窃盗症論2 古生物としてのクレプトマニアと現代の医学と法学
(「起」からの続き)
(未完)
承
101
我が国には万引きを繰り返した事件について、被告人が窃盗症であるという診断を基礎にして争われた裁判例がかなり蓄積されてきている。主な争点は責任能力と量刑(特に再度の執行猶予など)であり、この二つのテーマを軸にした刑法学者による論文も一定数存在する。窃盗症をめぐる法的議論は、平成以後、特に活発化しているということができる。
102
本稿「承」は、精神鑑定の3ステージ、すなわち、「精神障害の診断」「精神障害の犯行への影響」「責任能力の決定」ごとに、各判決文から判示を抽出して論ずる1010-1060)。
103
精神鑑定の3ステージとは、下の図8 (『窃盗症論1』「起」23の図1)の通りで、第1ステージは精神障害の診断、第2ステージはその精神障害の犯行への影響を指す。犯行への影響は現代(西暦2000年前後)では通常①有無、②程度、③機序であるとされている。この2つのステージは精神鑑定嘱託事項として通常求められる第1項と第2項に対応している。第3ステージ「責任能力の決定」は100%法の領域にあるが、判例を検討する以上は当然に重要なテーマのひとつになることに加え、精神鑑定の第2ステージ「精神障害の犯行への影響」の「影響」とは、責任能力を視野に入れた「影響」であるから、責任能力を無視した精神鑑定というものは成立しない。したがって「責任能力の決定」を精神鑑定の第3ステージに位置づけることができる。
図8. 精神鑑定の3ステージ
窃盗症1の図1再掲。figure legendもそのまま下に再掲する:
第1ステージ: 精神障害の診断; 第2ステージ: 精神障害の犯行への影響; 第3ステージ: 責任能力の決定. これらのステージは精神鑑定の嘱託事項に対応している。図では精神医学の領域をブルー、法の領域をピンクで示してある。通常は嘱託事項は第2ステージまでであるが、時には「理非善悪を判断し、同判断に従って行動する能力」などの文言が鑑定嘱託書に記されることによって、実質上第3ステージまでの記述が鑑定医に要求されることもある。「ステージ」としたのは、精神鑑定および精神鑑定に基づく法的論考は、その作業過程においては、必ずしも第1→第2→第3の順に整然と進行するものではなく、各段階を往還しつつ進行することに基づく。また、責任能力自体は完全に法の領域にあるが(したがって図ではピンクで示してある)、責任能力判断までに至る精神障害の影響については精神医学的論考が必須であり、したがって「精神障害の犯行への影響」と「責任能力の決定」を結ぶ部分は精神医学と法の両方の領域にかかっていることを、この図ではブルーからピンクへのグラデーションで示してある。(図7でグラデーションがかかっているのは「責任能力の決定」の直前までであるが、その範囲については異論も十分にありうる。この点については窃盗症論1の注 1000)参照)
104 (第1ステージ : 精神障害の診断)
まず精神障害の診断についての判示を論ずる。
図9. 105-143: 精神障害の診断
本稿105-143は、判例から第1ステージに関連する判示を抽出して論じたものである。
105
「第1ステージ: 精神障害の診断」は100%精神医学の領域にあるが、裁判においては精神科医の専権事項ではない1070)。
106 (精神障害か?)
精神障害とはその定義が曖昧である以上、たとえ精神科医が精神障害であると診断しても、かつ、その診断が精神医学的に正しくても、それは精神障害ではないと裁判所が結論することがある。なぜなら、医学的な意味での精神障害と法的な意味での精神障害は一致するとは限らないからである。
107
したがって裁判所が、精神科医による精神障害の診断に対して、「それは精神障害でない」と結論することがあってもそれは正当である。正確には「それは医学的には精神障害であっても、法的には精神障害ではない」1080)ということになるが、精神障害の診断が否定されるという意味では同じことである。
108
診断について裁判所が精神科医の意見を覆すパターンはもう一つある。それは、「その診断は誤っている」とするものである。これは裁判官が精神医学の専門家でないことからみると不当のようだが、現実の裁判では複数の精神科医から複数の診断が提出されることがあり、その場合裁判所はある精神科医の診断を肯定し、別のある精神科医の診断は否定することになる。すなわち精神科医に対して「その診断は誤っている」と裁判所が宣告することは十分にありうるし、少なくとも手続き的には正当なことである1090)。
109
107に示した第一の否定パターン、すなわち「それは精神障害ではない」が適用されることは、窃盗症においては、水面下にはかなりの数があるとも考えられるが、データベース上にはほとんどない 1100-1130)。すなわち窃盗症を前提とする検討自体を不要とする判示は、少なくとも表面上はほとんどないのが現実である。
110
精神障害であること自体を裁判所が否定することがほとんどないのは、窃盗症に限ったことではない。ある任意の状態が精神障害であると主張されたとき、我が国の裁判所はそれが「精神の障害」に該当する・しないを問題とするのではなく、心理的要素の検討に入ることによって心神喪失・心神耗弱の判断をしてきている1140)。窃盗症だけについてその手法を否定する理由はない1150)1160)。
111
判例上、明に暗に、あるいは間接的な表現で、窃盗症が精神障害であることを否定したものは存在するが、その場合の根拠としては多くの場合に精神科医の意見が援用されているから、裁判所が独自の判断で否定したものではない1170-1190)。
112
精神科医が、窃盗症が精神障害であることを否定する意見を述べるとき、それはその精神科医の窃盗症についての知識が欠如あるいは著しく不足しているか(本稿「起」で論じた通り、窃盗症が精神障害であることが精神医学において認められているという事実を否定するのは不可能である)、またはその精神科医の信念として窃盗症が精神障害であることを否定しているかのどちらかであろう1200)。
113
一方、窃盗症に合併する別の精神障害の窃盗への影響を論の中心に位置づけ、結果的に窃盗症についての検討をほとんどしていない判例は比較的多数存在する。これらについては、窃盗症を軽視したものであると言えるが、窃盗症の診断を暗に否定したものであるとする見方も可能である。
114
精神科医の診断を裁判所が覆すもう一つのパターン(108)であるところの「その診断は誤っている」をめぐっては、操作的診断基準の解釈が関係しているのが常である。
115
裁判の過程においては、窃盗症の診断を否定する主張が検察官から出されることがしばしばあり、その代表が「その被告人は窃盗症の診断基準を満たさない」というものである1210-1240)。それを受けて裁判所が、窃盗症の診断基準を満たすか否かについて判断する場合が少なからずある。ここには、検察官も裁判官も操作的診断基準というものをその最も基本的なレベルで誤解しているという惨状がありありと露呈している。
116
「その被告人は窃盗症の診断基準を満たさない」ことを理由に窃盗症の診断が否定できると考えること自体が、すでに精神医学的には全く失当である。なぜなら診断基準(操作的診断基準)、特にDSMは、医学研究用のツールであって、その精神障害の本質を示すものではないからである1250)。
117
「操作的診断基準はその精神障害の本質を示すものではない」は医学の常識である。それは「操作的診断基準は、信頼性は高いが妥当性は低い」という要約に象徴されており、これは医学部学生の試験にも出されるレベルの常識である1260)。
118
信頼性reliabilityとは「一貫した結果が得られる」ことを指し、妥当性validityとは「正しい結果が得られる」ことを指す1270-1290)。本稿では以下、「信頼性」「妥当性」という言葉は、上の意味での学術用語として用いていることを示すため「信頼性reliability」「妥当性validity」と表記する。
119
明晰に考えるためには明晰に言葉を使わなければならない。
120
日本語で「信頼性」というとき、それは「信用性」と同義語とみなされることがあり、すると深刻な混乱が生じうる。たとえば法の世界には「証拠の信用性」という表現があるが、証拠の「信用性」と診断基準の「信頼性 reliability」とは全く意味が異なる1300)1310)。
121
そもそもが研究目的の診断基準であるところのDSMが本来的に目指しているのは、「研究対象の明確化」である。たとえば統合失調症について研究した論文Aと論文Bがあり、それぞれ異なる結論が出されているとき、論文Aで研究対象としている統合失調症と論文Bで研究対象としている統合失調症が一致しなければ(たとえば論文Aでは陰性症状があることを統合失調症と診断するための必要条件としているが、論文Bでは陰性症状の有無は診断根拠にしていない、などの不一致)、結論の相違は統合失調症の定義の相違を反映しているにすぎない可能性が高く、すると論文Aと論文Bの比較は意味を失う。このような状態ではいくら研究が蓄積されても統合失調症について何も得られるものがない1320)1330)。他の精神疾患でも同様である1340-1440)。したがって第一歩として研究対象を明確化し共有することが必須であり、それを第一目的に掲げて作成されたのが現代のDSMである。
122
それでも精神鑑定において公式の診断基準を用いることが推奨されているのは1450)1460)、精神鑑定が争いの場で活用される資料であるという特性が一つの大きな理由である。異なる意見間の戦いである争いにおいては、診断について異なる意見が提出されたとき、それが診断についての真の意見の食い違いであれば法廷で争う価値があるが、拠って立つ診断基準が異なることによる食い違いであった場合、法廷を混乱させるばかりで不毛である1470)。精神鑑定は「争われる」という性質上、信頼性reliabilityが高い診断を下すことが第一段階として求められるのである1480)。
123
但し、操作的診断基準は信頼性reliabilityが高いといっても、それは妥当性validityとの相対的な意味において「高い」ということにすぎない。すなわち操作的診断基準の信頼性reliabilityは「高い」とはいうものの、それにも相当な限界がある。
124
窃盗症について言えば、「DSM-5(操作的診断基準の代表)を厳密に適用すれば、窃盗症と診断されるケースはきわめて少なくなる」という言説が流布しているが、DSM-5原書には、「窃盗症は窃盗犯の4〜24%にみられる」と明記されているから、流布している言説と統計的事実は全く逆ということになる。しかし24%というのはいかにも非現実的に高率であるし、4%から24%というのもあまりにも幅がありすぎる。このことからも、DSM-5の信頼性reliabilityには相当な限界があることが明らかである1490)1500)。
125
高頻度に誤解されるので重複をおそれずもう一度記す。「信頼性 reliability」は「信用性」とは全く意味が異なる。
126
これもまた高頻度に誤解されているので重複をおそれずもう一度記す。「その被告人は窃盗症の操作的診断基準を満たさない」を理由に窃盗症の診断を否定することは精神医学的には失当であり、その失当さは論外レベルである1510-1530)。
127
精神障害に関する事項である以上、精神医学的に失当であれば、直ちに法的にも失当であるというべきであろう。だが、「精神医学的に失当」ということとは別次元からの論理によって、操作的診断基準に該当する・しないは責任能力論とは無関係であるという適切な判断を裁判所が示した例もある。次の通りである。
128 (平29東京地裁)1540)
DSM-5のA基準をどのように解釈し,当てはめるべきかは精神医学の問題であって,刑事裁判において裁判所が判断することが必要でも相当でもない。責任能力を考えるに当たっては,被告人がDSM-5のクレプトマニアの診断基準に該当するかどうか自体ではなく,前提となっている被告人の精神障害,症状が犯行にどのような影響を与えているのかを検討すべきものである。
窃盗症の診断基準(DSM-5は操作的診断基準である)に該当する・しないを問題にするのではなく、「前提となっている被告人の精神障害,症状が犯行にどのような影響を与えているのかを検討すべき」であるとするこの判示は、精神医学的にももちろん正当である1550)。
129 (平27松戸簡裁)1560)
検察官は,被告人は,精神障害に関する広く承認された診断基準であるICD-10やDSM-5 におけるクレプトマニアの診断基準を満たさないとして,被告人が病的窃盗であるとの診断自体を争うが,被告人は,夫と本件犯行当時零歳の子1人を持つ家庭の主婦であり,経済的には何ら問題がないにもかかわらず窃盗を繰り返し,しかも本件犯行当時は保護観察中でもあったもので,客観的に考えれば,被告人に服役の危険を冒してまで窃盗を行うべき理由はなく,この点が責任能力の有無及び程度に関連するかどうかはともかく,被告人がそれにもかかわらず窃盗を繰り返していることからすれば,そのような被告人に対して何らかの心理学的又は医学的措置(以下,これらを「治療的措置」という。)を講ずる必要があることは明らかである 1570)。
窃盗症の診断基準(DSM-5は操作的診断基準である)に該当する・しないを問題にするのは失当であるという趣旨は上記128と同様で正当であるし、被告人の窃盗が病的であるとして挙げられている論拠も正当である。但し治療的措置が必要であるとするのは、医療的な立場に立てばその通りであるが、犯罪者の処遇として直ちに適切と言えるものではないことは明らかで、これはその裁判官の哲学の宣言にすぎないとみるべきであろう1580)1590)。
130 (平25長野地裁上田支部)1600)
(下の引用中、「診断基準〔1〕」はDSM-5の窃盗症の診断基準Aを指し、「診断基準〔4〕」はDを指している。診断基準Aは、「盗むために盗む」という、窃盗症の本質的特徴の記述である1610))
診断基準〔1〕はその解釈が問題となる。窃盗は,財産犯として,常に金銭的価値の取得を伴うものであるし,対象となるものが財物である以上,個人的効用の取得も不可避的に生じるといわざるを得ない。診断基準〔1〕を,個人的に用いることや金銭的価値を目的とすることが全くないことを要する,と厳格に解釈すると,診断基準〔4〕前段に抵触せず,かつ,診断基準〔1〕を満たす窃盗なるものは,存在したとしても,極めて限定された狭い幅の中にしかこれを見いだすことができなくなる。しかし,上記の注意すべき点第1のように,クレプトマニアであるか否かの判断は,医学的な対処を行う必要性の存否を医学的見地から行うものに過ぎないから,その診断基準の解釈は,犯罪成立要件の解釈のように厳格に行う必要はない。従って,僅かでも「個人的に用いる」,「金銭的価値のため」という要素が存在するときはこれをクレプトマニアから除外するという狭い解釈を採用する必要はなく, 主たる動機・目的が「個人的に用いるのではなく,金銭的価値のためでもない」のであればよいという柔軟な解釈を採用するのが相当である。
窃盗症の診断についてのこの判示は結論部分は正当である。すなわちDSM-5の基準を「主たる動機・目的が「個人的に用いるのではなく,金銭的価値のためでもない」のであればよいという柔軟な解釈を採用する」ことは正当である1620)。
131
但し130の判示が正当というのは、その結論部分は正当ということであって、判示されている論考は前提部分が誤っているから、いわば偶然に正解に達したということにすぎない。前提部分の誤りとは、DSMの診断基準を裁判官が解釈するというその手法そのものにある。
132
DSM-5には次の通り明記されている:
DSM-5は,臨床家や医療関係者以外の人や,そのほか,十分に訓練されていない人が精神疾患の有無を判定する目的で使用することはすすめられない1630)
133
130の裁判官はこのDSM-5からの警告に違反する行為を堂々と行なっている 1640)。その違反行為は、130に引用したA基準についての独自の解釈にとどまらず (その解釈は結果的には正解に達していたが、そもそも精神医学の非専門家である裁判官には操作的診断基準の解釈をする資格はないのであるから、正解に達したのは偶然にすぎない)、130の引用部分に続けてさらにB基準、C基準にも独自の解釈を示している。115に「検察官も裁判官も操作的診断基準というものをその最も基本的なレベルで誤解しているという惨状がありありと露呈している」と記載したが、この記載のうち、検察官の誤解とは操作的診断基準の誤用を指し(114-121)、裁判官の誤解とは「窃盗症の操作的診断基準を満たすか否かについて裁判官が独自に判断することが許されると考える」ことを指す。この長野地裁上田支部の判例がその典型である1650)。
134
このような誤解による不当な裁判がどのくらい行われているのか、その実数は不明であるが、上の判例は決して例外的ではないと思われる。そうした実例を挙げ強烈に批判する「裁判官でも診断できるDSM-Ⅳなどの操作的診断基準」と題された、精神神経学会の理事名による論文も出版されている1660)1670)。
135
したがって(とわざわざ論ずるまでもなく全く当然のことなのであるが)、
DSM-5のA基準をどのように解釈し,当てはめるべきかは精神医学の問題であって,刑事裁判において裁判所が判断することが必要でも相当でもない。
という東京地裁の判示(128)1540)は端的に正当である。
136
逆に端的に不当なのは次の2点である:
操作的診断基準について
(1)過剰に重視すること。特に「操作的診断基準を満たさない」ことを診断否定の理由とすること。
(2)精神医学の非専門家が用いること。
137
操作的診断基準の中でも、特にDSMは研究用であって、他の目的には本来は用いるべきでない。先日(2023年)本学で講演していただいたドイツの精神科教授1680)に、ドイツでは精神鑑定において診断基準を用いるのか、用いるとしたらICDとDSMのどちらを用いるのか、とお聞きしたところ、「もちろんICDである。DSMは研究用の診断基準だから、精神鑑定には用いない」という回答であった。(なぜそんな当然のことを質問するのか、という半ば呆れた表情で即答されたことを付記する1690))
138
研究用であればその疾患の本質を反映しているのではないのかと法曹等から質問を受けることがあるが、精神医学における研究用の診断基準は、121に記した通り、研究対象の明確化を最優先として作成されている。精神障害の本質は、「診断基準を活用した研究によって到達すべきもの」であって、「診断基準に示されているもの」ではない1250)1700)。
139
DSMと比べると、ICDは研究より臨床に軸足をおいている。この点がICDとDSMの非常に大きな違いで、日本の医療における公的な文書等でICDを用いることが定められていることもそれを象徴している1710)。
140 (DSM-5のB基準とC基準)
DSMとICDは互いに整合性をつけようという動きもあって、診断に必要な項目だけを表面的に読めばかなり共通しているように見えるという現実があるが、そもそもICDは、そこに記されている項目を満たすことを診断の必須条件にしていない点で、DSMとは根本的に異なっており、したがってICDは厳密には診断「基準」ではなく診断「ガイドライン」である。ICDは、診断する医師の裁量に任されている部分がDSMよりはるかに大きいのだ。
141
窃盗症の診断は、DSMとICDの違いが最も顕著に現れるものの一つである。すなわち、DSM-5では犯行に際しての主観的状態が必須項目とされているから(B基準とC基準)、犯行時の記憶がない場合には窃盗症と診断できないことになるが、ICD-11はそれでも窃盗症と診断できることになっている1720)。
142
但し、DSM-5でA, D, E基準を満たし、かつB, C基準を満たさないとき(犯行時の記憶がないとき)、DSM-5では「他の特定される秩序破壊的・衝動制御・素行症(DSM-5 312.89)」と診断されることになるので、本質的な意味で窃盗症の診断が否定されるわけではない。DSMのこの構造についても、法律関係者のほとんどが理解しておられないようである1730)。
143
以上のように、精神鑑定において操作的診断基準を使用することには大いに問題があるが、それでも精神鑑定の第一段階においては操作的診断基準を用いた診断が適切である。但しそれはあくまでも第一段階においてであって、そこからの手順は、精神医学の診断、操作的診断基準、裁判の実態を総合したとき、図10のように進めるのが適切であると私は考える。
図10 精神鑑定における操作的診断以後の手順
精神鑑定における診断は、まずは(第一段階においては)操作的診断基準を用いた診断を示すべきである。しかし操作的診断基準はその精神障害の本質を反映していない以上、精神障害の犯行への影響を論ずるにあたっては、診断の本質論が必須である。この段階では伝統的診断が必要になることもしばしばある。
144 (第2ステージ : 精神障害の犯行への影響)
次に精神障害の犯行への影響についての判示について論ずる。
図11. 144-182: 精神障害の犯行への影響
本稿144-182 は、判例から、第2ステージに関連する判示を抽出して論じたものである。
145
「精神障害の犯行への影響」についての検討は精神鑑定において特に重要なステージであるが、窃盗症においてはその検討のスタートラインに立つ前に、二つの大きな問題をクリアする必要がある。その第一は「窃盗症の無視」問題、第二は「摂食障害の表面的重視と実質的無視」問題である1740)。
146 (「窃盗症の無視」問題)
第一の「窃盗症の無視」問題が発生する大きな原因の一つは、「窃盗症の窃盗への影響は?」という問いが一見すると循環論法で意味をなさないようにも感じられることから発生している。だがそれは、すでに本稿「起」25-35に記した通り、言葉のレベルだけで考えることによる混乱にすぎない。この混乱は、第一段階としての「窃盗をするから窃盗症と診断されている」ことから、「したがって」によって、第二段階として「窃盗症が窃盗に影響したという文章は意味をなさない」を導くことから発生している。このうち、第一段階は真であるが、そこから「したがって」という接続詞によって第二段階を導くところに混乱がある。なぜなら、第一段階の「窃盗をするから窃盗症と診断されている」の「窃盗」とは過去の窃盗であるのに対し、第二段階の「窃盗症が窃盗に影響」の「窃盗」は当該犯行すなわち定冠詞のついた特定の窃盗を指しているからである。
147
もし「窃盗症の窃盗への影響という問いは循環論法で意味をなさない」のだとすれば、「パニック障害のパニック発作への影響」「うつ病の抑うつ気分への影響」「てんかんのてんかん発作への影響」「アルコール依存症の飲酒への影響」などもすべて意味をなさないことになる。症状がそのまま診断名になっているものはこのように多数存在するのであって、窃盗症においてのみそれを問題視して循環論法であるとする理由はない。
148
いや理由はあるかもしれない。それは、窃盗症を精神障害であると認めない思想、あるいはまた、窃盗症による窃盗という犯行は常に完全責任能力であるとする思想の密輸である。本稿冒頭1に明記した通り、「窃盗症の被告人を擁護も非難もしない」ことを堅持するのであれば、かかる密輸は犯罪的行為として排斥されなければならない。
149
思想の密輸によるものか否かはともかくとして、「窃盗症の窃盗への影響は論ずるに値しない」とした判例は、決して多くはないものの、水面下にはかなりの事例があると思われる1100-1130)。
150 (平29東京地裁 )
実例としては次の判示がある1750)=1540)。
[・・・],e意見は,A基準を合理的,目的的に解釈して,個人的利用又は金銭目的として合理的に理解できない窃盗を繰り返す場合にA基準を満たすという見解であり,要するに,不合理な窃盗を繰り返す者に対して付される病名がクレプトマニアということである。
すなわち,e意見がいうところのクレプトマニアはそのようなe意見の診断基準の解釈からすれば,何らかの精神上の障害,症状が生じ,それが影響して窃盗に及ぶというものではないから,それ自体の犯行への影響を検討すべきものではない(e医師もクレプトマニアが万引き行為に影響を与えたかどうかは質問自体あまり意味がないと述べている。)。
これは128に引用した判例である(この判例には複数回言及するので、以下ではこの判例またはこの裁判所を「平29東京地裁」と記すことにする)。前記128引用部分は、要約すると、「被告人が窃盗症の診断基準に該当するか否かは精神医学の問題であって、裁判所は関知しない。それよりも被告人の精神障害、症状の犯行を検討するのが裁判所の仕事である」というもので、128引用部分は既述の通り精神医学的に正当である。
151
しかしそれに続く判決書の記述を読むと、上の150に至ったとき、平29東京地裁がとんでもない誤解をしていたことが明らかになる。すなわち、128引用部分の「被告人の精神障害、症状」とは、窃盗症以外の精神障害、症状という意味だったのである。そしてその誤解は鑑定医の意見(150のe意見)に基づいている。「e意見がいうところのクレプトマニアはそのようなe意見の診断基準の解釈からすれば,何らかの精神上の障害,症状が生じ,それが影響して窃盗に及ぶというものではない(150)」という記載はすなわち、クレプトマニア(窃盗症)は、「何らかの精神上の障害,症状(つまり精神障害)」にはあたらないと言っているのであって、つまりこの平29東京地裁は、前記109に記した、「水面下におそらく多数存在するところの、窃盗症は精神障害でないと裁判所が判断した判例」の一つということになる。
152
このようにして窃盗症が精神障害であることを実質的に否定した裁判所は、それに続いて、裁判所がいうところの「被告人の精神障害、症状」、つまり、被告人の精神障害から窃盗症を除外した精神障害の、犯行への影響の検討に入る。このパターンの判例は実に多い。そしてこのパターンの判例で最も扱われることが多い精神障害が摂食障害である。
153
平29東京地裁もその典型的な一例で、上記150に続いて次のように判示している:
したがって,結局,被告人の責任能力を考えるにあたっては,他の特定される精神障害について,それと犯行への影響の有無,程度を検討すべきである(換言すれば,クレプトマニアといい得る不合理な窃盗を繰り返していることに,摂食障害など精神障害の影響があるのか否かを問題とすべきである。)。
154
これがすなわち前記145の第二、「摂食障害の表面的重視と実質的無視」問題の中の前段、「表面的重視」問題である。これは、被告人が窃盗症であることを無視ないしは軽視して、犯行に影響した精神障害として、摂食障害のみを裁判所が検討することを指す1760)。
155
その代表は153の通り、合併する摂食障害の窃盗への影響を中心に位置づけた論である。このパターンの判例は非常に多い。というより、平成の判例はほとんどがこのパターンであったと言っても過言ではない。このパターンは単純化すれば次の通りとなる:
摂食障害による「食べたい」という欲求が、食料品の万引きの動機である
