disorder

Compulsive shopping

Internet addiction

Compulsive sexual behaviour

520) New Oxford Textbook of Psychiatry500)には次の通り記されている:

Kleptomania may be associated with serotonergic and frontal lobe dysfunction, as evidenced by reduced [3H] paroxetine binding (a peripheral marker of serotonin function) found in a mixed group of 20 people with obsessive-compulsive-related disorders, including five with kleptomania 530). In another study, ten women with kleptomania were more likely than controls to have decreased white matter microstructural integrity in the inferior frontal brain regions when evaluated with diffusion tensor imaging 540).

530) Marazziti D et al: Platelet [3H] paroxetine binding in patients with OCD-related disorders. Psychiatry Research 89: 223-228, 1999.

540) Grant JE et al: White matter integrity in kleptomania: a pilot study.  Psychiatry Research 147: 233-237, 2006.

550)  الطب النفسي المعاصر 『現代の精神医学』  أحمد عكاشة  アハマド・ウカーシャ著.

 مكتبة الأنجلو المصرية アンジェロ・エジプト出版.  مصر Egypt.  2005.

560) 原文は次の通り:

(日本語訳) 窃盗の衝動に抵抗できず、自分が使用しない物、あるいは金銭的な利益にならないものを窃盗する。窃盗した物品は、破棄したり、人に譲ったり、溜め込んだりする。窃盗行為を隠そうとするが、結局は隠しきれない。窃盗は単独で行われる。窃盗行為と窃盗行為の間には、絶望感や不安感、罪悪感などがあるにも関わらず、窃盗行為を繰り返す。しかしながら、この症状の多くは以下の障害(鑑別診断)から二次的に生じるもので、一次的なものは少ない。

鑑別診断:

窃盗症は以下の障害と鑑別する必要がある。

a) 精神疾患ではなく、単なる窃盗行為の反復(計画性があること、自分の利益になるという点が窃盗症とは異なる)

b) 脳の障害(記憶障害などの高次脳機能障害のため支払いを忘れ、結果的に窃盗になる)

c) うつ病(うつ病の患者の一部は、うつ病が続く限り窃盗行為を繰り返す)

570) American Psychiatric Association: Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders. 3rd Edition. 1980.

580) DSM-Ⅲには窃盗症Kleptomaniaのessential featureとして次の通り記されている:

The essential feature is a recurrent failure to resist impulses to steal objects that are not for immediate use or their monetary value: the objects taken are either given away, returned surreptitiously, or kept and hidden. Almost invariably the individual has enough money to pay for the stolen objects. The individual experiences an increasing sense of tension before committing the act and intense gratification while committing it. Although the theft does not occur when immediate arrest is probable (e.g., in full view of a policeman), it is not preplanned, and the chance of apprehension are not fully taken into account. The stealing is done without long-term planning and without assistance from, or collaboration with, others.

590) American Psychiatric Association: Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders. 5th Edition. 2013.

600) World Health Organization: The ICD-9 Classification of Mental Health and Behavioural Disorders: Clinical Description and Diagnostic Guidelines. WHO, Geneva, 1975.

610) World Health Organization: The ICD-10 Classification of Mental Health and Behavioural Disorders: Clinical Description and Diagnostic Guidelines. WHO, Geneva, 1989.

620) World Health Organization: ICD-11. International Classification of Diseases 11th Revision.     https://icd.who.int/en

630)

640) ICD-11の衝動制御症の冒頭の記述全文は次の通り:

Impulse Control Disorders are characterized by the repeated failure to resist a strong impulse, drive, or urge to perform an act that is rewarding to the person, at least in the short-term, despite longer-term harm either to the individual or to others, marked distress about the behaviour pattern, or significant impairment in personal, family, social, educational, occupational, or other important areas of functioning. Impulse Control Disorders involve a range of specific behaviours, including fire-setting, stealing, sexual behaviour, and explosive aggressive outbursts.

