切断是非論  --- 精神障害の行為への影響と責任能力について ---

 

村松太郎 (慶應義塾大学医学部精神神経科)

 

(2022.8.10.)

 

1

人間の行為は一連の流れとして生起する。行為する人間を理解しようとするときは常に、この流れ全体を視野にいれなければならない。

 

2

だが理解するためには、まずは流れを切断して部分を抽出することから始める必要がある。刑事責任能力(以下、単に責任能力という)をテーマとする刑事裁判では、この作業が精密に行われる。

 

3

本稿ではその実例として次の3件の殺人事件を取り上げる。いずれも一審で死刑判決が下された重大事件である。いずれも被告人が精神障害に罹患していた事件である。いずれも妄想の犯行への影響が論じられた事件である。一審裁判所は被告人の行為を切断し、抽出した部分を分析することで判決を下している。

「熊谷事件」10)  2015年9月発生。殺人の被害者6名。

「淡路島事件」20) 2015年3月発生。殺人の被害者5名。

「周南事件」30) 2013年7月発生。殺人の被害者5名。

 

4 (熊谷事件) 10)

2015年9月14日から同16日にかけて、埼玉県熊谷市で発生した事件である。被告人は犯行時30歳代の独身男性(ペルー人)で、6人が刺殺されている。「熊谷6人殺傷事件」「熊谷ペルー人事件」などとも呼ばれている。一審裁判員裁判で2018年3月9日に死刑判決が下されている。

 

5 (事件まで) 40)

統合失調症を発症し、無治療のまま経過する中で他害行為に至った。本件は最もシンプルにはこのように要約できる。具体的な経過は判決文に記されている。6はその要約である。

 

6

被告人は2005年に来日し、職を転々としていた。2015年からは伊勢崎市内の工場で稼働開始したが、そのころ、被害関係念慮によると思われる軽い対人トラブルが発生している。事件の3日前、2015年9月11日に知人に電話で「俺がお前に話したことが全部職場にばれている,5人組のスーツの日本人の男たちが俺の方をずっと見ていた,自分の目の前で働いていた日本人女性が噂を聞いて泣きながら職場に戻ってきていて,その後俺を避けている,他のブラジル人たちは俺が今日家に帰って明日出勤するまでにはお前は誰かに殺されると言っていた」などと話した。翌12日(事件2日前)には寮から出奔し、職場関係者に電話で「退社する。会社の中でスーツを着ている3人の日本人が自分を殺しに来た」などと話した。その後事件前日までの間に、「自分の友達 みんな悪い人 刑務所つかまってる 電話して 自分探している」「工場にスーツの日本人が来た,自分を殺しに来た」「給料を早めに振り込んでほしい」「川で寝てズボンが濡れている」「アパートの×階と△階にペルー人とブラジル人が住んでいて,帰ると殺される」「スーツを着ている人たちが自分を監視している,黒いスーツの男たちが自分を追っている」などと話したことが知人などから報告されている。

 事件の前日、2015年9月13日には消防署員の通報を受けた警察官から熊谷警察署で事情聴取を受け、「殺される」という発言や、突然泣き出すなどの異変が見られるなどしたが、隙を突いて逃走してしまった。この際、所持品等はすべて警察署に残したため、所持金は一切持たない状態になった。その後、同日中に、通行人に対し「かね、かね」などと声をかけたことが目撃されている。

 

7 (事件) 50) 

2015年9月14日から同16日にかけ、民家3軒に侵入し、子どもを含む計6人の住人を包丁で刺殺、3軒すべてで現金などを盗んだ。死体は浴槽に入れるなどして隠匿した。1軒では現場に判読不能の血文字が残されていた。

 

8 (精神鑑定)  

公判段階でKP1医師による精神鑑定が行われた。同鑑定は本件各犯行を「統合失調症の症状としての自分と親族の命が狙われているといった被害妄想と精神的な不穏状態での逃避行と親族の元への急行という一連の行動の中で発生したもの」であると要約し、精神症状の犯行への影響については「被害妄想や精神的な不穏が住居侵入と殺害の行動の全般にわたって影響を与えた蓋然性が高い」としたが、「当時の状況に関する被告人の供述が得られていない限界がある」ことなどから「被告人がどのような心理で各犯行に及んだかは分からない」と謙抑的な結論を示している。(上の6、7が客観的事実の記載だけになっているのは、被告人から主観的体験が語られていないからである)

 

9 (一審裁判所の認定: 結論部分)

裁判所の認定60)の結論のポイントは次の通りであった:

(1) 被告人は統合失調症に罹患していた。

(2) 症状として被害妄想を有していた。

(3) 犯行は金品目的の行為であり、妄想とは無関係。

 

10   

一審裁判所のこの結論(3)は、KP1鑑定の「被害妄想や精神的な不穏が住居侵入と殺害の行動の全般にわたって影響を与えた蓋然性が高い」という意見を否定している。否定の根拠にあたる部分の判示は次の通りである(下線は村松による):

 

本件各妄想の存在がなければ,そもそも被告人が所持金を失って追い詰められることも,ひいては犯罪行為によってでも金品を得ようと決意することもなかったのであり,精神障害が各犯行の犯意形成に影響を与えたとする見方は確かに可能である。しかし一方で,犯行直近の状況に限ってみた場合, 金銭に窮した被告人が手っ取り早く金品を得ようとする現実的な欲求に基づき,侵入窃盗や侵入強盗の犯行を決意した動機は十分に了解可能である。

 

キーワードは下線を引いた、犯行直近の状況に限ってみた場合 である。

 

11

上記9の認定構造は下のように示すことができる(図1)。一審裁判所は、妄想から犯行に至る流れから、犯行直近の状況だけを切断して抽出したのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もちろん一審裁判所はただ単純に犯行直近の状況だけに着目したわけではない。犯行までの全体像を検討したうえで、結論として最終段階だけを抽出することを是としたのである。一審裁判所の認定を12-24に示す。まず上の9の(1)(2)(3)についてである。

 

12 (一審裁判所の認定(1))

(1) 被告人は統合失調症に罹患していた。

本件被告人の診断が統合失調症であることには異論の余地はない。

 

13  (一審裁判所の認定(2))

(2) 症状として被害妄想を有していた。

「妄想」以外に「妄想的誤信傾向」があった。妄想の内容は、職場関係者やその者が差し向けた者から危害を加えられるという「被害妄想」と、危害を加えようとする者が自分や親族を加害するために追っているという「追跡妄想」の二種類であった。また、被告人の妄想には、現実の出来事が関係しているという特徴があった。KP1鑑定では被告人は悪魔、猫、テロリストなどについての妄想を語っているが、これらは犯行当時には存在しなかった。そう判断できる理由は、被告人の話に一貫性が乏しいこと、犯行から長期間たってから語られ始めたことである。

 

14  (一審裁判所の認定(3))

(3) 犯行は金品目的の行為であり、妄想とは無関係。

妄想と犯行には直接的な関係はない。被告人は上記6のような経緯で無一文の状態になり、どうしても金銭を必要とする状態に陥っていた。だから彼は強盗に及んだのであって、そこには妄想の影響はなく、犯行は現実的な欲求に基づく行為である。

 

15

(4)以下は責任能力に直接かかわる認定事項である。

 

16 (一審裁判所の認定(4))

(4)違法性の認識はあった。

死体を隠すなど罪証隠滅行為にも及んでいることから、殺人が違法であることを被告人が認識していたことは明らかである。

 

17 (一審裁判所の認定(5))

(5) 命令性の幻聴のような、自らの行動を支配する精神症状はなかった。

 

18 (一審裁判所の認定(6))

(6) 切迫した死の危険は感じていなかった。

 

19 (一審裁判所の認定(7))

(7) 行動はまとまっていた。

金品奪取、そして罪証隠滅についても、目的達成に向けた合理的行動を取っている。部分的に不合理ともとれる行動はあっても、精神病の影響を考えなければならないほどの不合理なものではない。

 

20 (一審裁判所の認定(8))

(8) 犯行のころの病状の悪化の有無についての判断はなされていない。

病状悪化の有無すなわち病勢は通常は一つの重要なポイントだが、本件一審裁判所はこれについての判断は示していない。犯行には精神病症状の影響はないという認定なので、病状悪化の有無は論ずる必要はないということなのであろう。

 

21

責任能力は通常、理非善悪を弁識し、その弁識に従って行動する能力と定義され、前者を弁識能力、後者を制御能力と呼ぶのが一般的である70)

(4)の違法性の認識は弁識能力に対応、 (5)(6)は制御能力に対応するとされる事項である。弁識能力(「理非善悪を弁識」する能力)は、「よいことか悪いことかを判断する能力」であるから、違法性の認識の有無に着目して判定するというのは納得しやすいが(但し異論もある。本稿48参照)、制御能力の判定には定法と呼べるものが存在しない。そのような状況下、精神病性障害の被告人については、典型的には「幻聴による命令」80)「妄想による支配」90)の有無が問題とされる。本件ではどちらも「なし」である。少なくとも、あったと考える根拠はない。「切迫した死の危険」も、もし「あり」で、かつ、それが精神病症状(特に妄想)の影響によるものであれば、同症状に支配されていたと考える根拠になるが100)、本件ではそれも「なし」である。

(7) 行動はまとまっていた と (8) 犯行のころの病状の悪化 に弁識能力・制御能力との直接の関係性を見出すことは困難だが、責任能力を論ずる場合にはこの(7)(8)に言及されるのが常である。その背景には責任能力の本質論がある。この点については本稿『転』であらためて論ずる。

 

22(一審裁判所の認定(9): 病気の影響部分)

(9) 病気の影響は、犯意形成の段階に限られる。

統合失調症の妄想が動機形成に影響したことまでは裁判所ははっきりと認定している。それでも犯行に病気の影響がないという判断は、11の図1の通り「犯行直近の状況に限ってみた場合」として、最終段階を切断・抽出して焦点を絞ったことから生まれている。

 

23

本件犯行は、前記6、7、8からみて、統合失調症を発症し無治療のまま経過し悪化していく中で行われた激しい逸脱行為であることが明らかである。その行為に病気の影響が皆無というのは直感的にはいかにも不可解な結論で、病気の影響がないというのであれば犯行についての別の理由が必要だが、一審裁判所が示したその別の理由は「自発的意思」110)である。

 

24(一審裁判所の認定(10): 切断部分)

(10)犯行の意思決定には病気の影響はなかった。

金銭に窮して強盗におよぶことは、病気を持ち出さずとも、「自発的意思」によるものとして説明できる。また、被告人は殺害等の残虐な場面が出てくるゲームに関心があったことからみて、5人を殺害しているという点に関しても被告人の元来の人格と連続性ある行為であるから病気の影響を持ち出す必要はない。

 

25

一審裁判所の認定(12-24の(1)-(10))にはいくつもの問題点を見出すことが可能だが、その詳細は本件の控訴審の判断とあわせて本稿『承』に譲り、ここでは 切断という点に限ってその要点だけを指摘しておく。本稿冒頭1,2でも述べた通り、人間の行為は一連の流れとして生起するが、分析のためには切断して抽出した部分に着目することから始める必要があるから、切断すること自体は理にかなった方法である。しかし他方、他の部分を無視して構わないということにはならない。生起する事象の連鎖はドミノ倒しにたとえることができる (図2)。

 

 

 

 

本件に対応させれば、最後の1個のドミノ牌(図2のZ)が強盗殺人である。Zにはそれに先行するZ-1(Zマイナス1)がある。一審裁判所が言うように、「犯行直近の状況に限ってみれば」、すなわち「Z-1からZ」の部分だけを切断・抽出してみれば、本件犯行は金品奪取を目的とする行為であるという解釈は正しいかもしれない。しかし仮にその解釈が正しいとしても、ではZ-1に先行するZ-2の影響は無視していいのか。さらにそれに先行するZ-3の影響は無視していいのか。これを遡及していければ本件は統合失調症の症状である妄想にたどり着く。一審裁判所も「精神障害が各犯行の犯意形成に影響を与えたとする見方は確かに可能である」という表現でそれは認めている。それは認めたうえで一審裁判所は、Z-1だけに着目して判断し結論を下したのである。その結論とは死刑であった。