これはいかにも納得されやすい説明であるが1770)、二つの大きな問題がある。
156
第一は、窃盗症の無視である。無視とはすなわち窃盗症が精神障害であることの否定にほかならない。
第二は、摂食障害についてで、窃盗症を無視した結果として相対的には摂食障害の影響を重視したということになるが、それは「表面的」重視にすぎないのであって、「実質的」には無視している。この点については180以下に後述するが、この無視の根底には素朴な精神障害観への囚われがあることをここで指摘しておく。
そしてどちらの問題の背景にも、確証バイアス1780)が潜んでいる。
157 (窃盗症の軽視)
図12が、第一の「窃盗症の無視」である。
図12 窃盗症の無視
窃盗症の影響を無視し、別の精神障害(典型的には摂食障害)の影響のみについて論ずることを指す。これは説得的1770)な論ということもあって、裁判の中に多数の例を見出すことができる。(シャドーをかけたのは無視されていることを示している)
158
「窃盗症の無視」は、精神医学的にはもちろん失当であるが、平成までの我が国の判例(データベース・文献より)では、窃盗症(ないしは窃盗症と解し得るもの)の被告人は大部分が完全責任能力と認定されているところ、例外的に心神耗弱・心神喪失と認定されている次の3例では、いずれも合併症の影響を重視することで(したがって窃盗症を無視して)責任能力の認定が下されている(窃盗症論1の注520)):
・大阪高裁 昭和59年3月27日 心神喪失。 合併症: 神経性食思不振症
・新潟地裁 平成27年4月15日 心神耗弱。 合併症: 神経性無食欲症、認知症
・大阪地裁岸和田支部 平成28年4月25日 心神耗弱。 合併症: 摂食障害、広汎性発達障害
159 (昭59大阪高裁) 1790)
データベース上、我が国で唯一、窃盗症関連の被告人が心神喪失と認定された昭和59年大阪高裁は、次の通り鑑定人の見解を引用しこれを全面的に受け入れている:
「被告人は十六歳のころから神経性食思不振症を発症していたと診断される。右の疾病は一般に慢性の病気であり、軽重さまざまな症例が報告されているが、過食及び嘔吐をきたす症例は重症であり、被告人の場合、昭和四五年ころから現在までの間に認められるその食行動異常歴から判断して、典型的な神経性食思不振症者であり、その最も重症例であるといえる。神経性食思不振症者の窃盗例はまま見受けられるが、その特徴は盗品が食料品もしくは食行動異常に関係した物に限られていることにあり、拒食して痩せる症状のみを示す患者よりも、過食して嘔吐する患者の方が高頻度で食料品窃盗を犯す。神経性食思不振症者の場合、食料品を盗むことは食行動異常と同様全くの衝動的行為である。被告人は本件当時、過食と嘔吐の日々を送る中で食料品を頻回に窃取しているが、これらは右に述べた神経性食思不振症の一症状としての衝動的行為であったと考えられるべきであり、一般にみられる常習性窃盗とは明らかに区別される病態である。結局、被告人は、本件各犯行当時、一般常識的には窃盗が犯罪行為であることは認識していながら、神経性食思不振症に罹患しているため、食品窃取を含め食行動に関しては、自己の行動を制御する能力をほぼ完全に失っていたと考えられる。」
すなわちこれは、窃盗という犯行を摂食障害に結びつけることによって、行動制御能力が失われていたと認定する論法である(神経性食思不振症は神経性無食欲症と同義語で、摂食障害の一型である)。これは昭和の判例で、摂食障害についての社会の認知度は現代に比べると相当に低い時代であるが、裁判所は鑑定意見を正確に理解して判断を下している。
但し図13の通り窃盗症を文字通り完全に無視していることや、最終結論の心神喪失が妥当であるか否かなど1800)、現代の目から見れば問題点は散見されるが、昭和という時代背景から離れて判示を批判することは適切ではないであろう1810)。
図13 昭59大阪高裁判示の論理構造
図10Bとの違いは、窃盗症という概念自体が一切現れていない点である。鑑定人が窃盗症に一切言及していなかったと思われる。
160 (平27新潟地裁) 1820)
データベース上、平成の時代には窃盗症関連で心神耗弱が認定された事例が2例ある。1例目は平成27年新潟地裁である。判決文から抜粋する:
精神科医師Eが作成した精神鑑定書(甲16)の概要は次のとおりである。「とにかく過食したいが,どうせ吐くから買うのはもったいないという犯行動機は,自己中心的で短絡的だが了解可能である。盗んだ商品を隠すバッグを複数準備するなどの犯行態様は計画的である。窃盗は犯罪であり見つかれば刑務所へ入れられると述べるなど違法性の認識はあるが,食べ物への渇望から違法性の認識に従って行動することに失敗している。思春期から窃盗を繰り返しており,窃盗自体は元来の人格と親和性があるが,認知症発症後に頻回になっており,この点は元来の人格と異質である。犯行時の行動は合目的的であり,犯行発覚後,謝罪し,警察への通報を阻止しようとするなど,窃盗行為の性質を理解した自己防御行動があった。被告人は,神経性無食欲症による過食への渇望及び低酸素脳症による認知症による衝動制御困難さが影響した結果,物を盗もうとする衝動に抵抗困難となり,本件犯行に至った。以上によれば,被告人の善悪の判断能力は障害されておらず,その判断に従って行動する能力は著しく障害されていた。」 E医師の公平性,判断の前提となった事実に何ら問題はない。内容も合理的である。これに対し,弁護人は,被告人が約5年前工作用糊のチューブを7本も飲み込んだことがある等の事実が適切に考慮されていない旨主張する。かかる事実は,過食嘔吐行為に関する被告人の行動であり,被告人の行動制御能力を判断する上での一事情ということができるが,本件犯行と直接関係があるものではなく,上記鑑定の結論を左右する事情とはいえない。他方,精神科医師F作成の意見書(弁護人請求証拠番号1)があるが,その結論は,被告人にはクレプトマニア,摂食障害、脳の器質的・機能的障害等が示唆され,これらの疾病性や過去の生活環境が窃盗行動に影響を及ぼしているというものであり,上記鑑定書の内容とむしろ整合しており,F医師の公判供述を併せ考慮しても,上記鑑定書の内容に疑問を生じさせるものではない。
以上によれば,本件犯行当時,被告人は,神経性無食欲症及び低酸素脳症による認知症という精神障害に罹患し,その精神障害により行動制御能力が著しく障害され,心神耗弱の状態にあったと認められる。
判決書はわずか2頁という簡潔なもので、精神障害の犯行への影響にかかわる記述は上の引用部分でほぼすべてである。そこから読み取れるのは、鑑定意見によれば窃盗に影響したのは摂食障害と認知症(低酸素脳症による)で、別の精神科医の意見書によればさらに窃盗症の影響もあったとされていたということである。いずれにせよ、精神障害が行動制御能力に影響したというところまでは明らかであるが、なぜそこから心神耗弱という認定が導かれるかは全く不明である1830)。すなわち、これだけの情報からは、心神喪失も考えられるし、逆に完全責任能力も考えられる。そのような状況の中で心神耗弱を裁判所が選択したのは、判決文から見る限りにおいては、鑑定人の責任能力判断をそのまま採用したということのようである。窃盗症の影響を有りと認定したのか無しと認定したのか、この判示からは微妙だが、仮に有りと認定したとしてもその程度は相対的に小さく、主として影響したのは摂食障害と認知症であると認定していることは確かである。
図14 平27新潟地裁判示の論理構造
窃盗症は無視し、合併する摂食障害と認知症の影響のみが論じられている。
161 (平28大阪地裁岸和田支部) 1840)
本件犯行が,店内で食料品等の商品を前にして食品の溜め込みとそのための万引きへの衝動・欲求が強くなり敢行されたものであることは否定できないところであり,万引きをするなら使えるだろうと考えてレジ袋を所持したという程度の計画性は,本件がこのような衝動・欲求による犯行であることと矛盾するものではないと考えられる。また,犯行の実現に向けてなされた工夫や配慮についても,欲求・衝動に突き動かされてなされたものともいえるのであり,このような犯行実現に向けて一見合目的的で一貫性があるともいえる行動がみられるからといって,衝動・欲求に左右されることなく自らの行動を自由に制御することが可能であったとみることはできない。
先の2例(159 (昭59大阪高裁)と160 (平27新潟地裁))と同様に、この平成28年大阪地裁岸和田支部の事例も、摂食障害の影響を重視している。すなわち、「店内で食料品等の商品を前にして食品の溜め込みとそのための万引きへの衝動・欲求が強くなり敢行された」は、摂食障害による食への衝動が二次的に食品の窃盗に繋がったという解釈である。そして、犯行の計画性や、犯行時の合理的な行動が見られたからといって「衝動・欲求に左右されることなく自らの行動を自由に制御することが可能であったとみることはできない」としているのは、窃盗症論1のTL2審・差戻審の判示との関係において興味深いことであると言える1850)。
本件の責任能力についての結論は次の162の通り判示されている。
162
被告人は広汎性発達障害の影響下において摂食障害,盗癖にり患した状態にあり,これによる食料品の溜め込みと万引きへの欲求は,その生活全体に影響を及ぼすほど激しいものになっていた,とみることができる。本件行為当時も,被告人が善悪を判断する事理弁識能力について影響はなかったにしても,善悪の判断に基づいて衝動・欲求を抑える行動制御能力については,深刻な影響を受けており,喪失していたとはいえないが,著しく減退していたとの合理的疑いは払拭できない,というべきである。
ここには被告人が「り患」したものとして「広汎性発達障害」「摂食障害」「盗癖」が記されているが、「盗癖」という記述は、これを精神障害であると認めているか認めていないのか微妙な表現である。判決文に抜粋・引用されている鑑定書の記載を見ると、「盗癖」は本件被告人を鑑定した精神科医が用いていたようである1860)。精神医学においてKleptomaniaには、かつて「窃盗癖」という訳語があてられていたことはあっても、「盗癖」という訳語は少なくとも公式に用いられたことはない1870)。「盗癖」は「盗みが常習化しているが病気による盗みではない」という意味か、少なくともそうしたニュアンスを持つ日本語であり、あえて鑑定書でこの語を用いたということは、この鑑定人は窃盗症を精神障害の一つであるとすることに懐疑的であったと推定することができる1880)。そして鑑定人の思惑は別にしても、裁判所は、「り患」と表現はしているものの、事実上は犯行に影響した精神障害として広汎性発達障害と摂食障害のみを認定しており、「盗癖」は摂食障害から二次的に発生したものであると認定していることが判決文からは読み取れる。図15の通りである。
図15 平28大阪地裁岸和田支部判示の論理構造
摂食障害から二次的に「盗癖」が生じたという解釈がなされている。
広汎性発達障害の影響もあるものの、それは相対的には小さいと認定されていることが読み取れる(図では影響の強さを矢印の太さで表している)。
163 (昭和・平成の心神喪失・心神耗弱の3例)
以上、窃盗症関連の事件において昭和・平成の時代に心神喪失・心神耗弱が認定された3例はいずれも、裁判所が、窃盗症以外の精神障害(主として摂食障害)の窃盗への影響を評価したものであって、窃盗症については事実上無視されている。その背景には、検察官、弁護人、精神科医それぞれの理由があったと思われる。
164 (検察官)
検察官としては、窃盗症などという病気は存在そのものを認めないか、認めたとしても完全責任能力に決まっていると考えていたのであろう。現代でもそうかもしれない。当時はそう考えるもなにも、裁判所も鑑定医も窃盗症は無視するか、無視はしないまでも、合併する精神障害をはるかに重視しており、弁護人も窃盗症を前面に出してこなかったのであるから、検察官は窃盗症を視野に入れる必要さえなかったというのが実際のところであろう。
165 (弁護人)
弁護人としては、窃盗症を前面に出して争っても勝ち目がないと考えていたのであろう。裁判所も鑑定医も窃盗症は無視するか、無視はしないまでも、合併する精神障害をはるかに重視するという状況の中で、窃盗症を主張しても勝てるはずがないと考えたのは当然で、裁判に勝つためには合併する精神障害の影響を前面に出す方が戦術としてははるかに賢明である。現代でもそうかどうかはわからない。窃盗症論1で紹介したTLの各審級で展開された論考、特に差戻審が示した論考が十分な影響力を発揮すれば、窃盗症を前面に出すという戦術が弁護人にとって有効になる可能性が高まっていると言えよう。
166 (鑑定人)
精神科医としては、窃盗症についての認知度が低かったのであろう。昭和59年大阪高裁の鑑定人は摂食障害のみについて論じ、窃盗は摂食障害から二次的に発生したものであると断定しており、窃盗症の可能性については全く触れていない。平成27年新潟地裁の鑑定人も同様で、窃盗症の可能性については全く触れていない。平成28年大阪地裁岸和田支部の鑑定人は「盗癖」という微妙な表現を用いており、窃盗症を正面から取り上げているとは認められない。
167
当時、そして現代も同様だが、精神科医の認知度は、摂食障害についての方がはるかに高く、窃盗症についてははるかに低い。これは臨床現場の状況からくる必然的なものである。臨床では摂食障害のケースには多数接するが、窃盗症に接することは非常に少ない。それはもちろんケースの絶対数の差異によるという理由もあると思われるが、窃盗が顕在化した患者は臨床現場から事実上離脱するという理由も大きい1890-1920)。摂食障害患者の臨床では、万引きをするケースに出会うことがあることはあるが、大部分の場合、それが窃盗症という別の精神障害の合併による行為であるという見方はせず、食への衝動による二次的な万引きであるとみなして、それ以上の追究はしないのが常である1930)。しかも、窃盗に限らず、患者が触法行為をした場合、通常の臨床診療の継続は難しくなるから、なおさら追究の機会は寡少になる。たとえば摂食障害で入院中の患者が病院内の売店で万引きをした場合、事実上の強制退院になることも稀ではない。鑑定医が、自らの臨床経験に基づいて「万引きは摂食障害に伴う症状の一つにすぎない」と述べることが多いとすれば、それはこうした状況を反映している。
以上は論理的・抽象的に考えてみただけでも首肯できると思われるが、私自身の臨床経験にも合致している。通常の精神科臨床では患者に触法行為が発生すると診療が事実上中断するか、中断はしないまでもそれまでとは異質の診療になりがちなのである。さらに言えば、仮に窃盗症についての十分な認識を持っていたとしても、臨床では、「摂食障害に窃盗症が合併した」というケースに出会うことはあっても、「窃盗症に摂食障害が合併した」というケースに出会うことはまずない。窃盗を主訴に精神科を受診するというケースはきわめて稀だからである。私も精神鑑定に携わるようになる前は、「摂食障害患者の万引きは他の精神障害の万引きより頻度は高いが、それは食への衝動が強いことによるものであろう」と考えて疑わなかった。
168
かくして、検察官・弁護人・鑑定人が、三者三様の理由から同じ方向を向くという事態が醸成され、裁判所がそれにそった判示をするという状況が続いていた。窃盗症をめぐる平成までの裁判はそのように要約することができる1940)1950)。
169
それは確証バイアス1780)への抑止力が作動しない空間である。窃盗症と摂食障害を併せ持つ被告人が食品を万引きしたとき、それは摂食障害の影響であるという判断に傾けるのが第一の確証バイアス、そして動機は食への欲求であるという判断に傾けるのが第二の確証バイアスである(図16)。
図16 窃盗症と摂食障害を併せ持つ被告人における「精神障害の犯行への影響」
A: 窃盗に最も強く影響したのは窃盗症であるというのが本来であれば第一に、そして最も深く検討されるべき仮説である。
B: しかしながら、窃盗症が精神障害であることを認めない、あるいは認めることを躊躇する姿勢などのため、摂食障害の影響の方が重点的に検討されがちである。「影響があるとしたら摂食障害の影響に違いない」と考えるのが確証バイアス1である。(シャドーをかけたのは無視されていることを示している)
C: そして盗品が食品であれば、食の欲求のため、さらには過食に伴う食費節約のために窃盗したという納得しやすい動機説明が可能になる。これが確証バイアス2である。ここに至って窃盗症の影響は完全に無視される。(したがってCのシャドー内のボックスは空欄になる)
170
この確証バイアスによる窃盗症の衝動の無視は、図3のAに思考を固着させている(図17)。
図17(61図3に「=食品」を追記し再掲). 「盗むからには欲しかったに違いない。摂食障害患者が食品を盗んだのは食べたかったからに違いない」と解釈するのが一つ前の169図16Cで、その解釈が確証バイアスから生まれていることは169に記した通りである。これは前掲61図3(「A病的でない窃盗」と「B窃盗症の窃盗」)の「A病的でない窃盗」という解釈への固着による思考停止を生んでいる。
171
以下に列記する通り、上の図16Cのパターン、すなわち「窃盗の動機は摂食障害による食への欲求であるから了解可能」とする判例は多数存在する。それぞれの判決文から動機認定部分を抜粋して示す。括弧内の診断名は判決書記載のものである。
172 (平25さいたま地裁; 摂食障害兼病的窃盗)1960)
その動機は,盗み取った客体の性質に加え,被告人の逮捕当日の警察官に対する供述等に照らすと,自己消費目的と認められて了解可能である
「逮捕当日の警察官に対する供述」の具体的内容は記されていないが、文脈からみて、自分が食べるためにとったという趣旨の供述が記録されていたのであろう。そうであれば、残された記録に基づけば、動機は了解可能であるという認定は妥当のように思える。ただし供述調書とはそのかなりの部分が誘導による供述に基づいた作文であるという事実を考慮しなければならない。
173 (平26東京高裁; 重篤な摂食障害とそれに伴う窃盗癖)1970)
窃取した物がすべて食料品であることや、逮捕当日の被告人の警察官に対する供述(警察官の弁解録取の際に、捕まらなければ家で食べるつもりだったと供述している)等に照らすと、本件は自らこれらを消費するための犯行であって動機は了解可能である
通常、「逮捕当日の被告人の警察官に対する供述」は警察官の誘導によるものである。また、窃盗症患者の多くは、詳しく話を聞くと、なぜ自分が窃盗をしてしまったのかわからないというのが正直な答えであることが大部分であるが、それでも、「取ったからには欲しかったに違いない」と考え(これも一種の確証バイアスと言えるかもしれない)、また、警察官等から聞かれて「わからない」と答えるのは適切でないと考えたり、「何か答えないと答えるまで質問され続ける」などの状況もあって、警察官等が納得しやすい答えをすることがしばしばある。被告人が摂食障害であれば、「食べるつもりで取った」という動機は実に納得しやすいこともあって、裁判でも本件のように「自らこれらを消費するための犯行であって動機は了解可能」とまとめられて一件落着となるパータンが積み重ねられることになる。
174 (平27行橋簡裁; 窃盗癖あるいはクレプトマニア(病的窃盗)、摂食障害) 1980)
自分の好きなものを食べて吐きたいから取りたい気持ちになる旨供述している
つまりその「取りたい気持ち」は了解可能ということであるが、逮捕後のどの段階での供述なのか、また、自発的にこのように述べたのか、取調官等から言われたことを肯定したのかなどはすべて不明である。仮に摂食障害による食への欲求が動機であったとしても、摂食障害の患者の言葉として「自分の好きなものを食べて吐きたいから取りたい気持ちになる」というのは、実際の摂食障害の患者をみたことがない人が抽象的に考えれば納得できるのかもしれないが、臨床的には違和感がある。取ったからには好きなものを取ったのであろう、摂食障害であるからには食べて吐きたかったのだろうという確証バイアスが取調官等にあったためにこのような供述記録になったという疑いが払拭できないがこれしか記載がない以上はそれ以上の論評は不可能である。
判決書にはさらに次の記述もある。
本件被害品のうち食料品については後日自宅で使用するため,おもちゃについては子供を喜ばせるためなど,被告人が必要とする商品を次々と万引きしている
これも、「・・・ため」というのが具体的にどのような供述であったかが不明であるし、そもそもこの記述からは被告人がそう供述したかどうかも不明である。さらには判決書の別の部分には
日常生活のストレス等から本件犯行に及んだことが認められ
という記述もあり、その根拠もまた不明である1990-2010)。
175 (平27盛岡簡裁; クレプトマニア、摂食障害及びためこみ症等)2020)
幼少期の質素な食事は寂しいとの記憶から,結婚後の食事の際は食べきれないほどの料理を用意し,余ったものは捨てるという生活を送っていたが,捨てる料理の材料にお金をかけるのはもったいないとの思い及びイライラ感が募ったこともあって,約2万5000円の所持金がありながら本件犯行を行った
「捨てる料理の材料にお金をかけるのはもったいないとの思い及びイライラ感が募った」という動機なら了解可能であるが、これらを動機であると認定した根拠が判決書には記されていないので、妥当な認定か否かの判定は不能である。また、「幼少期の質素な食事は寂しいとの記憶」を現在の食行動の異常に結びつけるストーリーはいかにも三文ドラマ的で、かなり疑わしいと言わざるを得ない。
176 (平25さいたま地裁川越支部; 非定型摂食障害及びクレプトマニア)2030)
お金を使うのが惜しくなって万引きをすることに決め,[・・・]さらに,孫に食べさせるためのアイスクリーム等も買い物かごの中に入れた
食糧購入費を節約するために万引きしたと述べていること、被告人自身や夫及び孫のために必要な飲食料品を対象に万引きしていること
これらもまた了解可能な動機であるが、どのような場面でのどのような供述に基づく認定かが判決書には記載されていないので、妥当な認定か否かの判定は不能である。
177 (平28大阪地裁岸和田; 摂食障害、盗癖、広汎性発達障害)1840)
被告人は,本件時の自己の行動について,自分が食べたい食品,家族に食べさせたいと思う食品,自宅に不足していると思う日用品等を買物かごに入れていくうち,所持金では買えないと思ったが,それでも欲しいと思い,気がすむくらい買物かごいっぱいに商品を入れ,幸せな気分になった旨を述べているが,このときの被告人の行為動機は,被害品の効用や取得目的に即した入手欲求であり,その限りでは了解可能である
161に既出の判例の、動機についての記載部分である。本件もまた、どのような場面でのどのような供述に基づく認定かが判決書には記載されていないので、妥当な認定か否かの判定は不能である。
178
172-177の判例はいずれも、169の図16に示した確証バイアスありと考えられる判例を示したものである。但し言えるのは確証バイアスありと「考えられる」にとどまる。被告人の供述として判決文に記されている内容が誘導等によるものであって被告人の真意でないというのは推定であって、真意である可能性を否定できるものではない。その意味では「被告人の供述として判決文に記されている内容が誘導等によるものであって被告人の真意でない」という推定自体が逆の確証バイアスであるという反論も十分に考えられるところである。
179
その反論は論理的には当然にありうるもので検討の必要があるが、それでも「被告人の供述として判決文に記されている内容が誘導等によるものであって被告人の真意でない」という推定は妥当であると考えられる。根拠として一般論と固有論のそれぞれを挙げることができる。一般論は、取調べとは一般に、取調官の誘導によって引き出された供述に基づく作文であるという事実である。固有論とは、窃盗症の患者においては、なぜそのときに窃盗をしたのか、その理由は自分でもわからない・説明できないことがきわめて多いのであるが、何か理由を答えなければならないという圧力のために、窃盗犯として合理的と考えられる内容を創作して供述しがちであるという事実である。
180
圧力は取調官からの圧力だけでなく、本人自身からの圧力もある。本人としては、確かに自分は窃盗をしてしまったのであるから、「わからない・説明できない・覚えていない」などと答えるのは誠実な態度ではないと考えることがしばしばある。また、盗んだからには自分はそれを欲しかったのであろうという推定から逆算して「欲しかったから盗みました」などと答えることもしばしばある。かくして、取調官と本人の「協力」によって、了解できる動機が記された調書が作成され、裁判官がその内容に納得し、論理的に筋の通った判決書が作成されるという構図が出現することになる。これは推定であるが、根拠のある推定であって、窃盗症による犯行の真の理解のためには検証を要する推定である。しかし判決書の記載だけをいくら精読しても真実はわからないから、法廷に出されていない記録まで遡って検討する必要がある。そのような検討は通常はほぼ不可能であるから、結局は確証バイアスの影響を大きく受けた、一見すると了解できるストーリーだけが判例として蓄積されていくことになることが避けられない2040)。
181
「一見すると了解できるストーリー」とはすなわち、155に示した「摂食障害による「食べたい」という欲求が、食料品の万引きの動機である」とするストーリーである。これは「窃盗症の無視」から自然に帰結する「摂食障害の重視」であるが、156に記したように、その「重視」は表面的なものにすぎず、実質的には摂食障害は無視されている。この無視はここまでの172-177の判示の引用部分すべてに見られるが、見えにくい形を取っているので「見られる」というより「潜在している」という方が妥当であろう。その潜在が顕在化しかかっているのが次の182の判例である。
182(平22東京高裁; 摂食障害)2050)
犯行の動機等については、店内でカツ丼等を見たとき、強い過食衝動に襲われ、値段も見ずに買物かごに入れた、普段はこんな無駄な買物はしない、自分の意識の中には無駄な買物にお金を払うつもりはないという意識は持っていたと思う(乙9)などと供述しているところ、これらの供述が信用できることは前記のとおりであり、被告人が犯行の経緯や動機について述べるところは、被告人が本件各犯行当時摂食障害に罹患していた事実に照らせば、十分に了解可能なものである。
172-177の判例すべて、そしてこの182の判例も、摂食障害の犯行への影響を実質的には無視している。その無視は見えにくい形を取っているのが常であるが、この182では顕在化しかかっている。それは上の「被告人が本件各犯行当時摂食障害に罹患していた事実に照らせば、十分に了解可能なものである」という記述に如実に現れている。一見するとこの記述は、摂食障害の影響を評価したものとして納得してしまいそうだが、実のところは摂食障害を実質的に無視していることを暴露している。
183
なぜなら、摂食障害が精神障害である以上、「摂食障害に罹患していた事実に照らせば」ということはすなわち、犯行に精神障害の影響があることを前提としなければ了解できない、つまり正常心理では了解できないと言っていることにほかならないからである。
図18 摂食障害の病理性の無視.