650) 太宰治.  風の便り. 利根書房 東京 1942.  46頁

660) 開高健.   夏の闇. 直筆原稿縮刷版 新潮社 東京 2010. 43頁 

670) 大辞林 第4版 三省堂 2019

680) 東京高裁 令和2年11月25日判決

690) 樋口進: ネット依存の概念、診断、症状. 精神医学 59: 15-22, 2017.

700) 村松太郎: 嗜癖行動症および関連疾患との関係. 中山書店 シリーズ 《講座 精神疾患の臨床》 物質使用症又は嗜癖行動症群 性別不合   第3章 衝動制御症.  中山書店 東京 2023.

710) American Society of Addictive Medicine: Definition of Addiction.

 https://www.asam.org/quality-care/definition-of-addiction

720) 原文は次の通り:

Disorders Due to Addictive Behaviours are recognizable and clinically significant syndromes associated with distress or interference with personal functions that develop as a result of repetitive, rewarding behaviours other than the use of dependence-producing substances or sexual behaviours.

730) たとえば、村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』740)第5章のタイトルは「レモンドロップ中毒」)である。村上春樹は、しばしば(過剰な頻度で)レモンドロップをなめている登場人物を指すものとして「レモンドロップ中毒」という言葉をあてている。そしてこの言葉は英訳版750)では “Hooked on Lemon Drops” と訳されている。 “hooked on” はMerriam-Webster Dictionaryによれば ”addicted to (a drug)”  とある。 addiction=嗜癖であるであるから、「しばしばレモンドロップをなめている」ことは “lemon drop dependence” よりも “lemon drop addiction” の方が英語としてしっくりくる表現ということになろう。「レモンドロップ中毒」は英語に直訳すれば “lemon drop intoxication”になるから、村上春樹の意図とは全く異なる意味になってしまう。

740) 村上春樹 ねじまき鳥クロニクル 第1部 泥棒かささぎ編 新潮社 東京 1995

750) The Wind-Up Bird Chronicle.  Haruki Murakami. Translated from the Japanese by Jay Rubin. Vintage International  NY  1998

760) 石田昇の教科書 340)には次の通り記されている (p.380):

慢性中毒は快味を得むが爲めに嗜好品として種々なる藥品を用ゐたる際に於て實地上の意義大なり。就中藥物の服用を中止したる爲めに禁斷症状Abstinenzercheinungenを誘發するが如き藥物は精神病學上の價値大なり。即ちアルコホル、莫兒比ね及びコカインの類是なり。

770) World Health Organization: WHO Expert Committee on Drug Dependence Sixteenth Report. WHO Geneva 1969.

https://apps.who.int/iris/bitstream/handle/10665/40710/WHO_TRS_407.pdf?sequence=1&isAllowed=y

780) 本文43と55に一部を引用したICD-11の衝動制御症の冒頭の記述の全文は次の通りで、「何らかの問題が発生している」という趣旨のことが記されている。

Impulse Control Disorders are characterized by the repeated failure to resist a strong impulse, drive, or urge to perform an act that is rewarding to the person, at least in the short-term, despite longer-term harm either to the individual or to others, marked distress about the behaviour pattern, or significant impairment in personal, family, social, educational, occupational, or other important areas of functioning. Impulse Control Disorders involve a range of specific behaviours, including fire-setting, stealing, sexual behaviour, and explosive aggressive outbursts.

790) 嗜癖に関連する生物学的研究は、約50年前、依存性(=嗜癖性)薬物の自己摂取という動物モデル800)に遡るとするのが最も適切であろう。その後に重ねられた研究によって嗜癖が脳の病気であるという認識が確固たるものとなり、1997年のScience誌に”Addiction is a brain disease” と題されたランドマーク的な論文が掲載されるに至った810)。以後、現代に至るまでの膨大な研究によって確立された嗜癖の生物学的メカニズムは、生体に「快」をもたらす脳の報酬系の変化が嗜癖という行動の根底にあり、背側線条体のドパミンが中心的役割を演じているというものである820)

800) Weeks JR et al: Factors affecting voluntary morphine intake in self-maintained addicted rats. Psychopharmacologia 14: 267-279, 1964.