 

 

26 (淡路島事件) 20)   

2015年3月9日、兵庫県洲本市で発生した事件である。被告人は犯行時40歳代の独身男性で、5人が殺害されている。「洲本事件」「精神工学戦争事件」などとも呼ばれている。一審裁判員裁判で2017年3月22日に死刑判決が下されている。

 

27 (事件まで) 120)

被告人は2002年頃から数年間メチルフェニデート(リタリン)を大量に使用していた。そして2006年頃から、日本国政府やそれに同調する工作員は一体となって、電磁波兵器・精神工学兵器を使用し個人に攻撃を加えるという行為、すなわち『精神工学戦争』を行なっているという考え130)をもつに至った。この考えは、自らの体験(客観的には幻覚等と解される)について書籍やインターネットで調べるうちに発展・確立したものであった。

 

28 (事件) 140)

そのような考えを前提として、自分やその家族も精神工学戦争の被害者であり、近隣住民のAV1家やAV2家は自分たちを攻撃する工作員であるとの考えを抱くようになった。そこで、被害者一家らへの報復及び国家ぐるみで隠蔽されている精神工学戦争の存在を裁判の場で明らかにすることを目的として被害者一家らの殺害を決意し、2015年3月9日早朝、AV1方でAV1と妻を、その約3時間後、AV2方でAV2と妻および母を刃物で多数回突き刺して死亡させた。

 

29 (精神鑑定)  

起訴前にAP1医師、公判段階でAP2医師による精神鑑定が行われた。両医師ともに被告人をメチルフェニデート濫用に起因する薬剤性精神病と診断した150)。AP2医師によれば、上記20の「自分やその家族も精神工学戦争の被害者であり、近隣住民のAV1家やAV2家は自分たちを攻撃する工作員であるとの考え」は妄想である。他方、殺人という手段を選択したのは被告人自身の判断である。

 

30 (一審裁判所の認定: 結論部分)

裁判所の判断の結論のポイントは次の通りであった:

(1) 被告人は薬剤性精神病に罹患していた。

(2) 症状として妄想を有していた。「被害者らが工作員である」がその妄想である。「精神工学戦争が行われている」は妄想ではなく世界観である。

(3) 犯行には病気の影響は小さい。

 

31

被告人は精神病性障害160)に罹患しており(1)、妄想を有していた(2)。ここまでは熊谷事件の一審裁判所の認定(本稿9)と同じである。犯行への病気の影響(3)についてはやや異なり、熊谷事件では「ない」であったのに対し、淡路島事件では「小さい」であった。この認定はAP1鑑定に依拠している。(1)(2)(3)を図示すると図3の通りとなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一審裁判所の認定構造は、一連の流れを切断し最終段階である殺害の実行のみを抽出しているという意味では、熊谷事件と同一である。しかしながら、動機が報復すなわち妄想との連続性を切断できないものであると認定したという点が異なっている。それ以外の点については熊谷事件の一審裁判所の認定(12-22の(1)-(9))とかなり共通点がある。それを32-36に示す。

 

32 (一審裁判所の認定(1))

(1) 被告人は薬剤性精神病に罹患していた。

被告人はメチルフェニデート濫用の後遺症としての精神病=薬剤性精神病に罹患していた。

 

33 (一審裁判所の認定(2))

(2) 症状として妄想を有していた。「被害者らが工作員である」がその妄想である。「精神工学戦争が行われている」は妄想ではなく世界観である。

「精神工学戦争」が現代社会で進行中であるという考えは、同じもしくは類似した考えを持つ人間が被告人以外にも多数存在しているのであるから、ひとつの世界観であり、必ずしも妄想とはいえない170)。他方、ほかならぬ本件被害者がこの精神工学戦争の工作員であるという考えは妄想である。なぜなら被告人がこの考えを持つに至ったのは、「被害者らと道ですれ違ったときに被告人の思考を読み取られる,被告人の脳内に被害者らの声が送信されてくる」ことであったからである。

 

34 (一審裁判所の認定(3))

 (3) 犯行には病気の影響は小さい。

一審裁判所は、被告人の犯行目的が、工作員である(と被告人が妄想により確信している)被害者らに報復し、裁判の場で精神工学戦争を明らかにすることであったと認めている。そうであれば直感的には犯行への病気の影響は「大きい」と感じられるが、一審裁判所の結論は「小さい」であった180)。これは、妄想から犯行に至る一連の流れを切断し、犯行部分を抽出したことによる。詳細は37、38に後述する。

 

35 (一審裁判所の認定(4)-(8): 責任能力に直接かかわる事項)

(4)違法性の認識はあった。

(5)直接的に殺害を促すような幻覚・妄想等の症状はなかった。

(6)切迫した恐怖は感じていなかった。

(7)行動は合理的で一貫していた。

(8)犯行のころ、病状は悪化していなかった。

若干の文言の違いはあるが、内容としては(4)から(7)は熊谷事件と完全に一致しているといってよい。(8)については、熊谷事件の一審裁判所は判断を示していない。

 

36 (一審裁判所の認定(9) 病気の影響部分)

(9) 病気の影響は、動機形成の段階にあった。

本件犯行の動機は、被害者らに対する報復である。被告人は被害者らを工作員であると確信しており、この確信は妄想である。したがって、動機形成に病気が影響したという認定の論理構造は、熊谷事件と同じである。だが熊谷事件の一審裁判所は、犯行目的は金品奪取であるとし、病気の影響を犯行から切断していたという点が本件とは大きく異なる。本件淡路島事件の一審裁判所は、犯行目的は報復であるとしているから、病気の影響は犯行まで切断されずに及んでいるという認定である。ただし、影響はあったものの小さかったというのが結論である以上、では何が大きく影響したかという説明が必要である。一審裁判所が示したのは次の37の通り「正常な心理」であった。

 

37 (一審裁判所の認定(10): 切断部分)

(10) 犯行の意思決定と行動の過程には病気の症状は大きく影響していない。

一審裁判所は、報復の手段として殺害を選択したのは被告人の正常な心理であると認定した。判決文の同部分を転記する:

 

被告人が殺害という手段を選択したのは,精神工学戦争に関する告発活動を続けるうちに,自分が同戦争と対峙する偉大な人間であると考えるようになり,そのため,工作員と戦うことは正しいことであって,これを殺害することが正義であるという考えに至ったからである

 

被告人が社会に対して平素から感じていた劣等感・負い目なども考慮すると,そのような思考の流れに大きな飛躍はなく,病気の影響は小さいといえる。加えて,被告人がかつて被害者の家族から殴られたことがあること,被害者の家族が被告人の嫌っている宗教を信仰していたことなど,被害者一家らに悪感情を持つ現実の出来事があったことも考慮すれば,被告人が,工作員と思っている被害者一家らへの対抗策として殺害という方法を選んだのは,誤った正義感に基づくものではあるけれども,病気の症状に大きく影響されたものではなく,正しく被告人自身の正常な心理による判断といえる。

 

38

この判示は、熊谷事件との相対的な意味では合理性がある。すなわち、熊谷事件の一審裁判所は犯行に至る事象の連鎖を完全に切断し最終部分だけを抽出して判断を下しているのに対し、本件淡路島事件の一審裁判所は、連鎖の連続性そのものは認めているからである。先のドミノ倒しの比喩を用いるならば、妄想を出発点とするドミノ牌から最終のZ(=犯行)のドミノ牌まではきれいに連続している。それでもなお病気の影響が小さいとしたのは、妄想から続く因果の連鎖とはいわば別の平面にある人格の影響を重視したことによる。つまりZ-1(Zマイナス1)のドミノ牌が倒れるまでの過程は妄想が影響しているが、Z-1のドミノ牌の作用のみではZ(=犯行=殺人)を倒すに足るエネルギーは全く足りず、Zを倒したのはZ-1以外からの力が加わったことが主であるとしているのである。その力を図4では指のひと押しとして表現してある。この指のひと押しが被告人の正常な心理でありとする判断は37に引用した判示部分の通りであり、他方、Z-1のドミノ牌の作用が強くないことは35の認定からも導かれる。こうして被告人に死刑判決が下された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

39 (周南事件) 30)  

2013年7月21日、山口県周南市で発生した事件である。被告人は犯行時60歳代の独身男性で、5人が殺害されている。「山口連続放火殺人事件」「山口・周南5人殺害事件」などとも呼ばれている。2015年7月28日に一審裁判員裁判で死刑判決が出されている。

 

40 (事件まで) 190)

2002年頃(事件の11年前頃)から、村の住民から噂をされる、挑発や嫌がらせをされるという考えを抱くようになった。それらの行為を告発する趣旨の貼り紙をし、嫌がらせをする人間を捕まえて白状させたいと考えた。自宅のカレーに毒を入れられたと考えることもあった。

 

41 (事件) 200)

2013年7月21日の午後6時半頃から翌日午前6時頃までの間に近隣の5名を次々と殴打するなどして殺害し、被害者らの家2軒に放火し全焼させた。

 

42 (精神鑑定)

起訴前にSP1医師、公判段階にSP2医師による精神鑑定が行われた。一審法廷ではSP2医師が証言した。SP2医師による診断は妄想性障害であった。

 

43 (一審裁判所の認定: 結論部分)

裁判所の判断の結論のポイントは次の通りであった:

(1) 被告人は妄想性障害に罹患していた。

(2) 症状として妄想を有していた。村の住民からの嫌がらせ等の悪意ある言動を受けているというのがその妄想である。

(3) 犯行には病気の影響はない。

 

44

被告人は精神病性障害に罹患しており(1)、妄想を有していた(2)。ここまでは熊谷事件・淡路島事件の一審裁判所の認定(本稿9、32、33)と同じである。犯行への病気の影響(3)については、熊谷事件では「ない」、淡路島事件では「小さい」であったが、本件周南事件では「ない」であった。したがって一審裁判所の認定・判断構造は図5の通り示すことができる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一審裁判所は、一連の流れを切断し最終段階である殺害の実行のみを抽出しているものの、動機が報復すなわち妄想との連続性を切断できないものであると認定している。にもかかわらず病気の影響はないとしたのは、切断・抽出した最終段階の意思決定は正常心理によって下されたと認定したことによる。一審裁判所の認定を45-53に示す(以下の丸括弧数字は熊谷事件(12-24)と淡路島事件(32-37)に対応している)。この判断はSP2鑑定を信用できるとしたうえでなされている。

 

45(一審裁判所の認定(1))

(1) 被告人は妄想性障害に罹患していた。

SP2医師の下した妄想性障害という診断に疑問の余地はない。(他方、SP1医師は被告人に精神疾患なしと誤診していた)

 

46(一審裁判所の認定(2))

(2) 症状として妄想を有していた。村の住民からの嫌がらせ等の悪意ある言動を受けているというのがその妄想である。

淡路島事件の一審裁判所は、犯行の基底にあった被告人の考えを「世界観」と「妄想」に二分し、「世界観」の部分は正常な心理であるとしたが、本件周南事件では被告人の様々な考えを「妄想」と一括している。

 

47 (一審裁判所の認定(3))

(3) 犯行には病気の影響はない。

被告人は長年に渡り妄想に苦しめられ、様々な対抗策をとってきていた。そしてついに本件犯行に及んだ。犯行の全体像がこのように要約できることまでは一審裁判所は認めており、そうであれば直感的には犯行への病気の影響は「ある」どころか「大きい」と感じられるが、一審裁判所の結論は「ない」であった。これは、妄想から犯行に至る一連の流れを切断し、犯行部分を抽出したことによる。一審裁判所の同認定の詳細は53に後述する。