物品への欲求に駆動された窃盗(欲しいから盗む)は、外形的には病的でない窃盗であるが、その欲求が了解できる理由が「摂食障害に罹患していた事実に照らせば」という前提を必要とするということは、その欲求自体が精神障害に基づくということにほかならない。すなわち182(平22東京高裁)は図18のピンク矢印の病理性を無視している。
184
そうであれば、その被告人の食への衝動の強さと窃盗という行為の関係を検討しなければならない。その検討をせずに、「被告人が本件各犯行当時摂食障害に罹患していた事実に照らせば、十分に了解可能なものである」とだけ言って店じまいするのは思考停止以外の何ものでもない2060)2070)。
185
他の精神障害とその症状と対比すれば矛盾は明らかである。統合失調症の被告人が強い被害妄想に基づいて、自分を迫害していると信ずる人物を殺害したとする。このとき「被告人が本件犯行時に統合失調症に罹患していた(そして強い被害妄想を有していた)事実に照らせば、十分に了解可能である」と言うことはできるが、それは統合失調症という精神障害の影響を明確に認めたということであって、換言すれば、統合失調症という精神障害の影響があることを前提としなければ了解できない、つまり正常心理では了解できないと言っていることにほかならない。
図19. 摂食障害による行為と統合失調症による行為の対比
摂食障害患者が食への欲求に駆動されて食品を盗む。統合失調症患者が妄想に駆動されて人物を攻撃する。両者は「精神障害の症状による行為」という意味では同じである。
186
なぜ「統合失調症」を「摂食障害」に置き換えると、その論理が成り立たなくなるのか。そこには素朴な精神病観への囚われがあると思われる。つまり、統合失調症は精神障害であることが自然に理解できても、摂食障害は精神障害であると認めることを躊躇する気持ちが裁判官にあるのであろう2080)。
187
その気持ちは理解できないこともないが、しかしそれならば、つまり責任能力に影響する精神障害から摂食障害を除外するのであれば、「摂食障害は過食と嘔吐を繰り返す人をただそう呼んでいるだけである」などと宣言しなければならないであろう。そしてこの種の宣言が全く不合理であることは146, 147などに記した通りである。
188
この問題は、精神障害とは何か、そして精神障害の症状とは何か、さらにはその症状と行為の関係、特に犯行という行為の関係をどう考えるか、そしてそれは責任能力にどう繋がるかというテーマに踏み込むことになる。それはもちろん窃盗症とも接点は十分にあるが、窃盗症論という範囲からさらに拡大したテーマであるので、「摂食障害の表面的重視と実質的無視」問題についての論はここまでとする。
189 (第3ステージ : 責任能力の決定)
「承」の最後として、判示の中から責任能力の決定にかかわる部分について論ずる。
図20. 189-: 責任能力の決定
本稿189- は、判例から、第3ステージに関連する判示を抽出して論じたものである。
190(令2東京高裁)2090)
このような犯行状況に照らすと、被告人は、窃盗を行うという衝動に突き動かされてやみくもに万引きをしたというのではなく、周囲の状況を確認し、犯行が発覚しないよう注意して行動するとともに、万引きする商品を選別し、商品の一部を精算して、通常の買物客を装うことを念頭に置いた行動をとっていたものと認められ、これは、被告人が、周囲の状況によっては窃取行為を思いとどまろうとしていたこと、さらに、買物かごに入れた商品の一部については盗むのを思いとどまることができたことを示すものといえる。
窃盗症論1の75で紹介したTL2審で、1審の心神耗弱を否定する根拠を高裁が示した部分である。ここに示されているのは、「犯行態様が合理的で、衝動的でない」ことであるが、すでに窃盗症論1で指摘した通り、これは窃盗症の衝動制御の障害の本質の完全な誤解に基づいている。衝動制御症の症状としての行動は、日常用語でいうところの「衝動的な行動」とは意味が異なる。衝動制御症は、ある特定の目的を達成したいという衝動を制御することの障害であるから、同目的達成のために合理的行動を取るのは当然である。衝動制御症の病理性は「行為」ではなく「衝動」のレベルにある(図21)。合理的行動を取らなければ目的の達成などできるはずがないから、もし「合理的行動を取っている」ことを病理性否定の根拠にするのであれば、窃盗症そのものが成立し得ない概念ということになる。この誤解に基づく判示、すなわち、「犯行態様が合理的である(=「衝動的な行動」でない)」ことを理由に完全責任能力であると認定する判示は非常に多い。191以下に列記する。
図21. 衝動か行為か
窃盗症は窃盗という行為に向けての衝動を制御することの障害である。したがって窃盗症における「精神障害の犯行への影響」は、衝動(図の黄色)のレベルにある。そして責任能力は精神障害の犯行への影響という事実の上に成り立つものであるから、責任能力も衝動(図の黄色)を中心に展開されなければならない。行為(図のピンク)をいかに詳細に検討しても、窃盗症の犯行への影響、そして責任能力についての論としてはポイントから逸脱している。
191 (平22東京高裁)2100)=2050)
被告人がいずれの犯行時においても自分の置かれている状況を正しく認識し、万引きする場所や商品を選択し、犯行の発覚を防止する、あるいは相手の宥恕を得るための合理的な行動をとっていると評価することができる2110)。
182 2050)で動機の認定方法の不合理の例として紹介した判例である。動機の認定に加えて「合理的な行動をとっている」ことを、完全責任能力認定の根拠の一つとしている。
192 (平25さいたま地裁)2120)
盗み取ろうとする犯人の行為として合理的かつ合目的的なものといえる2130)。
「合理的な行動をとっている」ことを、完全責任能力認定の根拠の一つとしている。
193
以上の191、192では、「合理的な行動をとっている」ことが完全責任能力認定の根拠となることは自明の理であるかのように判示されている。だがなぜ合理的な行動をとっていることが完全責任能力認定の根拠になるのか。「合理的な行動をとっているのだから当然に完全責任能力である」という単純な論法が失当であるのは、妄想の影響を受けた犯行において、たとえ合目的的かつ合理的な行動をとっているからといって直ちに完全責任能力とは認定できないことからも明らかである。したがって窃盗という目的に向けての合理的な行動をとっていることを完全責任能力認定の根拠にできることの具体的な説明が必要になるが、その説明が示された判例もいくつも存在する。194以下にそれらを示す。
194(平26大阪高裁)2140)
商品獲得という万引きの目的実現に向けた合理的な行動を取っていることが認められる2150)。したがって,医師Aの診断どおり,被告人がクレプトマニアに罹患していたとしても,それが被告人の本件犯行当時の衝動制御能力に及ぼす障害,そして,行動制御能力に及ぼす影響はごく軽微なものであったと認められる
「(被害店内において)合理的な行動をとっている」ことが完全責任能力認定の根拠となるのは、行動制御能力が保たれていた(少なくとも著しくは障害されていなかった)と認めることができるからであるという裁判所の判断が明記された判示である。窃盗症では窃盗が悪いことは十分に認識している、すなわち弁識能力は損なわれていないと認められるから、責任能力論において行動制御能力を論点とするこの裁判所の判示は当然かつ正当である。
195
だが194の判示は医学的には明らかに誤っている。本稿で繰り返し示してきたとおり、窃盗症において窃盗時の行動が合理的であることは、その衝動制御能力障害の強さをいささかも否定するものではないからである。したがって193の「衝動制御能力に及ぼす障害[・・・]はごく軽微なものであったと認められる」は医学的には明白な誤りである。
196
では法的にはどうか。194の裁判所は「衝動制御能力の障害」と「行動制御能力への影響」をほぼイコールであると認識していることが読み取れる。その認識が正しいかどうかの判断は法の領域に属するものであるが、194の被告人の衝動制御能力の障害は決して軽微ではないのであるから(「衝動制御能力」は医学的事項である。そして194の衝動制御能力は決して軽微ではない。これは医学的事項についての医学的判断であるから、法によって覆すことはできない)、もし「衝動制御能力の障害」と「行動制御能力への影響」がほぼイコールであるという認識を正しいとするのであれば、「行動制御能力に及ぼす影響はごく軽微なものであった」という認定も明白な誤りということになる。この判示がなされた当時である平成においては、しかし、合理的な行動を取っていることを根拠に衝動制御能力障害は損なわれていないとする誤った認定方法が我が国の法廷に蔓延していたので、194の論法は容認されていたと言えるが、窃盗症論1に示したTLの差戻審2160)の判示、すなわち「窃盗の実行や発覚防止等に向けた合理的行動等が取れていたことのみを重視して衝動が強くないとか衝動制御能力の減退はないなどと判断すべきではない(窃盗症論1の116)」が正しいことをこれからの裁判所が受け入れるのであれば、もはや193の論法は廃止されなければならないであろう。
197(平27行橋簡裁)2170)
商品獲得という万引きの目的実現に向けた合理的な行動をとっていることが認められる2180)。
したがって,被告人が摂食障害及び窃盗癖の精神障害に罹患していたとしても,それが被告人の本件犯行時の衝動制御能力に及ぼす障害,そして行動制御能力に及ぼす影響は軽微なものであったと認められるのであって,被告人の刑事責任を大幅に軽減しなければならないような行動制御能力の低下があったとまでは認められない。
これも上記194と同様、「衝動制御能力の障害」と「行動制御能力への影響」をほぼイコールであるという認識を前提に、
合理的な行動
↓
衝動制御能力に及ぼす障害は軽微
↓
行動制御能力に及ぼす影響は軽微
↓
完全責任能力
という論理構造を取っているから、令和の現代には通用しない論法であると言うべきであろう。
198 (平26東京高裁)2190)
合理的,合目的的な行動をとれたということは,自己の行動を意識的にコントロールできたことを示すのであるから,行動制御能力の存在を認定するに当たり重要な事情の一つとなることは明らかである。所論は,目的・動機の決定・設定過程と決定・設定された目的・動機の実行過程とを観念的に区別し,行動制御能力は前者の過程にのみ作用する,というのであるが,独自の見解であって採用できない。
192(平25さいたま地裁)2120)の2審である。前2件の194(平26大阪高裁)2140)、197(平27行橋簡裁)2170)と比べると、前2件では「衝動制御能力に及ぼす障害,そして,行動制御能力に及ぼす影響」という表現をとっているのに対し、本件は「衝動制御能力」という言葉は一切使わずに「行動制御能力」と表現している点が異なっている。これは一見すると些細な言葉の使い方の違いにすぎないようだが、「衝動制御能力」を医学用語、「行動制御能力」を法律用語として用いるのであれば、重大かつ決定的な違いである。窃盗症の衝動制御能力の障害とは窃盗という目的を達成する衝動を制御する能力の障害なのであるから、それは「目的・動機の決定・設定過程」に作用するものであり、「決定・設定された目的・動機の実行過程」には必ずしも作用しない。したがって判決書からの上記引用部分がもし「所論は,目的・動機の決定・設定過程と決定・設定された目的・動機の実行過程とを観念的に区別し,衝動制御能力は前者の過程にのみ作用する,というのであるが,独自の見解であって採用できない」であれば、同所論は独自の見解どころか医学的に確立した知見であるから失当な判示ということになるが、実際には判決書の記載は「衝動制御能力」ではなく「行動制御能力」であるので、医学的概念からは離れた法的概念についての記述ということになり、医学から口をはさむ余地はないとみることもできる。しかしながら同部分の判決書の記述は非常に簡潔なものにとどまっており、裁判所が衝動制御能力と行動制御能力を別のものとして記しているか否かは不明であるし、もし別のものとして記しているのであれば、それは窃盗症の責任能力論の中核ともいうべき衝動行動分離説(『窃盗症論1』の注1000)参照)についての見解の提示ということになるのであるから、高裁にはより精密な論考を示していただきたかったところであるが、平成26年という時代に鑑みればやむを得なかったということになるのかもしれない。
図22 (190図21再掲). 衝動か行為か
本稿で繰り返し根拠とともに示し、また直近では190と図21に示した通り、衝動制御症の病理性は「行為」(図のピンク)ではなく「衝動」(図の黄色)のレベルにある。198 (平26東京高裁)2190)の弁護人の「目的・動機の決定・設定過程と決定・設定された目的・動機の実行過程とを観念的に区別し,行動制御能力は前者の過程にのみ作用する」という主張からは、窃盗症という精神障害を弁護人が正確に理解していることが読み取れる。しかしながら裁判所はこの正確な理解に基づく弁護人の主張を「独自の見解」であるとして一刀両断にはねのけている。精神医学的にはこの判示が誤りであることは明白である。
199 (平25東京高裁)2200)
約30分という短い時間に駅構内等の3店舗で連続的に食品等の万引きを行っていることは,いったん万引きを始めるとその衝動を抑制しにくくなることをうかがわせるもので,行動制御能力が一定程度は減退していたことが肯認できるものの,各犯行の態様や犯行後の言動等に照らし,著しく減退していたとは認められない。
194(平26大阪高裁)2140)と197(平27行橋簡裁)2170)の2例はいずれも、精神障害が行動制御能力に及ぼす影響は「軽微」としていたのに対し、199は「一定程度は減退」という表現で、194・197よりは精神障害の影響を大きいと評価しているように読める。そして同評価は「いったん万引きを始めるとその衝動を抑制しにくくなることをうかかがわせる」という認定から生まれているから、窃盗症における衝動制御能力の障害を裁判所は正しく理解しているようにも読める。図21・図22でいえば、行為(ピンク)ではなく衝動(黄色)のレベルに窃盗症の病理性があることを理解しているようにも読める。だが「いったん万引きを始めるとその衝動を抑制しにくくなることをうかかがわせる」という簡潔な表現からは、裁判所がどこまで理解しているかは不詳であるし、他方で合理的な行動を取っていることを重視し、その「一定程度の減退」は「著しい減退」には至らないと結論していることからは、同理解は深いものではないとみるのが妥当であろう。
200 (令2名古屋地裁)2210)
被告人が本件犯行に及んだ経緯や動機形成の過程には,神経性過食症及び窃盗症により衝動性が高まった状態にあったことが大きく影響していたことが明らかである。
(中略)
犯行が発覚しそうであれば犯行を中止しようとの意識のもと,被告人なりに,周囲の状況に応じて,犯行が発覚しないよう注意を払いつつ行動していたといえる。
(中略)
被告人は,犯行に至る経緯や動機の形成過程において,窃盗症及び神経性過食症の影響を強く受けていたものの,自身の行為の意味及びその違法性を理解するとともに,神経性過食症や窃盗症からくる衝動をそれなりにコントロールして行動しており,事理弁識能力及び行動制御能力が喪失し又は著しく減退していたとは認められない2220)。
行動制御能力の内容をより明確かつ具体的に述べた判示である。この裁判所が重視している最大のポイントは「犯行が発覚しそうであれば犯行を中止しようとの意識」であるといえよう。この意識を有していたゆえに「被告人なりに,周囲の状況に応じて,犯行が発覚しないよう注意を払いつつ行動していた」とする認定は正当である。しかしながら「神経性過食症や窃盗症からくる衝動をそれなりにコントロールして行動しており」については、「それなりに」という留保がついている以上これ自体は誤りとは言えないが、それに続く記述が「事理弁識能力及び行動制御能力が喪失し又は著しく減退していたとは認められない」であることからは、ここでいう「それなりにコントロール」を裁判所は完全責任能力という結論に直結させていることが明らかである。するとこの判示は少なくとも医学的には誤っている。なぜなら「犯行が発覚しそうであれば犯行を中止しようとの意識」を有していることは窃盗症の衝動制御能力については何も語っていないからである。医学的に誤っていることは必ずしも法的に誤っていることを意味しないのはもちろんであるが、法的な判断は医学的な事実判断を前提として下さなければならないのであるから、この場合は法的な判断も誤りということになる。「被告人が本件犯行に及んだ経緯や動機形成の過程には,神経性過食症及び窃盗症により衝動性が高まった状態にあったことが大きく影響していた」ことを認める一方で「犯行が発覚しそうであれば犯行を中止しようとの意識」を行動制御障害の評価の根拠にしていることからみると、裁判所は窃盗症における「衝動」の意味(『窃盗症論2』の「起」47-58参照)を誤解していることが明らかであるといえよう。
図23. 令2名古屋地裁2210)の論点
令2名古屋地裁2210)は、図21(図23の右に参考として示した)の「行為」をより詳細に分析することによって、被告人に行動制御能力が保たれていたと判示した。裁判所の論点は「犯行が発覚しそうであれば犯行を中止しようとの意識のもと,被告人なりに,周囲の状況に応じて,犯行が発覚しないよう注意を払いつつ行動していたといえる。」の一文に凝縮されている。この一文は、心理学実験でいうところの「Go」と「No Go」の判断(条件によって行うGoか行わないNo Goの判断をすること)を窃盗場面に適用したものであるということができる。窃盗症においては、「行為(=窃盗)の意図」を発生させる衝動の制御能力に障害があるから、図23ピンクのbox内に示した通り、「行為の意図」が前提として存在する。そして窃盗を行うか行わないか(GoかNo Goか)の判断をして、Goと判断すれば行為(窃盗)実行の意思決定がなされる。No Goと判断すれば行為は中止するが、「行為の意図」は維持されているから、次の機会を窺い、再度GoかNo Goかの判断を行う。これが被害店内で繰り返される被告人の行動である。このようにGo / No Goについての判断に基づき行動をコントロールできることは、精神医学的には、窃盗症における衝動の強さをいささかも小さく評価する根拠にはならないが、令2名古屋地裁2210)は根拠になると判断している。
201 (平28大阪地裁岸和田支部)2230)=1840)
摂食障害(と広汎性発達障害)の影響により行動制御能力が深刻な影響を受けていたとして心神耗弱が認定された事例として、161-162に紹介した判例である。裁判所は「深刻な影響」までは認めたものの、心神喪失には至らないと結論したのであるが、その論拠は次の通りであった。
被告人は,レジ袋を置いて精算をすませたかのように装ったほか,店外に出るときに,カートを押す速度を速め,周囲の様子を気にするなど,犯行実現に向けて工夫し配慮した行動を取っており,もし店員や保安員に見つかることが確実であれば,犯行を思い止まったであろうことも窺われるのであって,被告人は,窃盗の犯行の遂行実現に向けて自らの行為を相応に制御しつつ行動していた,とみることができる。
「もし店員や保安員に見つかることが確実であれば,犯行を思い止まったであろう」ということを理由に責任能力ありの方向に傾けるという論理は200 (令2名古屋地裁)2210) と同じである。論理が同じでもたどり着いた最終結論として本件は心神耗弱、200 (令2名古屋地裁)は完全責任能力と分かれている理由は不詳である。本件の判決書を詳細に見ていくと、鑑定人と弁護人が被告人の衝動制御能力についてかなり正確に説明・主張していることが窺われるので、裁判所としては心神耗弱までは認めざるを得なかったと推定することはできるが、あくまでも推定にすぎない2240)。
202(平31高知地裁)2250)
被告人は,本件第1窃盗において,店員や他の客の見ていない状況で隠匿行為を行っており,犯行を見咎められることもなくその場を立ち去ることができているし,本件第2窃盗においては,同様に店員等の見ていない状況での窃盗を敢行したほか,ポテトチップス1袋については精算をし,買い物客を装うなど,窃盗完遂に向けた合目的な行動をとることもできている。 被告人自身,当公判廷において,万引きを中断されないためという理由を述べるものではあるものの,窃盗が発覚して捕まることを避けるために周囲を気にして万引きを実行したことを認める旨の供述をしており,要するに店員や買い物客等に見られて犯行が発覚してしまうような状況下では,窃盗行為を思いとどまることもできているのである。 結局,被告人には,自己の窃盗に向けた衝動を制御する能力がなお維持されていたといえ,行動制御能力の低下は,著しい程度にまでは至っていなかったものと認められる2260)。
「店員や買い物客等に見られて犯行が発覚してしまうような状況下では,窃盗行為を思いとどまることもできている」ということを理由に責任能力ありの方向に傾けるという論理は、200 (令2名古屋地裁)2210)、201 (平28大阪地裁岸和田支部)2230)=1840)と同じである。そして責任能力についての結論は200 (令2名古屋地裁)と同様に完全責任能力である。この結論には、盗品が「犯行当時の被告人にとって必要性を肯定できるもの」であって、「対象の選別をすることもなく,手当たり次第に盗むというような態様で窃盗に及んでいるのではない」という認定も一要素となっている。
他方で、「バッグの変形を気にすることなく次々と商品を隠匿するなどというもので,稚拙で些か異常ともいえるものである」と犯行態様の異常性などを指摘し、「行動制御能力の低下の程度は相当に大きなものであるとみる余地がある」としている2270)。それでも心神耗弱には至らないという認定ではあるものの、「本件各窃盗の態様は,窃盗を反復累行した経験により,窃盗に対する規範意識が希薄となり,あるいは,性格的素質に基づき窃盗に対する規範意識が希薄で,窃盗の態様が大胆になったというよりは,むしろ精神状態が不安定となり,衝動性の制御に困難を来し,そうした状況下で甚だ稚拙な犯行に及んだものとみる方が妥当なように思われる」として起訴状に記された常習累犯窃盗罪は成立せず窃盗罪にとどまるとし、懲役1年2月の判決となっている。但し控訴審2280)では常習累犯窃盗と認定され原判決破棄、懲役2年とされ確定している2290)。
203 (令4東京地裁立川支部)2300)
M医師は、過去において被告が自らの意思で窃盗を抑制できたことは本件犯行時にも同様のことができたという結論には結びつかない旨指摘するが、刑事責任能力を判断するに当たっては、本件犯行時に実際に行動を抑制したかではなく、行動を抑制する能力を有していたかが問題なのであり、そのときに抑制できずに犯行に及んだからいって、犯行時に行動制御能力が欠け、又は著しく減退していたことにはならない。(「及んだからいって」は原文通り。以下の引用では「及んだからといって」に修正して記す)
これも行動制御能力についての判示であるが、裁判所の論理と記述は明白な欺瞞であり誤っている。欺瞞は二つある。
一つは不正な言い換えである。「そのときに抑制できずに犯行に及んだからといって、犯行時に行動制御能力が欠け、又は著しく減退していたことにはならない」と記されているが、M医師が述べているのは「過去において被告が自らの意思で窃盗を抑制できたことは本件犯行時にも同様のことができたという結論には結びつかない」であって、決して「そのときに抑制できずに犯行に及んだから」「犯行時に行動制御能力が欠け、又は著しく減退していた」と言えるなどとは述べていないことは論理的に明白である。裁判所がここで言っているのは、「結果から逆算して行動が制御できなかったということはできない」であり、それは全く当然のことを言っているだけであって、あたかもM医師がそのような意見を述べたかのように思わせることを判決書に記すのはM医師に対する中傷である。
もう一つの欺瞞は、「①本件犯行時に実際に行動を抑制したかではなく、②行動を抑制する能力を有していたかが問題」という記述である(①②は村松が便宜上付記した)。①と②を対比するのは非論理的である。それなのに①と②が対比できるかのように記すのは欺瞞である。そもそも刑事事件の責任能力(ここでは犯行時の行動制御能力)を論ずるにあたって、①が問題になるはずがない。「①本件犯行時に実際に行動を抑制した」のであれば、刑事事件は発生していない。「本件犯行時に」「実際に行動を抑制した」というのは全くありえない無意味な記述で、これが裁判官の記述かと目を疑う。そして「②行動を抑制する能力を有していたかが問題」も欺瞞に溢れた曖昧な記述で、行動制御能力において立てるべき正しい問いは「そのとき行動を制御できたのか」(制御「できるのにしなかった」のか それとも 制御「できなかった」のか)であって、潜在的に制御する能力を有していたか否かではない。およそすべての被告人は、精神障害の有無にかかわらず、犯行時以外の生活においてはおおむね自分の行動を制御しているのであって、したがって潜在的には制御する能力を有している。もし潜在的に行動を制御する能力を持っていることを根拠に、犯行時は行動を制御できた(制御「できるのにしなかった」)と認定することを是とするのであれば、およそすべての被告人は行動制御能力を有していることになる。M医師が「過去において被告が自らの意思で窃盗を抑制できたことは本件犯行時にも同様のことができたという結論には結びつかない」と述べたのはこのことを言っているのであって、裁判所はM医師の証言を歪曲している2310)2320)。
204 (平27松戸簡裁)2330)=1560)
被告人は,万引き行動を開始する前にその遂行を妨げるような状況が存在することを認識しているとき,あるいはそのような状況が発現したことを認識したときには,万引きを実際に実行することはないと考えられる。被告人が一人で買い物に行くときに限って万引き行動に及んでいるのは,その証左である。