810) Leshner AI: Addiction is a brain disease, and it matters. Science 278: 45-47, 1997 (doi: 10.1126/Science. 278.5335.45)

820)Kobb GF and Volkow ND: Neurobiology of addiction: a neurocircuitry analysis. Lancet Psychiatry 13: 760-773, 2016.

830) 村松太郎: 衝動制御症の診断・治療 総論. 中山書店 シリーズ 《講座 精神疾患の臨床》 物質使用症又は嗜癖行動症群 性別不合   第3章 衝動制御症.  中山書店 東京 2023.

840) DSM-5には、「ギャンブル障害以外にも物質嗜癖と共通点を持つ行動があるが、その中で行動嗜癖に分類しうる十分なデータがあるのはギャンブル障害のみである」という記述がある。(Although some behavioral conditions that do not involve ingestion of substances have similarities to substance-related disorders, only one disorder --- gambling disorder --- has sufficient data to be included in this section.)

850) Grant JE et al: Impulse control disorders and “behavioural addictions” in the ICD-11. World Psychiatry 13: 125-127, 2014.

860) ICD-11では、その草稿段階ではギャンブル行動症は衝動制御症に分類されていたことが公表されている850)。それが最終的にはDSM-5と同様に衝動制御症から行動嗜癖に「昇格」したのである。その理由はICD-11本文には記されていないが、DSM-5と同様、生物学的データを重視したと推定される。上記論文850)にも、ギャンブル行動症に見出されている脳機能障害(報酬系の変化をその代表とする)への言及がある。(While a good deal of literature supports the idea that individuals with pathological gambling have altered reward circuitry, they also have other brain abnormalities.)

870) 精神医学は伝統的に、精神障害をその原因に基づいて内因・外因・心因に分類してきた。内因とは、脳内に何らかの原因があるが、その原因が同定できていない精神障害を指し、統合失調症や双極性障害が内因性精神障害の代表である。すなわち精神医学は、原因が同定できない段階で多くのものを病気として扱ってきたのであって、窃盗症が原因不明だからという理由で精神障害とは認めないというのは全く不合理である。 

880) 村松太郎: 衝動制御症の概念. 中山書店 シリーズ 《講座 精神疾患の臨床》 物質使用症又は嗜癖行動症群 性別不合   第3章 衝動制御症.  中山書店 東京 2023.

890) DSM-5の「15章 秩序破壊・衝動制御・素行症群」の冒頭には次の通り記されている:

Disruptive, impulse-control, and conduct disorders include conditions involving problems in the self-control of emotions and behaviors. While other disorders in DSM-5 may also involve problems in emotional and/or behavioral regulation, the disorders in this chapter are unique in that these problems are manifested in behaviors that violate the rights of others (e.g., aggression, destruction of property) and/or that bring the individual into significant conflict with societal norms or authority figures.

900) ある行為が犯罪にあたるか否かは、その行為が刑法に記されているか否かによってのみ決定されるのであるから、医学生物学的事実とは別の次元にある。

910)

920) 

930) 

940)

950)

960)

970)

980)

990)

1000) 「三重苦」というネーミングは、「苦」だから本人への支援を、という意図を含意したものではない。本稿冒頭1に記した通り、本稿は、「窃盗症の被告人を擁護も非難もしない」という立場を堅持して記したものである。本稿100は、窃盗症の被告人の刑事裁判において、窃盗への精神障害への影響が精神医学的に妥当なレベルの評価を受けにくい3つの理由を示したものであって、三重「苦」はそれをわかりやすくするための便宜上の表現にすぎない。

 

(未完)

承に続く

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