 

48 (一審裁判所の認定(4))

(4)違法性の認識はあった。

責任能力でいうところの弁識能力は、「理非善悪を弁識」する能力であるが、それは自分のしようとしている行為が法にかなっている(違法性の認識)か否かを判断する能力を指しているのか、それとも法という次元にとどまらず道徳,倫理,信仰などの総体としての社会のルールにかなっているか否かを判断する能力を指しているのかについては見解が分かれており、本件の弁護人は後者であると主張した。一審裁判所は、この点についての立場の明示は避けたものの、本件被告人は前者の能力も後者の能力も維持されていたと認定した。関連して、被告人が、本件各犯行が自らが受けたと思い込んでいる被害と比べてバランスを欠かないと自分の中で納得できていたにすぎない(これはSP2医師の指摘である)ことも、弁識能力維持の根拠であるとしている。

 

49 (一審裁判所の認定(5))

(5) 直接的に殺害を促すような幻覚・妄想等の症状なし。(判決文にはこの点についての言及はないが、かかる症状がなかったことは自明であるから記されていないと解される)

 

50 (一審裁判所の認定(6))

(6)切迫した恐怖は感じていなかった。

 

51 (一審裁判所の認定(7))

(7) 行動は合理的で一貫していた。(判決文にはこの点についての言及はないが、一審裁判所は、「妄想性障害は合目的的な一貫した行動がとれなくなるような病気ではない」と認定していることから、行動が合理的で一貫していることは論ずるまでもなく当然であるから記されていないと解される)

 

52 (一審裁判所の認定(8))

(8) 犯行のころの病状悪化の有無については記載がない。

 

ここまでの(3)-(8)は、熊谷事件(本稿14-20)、淡路島事件(本稿34-35)と基本的に同じ内容である。

 

53(一審裁判所の認定(9)(10): 病気の影響 / 切断部分)

(9) 病気の影響は、報復を一つの手段として考えるという段階にあった。

(10) 犯行の意思決定と行動の過程には病気の影響はない。

 本件犯行の動機は報復である。被害者らに対する報復である。被告人は被害者らから嫌がらせ等を受けていると確信しており、この確信は妄想である。すると犯行は報復として行われたものであり、その報復とは妄想から生まれた発想である。にもかかわらず犯行への病気の影響がないというのは直感的にはいかにも不可解な結論であるが、一審裁判所は、動機から犯行実行までのプロセスを次のように切断することにより、この結論を導いている:

①報復という発想 が生まれ、

②報復するという意思決定 がなされ、

③報復の具体的方法の選択 をした。

そして病気の影響は①までであり、②と③は被告人の正常な心理によるものであると認定している。これはSP2鑑定人の見解でもある。判決文の同部分を転記する:

 

被告人は,本件妄想により,怒り,疑問,我慢という感情が生じた後,複数の行為の選択肢を思い浮かべ,その一部については実行をしてきており,本件各犯行を決意する直前にも,複数の行為の選択肢を採り得たといえる。また,被告人が殺人や放火といった報復の仕方を選択したことは,被告人の性格によるものであり,妄想的な理由によるものではない。

 

54

妄想から犯行までの連鎖の連続性を認めているという点では淡路島一審裁判所の認定と一致しているが、妄想の犯行への影響については、淡路島事件では小さいながらも「あり」としているのに対し、本件周南事件では上の通り「なし」である。周南事件一審裁判所は、連鎖を切断して抽出した最終部分である犯行については、専ら被告人の性格に起因すると認定したのである。これをドミノ倒しの図にすれば図6の通りとなろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

報復するという考えは妄想から連続的に発生したものであるが、報復の決意とその報復の手段としての殺人の選択は、妄想とは別レベルの元々の人格によってなされたという一審裁判所の認定は、つまりZ-1(Zマイナス1)のドミノ牌が倒れるまでの過程は妄想が影響しているが、Z-1のみではZ(=殺人)を倒すに足るエネルギーは全く足りず、Zのドミノ牌を倒したのはZ-1まで連鎖してきたドミノ牌以外からの力による、すなわちドミノ列の上部からの指のひと押しによるというものである。(淡路島事件の一審裁判所は、Z-1と指のひと押しの複合によってZが倒されたとしているのに対し、本件周南事件ではZを倒す作用としてZ-1は無視しうるほど小さいとしている)

 

55

なお、ここまでの論では、熊谷事件、淡路島事件との対比を明確にするため省略したが、周南事件では、犯行前にゾルピデムなどの睡眠薬を服用したという事実がある。その量は大量であり、犯行時の意識状態への影響は当然にあったと考えられるが、犯行への影響はなかったと一審裁判所はかなりあっさりと断定している。

 

56

3つの事件それぞれの一審裁判所の認定は表1の通り要約することができる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このように表にしてみると、3つの事件の一審裁判所の認定は、(1)から(8)に関してはかなり共通していることが見て取れる。そして(1)から(8)は、責任能力が問題となった刑事事件における我が国の裁判所の着眼点としてかなり標準的と言えるもので、これらの事実認定を基盤として、犯行への病気の影響と正常心理の影響のそれぞれを検討するというのが汎用されている一つの手法である。

(9)病気の影響については、熊谷事件と周南事件が「なし」、淡路島事件が「小さい」であるが、論法としては、むしろ周南事件と淡路島事件が共通しており、熊谷事件だけが独特で、それは表の(3)に現れている。すなわち、熊谷事件は、犯行目的を金品奪取に限定することで、妄想の影響を完全に遮断している。それに対し淡路島事件と周南事件では、犯行目的が被害者らに対する報復であり、報復するという発想が妄想から発生したことは認めることで、妄想から犯行までに因果の連鎖があることを認めている。しかしそのうえで、妄想の影響だけでは犯行を実行させるには到底足りないとしたのである。

犯行に決定的な影響を与えた要因(10)は、用いた文言は裁判所によって若干の違いがあるが、意味するところはいずれも同じで、病気以外の正常な心理であるとするものである。犯行までの経緯や目的はどうあれ、最終的に殺人を行ったのは正常心理に基づいていたという論理である。殺人を「正常」とみなすことへの違和感は、被告人の元来の人格(性格と呼んでもよい)との親和性を指摘することで解決するという形を取っている。

このように、3件の一審裁判所はいずれも、犯行に至る被告人の一連の行為から、犯行そのものを切断し抽出して判断を下した。人間の行為は一連の流れとして生起するから、行為する人間を理解しようとするときはこの流れ全体を視野にいれなければならないが、そのためのステップとしては、まずは流れを切断して部分を抽出することから始める必要がある。刑事裁判では最も重要なのは言うまでもなく犯行そのものであるから、一連の行為を切断し犯行という行為を抽出しそこに着目するのは当然であり適切な手法である。だが最終的な結論を出すためには、抽出部分についての理解が全体の理解とも整合性があることが必要である。この観点からみたとき、熊谷事件、淡路島事件、周南事件の一審裁判所の論法と結論ははたして適切なのか。3件とも控訴され、争いの場は高裁に移った。

 

57

控訴審(高裁)の判決は次の通りである。

熊谷事件  一審死刑判決を破棄し自判: 無期懲役210)  

淡路島事件 一審死刑判決を破棄し自判: 無期懲役220)

周南事件  一審死刑判決を維持230)

 

58

熊谷事件と淡路島事件の一審判決破棄の理由はいずれも責任能力判断である。両事件とも高裁は、一審の完全責任能力を否定して心神耗弱と認定し、その結果死刑から減刑され無期懲役となった。つまり高裁は犯行には病気が大きく影響したと認定したのであり、一審の論法、すなわち一連の行為を切断し、犯行時のみを抽出するという手法を否であるとしたのである。

 

59 (熊谷事件の控訴審要約)

一審は犯行当時の精神状態の判断を誤った。そして動機認定を誤った。結果として責任能力判断を誤った。これが控訴審の結論である240)。表1(本稿56)に示した一審の認定を控訴審のそれと対比したものが表2である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

60 (控訴審の指摘)

一審が精神症状の評価を誤ったのは、一審がKP1鑑定の評価を誤ったことが主因である。『起』に前記の通り(本稿10)、一審はKP1鑑定を採用する一方で、その結論を否定していた。否定された結論とは「被害妄想や精神的な不穏が住居侵入と殺害の行動の全般にわたって影響を与えた蓋然性が高い」という鑑定意見であるが、この否定が大きな誤りで、一審は被告人の精神症状のうち妄想のみを前提とし、不穏状態の方を無視した250)。表2(2)の通りである。

 

61

控訴審のいう不穏状態とは、被告人の具体的な精神症状の表れを指している260)。精神症状の表れは被告人の統合失調症の症状悪化をありありと示している。一審はそれを無視したのであるから、これは信じ難い誤りであって、控訴審で破棄されるのは当然すぎるほど当然である。

 

62

犯行まで、そして犯行時の精神状態について高裁は、動機の形成過程が妄想によるものであること、犯行に至るまでのいくつもの不穏な行動、被害宅に侵入したのは妄想上の追跡者から身を隠すためであり、被害者らに対して残虐なことをしなければならないという誤った意味づけをした可能性があること、逃走資金だけが動機とするには犯行が激しすぎること、そして犯行現場に残された血文字、ペティナイフを壁の隙間に刺す、携帯電話を靴下に入れて結ぶなどの意味が判然としない行為があったことなどを指摘している270)

 

63

一審裁判所が62のような事実を軽視(事実上は無視)したのはきわめて不可解であるが、それよりさらに不可解なことは、法廷で裁判官はKP1医師に対し、被告人の本件各犯行がもし純粋な金品入手目的であったらと仮定した質問をし、その仮定のもとでは病気の影響が入り込む余地がないというKP1医師の証言にそった判示がなされていることである。裁判官が自分で独自の結論を示し、その独自の結論を前提とした質問に対する鑑定人の答えをあたかもKP1医師の見解であるかのように扱うこのような論法が不正であることが裁判官に理解できないはずがないから、裁判官が本当にそんな質問をしたのかと疑いたくなるが、質問したことは間違いなく事実のようである280)290)300)

 

64

他方、高裁は、KP1鑑定を正しく評価し、精神症状を正しく評価し、特に動機形成過程への妄想の影響を重視して論を展開し、「精神症状の犯行への影響は大きかった」と認定している。

 

65 (心神喪失の否定)

控訴審はこのように、精神症状の大きな影響を認定する一方で、被告人の具体的な行動のいくつかを取り上げ、そこには自発的意思による部分が残っていたと指摘し、結論として、「本件各犯行が本件各妄想及び精神的な不穏状態に非常に大きく影響されていたものの,これらに完全に支配されていたとまで評価することはできず」という理由により、心神喪失ではなく、心神耗弱であると認定している。

 

66

控訴審の判示を一審のそれと対比すると下図の通りとなる(図7)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

図7 熊谷事件1審と控訴審の対比.  1審は犯行は金品目的であるとし、そのための手段選択は正常な心理であると認定した。すなわち、妄想から犯行までの一連の行為を切断して犯行直前の状況のみに着目し、その時点で思考を停止した。それに対し控訴審は、動機形成過程への妄想の影響を重視するとともに、犯行に至る経過をあわせた一連の行為の全体像を検討し、手段選択にも妄想などが大きく影響していたと認定した。

 

 

67

控訴審と一審の認定の対比は、ドミノの図にすればより視覚的に明らかになる(図8)。一審はその判決文の「犯行直近の状況に限ってみれば」というフレーズに象徴されるように、犯行直近の状況だけを切断・抽出して判断を下している。切断して抽出すること自体は不当ではないと思われるが、抽出した一部分だけをみたのでは正しい判断ができないのは当然であって、熊谷事件の一審裁判所が誤った判断を下したことはあまりに明白である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