つまり200 (令2名古屋地裁)2210)以下の判例と同様、「犯行が発覚しそうであれば犯行を中止しようとの意識」を重視しており、すると行動制御能力が保たれていたという趣旨であって、それは窃盗症の衝動制御能力の本質を誤解した平凡な一例にすぎないようだが、本件の判示はこの記述に続いて注目すべき展開を示している。次の通りである:
このことは,被告人の万引き行動が,被告人の認識した周囲の状況等に照らし,万引きが可能かどうかを判断した上で行われていることを示しており,被告人の場合,万引きを実行するかどうかは,まさに理性的な判断によっているといえる。
これは、190以下に示してきた諸判例と同様に「犯行態様が合理的である(=衝動的でない)」ことを理由に着目して完全責任能力認定を誘導しようとしているようについ読んでしまいそうだが、「理性的な判断」の方に着目している点に本判例の特殊性がある。判決文は次のように続く:
そして,その際に考慮されている要素は,万引きが実行可能であるかどうかであって,万引きが違法かどうかではない。
つまり被告人の「犯行が発覚しそうであれば犯行を中止しようとの意識」の基底にあるところの、「万引きが実行可能であるかどうか」を被告人が考慮していることに裁判所は着目している。そしてこのときの被告人は「万引きが違法かどうか」は考慮していないことを指摘している。その指摘は正当というべきであろう。しかしその理由、すなわち被告人が「万引きが違法かどうか」を考慮していない理由についての裁判所の判断の正当性は疑問である。次の通りである:
すなわち,被告人の万引き行動は,規範の内面化が十分でないこと,換言すれば,規範意識の欠如ないしその希薄さに基づくものであることが明らかである。
被告人が犯行を中止するか否かの決定において「万引きが違法かどうか」を考慮せず、「万引きが実行可能であるかどうか」のみを考慮していたのは、「規範意識の欠如ないしその希薄さに基づく」ことが「明らか」であると裁判所は断じている。裁判所のこの判断は、犯行におよぶ者の心理の一般論としては正しいかもしれないが、それはすなわち健常犯行者の心理をいうものであって、窃盗症という精神障害の性質を無視している。「窃盗が悪いということは十分にわかっている。やめなければならない、やめたいと強く思っているのにやめられない」のが窃盗症であって、「規範意識」は十分に有している(本例判決書の表現に従えば「規範の内面化」は十分すぎるほど十分である)のにもかかわらず、窃盗の衝動を制御できないという「衝動制御症」が窃盗症である。窃盗症の犯行は「規範意識の欠如ないしその希薄さに基づく」のではなく、被告人が有している規範意識(弁識能力と言い換えてもよい)が発動されずになされるのである2340)。
図24. 平27松戸簡裁2330)の論点
200(令2名古屋地裁)2210)では、前掲図23に示した通り、被害店内での被告人の行為のうち、窃盗を実行するか(Go)、それともしないか(No Go)の判断をし、同判断に基づいて自らの行動をコントロールしていることに着目していた。204(平27松戸簡裁)2330)はその判断が、窃盗の成否(「万引きが実行可能であるかどうか」)に基づくものであって、規範意識に基づくものではないことに着目している。
しかしながら、結論としての正当性はともかくとして、行動制御の前の段階である判断のレベルに着目したと解し得るという点で、本例は窃盗症の判例としては貴重なものである。関連して、参考までに、米国における窃盗症の判例を一例だけ次に示す。
205 (Maine v. Giroux, 2015)2350-2400)
(被告人の無罪主張に対して) たとえその犯行への衝動が抑えられないとしても、その犯行をするために必要な意図を持っているとは言える2360)2370)。
窃盗症である被告人による窃盗被告事件の上級審の判決書からの引用である。裁判所(メーン州最高裁判所 the Maine Supreme Judicial Court )は被告人からの無罪主張を退けている。ここで裁判所が「意図」に焦点を絞っているのは、本件において無罪を主張する被告人が挙げている理由の一つが、「被告人は窃盗症に罹患していたため、必要な意図を持って行動することができなかった2380)」であったことを受けてのことである。「必要な意図 requisite intent」の「必要」とは requisite culpable state of mind、すなわち、非難されるだけの条件を満たした意図という意味で、これを我が国の責任能力論に対応させるのは難しいが、少なくとも行動制御能力に対応しないことは確かである。かと言って弁識能力に対応するとも言えないが、被告人本人の「判断」のレベルという意味では弁識能力に近いとまでは言えよう。
すると「窃盗症のために、必要な意図を持って行動することができなかった2380)」という主張は我が国の法律に対応させれば、「弁識に従って行動を制御することができなかった」に近いもので、「行動制御能力が失われていた」という主張に一致するといえよう。ところが本件被告人が「行動制御能力」でなく「意図」を前面に出して無罪を主張しているのは、メーン州においては(米国の他の多くの州と同様)行動制御能力が失われていることは無罪の理由として認められていないからである2390)2400)。ということは本件被告人の主張は、主張の形式的な文言上はともかく実質上は、行動制御能力についての主張にほかならない。裁判所もそのことを指摘してこの無罪主張を退けている2390)2400)。本件被告人Girouxは、窃盗の衝動を抑えるために自分の手を手錠で拘束したり、Taser (スタンガンの一種)を自分に対して用いたりしていたことが判決書に記されており2350)、すると窃盗症としては相当に重症であったと思われるが(窃盗をしてはならないという「意思」によって窃盗行為を制御することは全く不可能なレベル。そして先の204(平27松戸簡裁)2330)=1560)の判示にいう「規範意識の内面化」が確立されていることは明白。)、それでも裁判所は窃盗症による責任能力減免は認めていない。行動制御能力が責任能力の一要素でない法域 jurisdiction においては、窃盗症はいくら重症であっても常に完全責任能力なのである。そのことは逆に、行動制御能力が責任能力判断の一要素として認められている我が国においては、窃盗症の責任能力が真剣に議論されなければならないことを示している。
図25. Maine v. Giroux, 20152350)の論点
弁護側(被告人)は、図の「行為の意図」に着目した主張を行った。すなわち、窃盗するという行為の意図そのものが、窃盗症によって障害された病的なものであり、したがって同意図は非難されるだけの必要な条件を満たしていないと主張したのである。それは米国でいうvolitional test (我が国での行動制御能力におおむね対応する)を論点から除外しようとしたものであるが、実質上はvolitional testを言っていることにほかならず、メーン州最高裁判所もそれを指摘して被告人の主張を退け完全責任能力を認定した。(図25の濃いピンクは被告人の主張する論点。薄いピンクは実質として裁判所が認定した論点。)
206(平26大阪高裁)2410)
窃盗行為を決行するかどうかという,最終的で最も重要な決定について自己を制御する能力を有していたことについては,何ら否定されない2420)。
本件判示のポイントは上の引用部分である。ここで裁判所が指摘しているのは、要約すれば、
「最終的には制御能力を有していた」
ということになる。しかしこれだけではポイントが見えないであろう。判決文の直前の部分とあわせて下に示す:
被告人の行動については,「見付からないようであれば窃盗行為を行う」という一連の行動を制御することが困難な状態であったとみることも可能であるが,仮にそうであるとしても,窃盗行為を決行するかどうかという,最終的で最も重要な決定について自己を制御する能力を有していたことについては,何ら否定されない。
200 (令2名古屋地裁)2210)以下に繰り返し示してきたとおり、窃盗という犯行に向けての合理的・合目的行動を取っていること、具体的には、見つからないように注意・工夫し、見つかりそうな状況であれば犯行を中止していることは、窃盗症の衝動制御能力障害の強さを否定する根拠には全くならないのであるが、それを誤解した判示が多数存在するところ、本件裁判所はその点についてはおおむね正確に理解し、「被告人の行動については,「見付からないようであれば窃盗行為を行う」という一連の行動を制御することが困難な状態であったとみることも可能である」と判示している。そのうえで裁判所は、「それでも、最終的には、今なら見つからないと判断し、その判断に従って行動したのだから、行動は制御できていたのだ」と言っているのである。
裁判所とは時に、無稽な論法によって自らの結論を正当化するものであるが、そんな中にあってこの「最終意思決定論法」は1,2を争う無稽さの位置を占める暴力的な論法である。なぜなら、行為がなされた以上は最終決定が自分の意思でなされたのは当然であるから(「行為が実行された」と「行為は自分の意思でなされた」は完全に同じ意味である2430))、この論法を是とするのであれば、「最終的に行為を決定したのは自分の意思だ」という論理によって、あらゆる行為は完全責任能力ということになるからである。しかも上の判示に続く判決書の記述はこうである:
最終的に犯行に至っているからといって,直ちに衝動制御能力がないなどということができないことは,全ての故意犯において同様のことが認められることからして明らかである。
その通り、明らかである。そしてこれが明らかであるのと全く同様に、最終的に犯行に至っているからには犯行が自分の意思でなされたこともまた明らかである2440-2460)。
本件裁判所は、
A 最終的に犯行に至っているのであるから、衝動制御能力は失われていた
という(仮想的な)主張の不合理さを明確に否定している、それは全く当然の否定であるが、その一方で、
B 最終的に行為に出るか否かを決定したのは自分の意思だ
と主張しているのである。Aが否定できることもBが肯定できることも全く当然であり、ということはAもBも主張ないしは判断としての意味はゼロである。
図26. 平26大阪高裁2410)の論点 (最終意思決定論法)
ある任意の行為がなされたということは、その行為が行為者の意思決定によってなされたということである。平26大阪高裁2410)はこのあまりにも当然のことを仰々しく指摘し、行動制御能力が保たれていたという結論の論拠としている。
207 (平30東京高裁)2470)
仮に,本件店舗において万引き行為に及んだ時点では,被告人が,それを自ら思い留まることは容易でない精神状態にあったとしても,そこに至るまでの行動は,被告人の責任に帰せられるものであって,その点に酌むべきところはなく,本件犯行は,全体として被告人の主体的な意思に基づくものに他ならない2480)2490)。
206(平26大阪高裁)2410)の「最終意思決定論法」に対して、「全体として被告人の主体的な意思に基づくものに他ならない」と指摘するこの207 (平30東京高裁)2470)は「全体意思論法」とでも呼ぶべき論法である。「最終意思決定論法」は206に述べた通り、あり得ないレベルの無稽なものであるのに対し、「全体意思論法」は、犯行に至る全体像のうち、被告人を非難する着眼点をどこに定位するかという意味で、その是非は法的判断に属するとみる余地があろう。高等裁判所裁判速報集2470)には本件判示が「原因において自由な行為の理論と似た理論構成」であると指摘されている。しかしながら、本件以前はもちろんのこと本件以後においても、大部分の判例ではそうした解釈は示されていないことからみて(また、私の知る限りにおいて、検察官からそのような主張がなされることもない)、窃盗症の責任能力を論ずる際に「原因において自由な行為」の理論を適用することには無理があるようにも思うがどうか。「そこに至るまでの行動は,被告人の責任に帰せられるもの」というこの平26大阪高裁の指摘そのものは日常感覚的にはその通りであるが、責任能力の範囲をそこまで拡大することがはたして正当なのか。
図27. 平30東京高裁2470)の論点 (全体意思論法)
「そこに至るまでの行動は,被告人の責任に帰せられるもの」という判示はすなわち、被害店に入る前の段階で被告人の意思によって犯行を回避することができたのにそれをしなかったことについて被告人を非難するものである。これは、医学的な文脈に変換すれば、窃盗症たる被告人が潜在的に有している窃盗への衝動(inactive)を、顕在化(active)させないようにすることが被告人にはできたはずであることを言うものである。この非難は論理としては正当であるが、責任能力が犯行時の能力を指すものである以上、責任能力論の領域からは逸脱しているのではないか。
208 (平25長野地裁上田支部)2500)=1600)
本稿189以下続けてきた責任能力の決定にかかわる判示の結びとして、最も異彩を放ち、かつ、未来の論考に発展する大きなポテンシャルを持つ判例を紹介する。これは実に正直な裁判官による判決文であり、平成における窃盗症関連の判決書中、ある意味好感度No.1である。
心神喪失という結論が導かれるということにもなりかねない。
この判決書の中で最も光り輝いている記述である。「なりかねない」、ここに裁判官の本音が吐露されている。窃盗症の被告人が心神喪失とされるなどということはあってはならない。この裁判官はそれを前提に裁判を行い判決を導いたことをここにありありと読み取ることができる。以下これを「窃盗症完責前提論」(または「クレプト完責前提論」)と呼ぼう。(「完責」は「完全責任能力」の、「クレプト」は「クレプトマニア」の略である)
上の一文だけではポイントが見えにくいと思われるので、判決文の直前の部分とあわせて下に示す:
これ(村松注: いわゆる7つの着眼点を指している)を本件に形式的に当てはめると,本件犯行は,主たる動機は了解不可能であり,突発的,偶発的,衝動的な犯行で,計画性はなく,平素の人格との親和性はなく,犯行の合目的性も十分ではないということになり,心神喪失という結論が導かれるということにもなりかねない。
今ここではいわゆる7つの着眼点を用いることの是非が問題なのではない。同着眼点を用いるにせよいかなる基準ないし論法を用いるにせよ、窃盗症である本件被告人において、「心神喪失という結論が導かれる」ことがあってはならないと裁判官は明言しているのである。そこで裁判官は、そのように「あってはならない」ことを阻止するため、次のような論理を展開する。上の引用部分の直後部分である(下線は村松による):
そこで,更に検討すると,刑法39条2項は,「心神耗弱者の行為は,その刑を減軽する。」と規定し,「心神耗弱の状態における行為」と規定していない。そして,刑法が,精神医学的な対処方針を示すものではなく,社会統制の一手段として存在する以上,「心神耗弱者」の概念も精神医学的な概念ではなく,社会的な概念であると考えられる。この見地から考察すると,被告人が心神耗弱者であるか否かについては,クレプトマニアによる窃取衝動の存在を前提として,被告人において,それを制御するための措置を,被告人自身によるもの,内面的なもののみに限定せず,広く社会的な資源を活用するもの,外面的なものを含めて,どの程度講じることができ,また,実際に講じてきたかを検討すべきである。
実に含蓄ある判示である。分解して順に味読してみる:
刑法39条2項は,「心神耗弱者の行為は,その刑を減軽する。」と規定し,「心神耗弱の状態における行為」と規定していない。
刑法の記述は確かにそう規定していない。だが責任能力の存在時期は行為時であるとするのが我が国の責任能力論における優勢な見解であって、裁判実務もそのように運営されてきている2510)。行為時の「状態」ではなく、「その者が心神耗弱者であるか否か」という視点をとるべきであるとするこの裁判官の主張は明らかに異説である。
そして,刑法が,精神医学的な対処方針を示すものではなく,社会統制の一手段として存在する以上,「心神耗弱者」の概念も精神医学的な概念ではなく,
「心神耗弱」も「心神耗弱者」も、精神医学的な概念でないのは当然である。このように、当然のことをわざわざ記すことで、判示に正当性がある雰囲気を出すのは一部の判決書で用いられている定法であるが、そこには実質的な意味を欠いていることは明らかである。実質的な意味を欠くだけならそれは無意味であっても無害であるが、判決書はこの直後に次のように画期的な展開を見せる。先にあげた「なりかねない」を支えるキーワードの登場である。
社会的な概念であると考えられる。
「社会的な概念」がこの判決書のキーワードである。「社会的な概念」としての「心神耗弱者」とは何か。それはこの一文の次に示されるのであるが、その前に二つの点を確認しておく必要があろう。
第一は、心神喪失の話がいつのまにか心神耗弱の話になっていることである。上述の通り裁判官は、「心神喪失」に「なりかねない」という表現で、「窃盗症が心神喪失と認定されることなどあってはならない」という主張を旗幟鮮明に表明した。この主張をわかりやすく「窃盗症完責前提論」と本稿では呼ぶことにしたのであるが、「心神喪失などあってはならない」という主張からは、「心神耗弱なら認められる余地がある」とするのが論理的帰結のはずであるところ、この裁判官は、心神喪失の否定については「なりかねない」の一言できっぱりと結論を出し、次の段階である心神耗弱の否定に論を移している。
第二は、「心神耗弱は精神医学的概念ではない」という全く当然のことを述べることで自らの論が正当であるという雰囲気を出したことに続けて直ちに「社会的な概念である」という結論に飛躍していることである。第一の点も第二の点も、この判示の展開としてある意味非常に興味深いが、論理的であるべき判示という文章においては、欺瞞であることは否定できまい。
前段としてA(全く当然で反論の余地がない命題)を記し、主張である後段Bをそれに続けて記す。AとBは無関係ではないものの、Aから論理的にBは導けないから、Aを前段に記すのはBが正しいという雰囲気を出す以上の意味はない。これは虎の威を借る狐とはやや異なるが、虎の威を見せることで幻惑するものであるから、「虎の威幻惑論法」と呼ぼう。
そうした欺瞞を土台にしてでもこの裁判官が主張したかったのは何か。それがこの後に語られることになる。
この見地から考察すると,被告人が心神耗弱者であるか否かについては,クレプトマニアによる窃取衝動の存在を前提として,
これもまあ欺瞞の一種と言えるであろう。窃盗症(クレプトマニア)には窃取衝動があることは当然である。その当然のことをわざわざ「前提として」と記すということは、これまでと同じ、当然のことを述べることで自らの主張が正当であるという雰囲気を出すこと以外の意味はない「虎の威幻惑論法」である。つまり論理的文章としては無意味な記載である。
まあそれはそれとして、裁判官の主張のポイントはここからである。
被告人において,それを制御するための措置を,被告人自身によるもの,内面的なもののみに限定せず,広く社会的な資源を活用するもの,外面的なものを含めて,どの程度講じることができ,また,実際に講じてきたかを検討すべきである。
窃盗症に衝動制御能力の障害があることは認める。だが窃盗症者は、その衝動を制御するための措置を取る義務がある。その措置とは内面的なものと外面的なものの両方を指す。この被告人はその措置を取ってきたのか。これが窃盗症の責任能力判断における決め手としてこの裁判官が示した問いである。そして具体的な検討に入る。まず「内面的」事項である。
まず,被告人自身による制御に関しては,本件犯行においては,被告人は,財布がないことに気付いてはんぺんを窃取する決断を行い,クレプトマニアによる窃取衝動発生の危険が高まった状況になっても,鮮魚売り場にブリのあらを発見するまでの短時間ではあるものの,はんぺんの窃取以外の窃盗に関しては,規範意識によって窃取衝動の発生を抑制することができていたと窺えるのであり,被告人自身においてクレプトマニアによる窃取衝動を制御することが完全に不可能ではなかったと認められる。
「規範意識によって」は常識に囚われた表面的な推認である。窃盗症である被告人が「窃取衝動の発生を抑制」2520)したのは、先の203 (平27松戸簡裁)2330)の裁判所が指摘したように、成功不成功の判断によるものであるとみるのが妥当である。この裁判官は正直者だが論理の甘さが目立つ。そして、本稿で繰り返し指摘してきたとおり、被害店内において窃盗の成功に向けて自らの行動をコントロールすることは、窃盗症の衝動制御能力障害の強さをいささかも否定するものではないから、「被告人自身においてクレプトマニアによる窃取衝動を制御することが完全に不可能ではなかった」という指摘は医学的には失当かつ無意味である。但しこの裁判官の主張の真骨頂はこの後に示されている。
そして、被告人自身によるもの以外に関しても,被告人の各供述,「捜査関係事項照会書回答」と題する捜査関係事項照会回答書(甲11),精神鑑定書(甲12)によれば,被告人は,これまで,スーパーマーケット等で買い物をしなくて済むように,通信販売を広く利用したり,スーパーマーケット等に行く際も必ず夫に付き添って貰らうなどの工夫をして,万引きに及ぶことがないようにしてきたことが認められ,被告人が,広く社会的な資源を活用し,窃取衝動発生の機会を事実上消滅又は減少させるという外面的な方法を含めて,クレプトマニアによる窃取衝動を,社会的な意味で制御してきたと認めるのが相当である。
本判決書のキーワード「社会的な概念」の意味がここに明らかにされている。すなわちこの被告人は窃盗をしないようにするために自分の意思で社会的資源を活用してきたのであるから、被告人は窃盗衝動を「社会的な意味で制御してきた」のだとこの裁判官は言っているのである。そしてその「制御」を次の通り、責任能力論における行動制御能力に直結させている。
以上によれば,個々の万引行動においては,クレプトマニアによる窃取衝動に対する制御ができていなかったとしても,社会的存在として,総合的見地から見れば,被告人は,クレプトマニアによる窃取衝動に対する制御を相当程度実行することができてきたのであり,被告人は,社会的な概念としての心神耗弱者には該当しないと解するのが相当である。以上によれば,被告人には,完全責任能力が認められ,弁護人の主張は理由がない。
自らの窃盗衝動を「社会的な意味で制御してきた」被告人は、「社会的な概念としての心神耗弱者2530)には該当しない(社会的には完全責任能力)」。これがこの平25長野地裁上田支部2500)の結論である。
判示には上の引用部分の通り「総合的」という言葉も見られる。「社会的」も「総合的」も、もしその具体的内容が示されることなしに判決書の中に持ち出された場合には、実質的な意味を欠く単なる修飾語にすぎない2540)。しかるに本判決書では、「被告人が、社会的資源を活用することによって窃盗衝動の顕在化を防ぐことができていた」という具体的内容を示すことで「総合的」「社会的」の意味を明確化している。実に真摯に判決書を綴っておられる。しかも208冒頭近くに記した通り、「窃盗症完責前提論」を旗幟鮮明に表明しておられる。裁判官の誠実で正直な性格がありありと感じられる判決書である。平成における窃盗症関連の判決書中、ある意味好感度No.1である。だがこの判示の論理は誤っている。
図28. 平25長野地裁上田支部2500)の論点 (社会的心神耗弱者論)
平25長野地裁上田支部2500)は、「社会的な概念としての心神耗弱者」を提唱した。その根底にあるのは「人には犯罪の衝動を抑制するために、内面的・外面的措置を取ることが求められている。外面的措置とは社会的資源の活用である。心神耗弱者とは、この内面的・外面的措置両方の能力が著しく損なわれている者をいう」という考え方である。そして本件は被告人は少なくとも外面的措置(=社会的資源の活用)はできていたのであるから、完全責任能力であるというのが平25長野地裁上田支部2500)の論理である。
(図で(a)意思は、スーパー等に一人では入店しないようにすることなどによって、窃盗衝動の顕在化を防ごうとする意思を指す。(b)意思はそれ以外の社会的資源の活用を指す。(a)(b)の分け方は平25長野地裁上田支部2500)の判示とは必ずしも一致しないが、作図の便宜上、前掲図27の「意思」を図28では「(a)意思」としたものである)
209
なぜなら、この平25長野地裁上田支部2500)が提唱する社会的心神耗弱者論は、208に前述の通り、現代の心神耗弱の概念からは逸脱している2510)という理論的な理由が一つ。そして具体的な理由としては、もしこの社会的心神耗弱者論を裁判実務において認めることにするのであれば、他のあらゆる精神障害において、治療の必要性を認識できるだけの能力がある患者が治療を受けないことによって悪化し犯行におよんだ場合、犯行時の病状がいかに重篤であってもすべて完全責任能力としなければならないことになり、それは全く現実的でないからである。
図29. 「社会的な概念としての心神耗弱者」の矛盾
窃盗症の患者が、普段の生活において、医療等の社会的資源を活用して窃盗衝動を制御する努力をしていることを理由に「心神耗弱者ではない」と定め、犯行は常に完全責任能力と認定するのであれば、統合失調症の患者が、普段の生活において、医療等の社会的資源を活用して幻覚妄想に起因する行動を制御する努力をしていることを理由に「心神耗弱者ではない」と定め、犯行は常に完全責任能力と認定しなければならないであろう。その事態はすなわち、刑法39条を実質的に廃止することにほかならない。
210
そして、「窃盗症完責前提論」は、任意の人物が個人的な見解として提唱するのであればともかく、窃盗症の責任能力が争点となっている事件をまさに担当している裁判官の信念としては不適切であろう。
211