68(淡路島事件の控訴審要約)  

淡路島事件は、その控訴審において、あらためて精神鑑定(AP3鑑定)が行われた。そして一審が依拠したAP2鑑定は誤りでAP3鑑定が正しく、AP3医師の診断である妄想性障害による妄想でしか本件の原因を説明できないから精神症状としての妄想の影響が極めて大きかったと認定した。表1(本稿56)に示した一審の認定を控訴審のそれと対比したものが表3である。 

 

 

 

 

 

 

69 (控訴審の指摘)

被告人の診断は妄想性障害である310)

被告人の症状と経過は妄想性障害(AP3鑑定の診断)に一致し、薬剤性精神病(AP2鑑定の診断)には一致しない。

 

70

AP3鑑定では、その診断である妄想性障害をパラノイアと同義であるとしたうえで、被告人においては、妄想が構築され、頑固に体系化されていったという経過がパラノイアに一致していることを強い診断根拠にしている。そして高裁はこの診断論理の説得力を高く評価している320)

 

71

AP3鑑定はAP2鑑定の診断である薬剤性精神病を否定し、高裁はこのAP3の意見を追認している。薬剤性精神病否定の主たる根拠はメチルフェニデートの最終使用から年月がたちすぎていることである330)340)

 

72

他方、被告人には幻覚と解し得る症状があることは妄想性障害の診断とは矛盾するようだが、被告人のその症状は幻覚とは言えないという趣旨のAP3医師の説明を高裁は受け入れている350)360)370)

 

73

被告人の診断を妄想性障害であると認定した高裁は、続いて、犯行への妄想の影響の強さの検討に入る。そのためには犯行動機が重要であるとし、次のように判示している。一審は犯行動機そのものは正しく捉えていたが、その犯行動機が妄想によるという点を看過したという指摘がこの判示のポイントである(下線は村松による)。

 

 原判決は,被告人が犯行後,「被害者一家らに報復をするとともに,裁判の場で精神工学戦争の存在を世間に明らかにする目的で本件犯行を行った」旨の発言につき,犯行時に携帯していたボイスレコーダーには,被告人の声で,被告人がその時点でも工作員に攻撃を受けている旨発言したり,「悔しい」から「工作員らを殺してやって」と言ったり,殺害の瞬間に「じいさん達のかたき」「拷問してくれたな」「電磁波兵器で」と言ったりしている様子が録音されており,上記発言はこれらによって裏付けられていて信用できる,とし,本件犯行動機は,被害者ら家族は工作員であり自分たちに長年攻撃をしてきているという妄想を前提として,それに対する報復をし,裁判の場で精神工学戦争の存在を明らかにするというものであったと認められるとしている。

 この判断自体に誤りはない。しかし,このような動機は,被告人の妄想でしか説明が付かないから,被告人の妄想が本件の決定的な原因であり,妄想の本件犯行に対する影響は極めて大きかったとするのがその論理的帰結である。

 

74 (心神喪失の否定)

控訴審はこのように、精神症状の大きな影響を認定する一方で、違法性の認識があったこと(したがって弁識能力は「少なくとも最低限保たれていた」)、そして犯行時に切迫した恐怖を感じていたわけではなく、直接的に殺害を促すような幻覚,妄想等の症状があったわけでもない(したがって制御能力は「多少は保持されていた」)という理由により、心神喪失ではなく、心神耗弱であると認定している。

 

75

控訴審の判示を一審のそれと対比すると下図の通りとなる(図9)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

図9 淡路島事件1審と控訴審の対比. 1審は動機は妄想であると認定したものの、妄想から犯行に至る一連の行為を切断した。それに対し控訴審は妄想から犯行までを連続的に捉えることで、精神症状が犯行に大きく影響したと認定した。

76

控訴審と一審の認定の対比は、ドミノの図にすればより視覚的に明らかになる(図10)。一審は妄想の犯行への影響はあると認めたものの、犯行を実行させたのは自発的意思(=図10上の指のひと押し)がはるかに大きいと認定したのに対し、控訴審は妄想と自発的意思の大きさの相対的な関係についての認定を一審とは逆転させた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

77 (熊谷事件と淡路島事件の控訴審)

以上の通り、熊谷事件と淡路島事件の控訴審はいずれも、一審の完全責任能力という認定を否定し、心神耗弱と認定した。

 

78

両事件とも、精神医学的には控訴審が正しいと感じられる。特に熊谷事件の一審の事実認定と論考は粗雑かつ浅薄の極とも言うべき品質であるから、精神医学を持ち出すまでもなく、控訴審の方が正しいことは明白である。

 

79

そして、淡路島控訴審の判示の事実認定の精密さと認定した事実に基づく論考は、精神医学的にみて非常に優れており、妄想が犯行に影響した事件についての論考の手本になるとさえ感じられるものである。

 

80

しかしここで、あえて淡路島控訴審判決の問題点を考えてみる。下級審を上級審が覆せば、正しいのは上級審ということになるが、それは裁判のルール上そのように定められているということであって、真実は何かという観点からは上級審が正しいとは限らない。したがって判決確定の時点で思考を停止させるのはむしろ不適切であろう。よって、一審との比較や、さらには精神医学的に賛同できるということとは独立した観点から、控訴審について中立的に検討を試みる。

 

81

淡路島控訴審判決の論旨は明快である。「妄想の影響が大きい。ゆえに心神耗弱か心神喪失である380)。」という論理構造である。

 

82

だが、第一に、「影響が大きい」というのは、結局は印象にすぎない。「いや、大きくないと私は思う」と主張されたとき、どこまで反論できるのか。

 

83

妄想の影響が大きいというのは控訴審裁判官ばかりでなく、AP3医師の意見でもある。私もAP3医師の意見に賛同する。だがこれもまた印象にすぎない。精神医学は、ある行為について妄想の影響が「ある」とまでは言えても、「大きい」ことの証明はできない。妄想に影響されて行為がなされれば、それは妄想の影響が大きいことの証であるというのが精神医学の常識的な考え方であるが390)、そう考えるのは臨床精神医学のいわば慣習にすぎない。

 

84

「妄想に影響されて行為がなされれば、それは妄想の影響が大きいことの証である」という臨床精神医学の慣習的な論法の基底には、医学の最大のテーマである治療がある。精神病者の逸脱行動を治療ないし予防する責務が医師にはあるのであって、そのためには妄想を治療することが第一であるという事情が、「妄想の影響が大きい」という判断に繋がっている。すなわち治療者という立場からは、「妄想に影響されて行為がなされれば、それは妄想の影響が大きいことの証である」は正しい。少なくとも十分に受け入れられる。しかし治療とは別次元にある司法精神医学でこの論理が通用するかはまた別の問題であろう。

 

85

淡路島事件も熊谷事件もその控訴審は、妄想の影響が大きいことの理由として動機形成への妄想の影響を指摘している。両控訴審とも、その論法が正しいことは自明の理であるとしており、法律関係者の論文等にもこれに賛同するものが複数みられる290)300)

 

86

しかしこの論法もまた一種の切断と言えるのではないか。動機形成過程を重視するという淡路島控訴審の論理は、視覚的に示せば図11下にほかならないのであって、切断・抽出という意味では図11上の熊谷事件の一審判決と同じで、ただ切断・抽出の部位が異なるだけのではないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

87

もっとも、淡路島控訴審は、犯行時の被告人の言動にも言及し、犯行動機が妄想であることを指摘しているので、切断・抽出した部分のみに着目しているわけではないが、それでも動機形成への妄想の影響の強さこそが犯行への妄想の影響の強さに対応しているという論考の枠組みは動かない。

 

88

第二に、「妄想の影響が大きい。ゆえに心神耗弱か心神喪失である。」(本稿81) の後段部分にも問題を指摘することができる: 「妄想の影響が大きい」と、なぜ、「ゆえに」「心神耗弱か心神喪失である」という結論が導けるのか。控訴審の最終結論は心神耗弱であるが、心神耗弱と結論するためには、「影響が大きい」だけでは不十分で、弁識能力または制御能力が著しく損なわれていたことが証明されなければならない。その証明を淡路島控訴審の判決文に見出すことはできない。

 

89

「妄想の影響が大きい」という認定については、精神医学的にごく自然に賛同できる。だが「心神耗弱である」という認定は精神医学の領域からは離れた法的判断であるから、精神医学的には賛同できるもできないもない。だがそれだからこそ逆に、法的判断としての論理性が必要である。

 

90

淡路島控訴審の判決文には、「責任能力の有無・程度は,被告人の精神障害の状態という生物学的基礎の上に,事理弁識能力及び行動制御能力がどの程度障害されていたか,逆にいえば,どの程度正常なまま残っていたかを,法的に判断するものである。」と記されている。これは責任能力判断手法についての一つの宣言であるが、現代における標準的とされる手法を示したものであって、この宣言に対しては異論が発生する余地はあまりない。

 

91

ではこの宣言に基づく淡路島控訴審の実行=責任能力判断についてはどうか。淡路島控訴審は、制御能力について次の通り判断している(下線は村松による):

 

被告人は,たとえ処罰を受けることになっても,妄想性障害に基づく妄想の強い影響を受けていたために,自己の復讐を果たすとともに,精神工学戦争の実在を明るみに出したいとの動機に基づき,そのような行為に出ることが正しいことであると認識して,規範障害を乗り越え,本件に及んだと認めるのが相当である。本件犯行を思いとどまる能力(制御能力) は,妄想のために著しく減退していたとみられる。

 

92

「相当である」は法律用語であるが、その内実は、「私はこう思う」の言い換えにすぎない400)。判決文においては、その「私」とは裁判官である。

 

93

91の論理構造はこうである:

 

妄想の強い影響

 ↓

動機の形成

 ↓

復讐すること、及び戦争の現実を裁判で明らかにすることが正しいという認識

 ↓

規範意識乗り越え

 ↓

本件犯行

 

裁判官は上のように「思った」のである。そしてこの「思った」内容が、「制御能力の著しい減退」という結論に直結している。

 

94

裁判官がそう「思った」内容は正しいのか。そしてそのように「思った」内容が制御能力の著しい減退に直結するという論理は正しいのか。

 

95

というように疑問は尽きないが、これ以上追求するのは不毛であろう。94は裁判官の問題ではなく、責任能力判断に内在する問題の顕現にすぎない。93に示した「妄想の強い影響」から「規範意識の乗り越え」までの連鎖は、厳密な証明は不可能な事項であって、そうであれば結論を出す権限は裁判官にある。制御能力との関係についても同様である。よっていったんここから離れて周南事件に行くが、後に『転』で再訪する。

 

 

96 (周南事件・控訴審) 230)

熊谷事件、淡路島事件とは異なり、周南事件の控訴審は一審を支持し、完全責任能力認定と死刑判決を維持した。

 

97

周南事件控訴審は、同事件一審と同様、ほぼ全面的にSP2鑑定を支持し、SP2鑑定に示された精神医学的意見に依拠した法的結論を出している。控訴審では弁護側から、SP2鑑定を論難する複数の司法精神医学者からの意見書が提出されているが、控訴審はそれらは必要性がないと却下している。その理由は、第一に、SP2鑑定が信用できると評価できること、第二に、一審での弁護人がSP2鑑定を支持していたことである410)

 

98 (周南事件・上告審) 420)

最高裁は上告を棄却した。

 

99

最高裁の判決文中、責任能力にかかわる記載は次の部分のみである:

 

各殺人及び放火についての動機の形成過程には,前記妄想が影響しているものの,被告人は自らの価値観等に基づいて各犯行に及ぶことを選択して実行したもので,前記妄想が本件各犯行に及ぼした影響は大きなものではない。

 

100

99から読み取れる限りにおいて、最高裁は(そして一審も控訴審も)切断を是としている。図12の通りである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

101

また、本稿55でも指摘した、犯行時に服用していた睡眠薬の影響については、最高裁は一切言及していない。

 

102 (周南事件・再審請求審) 430)

再審請求も棄却された。

 

103

再審請求での弁護人の主張は、確定判決には次の3つの問題があるというものであった:

(1) 妄想性障害の「妄想」を「思い込み」と置き換えて,妄想性障害の病理性を軽視している

(2) 睡眠薬の服用状況について検討が不十分である

(3) 他の司法精神医学者の意見等を総合的に検討すれば、AP2鑑定に依拠した「元来の人格」の説明は誤っている。

 

104

再審請求審裁判所(山口地裁)はこの3つをいずれも却下している。その要旨は次の通り:
(1) AP2鑑定人は、被告人の近隣住民に対する認識が妄想性障害に基づく病理現象としての「妄想」であることを明確に説明したうえで、分かりやすく説明するために「思い込み」と置き換えたにすぎない440)
(2) 睡眠薬が犯行に無関係であるということはAP2が明確に示している450)
(3) AP2医師は、妄想の影響は動機形成過程であり、本件犯行に及ぶ決意には影響していないと判断しているのであって、被告人の性格(元々の人格)を過大評価しているわけではない460)

 

105

再審請求審裁判所の判示104(1)(2)(3)にはいずれも深刻な問題があることは注440)-460)に記した通りであるが、106以下の論との関係で、(3)についてのみここに簡潔に指摘しておく。

犯行に及ぶ決意については妄想の影響は小さいと裁判所は結論しているが、そうであれば何が同決意に大きく影響したのか。妄想の影響を除外すれば、残るのは被告人の思考の正常部分であって、あのような残虐な行為に及んだ思考が「正常」だというのであれば、そこには性格という因子を導入する以外にない470)。再審請求審裁判所の104(3)は誤っている。「犯行の決意に妄想の影響はない」という認定から論理的に必然的に導かれる性格の影響を否定しているのであるから、欺瞞とさえ言いうる論理矛盾が判決文に堂々と記されている。再審請求審裁判所決定文の「過大評価しているわけではない」という表現はこの論理矛盾を隠蔽するためのレトリックである。

 

106 (淡路島事件控訴審と周南事件各審級)

淡路島事件と周南事件は、妄想が関係する犯行として、かなりの共通点がある。そして淡路島事件控訴審も周南事件各審級(一審、控訴審、上告審、再審請求審のすべて)も、動機形成に妄想が影響したという認定は共通しているが、犯行への妄想の影響については両者は大きく異なっている。視覚化すれば図13の通りである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

図13 淡路島事件控訴審と周南事件各審級の対比. 淡路島事件控訴審(上)は、動機形成過程への妄想の影響が、犯行への影響まで、いわば減衰せずに及んだと認定した。それに対し周南事件各審級(下)は(どの審級も共通)、動機形成への妄想の影響は認定したうえで、犯行に大きく影響したのは性格であると認定した。すなわち、妄想の影響は、犯行に至る過程でいわば減衰しているとする認定ということになる。結果として犯行はそれまでの過程からは切断されている。

 

107

淡路島事件控訴審と周南事件各審級の違いは図13にありありと示されている通り、切断の是非に集約できる。

 

108

切断は、直感的には受け入れにくい。だが他方で淡路島事件も周南事件も、問われている妄想の影響はあくまでも「犯行への影響」なのであるから、切断し、犯行に焦点を絞るのは正しいという立場もあり得よう。

 

109

しかし人間の行為は一連の流れとして生起するものである。行為する人間を理解しようとするときは常に、この流れ全体を視野にいれなければならない。理解するためには、まずは流れを切断して部分を抽出することから始める必要があるのは事実であるが、切断抽出部分についての分析は結論に至るまでのステップであって、結論ではない。部分から全体に戻る必要がある。

 

110

大雨で川が増水し橋が崩落した。このとき、橋が崩落した原因は何か。

 

111

原因は大雨である。橋に直接あたった雨水によって橋が崩落したわけではないが、だからといって大雨が間接的であるとか背景にすぎないなどということはできまい。橋を流したのはあくまでも川の水であって大雨ではないなどという反論も滑稽である。つまり橋の崩落だけにいくら着目しても、原因に到達することは決してできない。

この比喩からすれば、切断は失当であり、妄想の影響についても、切断は受け入れられない。

 

112

だがこの比喩の有効性は限定的である。人間の行為の場合は意思という因子が入るからである。

 

113

すると川の増水の比喩では(この比喩は、因果の連鎖という意味に限定すれば有効である)、大雨・増水の影響による橋の崩落を食い止める手段があったか否かという問いが検討されなければならない。たとえば橋を管理する市町村等は、何らかの対策を講じることができたか否か。できたとすればそれを怠ったことが責められることになろう。

 

114

これを被告人にあてはめれば、妄想の影響による犯行を思いとどまる意思を作用する余地があったかという問いを検討することになろう。

この比喩からすれば、切断は正当であり、妄想の影響についても、切断は受け入れられる。

 

115

逆に、なぜ動機形成がそこまで重視されるのかという疑問が発生する。

熊谷事件控訴審も淡路島事件控訴審も、動機形成過程への妄想の影響を非常に重視している。だが、犯行を思いとどまることができたか否かを責任能力判断のコアに位置づけるのであれば、動機形成がそこまで重要であるとは言えまい。図14に示した通り、妄想によって倒れ始めたドミノ牌は、犯行に至るまで因果の連鎖によって連続しているが、Z-1がZを倒すことを意思(ドミノ倒しと逆方向に作用する指)で思いとどまることができたかが最大の論点であって、そうであれば動機形成の重要性は限定的である。

 

116

そして熊谷事件の控訴審も淡路島事件の控訴審も、妄想の影響を肯定する根拠としては動機形成過程への影響を重視する一方で、妄想の影響を否定の方向に傾ける根拠としては犯行時に着目し、直接犯行を指示する幻聴はなかったことなどを挙げて心神喪失を否定している。つまりどちらの控訴審も、心神喪失否定の根拠を示すにあたっては、一連の行為を切断し犯行時を抽出することを受け入れている。

 

117

すなわち両控訴審の論理構造はこうである:

 

責任能力なしの方向に傾ける論拠:  動機形成過程への妄想の影響

責任能力ありの方向に傾ける論拠:  弁識能力と制御能力の具体的な現れ

 

118

この論理構造にそった控訴審の認定手法は正しいと言えるのか。また、仮に認定手法そのものが正しいとしたとき、結論としての心神耗弱が正しいと言えるのか。

 

119

この問いに答えるためには、責任能力とは何かという問いにまで立ち戻る以外にない。

 

120

A. あまりに精神が異常な場合は、罰しても意味がない

 

121

B. 犯行を思いとどまることが不可能だったのであれば、罰することはできない

 

122

複雑な問題をわかりやすくするために単純化すれば、責任能力の根底には上の二つの考え方がある480)。根本原理はA.であり、人々が広く共有している感覚である。

 

123

だが「あまりに異常な場合」とはあまりに曖昧で、法律には不適切な表現である。この表現では罰する・罰しないの境界を定めることができない。そこで「思いとどまることができたか否か」という基準を導入したのがB.である。

 

124

本稿では便宜上、A.を「異常精神論」、B.を「中止可否論」と呼ぶ:

A. あまりに精神が異常な場合は、罰しても意味がない

              → 異常精神論

B. 犯行を思いとどまることが不可能だったのであれば、罰することはできない

              → 中止可否論

 

125 (刑法39条)

刑法39条「心神喪失者の行為は罰しない」はこの分類でいえば異常精神論である。「心神喪失者」とは何かについては法文ではブランクになっており、「あまりに異常」とでも解釈する以外にないからである。

 

126 (昭和6年判決)

そしてブランクであった心神喪失の内容は昭和6年大審院判決に示されており(以下、本稿ではこれを昭和6年判決という)、これが心神喪失(及び心神耗弱)の定義とされている70):

 

心神喪失ハ精神ノ障碍ニ因リ事物ノ理非善悪ヲ弁識スルノ能力ナク又ハ此ノ弁識ニ従テ行動スル能力ナキ状態ヲ指称シ心神耗弱ハ精神ノ障碍未タ上叙ノ能力ヲ欠如スル程度ニ達セサルモ其ノ能力著シク減退セル状態ヲ指称スルモノトス

 

127

昭和6年判決は、精神障害・弁識能力・制御能力の3要素から成り立っているが、最終的に自分の行動を制御できなければ無罪という意味になるから、124の分類でいえば中止可否論である490)

 

128

だが125(刑法39条)と126(昭和6年大審院判決)が別々に存在しているのは、ある意味奇妙なことである。39条が収載された刑法の施行は1908年(明治41年)。心神喪失の定義が示された大審院判決は1931年(昭和6年)である。すると明治41年から昭和6年までの23年間の裁判では心神喪失の判断はどうやって下していたのか。そもそも刑法制定のときに、なぜ「心神喪失者の行為は罰しない」などという曖昧で、実用になりにくい条文を定めたのか。

 

129

その背景については、2020年-2021年佐野文彦の論文500)に詳述されている。130以下は同論文(本稿では佐野2021という)にそった説明である(但し村松による解釈が含まれている)。

 

130 (旧刑法)

旧刑法(明治13年; 1880年発布)にはその78条に

罪ヲ犯ス時知覺精神ノ喪失ニ因テ是非ヲ辨別セサル者ハ其罪ヲ論セス

という記述があった。すなわちこの「知覺精神ノ喪失」が心神喪失の原型である。

 

131 (現行刑法)

そして現行刑法の制定過程においては、旧刑法の「知覺精神ノ喪失」をめぐって様々な議論があった510)。「知覺精神ノ喪失」に替わる文言として「精神ヲ喪失シタル者」「精神病者又ハ意識喪失者」「精神障害ニ因ル行為」などが出されたが、最終的には、精神障害という言葉のカバーする範囲が曖昧であるという事態を反映して、どれも採用されず、あえて定義をブランクにした「心神喪失者」という語だけが条文に記されることとなった。

 

132

131の要約として、佐野2021には次の通り記されている(137巻1616頁)

 

「精神障害ニ因ル行為」か否かが決定的であるという観念に基づきながら、しかし法律上意義を決することができる用語として「心神喪失」「心神耗弱」の用語が用いられるに至った。

 

「心神喪失者の行為」「心神耗弱者の行為」という現行刑法39条の要件は、その制定過程においては、医学上の「精神障害」の争いとは一線を画するという意義は有していたものの、一線を画した上で如何にしてその意義を決するかについては敢えてブランクにされた要件であると評価することができよう。

 

133 (昭和6年判決)

そして刑法施行23年後の昭和6年判決で、心神喪失認定のための具体的因子として、「精神の障害」「理非善悪を弁識する能力(弁識能力)」「同弁識に従って行動する能力(制御能力)」が示された70)

 

134

責任能力の概念は、少なくとも文言上はここで確定され、90年以上たった現代にも継承されている。すなわち、(1)精神障害がある ことを大前提とし、(2) 弁識能力が失われているか、または、たとえ弁識能力が保たれていても、(3)制御能力が失われていれば、刑罰を科すことはできない。

 

135

134(1)(2)(3)は刑法39条と昭和6年判決からの論理的な帰結で、ここまでは異論が生まれる余地はあまりない。

だがこう説明した瞬間にいくつもの問題が発生する。

 

136

第一に、「精神障害とは何か。」

精神科医に答えを求めても無駄である。精神科医の数だけ異なる定義が出てくるであろう。

法律の中に定義を求めるとすれば、精神保健福祉法に「精神障害者とは」として「統合失調症、精神作用物質による急性中毒又はその依存症、知的障害、精神病質その他の精神疾患を有する者をいう」と明記されているが、これは精神保健福祉法の対象疾患を定めたものであって、責任能力とは無関係であるからここでは使えない。