本稿の冒頭、「起」の1に明記した通り、本稿は窃盗症の被告人を擁護も非難もしないという立場を堅持している。これは窃盗症論における最も重要な事項である。擁護か非難かのどちらかの立場を取れば、それは典型的な論点先取であって、結論を決めたうえでその結論に向けて記述していることにほかならない。それが論証とは言えないのと同様に、裁判所が公判前に結論を決めているのであれば、それは裁判とは言えない。
212
平25長野地裁上田支部2500)は、本稿133に前述の通り、独自の素人考えによって窃盗症を診断するという誤りも犯していることからすると、社会的心神耗弱者論の提唱ともあわせ、批判のターゲットには事欠かない。しかしそれでも平成における窃盗症関連の判決書中、ある意味好感度No.1であるという208で述べた評価は動かない。判決書が批判のターゲットに事欠かないというのは、それだけ具体的に判示が記されているということで、論旨不明のまま結論が示され、あたかも「裁判所が言うのだからこれが正しいのだ」と言わんばかりの判決書が多数存在する中で、平25長野地裁上田支部2500)の判決書は光り輝いている2550)。
213
ここまで検討してきた窃盗症の犯行への影響・責任能力について我が国の裁判所の論点を一つの図にまとめて示せば図30の通りとなる。これらは大きく3つに分類することができる2560)。
第一世代2570)の判例は、物品への欲求を犯行動機であると認定するものである。
第二世代は被害店内での行為に着目するもので、窃盗に向けての合理的・合目的的行為がなされていることをもって、行動制御能力が保たれていると認定するのがその典型である。
第三世代は被害店に入店する前の段階での被告人本人による犯行を未然に防ぐ努力に着目するもので、「全体意思論法(207 平30東京高裁2470)」「社会的心神耗弱者論(208 平25長野地裁上田支部2500) 」がそれにあたる。
図30. 窃盗症の犯行への影響・責任能力についての裁判所の論点
白抜き数字は本稿での番号(したがって判例)に対応している。
214
第一世代の判例(動機が了解可能と認定)は大部分が裁判所の確証バイアス1780)に基づくと思われるもので、判決書の諸所から窃盗症という精神障害についての無理解を読み取ることができるのが常である。
215
第二世代の判例(被害店内の行動の合理性・合目的的性に着目)はほぼすべてが、窃盗症の衝動制御能力の無理解に基づいている。窃盗症とは、窃盗という目的の達成に向けての衝動制御の障害なのであるから、被害店内での行動が合理的・合目的的であることから同衝動が制御できているということはできない。したがって医学的には第二世代の判示の論理は失当である。
216
しかし法的にも失当と言えるかどうかとなると話は別である。「医学的な意味での「衝動制御能力障害」の「強度」は、法的概念としての「行動制御能力」の「異常」とは別である」(『窃盗症論1』の注1000)「衝動行動分離説」)という立場を取れば、第二世代の判示は一気に正当性を獲得することになる。『窃盗症論1』のTL差戻審2160)は、判決書に明記こそされていないものの、その立場を取っていると解することが可能で、「衝動行動分離説」は窃盗症の責任能力、そして窃盗症に限らず衝動制御能力が直接の問題となる精神障害の責任能力についての将来の議論における大きなテーマの一つになりうるであろう。
217
但し第二世代の判例には全く不当なものも含まれている。その筆頭は206(平26大阪高裁)2410) で、「最終的で最も重要な決定について自己を制御する能力を有していた」と認定することによって完全責任能力を主張する「最終意思決定論法」の無論理・無意味・無稽は206に前述の通りである2580)。
218
また、第二世代の判例の中には、被害店内の行為が合理的・合目的的であることを行動制御能力が保たれていたという認定の理由にするのみならず、そこからの延長として、強い非難の根拠とするものが次の通りいくつも見られる。それらは犯行態様が「手慣れている・大胆」であることを「悪質」に結びつけるものであるが、「手慣れている・大胆」であることは、それまで窃盗を繰り返していたことの反映であり、それはすなわち窃盗の反復性の間接証拠であり、窃盗症としての重症度を示唆するものであるから、非難軽減の根拠になりうるはずの事実が、逆に強い非難の根拠とされている。
大胆で手慣れた様子が窺われ,犯情誠に悪質である。(平25さいたま地裁川越支部2590))
巧妙で手慣れた犯行であり,悪質である。(平27盛岡簡裁2600))
大胆かつ狡猾,巧妙で手慣れている。(平27名古屋地裁2610))
大胆な犯行であり,(平26大阪高裁2620))
219
第三世代、すなわち207 平30東京高裁2470)の「全体意思論法」、208 平25長野地裁上田支部2500)の「社会的心神耗弱者論」の是非は、完全に法の領域にある議論であるゆえ、医学から意見を差し挟む余地はないが、207-209に前述の通り、責任能力の概念を拡大し過ぎていることは否定できないであろう。
220 (再度執行猶予・罰金刑)
責任能力についての認定は完全責任能力であっても、窃盗症の犯行への影響が一定程度はあったとして、そして被告人が窃盗症の治療を受けること、及びその治療効果が見込まれる場合に、再度の執行猶予や罰金刑などの判決が下された例が、データベース上に相当数存在する。次の通りである。まず、再度の執行猶予判決の事例を示す。
被告人には,施設に収容して矯正教育を受けさせるよりも,現在続けている摂食障害を伴うクレプトマニアの治療を継続させる方が再犯の防止も期待できるというべきであり,この点も含めて総合考慮すれば,本件は刑法25条2項2630)の「情状に特に酌量すべきものがあるとき」に至ったと認めるのが相当である。(平26長野簡裁2640))
被告人は,保釈後,既に約半年にわたって入院治療を受けており,今後も家族の支援のもとで治療の継続が期待できることなどの事情を考慮すると,本件では,情状に特に酌量すべきものがあるといえる。 (平27東京地裁2650))
しかしながら,被告人は,平成29年5月に保釈された後,8月1日に盗癖に関する専門病院であるdホスピタルの医師の診察を受け,クレプトマニアと診断され,8月9日には同ホスピタルに入院し,当初予定していた6か月の入院治療を延長して今日まで継続して真摯に入院治療を行ってきており,[・・・] (平30青森簡裁判2660))
被告人はすでに2か月以上,専門医療施設において治療を受けてその治療効果を実感している上,今後もそれらの治療を継続することができる環境が整っている (平28宇都宮簡裁2670))
前回の裁判の際は,被告人が前記精神障害(村松注: 窃盗症、摂食障害)の可能性があるとは考えていなかったため,再犯防止の為の有効な手立てが講じられなかった[・・・] 今後も前記のとおり,6 か月間の入院治療が予定されているとともに,保釈後は自助グループでのミーティングに参加するなど,再発防止に向けて真摯に取り組んでおり,更生への強い意欲が認められる(平27行橋簡裁2680))
被告人は,摂食障害及びクレプトマニアと診断されており,これらが本件の一因ともなっているところ,被告人は,これらについて保釈中に精神科医師の診療を受け,入院を経て現在も通院治療を継続しており,今後も継続して治療を受けることを約束している。[・・・] 再犯防止の措置が相応に整備されたといえる。(平28東京地裁立川支部2690))
被告人は,本件犯行以前も,窃盗症に対するものが中心とはいえ,医療機関に入通院して治療を受けるなどして再犯防止に努めていたものであるが,本件の保釈後も,医療機関への一定期間の入院を経て,主治医等と相談の上,施設に入所した上で通院する態勢が調えられ,治療によって神経性やせ症の症状に一定の安定が得られており,被告人は,改めて,神経性やせ症に向き合い,その治療を継続する強い意欲を示し,父親が母親とともに治療のサポートを含めた監督をする意向を公判廷で示している。(平30前橋地裁太田支部2700))
被告人は,本件窃盗の動機及び態様に照らして,本件当時,是非弁別能力及び行動制御能力が著しく減退していたとまではいえないが,前記の病的な精神状態(村松注: 窃盗症、解離性障害)のため,ある程度それらの能力が減退していたものと認められる。そのことに加え,被告人が上記精神状態を改善するため医師から治療を受けていることは,被告人にとって有利に考慮されるべき事情である。[・・・] 原判決の量刑は,刑の執行を猶予しなかった点において,重すぎて不当であるといわざるを得ない。(平23東京高裁2710))
被告人は,原審において保釈を許可された後,平成28年10月からcホスピタルに入院し,原判決後も現在まで治療を継続して受けているところ,同病院副院長C作成の報告書によれば,〔1〕被告人本人については,摂食障害の症状は消退し,過食嘔吐の様子は見られず,外泊・外出時に万引き衝動が消失し,回復・更生の徴候には目覚ましいものがある,〔2〕家族については,家族関係は極めて良好で,家族は治療に協力的積極的である,〔3〕退院後については,cホスピタルまたは関連治療施設に通院しつつ自助グループに参加するとともに,定期的にcホスピタルにショートステイ入院をしてフォローアップしていく予定であり,家族としてもフォローしていくことを確認している,といった状況が認められ,現在及びその後の治療が続く限り,万引き再犯の可能性は極めて少ないと考えるという判断が示されている。このような原判決後の情状をも含めると,被告人の再犯を防止し,改善更生を図るために,家族の協力を得ながら社会内で治療を継続させる処分を選択する余地が出てきたといえる。(平29東京高裁2720))
精神科医Pは,被告人にはクレプトマニアに加え,解離性障害,大鬱病性障害,脳機能障害も認められ,これらの病状が本件犯行に影響を与えた可能性があることを指摘している。[・・・] 被告人に対する責任非難を相当程度減少させる事情があったといえ,この事情は,情状に特に酌量すべきものがあるかどうかの判断において,これを肯定する大きな要素である。[・・・] 情状に特に酌むべきものがあるというべきである。(平27東京高裁2720))
次の3例は罰金刑である:
本件について実刑に処すことにより治療を中断することは,再犯の防止を図る上で必ずしも適切ではないと思われる。(平27松戸簡裁2730=2330)= 1560))
被告人が前判決(村松注: 原審=平27松戸簡裁)後,自ら希望してPに転院して入院治療を受けることにし,保釈後,同センターに入院して病的窃盗との診断の下にその治療を受け,退院後も引き続き通院治療を続ける一方,夫のみならず母の協力も得て,再犯防止に努め,その成果が上がっている状況にあることを指摘し,本件について実刑に処すことにより治療を中断することは再犯の防止を図る上で必ずしも適切でない,今後なお3年近く保護観察付き執行猶予期間が残されているから,保護観察を継続して執行猶予取消しのリスクを負わせることで更生に努めさせるべきだとしたものである。以上のような原判決の量刑事情の指摘,評価及びこれに基づく量刑判断はいずれも不当であるとはいえない。(平28東京高裁2740))(上記平27松戸簡裁の2審)
本件で逮捕勾留され,保釈後に新たな医療機関で入院治療を受け,その後1年以上にわたり再犯がない (平28大阪地裁岸和田支部2750=2230))
221
以上220に列記した判例に加えて、被告人の診断を摂食障害であるとして(窃盗症という診断は認定せず)、論理としては220と同様に治療による回復に期待して執行猶予とした判例も多数存在する2760)。
222
刑罰の目的は再犯防止に限定されるものではないが、犯行に病気が大きく影響しているとき、拘禁刑(旧懲役刑・禁錮刑)では再犯防止効果がほとんど期待できないということであれば、執行猶予や罰金刑の方が合理的な選択肢になりうるとまでは言えるであろう2770)。
223
そのためには大前提として、当該の窃盗に「病気」が影響したという認定がなされなければならない。窃盗症など病気でないと明示的に宣言した判例は少なくともデータベース上は稀であるが、病気であることに疑問ありと裁判所が水面下では判断していると思われる判例は相当数見出すことができる。そうした状況の中、脳に何らかの所見が示されると、病気であるという説得力が増すという現実がある。次の224はその典型例である。
224 (平27名古屋地裁2780=2610))
しかし,被告人の脳の画像検査によれば,脳機能の一部が低下しているとの所見が得られているところ,その原因として,19歳頃に神経性痩せ症を発症し,以来長年にわたって通常でない食生活をしてきたことによる栄養不足と,年少期にいじめられた経験があったことや両親との関係にも問題があったことによるストレス等が挙げられており,これらは合理的で説得的な所見といえる。さらに,心理検査の結果,被告人には他者の恐怖や苦痛を検出する能力が低下しているとの所見が出ており,この情動障害の所見も上記脳機能障害と関連するものとして理解が可能である。
「画像検査によれば,脳機能の一部が低下している」「この情動障害の所見も上記脳機能障害と関連するものとして理解が可能」、これは文言だけを見れば説得力ある所見と合理的な論理であるが、臨床医学の現場と脳科学的な立場からすれば、非常に頼りない所見と浅薄な論理である。ところが他の相対的により確実で科学的な所見・論理よりも、脳機能に関連づけた説明は、一般の人々にも、また裁判官にも、説得力があるように捉えられることはしばしばある。脳の所見や脳機能に関連づけた説明のこのような過剰な重視はBrain Overclaim Syndrome (脳機能過剰重視症候群)と呼ばれ、裁判官にも蔓延している2790-2810)。
225
Brain Overclaim Syndrome (脳機能過剰重視症候群)はそれ自体深刻な問題であるが、他方で、精神障害の犯行への影響を考えるとき、脳機能は一つの重要な要素であり、「過剰」ではなく「適切」に重視することは、犯行についてのより正確な判断に資するものである。では窃盗症の脳機能はどこまで解明されているのか。それが次の「転」のテーマである。
(未完)
「転」に続く
(未完)
注
(承)
1010) 判例についての論稿の定型は、判決によって判例を分類し論ずるというものである。しかしその形式による窃盗症についての論文は刑法学者等による優れたものが複数存在する以上1020-1060)、その形式を踏襲して新たな文章を作成することに意味があるとは思えない。しかも私は法律の専門家ではないのであるからその資格もない。そこでここでは判例を材料とする文章としては異例の形式、すなわち、精神鑑定の3ステージごとに、判例横断的に論考を加えるという形式を採用することにした。すなわち本論「承」は精神鑑定を行う側からみた判例分析である。
1020)=330) 城下裕二: クレプトマニア(窃盗症)・摂食障害と刑事責任. 刑事法ジャーナル 72: 19-34, 2022.
1030)=600) 林大悟(2019).クレプトマニアの刑事責任能力 一橋大学大学院 法学研究科 法学・国際関係専攻 修士論文(未公刊)
1040) 竹川俊也: 「万引き」と責任非難・量刑. In: 高橋則夫先生古稀祝賀論文集[下巻] 57-96. 2022.
1050) 箭野章五郎: 窃盗症(クレプトマニア)・摂食障害と責任能力・刑事責任. In: 刑事法の理論と実務3. 佐伯・高橋・只木・松宮 編集. 成文堂 2021.
1060) 小池信太郎: 摂食障害・クレプトマニアを背景とする万引き再犯の裁判例の動向. 法学新報 123巻 9・10号. 2017.
1070) もとより精神医学における診断には多数の問題点があるが、日常臨床や研究は、それらの問題点が無視されているとは言えないものの、深く追及されないままに進行している。それに対し、精神医学の外部から厳しい批判を受ける精神鑑定においては、否応なく問題点が露呈する。窃盗症の診断はその典型的な例の一つである。
1080) ここでいう「法的な意味での精神障害ではない」とは「責任能力を論ずる対象とすべき精神障害ではない」を意味する。
1090) 「手続き的には」正当であるが、専門家の意見の正否を非専門家が判断できるはずがないのであるから、その正当さは手続き上の正当さにすぎない。そして一般に、複数の専門家の相異なる意見を非専門家が比較検討するとき、それは当然に非専門家にとって納得しやすい意見が正しいと判断される強いバイアスがある。これは精神医学の分野においては「精神障害でない」「正常心理で理解できる」という意見が正しいと判断される強いバイアスとして顕現するのが当然である。そしてこれもまた当然のことだが、専門家とされる人物の専門的能力が劣っていればいるほど、非専門家に近い判断をするのであって、それは精神医学の分野においては精神障害やその影響を看過し「精神障害でない」「正常心理で理解できる」という判断になる。近年では検察官がこのバイアスを利用して、精神障害の影響が少ないとする専門家意見を、その意見の正しさは度外視して無節操に法廷に提出するという事態が頻出している。これは特に裁判員裁判で顕著である。
1100) 判例データベース上は、窃盗症が精神障害であること自体を裁判所が否定することはほとんどないが1110)、それは実態を正確に反映していない可能性が高い。理由の第一は判例データベースのpublication biasである。判例データベースへの収載はかなり恣意的な基準に基づいており(そもそも基準と言えるだけのものが存在しない)、法律家にとって関心が低いものは収載されていないから、単なる窃盗として扱われたものはデータベースには収載されにくい1120)1130)。第二は職権バイアスで、弁護人が窃盗症の疑いありとして鑑定請求しても裁判所が却下すれば、それは窃盗症が精神障害であること自体を裁判所が否定したことと同値であるが、データベース上には現れない。
1110) 「ほとんどない」の「ほとんど」とは、判決文の解釈によっては事実上適用されていると読めるものもあることを指している。たとえば「病的窃盗は、そのような精神障害に罹患したことが原因で窃盗を行うというのではなく、窃盗を繰り返す人に対してそのような診断名が付けられているにすぎない」と判示され、被告人が窃盗症に罹患していることを無視した判例が、データベース外に存在する1120)。このような判例は潜在的には相当な数にのぼっていると思われる。
1120) 東京高裁 令和2年11月17日判決 (判例データベース未収載)
1130) 窃盗症について専門家の意見を聞かずに裁判所が判決を下したことについての弁護人からの批判に対して裁判所が「責任能力はあくまでも法的な概念であるから、裁判所は、事案によっては、専門的な知見がなくても、犯行の動機、態様、犯行前後の行動などから、責任能力の減弱の有無、程度について判断することができるというべきである」と返した判示がある1130)。裁判所のこの主張は全く正当であるが、問題は「事案によっては」という部分で、どの事案は裁判所のみで判断することが正当で、どの事案は不当であるかの判別は容易ではなく、一般に理解度が十分でない精神障害については、不当にも裁判所が独自の判断を下すという事態が発生することは想像に難くない。その代表の一つが窃盗症である。
1140) 町野朔 刑法総論 信山社 東京 2019. 310頁
1150) 箭野は次の通り述べている1160): 、「窃盗症(クレプトマニア)のような --- 診断基準は後述するが ---、一定の犯罪行為の反復を当該診断の条件とする障害(犯罪行為自体が障害の特徴となるような障害)が、39条(1)における(ⅰ)「精神の障害」要件にそもそも該当するのかも問題となりえよう。 」「ここでの「精神の障害」とは、精神医学等で障害とされるあらゆる障害のうち、認識・制御能力の喪失ないし著しい減少をもたらす可能性を有するもの、ということになろう。」。
1160) 箭野章五郎: 窃盗症(クレプトマニア)・摂食障害と責任能力・刑事責任. In: 刑事法の理論と実務③ 成文堂 2021. 129頁、130頁
1170)
1180)
1190)
1200) 本稿冒頭(「起」1)に記したように、「窃盗症の被告人を擁護も非難もしない」という立場を堅持すれば、「窃盗症は精神障害ではない」という信念は棄却しなければならない。「窃盗症は精神障害ではない」という信念は、多くの場合、「窃盗は罰せられなければならない」という信念と直結している。それは結論を先取りした信念であって、結論の是非はともかくとして、かかる信念に基づく発言は、演説であって論述ではない。
1210) 診断基準の適用の是非以前の問題として、診断そのものにおいて、「その被告人」に着目するのか、それとも「その被告人の本件窃盗」に着目するのか、さらには「本件窃盗とは何を指すか」という微妙な問題があるが、ここではそこには踏み込まず「その被告人は」として論を進める。
1220) 1210)の3点のうち、最後の「本件窃盗とは何を指すか」については、「公訴事実を指す」のが当然であって疑問の余地はないとも感じられるが、窃盗症の犯行の多くは複数の商品の窃盗であり、個々の商品について、それを手に取るときや取ったときの主観的体験・客観的態様が異なる場合がしばしばあるので、そう単純な話にはならない。このような場合について、個別の行為ではなく行為全体に着目すべきであるとした判例が存在する1230)1240)。窃盗症の診断という医学的な観点からはこの判示は正しいが、法的な判断という観点からは異論もありうると思われる。
1230) クレプトマニアであるか否かの判断は,ある特定の人物について行うものであり,その者の個別の行為について行うものではないから,その者に複数の万引き行為がある場合には,その行為全体について,これを一団として観察すべきであって,個々の行為について観察を行うものではない1240)。
1240) 長野地方裁判所上田支部 平成25年2月18日判決
1250) 精神医学における研究用の診断基準は、研究対象の明確化を最優先として作成されている。精神障害の本質は、「診断基準を活用した研究によって到達すべきもの」であって、「診断基準に示されているもの」ではない。
1260) しかも学生の正答率はほぼ100%である。
1270) 「信頼性reliabilityとは「一貫した結果が得られる」ことを指し、妥当性validityとは「正しい結果が得られる」ことを指す(118)」は極限まで単純化した説明である。
1280)
1290)
1300)
1310)
1320) 対象が明確化されなければ議論自体に意味が乏しくなり、時には全く無意味にさえなるのは、研究という場面に限ったことではない。精神疾患の診断の多くは、現代においては、原因に基づくものではなく(原因に基づく診断とは、たとえば「新型コロナウィルス感染症」で、この診断名にはそれ自体に原因が含まれている。医療が原因療法を目指すものであり、医学がそれを支えるものであるとすれば、診断は原因に基づかなければならない)、観察可能な症状に基づくものが大部分である。それはすなわち「診断の不存在」といった状況である。たとえば統合失調症については次のように指摘することができる1330):
診断の不存在
統合失調症においては、真の意味での「診断」というものは存在しない。「我々はこれを統合失調症と呼ぶ」という「宣言」があるだけである。この認識を欠くと不毛な議論が延々と繰り返されることになる。曰く、投薬を中止しても再発しないから統合失調症ではない。曰く、陰性症状がないから統合失調症ではない。曰く、幻聴の存在が不明確だから統合失調症ではない。曰く、疏通性が良好だから統合失調症ではない。曰く、DSM-5の基準を満たさないから統合失調症ではない。曰く、プレコックス感がないから統合失調症ではない。曰く、ドーパミンD2受容体数が正常だから統合失調症ではない。などなど。この種の議論には終わりがない。終わりがなくても有意義な議論はもちろんあるが、統合失調症の診断にかかわる限りにおいては、終わりがないだけでなく、意味がない。なぜならこれは診断についての議論ではなく、宣言についての議論だからである。統合失調症という各自の持つ概念の宣言を主張しあっているだけだからである。
そんなカオスの中で唯一意味があるのは、「DSM-5の基準を満たさないから統合失調症ではない」という主張だけである。DSM-5は宣言であることを旗幟鮮明に明言している。APAが定めた基準を統合失調症と呼ぶと宣言している。それが統合失調症の本質であるなどとは言っていない。ただ取り決めとして統合失調症の基準を定めているのであって、それ以上でもそれ以下でもない。DSM-5は、診断という欺瞞を豪腕で収束させた、現代精神医学の金字塔である。
DSM-5についての最大の批判は、信頼性はあっても妥当性がないというものである。信頼性とは評価者間で判断が一致すること、妥当性とは診断の本質と一致することを指す。だがそもそも統合失調症の診断についての妥当性というものはどこにも存在しない。あるのは宣言についての妥当性だけである。ある宣言に適合するか否かという観点からの妥当性があるだけである。妥当性がないなどという批判に、DSMは耳を貸す必要はない。もちろんDSMは完成された体系ではなく、限界は多々ある。だがDSMの限界は現代精神医学の限界なのである。「限界」という言葉には不十分であるという印象が充満しているが、精神医学に限らずいかなる医学も、そして科学も、常に発展途上なのであるから、限界に位置するということはすなわち、最先端に位置するということである。
上記引用中の「DSM-5は、診断という欺瞞を豪腕で収束させた、現代精神医学の金字塔である」はもちろん一種の逆説である。書籍本文1330)ではこの後に症状論を述べる場合にDSM-5はほとんど役に立たないことを指摘している。
1330) 村松太郎 『統合失調症当事者の症状論』 中外医学社 2021
1340)
1350) Feigner JP et al: Diagnostic criteria for use in psychiatric research. Archives of General Psychiatry 26: 57-63, 1973.