 

137

第二に、「弁識能力とは何か。」

違法性の認識であるとする見解が優勢であると思われるが、本稿48に記したように、もっと大きな意味、すなわち法という次元にとどまらず道徳,倫理,信仰などの総体としての社会のルールにかなっているか否かを判断する能力を指しているという見解もある。

 

138

第三に、「制御能力はどうやって判定するのか。」

犯行を思いとどまることができたか否か。それが制御能力の判定であるが、現に犯行が行われたとき、それは思いとどまることができたのにしなかったのか、それともそもそも思いとどまることができなかったのかを知る方法は存在しない。これは自由意思についての問いになる。法の学説の中には制御能力は自由意思の概念とは別であるという主張もみられるが、自由意思という厄介な言葉を導入する・しないにかかわらず、制御能力の有無、すなわち思いとどまる能力の有無は証明不可能である。

 

139

「制御能力とは何か。」という問いも考えられる。昭和6年判決からは、弁識能力すなわちそれがよいか悪いかの認識を前提としたうえで(ここではよい悪いが法の次元に限られるか否かという137の問題は棚上げにする)、悪いことであればしないことができる能力であることは自明と思われるが、そうではなく自分の行動をコントロールする能力一般を指すのだという主張が裁判の場でなされることがある。だがこれは「制御能力」という便宜的な略語に囚われた誤解か、そうでなければ何らかの意図に基づく故意の曲解であろう。昭和6年判決からは「自分の行動をコントロールする能力一般」という概念は出てこない。

 

140

こうした未解決の問題が潜在・顕在しつつ、裁判実務は進行してきた520)-570)。だが問題を整理する必要性が発生した。2009年(平成21年)の裁判員裁判の導入である。

 

141

責任能力のような、法律の専門家にとっても難解な法律概念580)を、素人である裁判員にわかりやすく説明する方法を定めることが文字通り喫緊の課題として浮上したのである。この目的のために司法研修所が2009年に出版したのが「難解な法律概念と裁判員裁判」(以下、難解2009という)といういかにも直截なタイトルを冠された冊子である590)

 

142

難解2009590)には次の通り記されている(36頁):

例えば、犯行が妄想に直接支配されていたか否かが責任能力の判断のポイントとなる事案では、端的に、「精神障害のためにその犯罪を犯したのか、もともとの人格に基づく判断によって犯したのか」という視点から検討するのが裁判員にとって理解しやすいのではないかと思われる。

裁判員裁判導入後の判決文をみると、裁判実務に対するこの記載の影響力は絶大であったことが読み取れる。

 

143

もっとも、何気なくという感じで挿入されている「端的に」という副詞はなかなかの曲者である。「端的に」は「明白に」とか「あれこれ言わず核心だけを言えば」といった意味であるが、はたして「精神障害のためにその犯罪を犯したのか、もともとの人格に基づく判断によって犯したのか」という視点 は「端的」なのであろうか。この視点は昭和6年判決の「弁識能力・制御能力」とどう結びつくのか。ぜんぜん端的ではないように私は思うがどうか。

 

144

だがこの記述の端的な問題は端的という文言と責任能力概念の関係ではなく、「もともとの人格」という文言と責任能力判断実務との関係であることが、その後の裁判実務を通してどんどん顕在化してきた。

 

145

「もともとの人格」という文言は、やさしい言葉でわかりやすいような顔をしているが、それは人を欺く仮面であって、実のところは難しすぎるのである。

 

146

その難しさには二面ある。一面は、もともとの人格を知ることの難しさである。もう一面は何をもってもともとの人格に基づく判断とするかという難しさである。

 

147

もともとの人格に基づき犯行が行われたのであれば、被告人は非難されるべきであるというところまではどこからも異論が出る余地はまずないであろう。抽象的にはその通りであるが、具体的にはどうか。すなわち、第一に、もともとの人格はどうやったら知ることができるのか。「大体こんな感じの人だった」というところまでなら、過去の被告人を知る人からの情報が大いに参考になるであろう。だが知りたいのはそんなことではなく、その犯行がその人格によって行われたと判断できるに足るまでの「もともとの人格」情報なのである。おそらくそのレベルの情報が得られることは、ごく特殊な一部の事例を除けば、あり得ない。知ることができるのはせいぜいいくつかのエピソードのみであり、そうしたエピソードを根拠に、「もともとの人格」を十分に把握することは不可能である。

 

148

そして第二に、もともとの人格がそのように限られたエピソードを根拠に認定するしかないとき、何をもってもともとの人格に基づく判断とするのか。そのエピソードが多少なりとも攻撃的だったり冷酷だったりすれば、それを犯行と結びつけるのか。かかる手法を是とするのであれば、非常に多くの犯行がもともとの人格に基づく判断によってなされたということになろう。熊谷事件一審の、「被告人は残虐な場面が出てくるゲームを好んでいたから、犯行はもともとの人格と連続性がある」という認定が、その種のトンデモ認定の代表であるが、類似の認定は他の裁判にも散見される。

また、もともとの人格との連続性がある犯行であるか否かを責任能力判断における必須項目にするのであれば、仮に、ある任意の被告人において、彼/彼女が真に暴力的な人物であったことが判明したとき、そのような人物が重い精神障害に罹患し、精神障害に支配されたといえるほどまでに著しく大きく影響を受けて犯行におよんだ場合であっても、もともとの人格による部分があると認定されることになり得るが、それは全く不合理であろう。

 

149

かくして、もともとの人格論は、抽象的には優れているとしても、具体的に用いるのには欠陥が多すぎる600)。後述のダラムルール(171)が、抽象的には優れているとしても、具体的には欠陥が多過ぎて実務では使い物にならなかったのと同様である。

 

150

難解2009から10年後に司法研修所が出版した「裁判員裁判と裁判官 --- 裁判員との実質的な協働の実現をめざして ---」(以下、協働2019という)610)では、難解2009の「もともとの人格」をめぐる議論を比較的詳しく展開した後に、次の通り記されている620)(98頁):

難解概念司法研究にいう「もともとの人格」とは、より本質的には、「正常に判断・制御する部分」と理解されるべきであろう。

 こうした理解を前提にすれば、上記②の「精神障害の影響のためにその罪を犯したのか、正常な精神作用によって犯したのか」という判断対象の示し方(裁判員に対する説明)は、統合失調症を念頭に置いた場合、より汎用的なものであるということができる。

151

難解2009と協働2019は、もちろん裁判員裁判制度をターゲットにしたものであるが、それまで混沌としていた責任能力概念を限られた専門家の間だけの議論から解放し、広く議論可能なものにしたという点で非常に大きな意義を有している。この意義は裁判員裁判制度が廃止されてからも永く持続するであろう630)

 

152

そして、難解2009と協働2019に共通する文言である「精神障害の(影響の)ためにその犯罪を犯したのか」については、「その犯罪」が「精神障害のために」「犯された」と判断するための根拠は、「その犯罪が」「犯された」のは「正常心理では理解できない理由による」ということに帰着するから、異常精神論そのものである。

 

153

では中止可否論の扱いはどうなるのか。すなわち弁識能力と制御能力はどこに行ったのか。難解2009と協働2019は裁判実務にはどう反映されているのか。あらためて(1)-(10)に目を向けてみる。表1(本稿56)、表2(59)、表3(68)を結合した表を示す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

154

『承』で論じた通り、また、上に表4としてあらためて示した通り、責任能力認定に至る裁判所の着眼点が(1)から(10)であることは3つの事件の各審級に共通している。

 

155

そこで、『起』『承』で取り上げた裁判例のうちで、最も論理的に透徹した判示がなされている淡路島控訴審判決を例に、裁判所の責任能力認定の論理を整理してみる。

 

156

結論を先に述べると、裁判所は、「異常精神論を主軸としたうえで、中止可否論で補足する」という論理構成を採用している。

 

157

「異常精神論によって形成された心神喪失に向かうベクトルを、中止可否論によって形成されたベクトルで完全責任能力の方向に引き戻している」と言い換えることもできる(後掲の図14も参照)。

 

158

156の「異常精神論を主軸としたうえで、中止可否論で補足する」は、132に示した佐野2021の要約と整合性がある:

 

「精神障害ニ因ル行為」か否かが決定的であるという観念に基づきながら、しかし法律上意義を決することができる用語として「心神喪失」「心神耗弱」の用語が用いられるに至った。

 

159

淡路島控訴審判決の責任能力判断650) のポイントは、本稿73に示した通り、犯行時、被告人は精神障害(妄想性障害)を有しており、その症状としての妄想が、犯行動機形成に大きく影響したというものである。表4にあてはめれば (1)精神病性障害 (2)精神病症状 (3)動機の三点がここにくる。

 

160

すでに指摘した通り(本稿『承』88-94)、淡路島事件においては、被告人の妄想が犯行に大きく影響したという認定は精神医学的に首肯できるものの、その「大きく影響」を心神耗弱以上、すなわち心神耗弱か心神喪失の認定に直結させる控訴審の論法は、弁識能力にも制御能力にも言及することなく、責任能力判断が事実上なされているという点で奇妙と感じられる660)

 

161

淡路島控訴審は、妄想の犯行への影響を論ずるにあたっては、動機形成過程への妄想の影響が決定的であるという立場を明示した後、犯行前から犯行後までの一連の被告人の行動等を検討し、(8)犯行のころの病状悪化を認定、そして犯行時の(7)行動の合理性・一貫性が、むしろ妄想の強固さの反映であると認定し、動機形成過程への影響とあわせて、犯行には(9) 病気の影響が大きいと結論している。 

 

162

すなわち、(3)動機形成過程への妄想の影響が大きいという判断を支持・強化するものとして、(8)犯行のころの病状悪化、(7)行動の合理性・一貫性を援用している。これらはすべて異常精神論である。裁判所はこのように、異常精神論をまず前面に出し、しかる後に中止可否論に移行しているのである。

 

163

中止可否論への第一歩は(4)違法性の認識である。これは言うまでもなく弁識能力への言及で670)、制御能力への前提である。

 

164

(5)直接的に殺害を促す精神病症状(命令幻聴など)も、(6)切迫した恐怖もなかった。これらは制御能力が完全には失われていなかったという認定の根拠とされている。

 

165

かくして心神耗弱という結論が導かれている。

 

166

表4の中に(1)-(10) を記し、単純化したものが表5である。

 

 

 

 

 

 

 

 

167

表5は図14のように整理できる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

図14 責任能力判断のベクトル. 裁判所(淡路島控訴審をその代表とする)は、犯行への精神障害の影響の大きさを、責任能力なしに向かうベクトルの主軸としている。これは異常精神論である。そのうえで裁判所は、責任能力ありに向かうベクトルとして弁識能力と制御能力を検討している。これは中止可否論である。加えて、犯行に正常な意思の影響があれば、責任能力ありに向かうベクトルになる。矢印の長さはそれぞれのベクトルに割り当てられると想定されるおおよその強度を示している。弁識能力と制御能力は、本来的には、責任能力ありの方向のベクトルにも責任能力なしの方向のベクトルにもなり得るはずであるが、少なくとも本稿で取り上げた裁判例では、責任能力ありの方向のベクトルとしてしか捉えられていない。

 

168

この図式からも、156「異常精神論を主軸としたうえで、中止可否論で補足する」、言い換えれば157「異常精神論によって形成された心神喪失に向かうベクトルを、中止可否論によって形成されたベクトルで完全責任能力の方向に引き戻している」を読み取ることができる。

 

169

すなわち、少なくとも本稿で取り上げた裁判例においては、責任能力判断の主軸は異常精神論である。そしてそれは、難解2009と協働2019の「精神障害の(影響の)ためにその犯罪を犯したのか」という整理と端的に一致している。

 

170

これは米国のごく一部の州で採用されているダラムルールDurham ruleに一致している。

 

171 (ダラムルール)

ダラムルールは所産基準product ruleとも呼ばれており、「不法な行為が精神の疾患または欠陥の所産productである場合は、刑事責任を負わない」680)というものである。

 

172

しかし1954年にデビューしたこのダラムルールはほとんど実用にならなかった。「犯行が精神障害による」という基準はあまりに広すぎ、精神障害者による犯罪のあまりに多くが心神喪失となってしまい現実的でなかったこと、また、「犯行が精神障害によるか否か」という問いは、その答えの大部分を精神鑑定医の判断に委ねることになることになり、すると法的な結論まで精神鑑定医が下すことになって不合理であることなどがその理由であった。ダラムルールを字義通りに採用すると、心神喪失が氾濫することになってしまうのである。現在米国でダラムルールを採用しているのはニューハンプシャー州のみである。

 

173

難解2009と協働2019は、ダラムルールが原理的には正しいことを認めたうえで、「もともとの人格」「正常な精神作用」という因子を導入することで、心神喪失の氾濫に歯止めをかけている。少なくとも理論的には優れた論法を、司法研修所が創出したと言えよう。

 

174

淡路島控訴審判決はまさにそれを具現している。すなわち、異常精神論(≒ダラムルール)で完全責任能力を否定し、しかしそのまま心神喪失に到達することを中止可否論で食い止めている。視覚化すれば図15の通りになる。

             

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

図15 責任能力判断のベクトルとダラムルール. 裁判所は精神障害の犯行への影響を責任能力判断の主軸に据えている。この部分だけを切り取ってみれば、それはダラムルールの採用にほかならない。但し、弁識能力・制御能力・正常な意思の影響という因子を導入することで、心神喪失の氾濫に歯止めをかけている。

 

175

すると、責任能力の判断に至る淡路島事件控訴審と熊谷事件控訴審の論法、すなわち、本稿117に示した、

 

責任能力なしの方向に傾ける論拠:  動機形成過程への妄想の影響

責任能力ありの方向に傾ける論拠:  弁識能力と制御能力の具体的な現れ

 

という論理構造は、難解2009と協働2019の論法にそったものであるとみることができる。そして両控訴審の結論である心神耗弱については、ダラムルールが原理的に正しいことを認める立場を取るのであれば、図15の責任能力ありの方向へのベクトルはダラムルールによる心神喪失認定に対する抑制力ということにとどまるから、完全責任能力にまで引き戻す力はないと解釈することで首肯できるといえよう。

 

176

『転』の冒頭120からはあえて法の分野に足を踏み入れてきたが、ここまでの論を前提として、あらためて法から距離をおくことを目指し、抽象的な色彩が強いドミノ図を用いて考えてみる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

図16は最もシンプルなドミノ図である。妄想の動機形成過程への影響を最大限に重視する立場を取るのであればこの図になる。大雨で橋が崩落したとき、たとえばそれがはるか上流への降雨で、その橋までにいかに長い距離があろうと、橋の崩落の原因は大雨である。論理的には、大雨-橋の崩落の連鎖を決定的と考えることと、動機形成-犯行の連鎖を決定的と考えることは同一である。また医学的には動機への影響こそが決定的とみなすのは自然である。

 

177

だがこれだとダラムルールになってしまうから図16は採用できない。

 

178

そこで正常な意思の関与という因子を導入して考えることになる。正常な意思は二つの方向に作用する。一つは犯行を思いとどまる方向、もう一つは犯行を促進する方向である。

 

179

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

図17の指の作用、すなわちドミノ牌Zを支える(倒れることを防ぐ)作用は、犯行を思いとどまる能力にあたり、したがって制御能力である。淡路島控訴審でこの指にあたるのは、(5)直接的に殺害を促す精神病症状(命令幻聴など)も、(6)切迫した恐怖もなかったという認定である。 

 

180

制御能力についての淡路島控訴審の論法は、医学的には納得度は限定的である。(5)(6)の事実認定自体は正しく疑う余地はないと考えられるが、人が何かを思いとどまることができないのは、決して(5)直接的に殺害を促す精神病症状(命令幻聴など)と(6)切迫した恐怖の二つだけが理由ではない80)100)。たとえば強迫性障害においては、(5)も(6)ももちろんないのであるが、それでも人は強迫行為を止めることはできない。妄想による行為についても、(5)(6)がないことで直ちに思いとどまることができたと断ずることはできない。

 

181

しかしながら、思いとどまれなかったことを証明する方法がない以上、認定し得る事実に基づいて判断を下す以外にない。すると、(5)(6)が現代の裁判実務で定法として汎用されていることからも、この論法を不適切であるとして排除することは困難ということになろう。

 

182

もっとも、(5)(6)を重視するのであれば、淡路島控訴審において、(5)(6)の認定事実から、完全責任能力であるとする認定も成立し得ることになる。淡路島控訴審は、(5)(6)の認定に基づき制御能力は「多少は保持されていた」と結論しているが、なぜ「多少」と言えるのか。「充分」ではないとなぜ言えるのか。

 

183

それは妄想の影響との相対関係の判断になる。すなわち、図17のドミノ牌A(妄想)からの因果の連鎖によるドミノ牌Z-1の作用と指の作用の相対的な力関係をどう判断するかということである。淡路島控訴審の裁判官はZ-1の作用が非常に大きかったと判断した。ここは客観的に判断する方法が存在しない以上、裁判官の判断が定義上正しいということになる。

 

184

だが論理的には正しくない。(5)直接的に殺害を促す精神病症状(命令幻聴など)と(6)切迫した恐怖がもしあれば、思いとどまることはできなかったと言えるであろう。だがこのことから、それらがなかった場合には思いとどまることができたという結論は導けない。それは必要条件と十分条件の混同である。

 

185

しかし抽象的な論理の実務への適用には限界があるということなのであろう。

 

186

正常な意思の関与として考慮すべきもう一つの点は、犯行を促進する方向への作用である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

図18の指の作用、すなわちドミノ牌Zを倒す作用は、犯行を促進する能力にあたり、それが正常な意思であるとき、妄想の影響はない、または小さいということになる。したがって完全責任能力である。正常の意思の関与は、表4などに示した(10)にあたる。

 

187

図18の指は、難解2009の「もともとの人格」、協働2019の「正常な精神作用」にあたり、責任能力判断の論法として正当であることに疑いはない。

 

188

しかしここにはいくつもの問題がある。

 

189

第一に、「もともとの人格」という概念をめぐる問題である。これは144-148にすでに記した通りである。

 

190

第二に、正常な精神作用を「意思」「自分の意思」「自発的意思」などと言い換えるときに発生する問題である。

 

191

人がある行為をしたとき、それがその人の「意思」「自分の意思」「自発的意思」であるのは当然であって、その人がいかなる精神障害を有していたとしてもこのことは動かない。

 

192

判決文にはときおり、犯行を犯したのは「意思」「自分の意思」「自発的意思」などであると認定し、この認定に基づいて完全責任能力であるなどという判断を下しているものが見られるがこれは欺瞞である。犯行が「意思」「自分の意思」「自発的意思」によることが完全責任能力認定の根拠になるのであれば、すべての被告人は完全責任能力である。責任主義はここでは蒸発している。

 

193

もちろん裁判所が、「犯行を犯したのは「意思」「自分の意思」「自発的意思」などである」などと認定するとき、その「意思」「自分の意思」「自発的意思」などには、「正常な精神から生まれた」ということが含意されているのであって、その意味では192の指摘は失当であるが、論理としては192は正当であり、「犯行を犯したのは「意思」「自分の意思」「自発的意思」などである」という文章表現は深刻な誤解を招きかねないものであるから、判決文などに記されるのはやはり不当というべきであろう。

 

194

換言すればこの表現は、「犯行への最後のボタンを押したのは自分の意思である」と解されるものであって、中谷陽二は裁判所のこの「ロジック」を論難し、39条の空洞化につながるものであると批判している690)

 

195

中谷の批判は正当である。「犯行を実行したのは自分の意思である」ことを根拠に完全責任能力とする論理は、「犯行を実行したからには思いとどまれなかったのである」として心神喪失とする論理の裏返しであり、前者が採用できるのであればすべての犯行は完全責任能力であり、後者が採用できるのであればすべての犯行は心神喪失である。したがってどちらも実質的な論理として成立していない。

 

196

第三に、図18の(そして後掲図20の)指のオーナーである主体を正常とみなしていいかという問題がある。

 

197

妄想性障害では妄想以外の精神機能は正常であるという論を仮に受け入れるとしても700)710)、少なくとも統合失調症においては、表面的に目立つ症状である幻覚や妄想に限定されない精神病症状が存するのであって、すると犯行の促進にしても思いとどまりにしても、健常者を基準にした推定は成立しない。図18, 19でいえば、ドミノ牌ではなく指の作用だからそれは正常部分であるということはできないのである。

 

198

したがって図18, 19の破線はあくまでも便宜的に引いたものであって、異常部分と正常部分をこのような真っ直ぐの線によって截然と二分することは本来できない。

 

199

第四に、どのような形にせよ「意思」を導入するのであれば、それはZ-1からZの部分のみではなく、AからZまでのすべての段階にかかわるのであるから、犯行部分だけを切断・抽出して意思の作用を論ずるのは失当である。

 

200

ここにきて、ドミノ図の比喩の限界がありありと露呈することになる。

 

201

動機が妄想から形成されたとき、ドミノ牌A(妄想)からZ(犯行)までが因果の連鎖で連続しているという限度において、ドミノの比喩は有効である。だが現実世界におけるドミノ牌はすべてが同じ大きさではない(図19)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

202

そしてそれぞれのドミノ牌について、それぞれを倒す・倒さないことに意思が作用するから、これを図の中に指として書き込めば、図20の通り、思考を整理するための図としてはとても使い物にならない錯綜したものになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

203

しかしこれが現実なのである。この複雑な現実の中の、把握可能な因子が証拠として裁判で調べられるのである。言い換えれば、図20のドミノ牌と指を、具体的にどこまで証明できるかが、実務では重要になる。そしてその証明のうち、精神医学的に可能なのはどの部分か、法的に可能なのはどの部分かという切り分けも重要となろう。

 

204

熊谷事件一審のように、Z-1からZの部分だけを切断・抽出し、他の部分を無視すれば、このような厄介な問題は回避できる。だがそれは真実発見努力の放棄にほかならない。

 

205

図20のすべてを証明することは不可能であるという認識は維持しつつ、証拠として把握可能な部分を総合して判断を下すのが、人間にできる最善の手法であろう。それが結局は図15(再掲)ということになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

図15 (再掲) 責任能力判断のベクトルとダラムルール. 裁判所は精神障害の犯行への影響を責任能力判断の主軸に据えている。この部分だけを切り取ってみれば、それはダラムルールの採用にほかならない。但し、弁識能力・制御能力・正常な意思の影響という因子を導入することで、心神喪失の氾濫に歯止めをかけている。

 

206

あらためて図15を見たとき、責任能力なしについての証明力と、責任能力ありについての証明力は不均衡であることに気づかざるを得ない。責任能力なしのベクトルに寄与するのは結局のところ精神の異常性に尽きるであって、それを理解するためには精神医学的な知識が必要になるし、そもそも精神の異常性を客観的に、あるいは客観的らしく示すことは困難である。

 

207

それに対し正常な意思の影響はわかりやすいから説得力がある。また、192で述べた通り、「自分の意思による」などの説明は、万能の完全責任能力認定根拠になり得る。

 

208

弁識能力と制御能力は、本来的には責任能力ありの根拠にも責任能力なしの根拠にもなるが、実務では責任能力ありの根拠として用いられることが多く、責任能力なしの根拠とすることは容易でない。