1360)
1370) 北村俊則: 操作的診断基準と疾病分類の功罪 過去・現在・未来. 精神医学63: 437-442, 2021.
1380) 江川純他: 精神科疾患の診断をめぐる諸問題 精神科医327名のアンケート調査から. 精神医学52: 891-898, 2010.
1390) 白川治: 操作的診断に足りないものとは何か 求められる病の深さへの着目. 精神医学60: 1245-1251, 2018.
1400) 臺弘: 三つの治療法. 精神科治療学5: 1573-1577, 1990.
1410) 古茶大樹: 伝統的精神医学とDSM --- 共通点、違い、診断、長所と短所. 精神神経学雑誌 119: 837-844, 2017.
1420) 豊嶋良一: 「了解可能/不能感」と「生物学的正常/異常」の対応関係についての試論. 精神神経学雑誌119: 827-834, 2017.
1430) 倉知正佳: 精神医学における症候学的診断基準の意義. 生物学的精神医学の立場から(特集 操作的診断基準の有用性と限界をめぐる今日的問題) 精神医学48: 714-716, 2006.
1440)
1450)
1460)
1470) したがって、操作的診断基準に収載されていない診断名、たとえば「敏感関係妄想」「非定型精神病」「パラノイア」「接触欠損パラノイド」などは、精神鑑定の第一段階においては用いるべきではない。なぜなら、それらの診断名は、精神医学的には大いに意味があり、また、被告人の病態、ひいては犯行との関係を論ずる場合には非常に有用なことは多々あるが、本文122に記した通り、精神鑑定は「争われる」という性質上、信頼性reliabilityが高い診断名を下すことが第一段階として求められるからである。(但し、第二段階になれば話は別である。本文143 図10の通り)
1480) 診断の信頼性reliabilityが最も重視されるのは、あくまでも精神鑑定の第一段階においてである。すなわち操作的診断基準による診断が重視されるのは第一段階に限定される。精神障害の犯行への影響など、精神鑑定で最も重要な部分については、操作的診断基準は無力に近いとさえ言いうる。第二段階においては伝統診断(たとえば上の1470)にあげた敏感関係妄想、非定型精神病、パラノイア、接触欠損パラノイドなど)に言及することが有意義な場合もある。したがって精神鑑定では本文143 図10に示した手順が推奨される。
1490) Kleptomania occurs about 4%-24% of individuals arrested for shoplifting1500).
1500) American Psychiatric Association: Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders. 5th Edition. 2013. p.478.
1510)
1520)
1530) 但し窃盗症の可能性が全くないような被告人について弁護人が窃盗症であると主張する場合があり、その場合は診断基準に全く合致しないという検察官の主張が至当ということになろう。
1540) 東京地方裁判所 平成29年3月3日判決
1550)
1560) 松戸簡易裁判所 平成27年11月25日判決
1570) 判決書1560)からの引用文中、「検察官は,被告人は,精神障害に関する広く承認された診断基準であるICD-10やDSM-5 におけるクレプトマニアの診断基準を満たさないとして」 の原文は 「検察官は,被告人は,精神障害に関する広く承認された診断基準であるICD-10やDSM-5 におけるクレプトマニア(病的窃盗ないし窃盗症と訳されるが,その概念は必ずしも医師によって一定していないように思われるので,以下においては,ICD-10やDSM-5に示されたものをクレプトマニアと呼ぶこととする。)の診断基準を満たさないとして」であるが、(病的窃盗ないし窃盗症と訳されるが,その概念は必ずしも医師によって一定していないように思われるので,以下においては,ICD-10やDSM-5に示されたものをクレプトマニアと呼ぶこととする。)の部分は129引用の趣旨とは無関係で、かつ、129の理解において混乱を招く記述であるので省略してある。
1580) もっとも、この医学的措置(治療的措置)が必要であるという指摘によって裁判官が、だから何だと言っているかが真の問題ではある。病気であれば医学的措置(治療的措置)が必要であることは当然であるのと同時に、犯罪であれば刑罰が必要であることも当然であろう。たとえば刑法学者の安田拓人は窃盗症者を単なる窃盗の常習者であると位置づけている1590)。治療か刑罰か。このディレンマをどう解決するかが窃盗症における難題であって、「病気だから医学的措置(治療的措置)が必要」と言うだけでは何も言っていないに等しい。
1590) 安田拓人: 責任能力の意義. 法学教室 No.430. pp.20-21. 2016. 1580)で言及した部分の原文は次の通り:
アメリカ精神医学会の『DSM-5』や世界保健機関の『ICD-10』では、古典的なシュナイダー流の精神医学説では病気と考えられてこなかったような障害が精神障害としてリストアップされている。その中には、窃盗症/病的 窃盗のように一定の犯罪行為を反復したことが当該障害の要件となっている場合が あるが、これは刑法の立場からみれば、単なる犯罪者であることを示すにすぎない のであり、むしろ刑法は、窃盗を繰り返す者については、再犯加重規定のほか常習 累犯窃盗のような加重類型を設け、厳しく対応することを予定している。
1600) 長野地方裁判所上田支部 平成25年2月18日判決
1610) DSM-5のKleptomaniaの診断基準(Criteria for Diagnosis)の基準A(下記)がそれにあたる。
A. 個人的に用いるためでもなく、またはその金銭的価値のためでもなく、物を盗もうとする衝動に抵抗できなくなることが繰り返される。
A. Recurrent failure to resist impulses to steal objects that are not needed for personal use or for their monetary value.
1620) 正当であるといっても、これは窃盗症についての基本中の基本であり、判決書にわざわざ記さなければならないようなものでは本来ない。
1630) Use of DSM-5 to assess the presence of a mental disorder by nonclinical, nonmedical, or otherwise insufficiently trained individuals is not advised.
(この一文はDSM-5の冒頭近く、Cautionary Statement for Forensic Use of DSM-5に記されている重要な記述である)
1640)
1650)
1660) 三國雅彦: 裁判官でも診断できるDSM-Ⅳなどの操作的診断. 精神神経学雑誌 112: 959, 2010.
1670)
1680) JESSEN, Frank, MD. Professor and Director of the Department
UNIKLINIK KÖLN Department of Psychiatry and Psychotherapy. University Hospital of Cologne
1690) 日本の裁判ではDSMの基準を満たすかどうかということが議論されることがあるのだ、と私はProfessor JESSENに説明しようとも思ったのだが、日本の恥をさらすようで言えなかった。この恥は日本の裁判所や法曹の恥ではなく、診断基準というものを法曹に正確に説明していない日本の精神科医の恥と言うべきであろう。
1700)
1710)
1720)
1730)
1740) 第二「摂食障害の表面的重視と実質的無視」は、より正確には「摂食障害などの表面的重視と実質的無視」である。被告人の有する窃盗症以外の精神障害の影響が論点だからである。だが実際は大部分の判例では摂食障害の影響が論じられているので、シンプルに「摂食障害の」とした。
1750) 東京地方裁判所 平成29年3月3日判決
1760) 1740)に前述の通り、厳密には摂食障害「など」である。
1770) 「いかにも納得されやすい説明」は、司法の場面では「説得的な説明」として称賛されるのが常である。だが説得的なことが正しいことの理由になるのであれば、精神鑑定など不要である。自然科学も不要である。実験による実証も不要である。自然な解釈、説得力ある説明が常に正しいなどとは決して言えないからこそ科学的探究に意味がある。自然な解釈が常に正しいのであれば、太陽が地球のまわりを回っているという判断が正しい。いやそれ以前に、大地は平らであるという判断が正しい。地球が丸かったら人は滑り落ちてしまうではないか。
1780) 確証バイアスconfirmation biasとは、仮説や信念を検証する際に、自分がすでにもっている仮説などに適合する情報ばかりに目を向け、反証する情報を無視または集めようとしないことを指す。確証バイアスは人間の持つ認知バイアスの一つで、認知心理学や社会心理学ではよく知られているごく基本的な概念である。精神科医が「窃盗症は窃盗を繰り返す人をただそう呼んでいるだけ」などと述べるのはまさにその典型で、窃盗症は精神医学においては統合失調症よりさらに古い歴史を持つ精神障害である(『窃盗症論2』の「起」参照)ことを知ればそのような妄言が出てくるはずはないのであるが、個人的な先入観または信念が、窃盗症についての精神医学的知見を無視して自己流の見解を述べるという結果を生んでいる。それを受けて裁判官が窃盗症を検討から除外するのも確証バイアスの一つであると言えよう。窃盗症関連に限らず、判決書にはしばしば確証バイアスに基づくと思われる論述が見出されるものである。これは証拠の採用・不採用や信用性の判断が裁判官の裁量に任されていることによる必然的な帰結であり、裁判官は当然にこの確証バイアスには十分な注意を払っているはずだが、とてもそういう注意を払っているとは思えない判示が存在するのもまた事実である。そして判決書は、採用された証拠のみに基づいて構成されており、採用されなかった証拠については不採用の理由がごく簡単に記されているかまたは全く記されていないものであるから、結局のところ判決書だけをいくら精読しても裁判所の判断が正しいかどうかを知ることは困難である。不可能と言ってもよい。判決書というデータに基づいて論ずることができるのは、裁判所が採用した証拠に基づいて裁判所が行った論考の正否のみであって、多くの判例研究はそのような形式を取っているから、真実探究の作業としてはかなりの限界があると言わざるを得ない。
1790) 大阪高裁 昭和59年3月27日判決
1800)
1810)
1820) 新潟地裁 平成27年4月15日判決
1830)
1840) 大阪地裁岸和田支部 平成28年4月25日判決
1850)
1860)
1870)
1880)
1890)かくして中谷の言う「司法精神医学の離れ小島」1900) 現象が発生することになる。判決書の記載の中にもそれを垣間見ることができるものがある1910)1920)。
1900) 中谷陽二: 司法精神医学と社会. 第16回日本司法精神医学会大会 教育講演 鹿児島 2020.
1910)
1920)
1930) これも典型的な確証バイアスであり、また、「司法精神医学の離れ小島」1900) 現象を発生させている。
1940) どちらが原因でどちらが結果かは不詳である。すなわち、裁判所が窃盗症を無視する姿勢を示していることで、検察官も弁護人も鑑定人もそれにあわせた主張をしてきたとみることもできる。それは裁判への協力と呼ぶか、迎合と呼ぶかは難しいところであるが、少なくとも鑑定人が裁判所の姿勢にあわせた主張をした場合は迎合と呼ばなければならないであろう。
1950)
1960) さいたま地方裁判所 平成25年11月6日判決
1970) 東京高等裁判所 平成26年3月19日判決
1980) 行橋簡易裁判所 平成27年7月7日判決
1990) 「ストレスですね」にハズレなし2000)2010)。
2000)
2010)
2020) 盛岡簡易裁判所 平成27年1月9日判決
2030) さいたま地方裁判所川越支部 平成25年3月22日判決
2040) そのような事態を回避させるのは鑑定医の責務である。取調べが誘導によって引き出された供述に基づく作文になるのは、取調べという作業の性質上やむを得ない面もあるから、必ずしも強い批判にはあたらない。裁判所は証拠のみに基づいて論考するのがルールであるから、法廷に出されていない記録まで遡って検討する義務はない。すると裁判所が事実に基づいて正確な判示をするためには、確証バイアスに囚われない精密な診察・調査による精神鑑定が裁判所に提出されなければならない。
2050) 東京高裁 平成22年10月28日判決
2060)
2070) 林大悟(2019).クレプトマニアの刑事責任能力 一橋大学大学院 法学研究科 法学・国際関係専攻 修士論文(未公刊)
2080)
2090) 東京高裁 令和2年11月25日判決
2100)=2050) 東京高裁 平成22年10月28日判決
2110) 2100)に判示されている「合理的な行動」の具体的内容は次の通り:
本件各犯行の犯行態様や犯行前後の状況等は、上記1(3)に認定したとおり、いったん店舗備付けの買物かごの中に商品を入れ、人目につきにくい場所に移動して自分のバッグの中に移し替える(〔1〕及び〔2〕の犯行)、商品棚から取った商品を手に持ち、別の棚のかげに移動して自分のバッグの中に入れる(〔3〕の犯行)というように、違法な行為であることを十分に認識し、発覚を回避するための注意を払い、保安員や店員に声を掛けられるとすぐに犯行を認め、土下座をするなどして謝罪して宥しを乞うという行動を取っていることからすると、被告人がいずれの犯行時においても自分の置かれている状況を正しく認識し、万引きする場所や商品を選択し、犯行の発覚を防止する、あるいは相手の宥恕を得るための合理的な行動をとっていると評価することができる。
2120) さいたま地方裁判所 平成25年11月6日判決
2130) 2120)に判示されている「合理的な行動」の具体的内容は次の通り:
その態様も,周囲から見てバッグの中に商品を入れたことが分かりにくいように買い物カゴとバッグを持ちつつ,右側に客がいる場面でその客から見えないようにバッグの中に商品を入れるなど状況に応じた対応が相応にできていて,一部商品を会計するなどして正規の客を装っていて,盗み取ろうとする犯人の行為として合理的かつ合目的的なものといえる。
2140) 大阪高等裁判所 平成26年7月8日判決
2150) 2140)に判示されている「合理的な行動」の具体的内容は次の通り:
本件犯行の際も,それぞれに被告人が必要とする商品を買い物カゴに次々と入れた上,買い物カゴを積んだカートを押しながらレジ横の通路を通ってサッカー台まで行き,既に精算が済んでいるかのように装って商品を自己が持参した4袋ものエコバッグに余すところなく入れて店外に出ている上,警備員から声を掛けられるや,代金を支払う旨申し出てその場を逃れようとするなど,商品獲得という万引きの目的実現に向けた合理的な行動を取っていることが認められる。
2160) 東京高裁 令和4年12月13日判決
2170) 行橋簡易裁判所 平成27年7月7日判決
2180) 2170)に判示されている「合理的な行動」の具体的内容は次の通り:
本件犯行時,周囲に人がいないことを確認してから本件犯行に着手し,その後,通常の買物客を装って,買い物かごに入れた商品だけレジで精算していること,[・・・] 被告人は,本件犯行時,被告人なりに考え,状況を判断しながら目的に沿った行動,すなわち商品獲得という万引きの目的実現に向けた合理的な行動をとっていることが認められる。
2190) 東京高等裁判所 平成26年3月19日判決
2200) 東京高裁 平成25年11月1日判決
2210) 名古屋地方裁判所 令和2年2月17日判決
2220) 200 引用部分の中略部分を含めた全文は次の通り:
被告人は,犯行当時約6万円もの現金を所持し,逮捕等のリスクがあることを理解していながら,食料品24点(販売価格2592円)を大胆な手口で万引きしているところ,このような大きなリスクを冒す行動をとることは,通常人の感覚からして常軌を逸しており,理解し難い。被告人が本件犯行に及んだ経緯や動機形成の過程には,神経性過食症及び窃盗症により衝動性が高まった状態にあったことが大きく影響していたことが明らかである。 もっとも,被告人は,種々ある商品のなかから食料品のみ24点を選んで万引きしたのであり,万引きの衝動をそれなりにコントロールできていたといえる。また,被告人が,一旦かごの中に入れた商品を,かごの中で,持参したレジ袋に移し替えたり,退店する際に後ろを気にするように一,二度振り返ったりし,店舗を出たところで警備員に声をかけられると,無言で後ずさりするなどしたことによれば,被告人は,人の目につく場所で商品をレジ袋に移し替えるなど稚拙な点はあるものの,犯行が発覚すれば捕まる可能性があること,すなわち自身の行為の意味及びその違法性を理解した上で,犯行が発覚しそうであれば犯行を中止しようとの意識のもと,被告人なりに,周囲の状況に応じて,犯行が発覚しないよう注意を払いつつ行動していたといえる。
この点,i医師は,被告人の記憶が部分的に欠損し,あるいは「ふわふわした」状況にあった時点においては,被告人は,自身の行為の意味やその違法性について十分に理解し,検討できていなかった可能性があると指摘する。しかし,被告人が上記のように概ね合理的行動をとっていることを踏まえると,そのような可能性があるとしても本件犯行への影響は限定的であり,責任能力の判断を左右するものではないと認められる。 以上によれば,被告人は,犯行に至る経緯や動機の形成過程において,窃盗症及び神経性過食症の影響を強く受けていたものの,自身の行為の意味及びその違法性を理解するとともに,神経性過食症や窃盗症からくる衝動をそれなりにコントロールして行動しており,事理弁識能力及び行動制御能力が喪失し又は著しく減退していたとは認められない。よって,被告人は,本件当時,完全責任能力を有していたと認められる。
2230) 大阪地裁岸和田支部 平成28年4月25日判決
2240) 判決書2230)から、鑑定人・弁護人の説明・主張と、それに対する裁判所の回答を、若干のコメントとともに示す:
3 精神症状の影響について
(1)本件当時の被告人にみられる逸脱状況等を考慮し検討すると,以下のとおりとなる。
ア(動機の了解可能性)
被告人は,本件時の自己の行動について,自分が食べたい食品,家族に食べさせたいと思う食品,自宅に不足していると思う日用品等を買物かごに入れていくうち,所持金では買えないと思ったが,それでも欲しいと思い,気がすむくらい買物かごいっぱいに商品を入れ,幸せな気分になった旨を述べているが,このときの被告人の行為動機は,被害品の効用や取得目的に即した入手欲求であり,その限りでは了解可能である(弁護人は,被告人が刑罰を受けた経験,立場からすると,万引きにより得られる利益に比し,万引きが見つかって逮捕される場合のリスクがはるかに高く,被告人の行動は了解不能であるというが,当時の被告人は,店員に見つからないよう万引きしようとしており,万引きが見つかった場合の不利益などは,それほど意識しなかったと考えられるから,弁護人主張のようにいうことはできない)。
「その限りでは」という留保付きであればおよそいかなることも了解可能になるので、「その限りでは了解可能である」という判示は、強く言えば無意味、控えめに言えば腰の引けた表現である。それはまだいいとしても、弁護人の指摘であるところの「万引きにより得られる利益に比し,万引きが見つかって逮捕される場合のリスクがはるかに高く,被告人の行動は了解不能である」に対して、「店員に見つからないよう万引きしようとして」いることを理由に「万引きが見つかった場合の不利益などは,それほど意識しなかったと考えられる」とは一体何を言っているのか。「店員に見つからないよう万引きしようとして」いるのであれば、「万引きが見つかった場合の不利益」を意識していたということになるのは明らかであるから、これは論理が真逆である。この裁判所は大丈夫だろうかと心配したくなるが、とりあえずその心配は封印して次に進んでみよう。
しかし,被告人は,経済的に困窮していたわけでもなく,一度に90点以上もの大量の食料品等を,食べきれずに捨ててしまうことになるのもかまわず,自宅の冷蔵庫に溜め込もうとして万引き窃取したのであり,このような被告人の行動は,通常人の感覚からは明らかに常軌を逸しており,動機に了解困難な面があることは否定できない。
「万引きすることによる不利益の看過」を否定した裁判所であるが、「不要なものを大量に万引きした」ことの異常性は認定し、動機に了解困難な面があることは認めている。
イ(犯行の計画性,犯行の合目的性,一貫性)
被告人は,一人で店に入ったら万引きするかもしれないと不安を抱きながら入店した旨を述べ,犯行に際しては,店のマークの入ったレジ袋を買物かごの商品の上に置いて店外に出ているが,あらかじめこのようなレジ袋を持参して入店している点からすると,被告人は,万引きをする場合の備えをしていたとみられるのであり,被告人に窃盗遂行のための計画性がなかったとはいえない。
それが「窃盗遂行のための計画性」ありと言えるかどうかはかなり疑問であるが、計画性の否定まではできないとは言える。
また,被告人は,レジ袋を置いて精算をすませたかのように装ったほか,店外に出るときに,カートを押す速度を速め,周囲の様子を気にするなど,犯行実現に向けて工夫し配慮した行動を取っており,もし店員や保安員に見つかることが確実であれば,犯行を思い止まったであろうことも窺われるのであって,被告人は,窃盗の犯行の遂行実現に向けて自らの行為を相応に制御しつつ行動していた,とみることができる。
これは本稿ですでに何度も歩いてきた道で、「窃盗の犯行の遂行実現に向けて自らの行為を相応に制御しつつ行動していた」ことは、窃盗症の衝動制御能力障害の強さをいささかも否定するものではない。
以上の諸点は,鑑定医師も指摘しており,被告人における万引きは本件犯行を含め,盗みに行く予定の店のレジ袋をあらかじめ用意しているなど,一定の計画性を帯びているのは間違いなく,しかも,目的を達成するために万引きの仕方にも工夫が加えられており,抑止力の不足による(典型的な)衝動制御の障害としては(本件犯行を)説明することは難しい,とする。
その説明は医学的には明白な誤りであるが、これは鑑定医の説明を裁判官が引用したものにすぎないから、鑑定医が本当にそのように説明したかどうかは不明であるし疑問である。もちろんこれに近い説明はしたのであろうが、この引用が鑑定医の真意を反映するものになっているかどうかは不明であるし疑問である。私もこれまでに何度となく、鑑定書の記述や法廷での証言が歪曲された形で判決書に記されたことを経験している。
もっとも,その上で,鑑定医師は,本件行為当時,被告人には,食品の溜め込みとそのための万引きは一体となって,被告人の生活を支配する激しい欲求になっており,(被告人が保護司に話したような)万引きをしないよう抑止の試みをしてはいるものの,最初の執行猶予判決から再度の執行猶予判決を経て本件に至るまで,被告人の溜め込み行動を促す欲求の激しさは,はるかにそうした抑止の試みを上回り,しかも,いったん万引きが開始されると,圧倒的な快感のため適度に切り上げるのは極めて困難であった,とする。
これは医学的に正しい説明であり、すると、前記「衝動制御の障害としては(本件犯行を)説明することは難しい」が鑑定医の真意を反映していないという推定が強化される。
本件犯行が,店内で食料品等の商品を前にして食品の溜め込みとそのための万引きへの衝動・欲求が強くなり敢行されたものであることは否定できないところであり,万引きをするなら使えるだろうと考えてレジ袋を所持したという程度の計画性は,本件がこのような衝動・欲求による犯行であることと矛盾するものではないと考えられる。
先ほどの計画性については、仮にあったとしても大きいものとは評価しないというのが裁判所の結論である。それはそうと興味深いのは「衝動・欲求」という記述が繰り返されていることで、おそらく犯行態様が日常用語としての「衝動」によると表現するには違和感があったために、「衝動・欲求」という表現を採用したのであろう。
また,犯行の実現に向けてなされた工夫や配慮についても,欲求・衝動に突き動かされてなされたものともいえるのであり,このような犯行実現に向けて一見合目的的で一貫性があるともいえる行動がみられるからといって,衝動・欲求に左右されることなく自らの行動を自由に制御することが可能であったとみることはできない。
「衝動・欲求」「欲求・衝動」という表現の是非はともかくとして、「犯行の実現に向けてなされた工夫や配慮」すなわち犯行態様の合理性を「欲求・衝動に突き動かされてなされたもの」とする論考・結論は医学的に正当である。
すなわちこの判示は、窃盗症の「衝動」の意味を正しく評価した画期的なものであると言いうるが、摂食障害の影響を加重したうえでそのように判断している点が『窃盗症論1』のTL1審および差戻審との違いである。
それはある意味根本的な違いであるが、窃盗症の「衝動」の意味を正しく評価しているというのは注目すべき点である。法が責任能力を構成する2要素の一つとして「行動制御能力」を定めている以上は、「衝動制御症の「衝動」の意味が正しく評価されればその瞬間に、責任能力は「無い」という方向に傾くことになる。TL差戻審は、非論理的な論考によって、あるいは、医学的な衝動制御能力の障害と法的な行動制御能力の障害を(何ら説明することなく)別であるとすることによって、完全責任能力という結論を導いた(『窃盗症論1』の「結」参照)。ではこの平28大阪地裁岸和田支部はどのような論理を展開したか。それが読み取れるのは判決書の次の部分である。そこには3つの事実が指摘されている(丸数字は便宜上村松が付した):
弁護人は,本件行為当時,被告人の行動制御能力はほぼ喪失していたと主張し,鑑定医師も,万引きへの欲求は「生活全体を支配」するほど苛烈な状態となっており,本人の自覚や意志では「制御しえない程度であった」旨等の表現を用いた鑑定主文を記載しているが,前記のとおり,①本件における被告人の万引き窃盗の仕方には,犯行が発覚しないよう工夫と配慮が加えられており,なりふり構わず衆人環視下でなされた典型的な抑止力不足による衝動制御障害の万引き窃盗ではないこと,事前に店員や保安員に犯行の発覚することが確実であれば,被告人も犯行を断念したと考えられ,その限りでは自己の行動を制御する能力が残っていたとみられること,鑑定医師は,万引きへの欲求が被告人の「生活全体を支配」するほどのものであったとするが,生活全体に「影響」はあるものの,②食行動や万引き以外には被告人の日常生活に大きな問題はみられないことから,「支配」との表現は誇張に過ぎること,被告人の本件万引き窃盗に③人格的な異質性をみることは困難であること,などに照らすと,本件行為当時,被告人の行動制御能力が喪失していたとまでみることはできない。この点をいう弁護人の主張は,採用できない。
①はTL差戻審と同様、犯行態様の合理性をいうものである。本件裁判所は態様の合理性が衝動制御能力障害を否定するものではないことまでは認めているが、それでも態様に合理性が見られる以上は、心神耗弱までは認定できても心神喪失には至らないと判断しているのである。
②は不合理であろう。責任能力は犯行時のものであって、障害が犯行時以外の生活全体を「支配」していたかどうかは、犯行時の障害の状態を推定するための副次的な要素にすぎない。そもそも窃盗症は窃盗という行為に特化した衝動制御の障害なのであるから、窃盗以外の場面に障害が顕在化するはずがない。もっとも本件裁判所は、犯行への影響を窃盗症に限定せず、摂食障害・広汎性発達障害に認めていることからすると、障害の犯行への影響の強度の判断基準として日常生活への影響を重視することが不合理とは言えない。すなわち窃盗症以外の障害の影響を加重している点は、やはりTLとは根本的な違いなのである。
③は人格の認定というきわめて微妙な論になるので、ここではその正否に立ち入ることは避けるが、「人格的な異質性をみることは困難」という裁判所の認定をとりあえず受け入れるとすれば、心神喪失を否定する一要素としては有効というべきかもしれない。
このようにして心神喪失は否定されたが、心神耗弱が次の通り認定されている:
被告人は広汎性発達障害の影響下において摂食障害,盗癖にり患した状態にあり,これによる食料品の溜め込みと万引きへの欲求は,その生活全体に影響を及ぼすほど激しいものになっていた,とみることができる。本件行為当時も,被告人が善悪を判断する事理弁識能力について影響はなかったにしても,善悪の判断に基づいて衝動・欲求を抑える行動制御能力については,深刻な影響を受けており,喪失していたとはいえないが,著しく減退していたとの合理的疑いは払拭できない,というべきである。
本件は平成の時代における窃盗症関連の裁判中、例外的に心神耗弱が認定された2例のうちの1例であるが、同認定に至ったのは、上の通り、鑑定人と弁護人による被告人の衝動制御能力についてのかなり正確な説明・主張を受けた裁判所が、心神耗弱までは認めざるを得なかったとみるのが妥当であろう。もちろんこの結果は鑑定人と弁護人の正確な説明・主張があっただけでは不十分で、裁判所がそれらを真摯かつ公正中立的に検討したことによって導かれたものである。(「心神耗弱までは認めざるを得なかった」という表現は、本件裁判所が心神喪失を否定できるとして述べる論拠が手弱いことから選択した)
2250)高知地方裁判所 平成31年1月24日判決
2260) 判決書中、「行動制御能力あり」という方向の判断に傾ける事情とされている記述は次の通り2250):
行動制御能力について検討すると,これについては,被告人を診察するなどした医師らは,一致して,被告人の病的窃盗等の障害が,窃盗への衝動を強くさせ,抑制を低下させたことを指摘しており,その程度についても,決して小さなものとは判断していない。
本件各窃盗の態様をみても,前述したとおり,次々と商品を所携のバッグ内に隠匿する手法は,大胆というより,衝動性の制御に困難を来した状態の下で,バッグが変形して窃取した商品の一部がその口から見えるほどになるまで犯行を続けたものとみることができ,行動制御能力の低下の程度は相当に大きなものであるとみる余地がある。
判決書中、常習累犯窃盗を否定する記述中も、「行動制御能力あり」という方向の判断に傾ける事情であるとみることができる。次の通り2250):
3 常習性についての検討
(1)前記のとおり,被告人は,10件を超える窃盗又は常習累犯窃盗の前科・前歴を有し,そのほとんどが本件と同種の万引窃盗事案である。そして,被告人は,公判廷において,前刑執行終了時から本件第1窃盗までの間も,窃盗を繰り返していた旨を述べている。
また,被告人自身が認めるところによれば,初めて窃盗に及んだのは小学校高学年のときであり,小学6年生の頃には日常的に万引きを繰り返し,その後,中学生の頃に一時万引きが収まった時期を除いて,日常的に万引きを行い,少年院への入院や服役を繰り返してきたというのである。
以上によれば,被告人には,窃盗の反復累行又はその性格的素質によって,新たな窃盗への人格的ないし性格的な傾向若しくは意思傾向,すなわち,窃盗を反復累行する習癖があり,本件各犯行においても,それが発現したものであると推認されないでもない。
(2)しかしながら,他方で,被告人を診察するなどした医師らは,自閉症スペクトラム障害についてはともかく,そのいずれもが,本件各窃盗について,窃盗症等の影響により窃盗の衝動が高まり,行動制御能力が低下したことによるものであることを指摘する。
そして,本件各窃盗を仔細にみると,本件第1窃盗においては,次々と商品を手提げバッグ内等に隠匿するという態様の大胆さが指摘できる一方で,被告人は,商品を詰め込むことによって同バッグの外観が変形することを気に留めることもなく,窃取した商品の一部がバッグの口から見えるほどになるまで多くの商品を窃取したものであり,その態様は,大胆さを超えてむしろ稚拙で,些か異常ともいい得る。また,本件第2窃盗においても,被告人の供述によれば,他店で万引きした商品を入れたバッグに,更に商品を詰め込んだというのであり,犯行を見咎めた警備員が被告人を注視するに至った契機が前記バッグに入店時より明らかに膨れる変化があったことであることをも併せ考慮すると,犯行の態様は,これまた稚拙で,些か異常といい得る。
要するに,本件各窃盗の態様は,窃盗を反復累行した経験により,窃盗に対する規範意識が希薄となり,あるいは,性格的素質に基づき窃盗に対する規範意識が希薄で,窃盗の態様が大胆になったというよりは,むしろ精神状態が不安定となり,衝動性の制御に困難を来し,そうした状況下で甚だ稚拙な犯行に及んだものとみる方が妥当なように思われるのである。
(3)以上の検討によれば,本件各窃盗は,被告人の人格的ないし性格的な傾向若しくは意思傾向,すなわち窃盗を反復累行する習癖が発現して敢行されたものというより,むしろ,窃盗症という精神疾患や,多動性障害等,矯正教育による矯正のみによっては改善のできない障害による影響の下に敢行されたものとみる方が適切であり,これを覆すに足る証拠はない。
2270) 判決書中、「行動制御能力なし」という方向の判断に傾ける事情とされている記述は次の通り2250):
もっとも,本件各窃盗の被害品は,いずれも日用品であり,被告人は,自身や家族が使用できるものを選択して窃盗を行っていることが窺われる。本件第1窃盗の被害品である葉酸のサプリメントは,当時妊娠中であった被告人にとって有益なものであるし,本件第2窃盗では,子供用のものを含むハブラシなどを窃取しており,いずれも犯行当時の被告人にとって必要性を肯定できるものである。少なくとも,対象の選別をすることもなく,手当たり次第に盗むというような態様で窃盗に及んでいるのではない。
また,本件各窃盗の態様は,前記のとおり,バッグの変形を気にすることなく次々と商品を隠匿するなどというもので,稚拙で些か異常ともいえるものであるが,被告人は,本件第1窃盗において,店員や他の客の見ていない状況で隠匿行為を行っており,犯行を見咎められることもなくその場を立ち去ることができているし,本件第2窃盗においては,同様に店員等の見ていない状況での窃盗を敢行したほか,ポテトチップス1袋については精算をし,買い物客を装うなど,窃盗完遂に向けた合目的な行動をとることもできている。
被告人自身,当公判廷において,万引きを中断されないためという理由を述べるものではあるものの,窃盗が発覚して捕まることを避けるために周囲を気にして万引きを実行したことを認める旨の供述をしており,要するに店員や買い物客等に見られて犯行が発覚してしまうような状況下では,窃盗行為を思いとどまることもできているのである。
2280)高松高等裁判所 令和元年10月31日判決
2290)高松高裁は、1審を覆し常習累犯窃盗が成立するとした。判決書中、その論拠としている記述は次の通り2280):
(1)常習性について
まず,原判決が被告人の前科前歴関係や本件各窃盗の状況について認定した事実には誤りがなく,これらの事実に基づいて,被告人には窃盗を反復累行する習癖があり,本件各窃盗においても,それが発現したものと推認されるとしたことにも誤りはない。また,被告人が本件窃盗(1)において,バッグの口から見えるほど多くの商品を窃取して詰め込んだことや,本件窃盗(2)において,バッグが入店時よりも明らかに膨れるまで商品を窃取して詰め込んだことを稚拙でいささか異常と評価し,これらが被告人の窃盗症の精神障害により衝動性の制御に困難を来したことによるものとした点も,論理則,経験則等に照らして誤りがあるとまではいえない。しかし,この点を前記推認を覆す事情として,本件各窃盗が,窃盗を反復累行する被告人の習癖が発現したものではないとした原判決の認定は,論理則,経験則等に照らして不合理なものというべきである。
すなわち,原判決は,被告人の責任能力の判断において,本件各窃盗が被告人の窃盗症等の精神障害に影響を受けたものであることを認めつつ,被害品の選択が合理的であること,店員等が見ていない状況で本件各窃盗を行い,本件窃盗(2)においては,一部の商品を精算するなど,窃盗の完遂に向けた合理的な行動をとっていることなどを理由に,被告人の精神障害による行動制御能力の低下は著しい程度までには至っていなかったと判断しているのであって,これらの認定,判断は相当として是認することができる。
そうすると,本件各窃盗は,精神障害の影響を受けつつも被告人の本来の人格によって行われたものということができるから,原判決が指摘する事情は,本件各窃盗が反復累行する被告人の習癖の発現によって行われたという前記の推認を左右する事情であるとはいえない。関係証拠を検討しても,他に,この推認を左右する事情はないから,本件各窃盗は被告人が常習として犯したものと認められ,被告人には常習累犯窃盗罪が成立する。
弁護人の所論は,被告人は,多動性障害や窃盗症のみならず,境界知能や自閉症スペクトラム障害の影響により,通常であれば行動を抑制するように機能するはずの規範意識を働かせることができない状態となって窃盗に及んでしまうのであり,これらの精神障害は,被告人の人格的ないし性格的な傾向でも意思傾向でもないから,被告人の同種の前科,前歴をもって,窃盗に対する習癖が形成されたと評価することは誤りであると主張する。しかし,関係証拠によれば,被告人について,境界知能や多動性障害等の背景があるにせよ,これまでストレスがたまると万引きをするという行動を繰り返したことにより,平素の人格として窃盗を反復累行する習癖が形成されたと認められるのであり,この習癖が被告人の人格とは全く別の精神障害の影響によるものであるとはいえない。弁護人の所論は理由がない。
この他,弁護人の所論の指摘を検討しても,常習性を認めた当裁判所の認定を左右する事情はない。
2300) 東京地裁立川支部 令和4年3月22日判決 (データベース未収載)
2310)
2320)
2330)= 1560) 松戸簡易裁判所 平成27年11月25日判決
2340) さらに判示は次のように続いている:
被告人のように違法性を認識している者や違法性を認識できる状況にある者は,法によって違法行為に出ないよう求められているのであって,それにもかかわらず違法行為に出た場合に,自己の違法行為の欲求以外の特段の事情がない限り,規範意識の欠如ないし不十分さ故にこれを刑事罰の対象外とし,あるいは刑事責任を軽減する事由とすることはできないというべきである。
判示のこの部分は一般論を言っているにすぎない。一般論をそのまま適用することができないから窃盗症は病的なのである。但し、一般論をあえて適用して犯行を非難するという立場が必ずしも誤りとは言えない。この点については『窃盗症論2』の「結」で論ずる。
2350) STATE of Maine v. Collin R. GIROUX. Docket Nos. Ken-13-577, Ken-13-581.
Supreme Judicial Court of Maine.
Argued: Feb 10, 2015. Decided: March 17, 2015.
2360) 本件についてはlegal digestがpublishされている:
Holinka C, Cipriano T: Re-evaluating the Volitional Test for Criminal Responsibility.
Journal of American Academy of Psychiatry and the Law. 44: 126-128, 2016.
2370) 引用部分の前後を含めた全文は次の通り:
Giroux’s argument fails because positive legislative action and our precedent make clear that a person may have the required intent to commit a crime even if he suffers from a compulsion to perform the prohibited act.
2380) He asserts that he is innocent of criminal conduct, however, because his kleptomania prevented him from acting with the requisite intent.
2390) Giroux’s assertion that because of kleptomania he was unable to stop stealing goes directly to the volitional test2340). The volitional test was repealed in 1986, however, reflecting a conscious decision by the Legislature to reject the defense that Giroux advances.
2400) Volitional testとは、if the defendant “lacked substantial capacity to conform his conduct to the requirements of the law” を指す。これに対しCognitive test とは if the defendant “lacked substantial capacity to appreciate the wrongfulness of his conduct” を指す。Cognitive testは我が国の弁識能力に、Volitional test は我が国の制御能力に、おおむね対応するということができる。
2410) 大阪高等裁判所 平成26年10月21日判決
2420) 206 引用部分の前後を含めた全文は次の通り:
被告人が自己の行為の内容及びその違法性を十分に認識していたことが認められるとともに,特にレジの様子を観察するなどして,店員の隙をみて窃盗行為に及んでいることからは,被告人が,店員等に発見され検挙されそうであれば窃盗行為を差し控えるという意識に基づいて行動していたこと,言い換えると,正常で合理的な理由によって盗みたいという衝動を制御していたことが認められるのであって,被告人が衝動を制御する能力を相当程度有していたことが認められるというべきである。この点,被告人の行動については,「見付からないようであれば窃盗行為を行う」という一連の行動を制御することが困難な状態であったとみることも可能であるが,仮にそうであるとしても,窃盗行為を決行するかどうかという,最終的で最も重要な決定について自己を制御する能力を有していたことについては,何ら否定されない。また,最終的に犯行に至っているからといって,直ちに衝動制御能力がないなどということができないことは,全ての故意犯において同様のことが認められることからして明らかである。
2430) その「意思」が「正常な精神機能に基づく意思」であったかどうかは別の話である。この点についての検討がなされないままに、「意思」ないしは「主体的な意思」を論ずる判示が非常に多いのが近年の我が国の刑事裁判の実情である。
2440)誰も本件で「最終的に犯行に至っているから,直ちに衝動制御能力がないのだ」などと言っていない。にもかかわらず裁判所が「最終的に犯行に至っているからといって,直ちに衝動制御能力がないなどということができない」と判決書に記しているのは、「普遍的に正しい」ことを記述することで、判決の論理が正しいと印象づける効果を狙ったものであろう。判決書の一部にはしばしばこうした姑息とも言える記述が見られるものである。
2450) 「最終的には自分の意思によって行った」(という普遍的に正しい)ことを掲げて結論を導く論法は近年の重大事件の判示にしばしば認められている。これについて中谷陽二は「これは精神医学以前の問題かなという気がするのですけれども。何かアクションを起こすわけでしょう? アクションを起こすからには何かしら意思があるわけです。その意思が本人の意思だ、だからこれは有責だと言われてしまうと、39条は完全に空洞化だと思います。」と述べている2450)。
2460) 座談会 『責任能力の過去・現在・未来』(パネリスト: 浅田和茂、五十嵐禎人、田口寿子、竹川俊也、中谷陽二、箭野章五郎; 司会: 安田拓人、村松太郎) 法と精神医療学会 第36号 1-73 2022
2470) 東京高裁 平成30年11月2日判決2470)
2480) 2460)判決書全文はデータベースに公開されていない。公開されているのは高等裁判所裁判速報集に掲載された記述のみであり、2490)はそこからの転記である。
2490) 207引用部分の前後を含めた全文は次の通り2470)2480):
確かに,被告人は,本件犯行後に受診したAホスピタルの医師により,クレプトマニア(窃盗症)兼非 定型性摂食障害の診断を受け,原判決後に受診した福島県立B病院の医師によっても,窃盗症,自閉症ス ペクトラム障害,うつ病の診断を受けていることが認められる。 しかし,原審関係証拠によれば,前記執行猶予付き判決を受けた際に,被告人の家族による会議で,万引きを防止するための具体的な方策が相談され,一人で買い物に行かない,外出する時は,家族に行き先を伝える,大きい鞄,ポケットが多い服を着ない,長女が買い物に率先して行くようにする,連絡が取れるように常に携帯電話を持つなどということが決められたところ,本件犯行当日は,長女の仕事が休みで 被告人と一緒に買い物等をする予定であったにもかかわらず,被告人は,特に差し迫った必要があったわけではないのに,夫の靴を買おうと考え,万引きに使用されることを防ぐために押入の中にしまってあった黒色トートバッグを持ち出し,長女に無断で,携帯電話を置いたまま,一人で買い物に出かけたことが認められる。そして,被告人の供述によれば,本件店舗において,自分用の靴下や息子用の長そでシャツを手に取るなどしているうちに,万引きをしたいという気持ちが起こり,それらを黒色トートバッグに入れ,本件犯行に及んだというのである。 このような経緯に照らせば,被告人が計画的に本件犯行に及んだとまでは断じられないとしても,被告人は,これまでの犯歴等から自覚しているべき自らの性向により,前記のようにして出掛ければ,万引きを繰り返す危険性が低くないことを,十分に認識していたはずであるにもかかわらず,特に差し迫った必要もないのに,敢えて,家族との約束に反して,単身で,万引きに使用することが多い黒色トートバッグ を持ち出して,窃盗の対象物が並んでいる店舗に,自分から出向いているものといえる。そこには,万引きを回避しようとする姿勢は認められず,むしろ,自らの意思で自宅を出て,犯行を重ねるという結果を 招いたとみられてもやむを得ない状況にあったものといわざるを得ない。したがって,仮に,本件店舗において万引き行為に及んだ時点では,被告人が,それを自ら思い留まることは容易でない精神状態にあったとしても,そこに至るまでの行動は,被告人の責任に帰せられるものであって,その点に酌むべきところはなく,本件犯行は,全体として被告人の主体的な意思に基づくものに他ならないというべきであるから,窃盗症などの被告人の精神的な特質を踏まえても,被告人について,再度の執行猶予を相当とするような特に酌量すべき事情があるとはいえない,とした原判決の結論は相当というべきである。
2500) 長野地方裁判所上田支部 平成25年2月18日判決
2510) 大コンメンタール刑法第2巻 (第35条〜第44条) 初版 大塚仁・河上和雄・佐藤文哉編 青林書院 1989 217頁 Ⅷ 責任能力[島田仁郎] に次の記載がある:
4 責任能力の存在時期
(1) 責任主義の原理によれば、当然に、行為と責任能力の同時存在の原則に導かれることについては、本章前注Ⅶの1(2)を参照されたい。立法例としては、ドイツ刑法20条のように「行為の遂行に際し」(bei Begehung der Tat)という要件を明示するものが多いが、そのような規定のないわが国の刑法においても、解釈上、行為と責任能力が同時に存在することが実定法上の要件であることについては、学説上ほとんど異論をみないところである(ただし、佐伯「原因において自由なる行為」刑事法講座2巻308頁はこれに疑問を提起する)。
(2) 通説は、この同時存在の原則にいうところの行為とは、「実行行為」を指すものとする(小野・総論107頁、団藤・総論254頁、植松・総論229頁、福田・総論144頁、大塚・注解172頁)。しかし、主として原因において自由な行為の可罰性を基礎づける観点から、近時、意思決定から実行行為に至る一連の経過全体を一つの行為とみて、これと責任能力が同時に存在するならば、この原則の要請は充たされるとする説(西原・総論409頁)や、結果発生の原因となった行為との同時存在は必要であるが、それは必ずしも未遂犯成立の要件である実行行為である必要はないとする説(平野・総論Ⅱ301頁、中野・総論53頁、183頁)が有力に主張されている。この点については、後述するⅧの5(3)を参照されたい。
(3) なお、立法論としては、同時存在の原則に例外を設けることが、責任主義の要請上、全く許されないというわけのものではない。(以下、法律論が続くが引用はこのくらいまでとする。ただその中に「飲酒または薬物の使用によるみずから精神の障害を招いて犯罪事実を生ぜしめた者が、そのことについて故意または過失がある場合にまで、責任無能力ないし限定責任能力とされるのでは、一般国民の法感情を無視することになる(法務省・前掲112頁)。このような場合には、行為者が当の行為を責任能力をもって行った場合と、行為者に対する非難可能性に変わりがないというのが、むしろ社会通念であり、非難可能性を中核とする責任原理そのものに合致するものというべきである(団藤・前掲237頁)」という記述があり、これは窃盗症完責前提論との関係で注目すべきであると言えよう。ここには本稿「結」で再訪する)
2520) 正確な表現は「窃取衝動の発生を抑制」ではなく「窃取衝動を実行に移すことを抑制」である。
2530) 「心神耗弱」ではなく「心神耗弱者」とする表現をとっていることも非常に重要な点である。
2540) 「法的」「規範的」も同様である。窃盗症論1で紹介したTL差戻審2160)は「法的」「規範的」という言葉を、その実質的意味を示すことなしに掲げ、自らの論理を正当化した(窃盗症論1の91)。
2550)
2560) 三つに分類したのは便宜上のことで、実際には個々の判例がきれいに三つのカテゴリーのどこかにあてはまるわけではなく、ある一つの判例が複数のカテゴリーの性質をあわせ持つことも稀ではない。
2570) 「世代」といっても必ずしも時間的順序に対応するわけではない。裁判時期との対応はおおむねである。各世代は時期よりもむしろ窃盗症についての裁判所の医学的理解の深さに対応するということができる。すなわち、第一世代の判例は窃盗症についての医学的理解が最も浅いことが読み取れる。しかしこれも対応はおおむねである。
2580)
2590)さいたま地裁川越支部 平成25年3月22日判決
犯行態様をみても,左肘付近に手提げバッグを提げ,同じく左手に買い物かごを持ち,その中に入れた商品を右手で次々に手提げバッグの中に詰め込むというもので,大胆で手慣れた様子が窺われ,犯情誠に悪質である。
2600)盛岡簡裁 平成27年1月9日判決
しかも,その犯行態様は,白色ビニール袋をショルダーバッグに入れて入店し,買い物カゴを持って欲しい商品をカゴに入れ,人目に付かない場所で商品をビニール袋に入れ替え,あるいは,広げたビニール袋に商品をそのまま入れたりした後,カゴは店の出入口に戻して店を出る,という巧妙で手慣れた犯行であり,悪質である。
2610)名古屋地裁 平成27年9月1日判決
犯行態様は,商品を店の買物籠に丁寧に並べて入れ,レジカウンターを通らずにサッカー台で所携のトートバッグに商品を移し替えて,店外に出るというものであり,大胆かつ狡猾,巧妙で手慣れている。
2620) 大阪高等裁判所 平成26年7月8日判決
その犯情についてみると,被告人は,買い物カートの上下に店舗備付けの買い物カゴを置き,この2つの買い物カゴに大量の 食料品を次々に入れた後に,カートを押しながらレジを通らないままその横の通路を通って商品を袋詰めするサッカー台まで行き,これらの食料品を全て持参していた4個のエコバッグに詰め込んだ上,エコバッグをカートに載せた買い物カゴに入れて店外に出るなど,大胆な犯行であり,被害品は合計93 点,販売価格は3万6135円にも及び,万引きとしては極めて多数,多額で,犯情は悪質である。
(本件は大胆さのみならず、93点の万引きという異常性も被告人非難の根拠にしている)
2630) 刑法25条2項
前に禁錮以上の刑に処せられたことがあってもその刑の全部の執行を猶予された者が一年以下の懲役又は禁錮の言渡しを受け、情状に特に酌量すべきものがあるときも、前項と同様とする。(以下略)
2640) 長野簡易裁判所 平成26年9月26日判決
以上の事情からすると,被告人には,施設に収容して矯正教育を受けさせるよりも,現在続けている摂食障害を伴うクレプトマニアの治療を継続させる方が再犯の防止も期待できるというべきであり,この点も含めて総合考慮すれば,本件は刑法25条2項の「情状に特に酌量すべきものがあるとき」に至ったと認めるのが相当である。
よって,被告人に対しては,主文の刑を科した上で再度その刑の執行を猶予し,その猶予の期間中保護観察に付して専門機関の指導監督も受けさせつつ被告人に専門的治療を継続させることで,社会内において更生の機会を与えることが相当であると判断した。
2650) 東京地方裁判所 平成27年9月30日判決
被告人は,本件で勾留されていたが,起訴後に保釈され,山梨県にあるP院に入院してクレプトマニア等の治療を受けている。証人Qの公判供述によると,被告人の入院生活中の生活態度や治療に臨む姿勢には大きな問題がないことが認められ,被告人が今後入院又は通院を継続することによって,治療効果が上がることが期待される。
これに対して検察官は,被告人が以前に刑事裁判を受けた際にも,保釈中に今回とは別の病院に入院したのに,治療を継続せず,自ら継続的治療及び社会内更生の機会を放棄したと主張する。たしかに,被告人の過去の治療経過は,被告人が真摯に自己の疾患と向き合っていたのかを疑わせる事情といえる。しかし,被告人がクレプトマニア等の精神疾患を有しており,本件にその影響が全くなかったと断定することもできないことからすれば,被告人の再犯防止のためには,治療が必要なこともまた事実である。そのため,被告人が現時点で治療に取り組んでいることは,本件の量刑に当たり,なお考慮すべき事情であるといえる。
加えて,被告人の母親が証人として出廷し,被告人の今後の治療も含め,被告人を支えていく旨を述べている。
8 被告人は,平成26年1月23日に,同種事案で懲役1年執行猶予3年の有罪判決を受けており,それからわずか1年で本件に及んでいることは軽視できない。また,以上で検討したとおり,本件犯行は大胆かつ悪質なものである。しかし,本件犯行にクレプトマニアによる精神障害が限定的にせよ影響していた可能性が否定できないことなどから,本件の行為責任は,同種事案の中で重いとまでは言えないこと,被告人は,保釈後,既に約半年にわたって入院治療を受けており,今後も家族の支援のもとで治療の継続が期待できることなどの事情を考慮すると,本件では,情状に特に酌量すべきものがあるといえる。そこで,主文のとおり,再度,被告人に対して刑の執行を猶予することが相当であると判断した。
2660) 青森簡易裁判所 平成30年6月1日判決
しかしながら,被告人は,平成29年5月に保釈された後,8月1日に盗癖に関する専門病院であるdホスピタルの医師の診察を受け,クレプトマニアと診断され,8月9日には同ホスピタルに入院し,当初予定していた6か月の入院治療を延長して今日まで継続して真摯に入院治療を行ってきており,最近では,対人恐怖症の症状にも耐えて,欠かさずミーティングにも参加するようになってきており,被告人には一定の治療効果とともに治療意欲を認めることができること,被告人には,これまで積極的に治療に取り組んでいることが認められ,今後も治療に専念することを誓っていること,照会書(弁34)によれば,被告人が退院した場合には,訪問看護,ヘルパー派遣,買物同行等の各種障害者福祉サービスを利用して,円滑に訪問看護を受けられる環境が整備されていることを認めることができること,本件を契機に,自分の特性や衝動的な問題についても学んだ被告人には更生の可能性があるものと期待できること,被告人の母も,被告人の今後の治療のための協力や被告人の再犯防止のために今後は同居して指導監督していくことを誓っていること,本件の被害額は1328円で高額とまではいえないこと,被害店舗との間では被害弁償が済んでおり,示談が成立していることなどを総合勘案すると,本件の罪は執行猶予の期間内に犯したものであるが,必ず実刑をもって臨まなければならないものではなく,以上の事情を,特に酌量すべき事情として考慮し,被告人に対しては,直ちに服役させるよりは,刑の執行を猶予し,保護観察の下,社会内で更生する最後の機会を与えるのが相当と判断した。
2670) 宇都宮簡易裁判所 平成28年11月8日判決
しかしながら,本件各被害についてはいずれも弁償がなされていること,本件犯行の背景には,いわゆる摂食障害や窃盗症の影響があることが認められ,それらの疾患を改善するためには,専門医療施設における入院,治療が有効であるところ,被告人はすでに2か月以上,専門医療施設において治療を受けてその治療効果を実感している上,今後もそれらの治療を継続することができる環境が整っていること,また,被告人の夫が,在宅中心の仕事に変わることによって,被告人の再犯防止に向けた援助及び監督に力を尽くす旨述べていること,更には,被告人自身が,初めて相当期間身柄を拘束されたことにより、これまでにない深い後悔と反省のもとに,二度と犯罪を繰り返さないことを誓っていること等の被告人にとって斟酌すべき有利な事情があるので,これらの事情を総合考慮した結果,被告人に対しては,直ちに服役させるよりは,今一度刑の執行を猶予し,保護観察の下,社会内で更生する最後の機会を与えることが相当であると判断した。
2680)行橋簡易裁判所 平成27年7月7日判決
もっとも,本件被害品は被害者に還付されるとともに,被告人が本件被害品を買い取る形で被害弁償が済んでおり,この限度で違法性の事後的低減と評し得ること,本件被害者においてもこれ以上謝罪金等を請求 するつもりはない旨表明していること,被告人には,幼少ないし学齢期の子供2名がいて,母親として子供の養育等生活維持の面で欠かせない存在であること,被告人は,前記のとおり,本件犯行時,被告人は摂食障害及び窃盗癖に罹患しており,その精神症状によって衝動制御の障害による影響が窺われるところ,前回 の裁判の際は,被告人が前記精神障害の可能性があるとは考えていなかったため,再犯防止の為の有効な手立てが講じられなかったが,本件発覚後は被告人の妹が被告人に専門家の診察を受けさせたり,入院手続を予約したりするなど,協力して再犯防止に取り組んでいること,被告人は,本件犯行を素直に認め,本件を契機として精神疾患治療の必要性を自覚し,専門的治療に専念する旨誓っており,今後も前記のとおり,6 か月間の入院治療が予定されているとともに,保釈後は自助グループでのミーティングに参加するなど,再発防止に向けて真摯に取り組んでおり,更生への強い意欲が認められること,被告人の妹が被告人の前記受診等に協力してきたものであるが,今後も被告人の治療に協力していく旨述べて一層の監督を誓っているほか,被告人の夫も被告人の治療に協力していく旨誓っており、家族の更生への支援が期待できる状況にある ことなど,前回の裁判時と比較すると,再犯防止のための環境や監護体制が整ったということができること,被告人は,本件により保釈されるまで一定期間身柄を拘束され,改めて本件犯行の重大性を身をもって体験している状況が窺われ,事実上反省の機会があったことなどの被告人のために酌むことのできる事情も認められる。 以上の被告人のために酌むことのできる事情を特に考慮するならば,被告人に対しては,直ちに服役させるよりは,刑の執行を猶予し,保護観察のもと,社会内で更生する最後の機会を与えるのが相当と判断した。 なお,検察官は,矯正施設においても摂食障害の治療が可能であるとして,摂食障害の克服は受刑の中でこそ有効になし得る旨主張するが,矯正施設においては,本来,受刑を通じての矯正教育を主たる目的とするものであって,治療はその限りで行われるものと考えられるから,被告人が置かれた現時点での環境等を特に考慮するならば,被告人に対して,再度刑の執行猶予を付し,被告人にその治療に専念させることが被告人の更生により資するものと判断した。
2690) 東京地方裁判所立川支部 平成28年9月28日判決
責任能力には問題がないものの,被告人は,摂食障害及びクレプトマニアと診断されており,これらが本件の一因ともなっているところ,被告人は,これらについて保釈中に精神科医師の診療を受け,入院を経て現在も通院治療を継続しており,今後も継続して治療を受けることを約束している。加えて,情状証人として出廷した同居人が,今後も被告人の更生を支援していくと誓っていることなどを考慮すれば,被告人については,再犯防止の措置が相応に整備されたといえる。
以上から,本件においては,被告人の情状に特に酌量すべきものがあると認め,被告人に再度の執行猶予を付すこととした。
2700) 前橋地方裁判所太田支部 平成30年12月3日判決
以上を踏まえて,刑法25条2項が規定する再度の執行猶予を付すべきかについて検討すると,執行猶予判決の宣告後短期間で同種故意犯に及んだものであるため原則実刑とするのが相当とはいえるものの,その行為責任が重いものとはいえないことに照らすと,再度の執行猶予を認める余地がないとはいえない。そして,被告人は,本件犯行以前も,窃盗症に対するものが中心とはいえ,医療機関に入通院して治療を受けるなどして再犯防止に努めていたものであるが,本件の保釈後も,医療機関への一定期間の入院を経て,主治医等と相談の上,施設に入所した上で通院する態勢が調えられ,治療によって神経性やせ症の症状に一定の安定が得られており,被告人は,改めて,神経性やせ症に向き合い,その治療を継続する強い意欲を示し,父親が母親とともに治療のサポートを含めた監督をする意向を公判廷で示している。また,被告人がこれまで窃盗を繰り返してきたことには様々なストレスの影響があったと認められるところ,本件犯行時のストレス要因のうち,婚約破棄については,元婚約相手との間で裁判上の和解が成立したことで相当程度緩和され,マスコミ報道についても,対処方法を自分なりに検討したことにより,以前ほど大きなストレスにならないことが一応期待できる。摂食障害に併発する窃盗に対して顕著な効果のある治療方法は確立されておらず,摂食障害に対する治療はその病理・病態の多様性や複雑さ等のため容易なものではないが,被告人が上記のような治療を継続して受けることには再犯防止に一定の効果があるとは認められ,ストレス状況の改善もこれを期待させる事情である。このように,被告人については,社会内に再犯防止に向けた環境等が相当程度調えられたものと評価できることを併せ考えると,被告人に対しては,もう一度,社会内で更生する機会を与えるのが相当である。
よって,被告人に対しては,主文掲記の刑を科し,情状に特に酌量すべきものがあるとして,再度刑の執行を猶予するのが相当であると判断した。
2710) 東京高等裁判所 平成23年8月16日判決
ところで,被告人は,医師からクレプトマニア(病的窃盗癖),解離性精神障害等と診断されているところ,原判決は,被告人がクレプトマニアであるという診断には疑問があり,被告人の解離性精神障害と本件窃盗との関わりは明らかではないとしている。しかしながら,当審で取り調べた医師P作成の「意見書3」によれば,被告人は,これまで万引きを繰り返しており,それはストレスの下での犯行が多く,漠然とした窃盗の衝動により,それほど高額ではない自分の好みの商品を窃取し,犯行後には解放感と恐怖感があったというのであり,そのことと被告人の生活歴を併せみると,被告人は,摂食障害に合併したクレプトマニアによる衝動の影響下で,かつ,幼少期のトラウマによって生じた解離性精神障害に起因する現実感のない精神状態の下で,本件窃盗を行ったものと認められる。
被告人は,本件窃盗の動機及び態様に照らして,本件当時,是非弁別能力及び行動制御能力が著しく減退していたとまではいえないが,前記の病的な精神状態のため,ある程度それらの能力が減退していたものと認められる。そのことに加え,被告人が上記精神状態を改善するため医師から治療を受けていることは,被告人にとって有利に考慮されるべき事情である。
そのほか,本件で窃取された商品は被害者に返還された後,被告人の夫がそれを買い取っているから,本件の被害は回復していること,被告人が,本件について反省の態度を示し,再度窃盗を行うことはない旨誓っていることなど,被告人にとって酌むべき事情もある。
以上の事情を総合して考慮すると,原判決の量刑は,刑の執行を猶予しなかった点において,重すぎて不当であるといわざるを得ない。
2720) 東京高等裁判所 平成29年7月26日判決 (原判決 千葉地方裁判所松戸支部平成29年3月22日判決)
その上で原判決後の情状について見ると,被告人は,原審において保釈を許可された後,平成28年10月からcホスピタルに入院し,原判決後も現在まで治療を継続して受けているところ,同病院副院長C作成の報告書によれば,〔1〕被告人本人については,摂食障害の症状は消退し,過食嘔吐の様子は見られず,外泊・外出時に万引き衝動が消失し,回復・更生の徴候には目覚ましいものがある,〔2〕家族については,家族関係は極めて良好で,家族は治療に協力的積極的である,〔3〕退院後については,cホスピタルまたは関連治療施設に通院しつつ自助グループに参加するとともに,定期的にcホスピタルにショートステイ入院をしてフォローアップしていく予定であり,家族としてもフォローしていくことを確認している,といった状況が認められ,現在及びその後の治療が続く限り,万引き再犯の可能性は極めて少ないと考えるという判断が示されている。このような原判決後の情状をも含めると,被告人の再犯を防止し,改善更生を図るために,家族の協力を得ながら社会内で治療を継続させる処分を選択する余地が出てきたといえる。
その他,原判決も指摘するように,被害品が全て還付されたほか,代金相当額を支払って示談し宥恕を得ているなどの事情も併せ考慮すれば,現時点では,被告人に対し,再度の刑の執行猶予を付するのが相当になったというべきである。
2730)=2330)=1560) 松戸簡裁 平成27年11月25日判決
しかしながら,被告人は,前判決後,自ら希望してPに転院して入院治療を受けることとし,本件の審理中に保釈を得てからは,同センターに入院して,病的窃盗との診断の下にその治療を受け,退院後も引き続き,通院治療を続ける一方,夫のみならず母の協力も得て,再犯防止に努め,その成果が上がっている状況にあり,本件について実刑に処すことにより治療を中断することは,再犯の防止を図る上で必ずしも適切ではないと思われる。幸い,前判決の執行猶予期間は4年間であり,今後なお3年近く保護観察付執行猶予期間が残されていることをも考えると,保護観察を継続して,執行猶予取消しのリスクを負わせつつ更生に努めさせるのが相当である。
2740) 東京高等裁判所 平成28年5月31日判決
原判決について そこで記録を調査し検討すると,本件は,被告人がスーパーマーケットにおいてビスケット菓子等25点 (販売価格合計4064円)を窃取した,という事案である。原判決は,被害額はこの種の事案としては比較的高額であること,被告人は一人で買い物に行けば万引き行為に及ぶ可能性が高いことを認識しながら,一人で本件店舗に入って,本件犯行に及んだもので,犯行の経緯に酌むべきものはないこと,被告人は平成13年以降,いずれも万引きにより,1回罰金刑に処せられたほか,3回執行猶予付き懲役刑に処せられており,本件は平成26年10月23日に懲役1年,4年間執行猶予に処せられてから2か月にも満たないうちに,保護観察中であったにもかかわらず敢行されたもので,被告人には窃盗の常習性が認められ,規範意識も鈍麻していることを指摘した上で,検察官の科刑意見にも十分合理性があるとしている。しかし,被告人が前判決後,自ら希望してPに転院して入院治療を受けることにし,保釈後,同センターに入院して病的窃盗との診断の下にその治療を受け,退院後も引き続き通院治療を続ける一方,夫のみならず母の協力も得て,再犯防止に努め,その成果が上がっている状況にあることを指摘し,本件について実刑に処すことにより治療を中断することは再犯の防止を図る上で必ずしも適切でない,今後なお3年近く保護観察付き執行猶予期間が残されているから,保護観察を継続して執行猶予取消しのリスクを負わせることで更生に努めさせるべきだとしたものである。以上のような原判決の量刑事情の指摘,評価及びこれに基づく量刑判断はいずれも不当であるとはいえない。
2750=2230) 大阪地方裁判所岸和田支部 平成28年4月25日判決
被告人は,前記のとおり心神耗弱の状態にあったといえ,相応の責任非難は免れず,刑責を軽くみることはできない。
他方,被告人は本件につき被告人なりの反省の態度を示していること,被害店に被害弁償をしたこと,前記の精神症状があり,治療を継続し更生する意欲を示していること,本件で逮捕勾留され,保釈後に新たな医療機関で入院治療を受け,その後1年以上にわたり再犯がないこと,親族が改めて被告人を監督し治療に専念させて更生に協力する旨述べていることなどの情状が認められる。
被告人がこれまで本件同様の窃盗によりくり返し刑事処罰を受け,前刑執行猶予の保護観察中であったのに本件に及んでいることに照らすと,今回は懲役刑の実刑は免れ難いところであるが,本件犯行当時の被告人が心神耗弱の状態にあり,前記各前科の犯行当時も,同様の状態であったとは断定できないが,それに近い状態であった可能性があること,本件後は治療効果が上がり再犯に至ることなく経過していること,その他前記の情状を併せ考慮すると,今回に限り,特に罰金刑を選択し,治療を継続させるとともに,前刑保護観察を継続して更生を遂げさせることが相当である。
2760)
2770)
2780=2610)名古屋地方裁判所 平成27年9月1日判決
クレプトマニアに関しては,診断基準の一つである「個人的に用いるためでもなく,又はその金銭的価値のためでもなく,物を盗もうとする衝動に抵抗できなくなることが繰り返される」につき,両医師が字義どおり解釈していない点や,被告人が多額の貯蓄等を有し,経済的に困っていないことを有力な根拠としている点には疑問の余地がないわけではないし,神経性痩せ症とクレプトマニアとの関係についても,合併症例がしばしば見られるとはいえ,現在のところその関係は医学的に解明されておらず,神経性痩せ症にり患している者が必ずしも万引きをするわけではないことも明らかである。しかし,これらのことを考慮しても,証拠上,両医師が異口同音に示した所見を,根拠不十分とする合理的な根拠があるともいえない。P医師は,また,被告人が解離性障害(離人症,解離性健忘症),脳機能障害,情動障害にり患している(可能性が高い)との所見も示した。P医師は,必ずしも十分な資料に基づいて意見書等を書いたとまではいえず,Q医師は,解離性障害の所見は認めない旨供述している。また,本人が,現在では犯行時や犯行直前の記憶がないかのように述べている点も,犯行直後に同様の状況であったとは思われず,現時点で記憶がないとしても時間の経過等によるものと解されるし,万引きをしている時はぼーっとしている感じであったと述べる点も,その意味内容は一義的ではなく,どこまでその供述に依拠できるかも疑問である。しかし,被告人の脳の画像検査によれば,脳機能の一部が低下しているとの所見が得られているところ,その原因として,19歳頃に神経性痩せ症を発症し,以来長年にわたって通常でない食生活をしてきたことによる栄養不足と,年少期にいじめられた経験があったことや両親との関係にも問題があったことによるストレス等が挙げられており,これらは合理的で説得的な所見といえる。さらに,心理検査の結果,被告人には他者の恐怖や苦痛を検出する能力が低下しているとの所見が出ており,この情動障害の所見も上記脳機能障害と関連するものとして理解が可能である。
2790) Morse SJ: Brain overclaim syndrome and Criminal Responsibility: A Diagnostic Note. Faculty Scholarship. Paper 117, 2006.
University of Pennsylvania Law School Penn Law: Legal Scholarship Repository
2800)村松太郎: 司法神経心理学. 高次脳機能研究 36: 342-347, 2016; 村松太郎: 司法神経科学. BRAIN and NERVE 73: 1029-1036, 2021; 村松太郎: 高齢者の刑事責任能力. 臨床精神医学 51: 25-38, 2022.
2810)
2820)
(未完)
「転」に続く