 

209

特に、「制御能力なし」、すなわち、「犯行を思いとどまることができなかった」ことは証明不可能である。逆に「犯行を思いとどまることができた」ことも証明不可能なのであるが、犯行以前の時期に、犯行を考えたが思いとどまった形跡があることをもって、犯行も思いとどまれたはずだという論理がまかり通ったりする。「犯行以前の時期に、犯行を考えたが思いとどまった」ことが事実であったとしても、それは被告人が犯行を思いとどまる能力を潜在的には有していたことの証左にすぎず、ほかならぬ犯行時にそれを思いとどまる能力があったか否かを確定する根拠にはなり得ないにもかかわらずである。

 

210

心神喪失認定のハードルをどの高さに設定するかは、法が、あるいは社会が決定することであって、精神医学が関知すべきことではない。だが心神喪失というものが刑法39条に定められている以上、心神喪失というものが「ある」のであって、39条が空洞化するとすればそこに現出するのは無法地帯である。

 

211

図15に象徴される、現代の我が国における責任能力判断の論法は、心神喪失認定のハードルを著しく高くするにとどまらず、心神喪失という概念を蒸発させる危険性をはらんでいる。

                                                       結
 

212

かかる状況の下、それでも心神喪失が認定されるのはどのような場合であるか。令和の時代に一審裁判員裁判で心神喪失が認定され無罪となった事例を示す。

 

213 (神戸事件) 720)730)  

2017年7月16日、兵庫県神戸市で発生した事件である。被告人は犯行時20歳代の独身男性で、3人が殺害され、2人が傷害を負わされている。「神戸5人殺傷事件」などとも呼ばれている。2021年11月4日に一審裁判員裁判で心神喪失認定による無罪判決が出されている。

 

214

本件は2021年11月16日に検察庁が控訴し、本稿執筆時点では高裁に係属している。よって、本稿が依拠する情報源は以下の3つに限定し、事件発生以来の全貌は時期が来れば他の情報を総合して記すこととする740)

・一審判決文

・公判廷で開示された内容

・信頼できると考えられるメディアからの情報

 

215 (事件まで) 750)

統合失調症を発症し、無治療のまま経過する中で他害行為におよんだ。本件は最もシンプルにはこのように描写できる。この描写は熊谷事件のそれ(本稿5)と同文である。具体的な経過は判決文に記されている。216はその要約である。

 

216

被告人は、2016年9月ころから自宅に引きこもり、「暗号解読」に没頭するようになった。2017年7月からは、高専時代の同級生女性BGからのメッセージを様々な形で感知するようになり、まもなく、BGに好意を抱くようになった。その後、BGからのメッセージはますます盛んになり、犯行のころには、BGから、BGと被告人以外の人間はすべて哲学的ゾンビであり、××神社までに出会う哲学的ゾンビをすべて殺せばBGと結婚できると言われ、犯行を決意した。

 

217 (事件)760)

2017年7月16日早朝、自宅において、金属バット等を用いて祖父と祖母を殺害、母に傷害を追わせた後、自宅を出て、文化包丁を用いて、近所の住民1名を殺害、1名に傷害を負わせた。

 

218 (精神鑑定)

起訴前にBP1医師、そしてBP2医師による精神鑑定が行われた。一審法廷にBP1医師は出廷できず、替えて法廷ではBP1鑑定書の全文朗読と、公判前整理手続きで行われたBP1医師の尋問調書の全文朗読が行われた。出廷した医師はBP2医師と、そしてBP1鑑定を支持する立場を取るBP3医師であった770)

 

219(一審裁判所の認定: 結論部分)

裁判所の判断の結論のポイントは次の通りであった:

(1) 被告人は統合失調症に罹患していた。

(2) 本件各行為は精神障害による妄想・幻聴などの影響下で行われた。

(3) その影響とは圧倒的な支配であったと言いうる780)

 

220

以下、一審裁判所の認定を、熊谷事件(12-24)、淡路島事件(32-37)、周南事件(45-53)に対応された形で示す。この認定はBP1鑑定を信用できるとしたうえでなされている。

 

221 (一審裁判所の認定(1))

(1) 被告人は統合失調症に罹患していた。

統合失調症との診断はBP1医師、BP2医師で一致しており、疑問の余地はない。

 

222(一審裁判所の認定(2))

(2) 症状として妄想と幻聴などを有していた。自分とBG以外は哲学的ゾンビであるというのがその妄想の主題で、出会った哲学的ゾンビを殺せばBGと結婚できるというBGからの言葉が本件犯行に密接にかかわる幻聴である。これらについてもBP1医師とBP2医師の意見は一致しており、疑問の余地はない。

 

223 (一審裁判所の認定(3))

(3) (2)の妄想と幻聴などは犯行に影響し、その影響とは圧倒的な支配であったと言いうる。この認定が、少なくとも文言上は、心神喪失という認定に直結している。

 

224 (一審裁判所の認定(4))

(4)違法性の認識についての判断は、被害者らが人間ではなく哲学的ゾンビであるという妄想を認定することによって代用している。哲学的ゾンビを殺すことは違法ではないから、妄想の認定によって違法性の認識について判断の必要性が解消されていると言ってもいいかもしれない。

 

225

法の厳密な論理からいえば、被害者らは人間ではないと被告人が認識していたのであれば、そもそも殺人罪は成立しないということになるが、責任能力が問題となる裁判の実務では、そのような論法は採用されないのが常である 790)800)

 

226 (一審裁判所の認定(5))

(5) 犯行はBGの声としての幻聴からの直接の指示によるものである。

 

227 (一審裁判所の認定(6))

(6)切迫した恐怖の有無についての言及はない。本件では同言及は不要と裁判所が判断したと解される。

 

228 (一審裁判所の認定(7))

(7) 行動の合理性や一貫性に特化した言及はない。

 

229 (一審裁判所の認定(8))

(8) 犯行のころの病状悪化の有無については230の通り、非常に重篤な精神状態にあったと認定されている。

 

230 (一審裁判所の認定(9))

判決文にはBP1医師の説明が次の通り要約して引用されており、裁判所は本件犯行への病気の影響はこの説明の通りであると認定している。

 

被告人は本件当時,妄想型統合失調症に罹患しており,本件各行為は統合失調症の幻声,妄想及び身体的被影響体験の影響により動機付けられたものである,特に,被告人が,「自分が××神社に行くまでの道中で出会った哲学的ゾンビを倒すこと」ができれば,「BGが自分と結婚してくれる」と確信したことは,女性と結婚するために哲学的ゾンビを倒すという目的と手段の関係性において了解不能であるばかりか,「自分が××神社に行くまでの道中で出会った哲学的ゾンビを倒す」という考え自体も,「BGが自分と結婚してくれる」という考え自体も了解不能であり,このように二重の意味において動機が了解不能であることからすれば,被告人は本件当時,非常に重篤な精神状態にあった,被告人は被害者らを哲学的ゾンビと認識しており,人を殺害しているという認識はなかったといえ,本件各行為はその精神症状の圧倒的な影響を受けてなされたものである

 

231 (一審裁判所の認定(10))

 (10) 犯行の意思決定と行動の過程については、判決文には、検察官からの反論を否定する形で言及されている。すなわち検察官は、いくつかの事実を指摘することで、被告人には妄想の内容を疑ったり、犯行をためらう気持ちがあったとし、それはすなわち正常な精神作用が機能していたことの証左であると主張した。対して一審裁判所は、

被告人とBG以外は哲学的ゾンビであるというのは,BGから明確に言われた

という点に言及し、被告人が、被告人とBG以外が哲学的ゾンビであると確信していた疑いは残るとして、検察官の主張を退けている810)。すなわち、犯行の意思決定と行動の過程には、正常な精神作用の機能する余地はなかったということである。

 

232

一審裁判所の認定・判断構造は図21の通り示すことができる。

 

 

 

 

 

 

 

                                                                          図21

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

233

本稿で論じてきた3つの事件との大きな違いは、図21から一目瞭然、幻聴による直接の指示があったという点である。

 

234

本件が心神喪失相当であるという結論に私は異論はないが、裁判所がその認定根拠として、幻聴の指示というものを過剰に重視しているという印象があり、この点には賛同できない。

 

235

幻聴の直接的な指示をそれなりに重視するという論法には異論はない。だが裁判所の重視は「それなり」ではなく、被告人が自らの体験として述べているものを

① BGからの黙示的なメッセージ

② BGからの明示的な指示

に分類し、①ではなく②があったこと(=幻聴の直接的な指示があったこと)を決定的といえるレベルまで重視している。逆に言えば、①については、そのメッセージの解釈という段階に被告人の意思が関与していたとしており、それはそのまま検察官の主張でもある。

 

236

しかし、裁判官と検察官が共通して採用している235の論法は、統合失調症の幻聴というものについての根本的な誤解に基づいたものであるから、精神医学的には到底受け入れられない。なぜなら統合失調症の幻聴においては、聴覚性は本質ではなく、したがって声による明示的な指示であったか否かを主たる論点とするのは全くの失当だからである。これは幻聴と責任能力の関係を論ずるうえできわめて重要な点であり、幻聴と責任能力をめぐる一考察 に詳論してある。

 

237

図21に示した一審裁判所の認定構造をドミノ図に変換すれば図22になる。

 

 

 

                                                                          図22

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

238

図21にしても図22にしても、幻聴という要因が加わっていることが、本稿の『起』『承』『転』で扱ってきた3件との大きな違いである。

 

239

幻聴を過剰に重視するのは正しくないが、統合失調症の症状の中で幻聴は比較的わかりやすいと感じられる症状であり、本件では被告人の語る幻聴体験が比較的明確であったことが心神喪失認定の大きな要因になったことは想像に難くない。

 

240

但し裁判所は決して幻聴の指示だけを根拠に心神喪失を認定したわけではない820)

 

241

本件犯行のころの被告人の言動の異常性は顕著であり、その異常性は通常なら不起訴となるレベルに達している。だがひとたび起訴されれば、前掲図15(下に再掲)の通り、いくら異常性が顕著であっても、心神喪失の認定を引き戻すベクトルの作用は強力である。幻聴の指示という認定だけではこの作用を中和・解消するには足りない。

                                                                                                                        図15

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

242

それでも本件が心神喪失と認定されたのは、まず、ダラムルールへの抑制力(図15)の第一、弁識能力(≒違法性の認識問題)がクリアされたことである。

 

243

ダラムルールへの抑制力(図15)の第二と第三、すなわち、制御能力と正常な意思の影響についてクリアすることは通常は不可能と言えるほど困難である。制御能力なしを証明することは論理的に不可能であるし、正常な意思の影響については、それが文字通りゼロということは考えられないからである。ところが神戸事件一審法廷においては、244以下のような事情が発生した。

 

244

制御能力については法廷でBP3医師が、要旨、245-248のように証言した。

 

245

BGと結婚するために哲学的ゾンビを殺す。それが被告人の犯行動機であり、被告人は被害者らを哲学的ゾンビであると確信して攻撃したのである。他方で被告人は、被害者らが本当に哲学的ゾンビなのか、実は真の人間ではないのか、という疑いを、かすかではあるが持っていたことを窺わせる発言もしている。するとかかる疑いが被告人の中にゼロであったとは言えないであろう830)。しかしそうであっても被告人は、本件犯行という具体的な行動を制御することはできなかったと考えられる。それは次のようにして論証できる。

 

246

あなたが等身大の人形を解体する作業に携わっていたとする。このとき、もしかしたらこの人形の中に本物の人間が入っているのではないかという疑いが頭をよぎることはありうるであろう。その疑いがある限りは、あなたは人形の解体作業を間違いなく中止するであろう。もしあなたが解体作業を中止しなかったとすれば、それは、人形の中に人間が入っている疑いを完全に打ち消した場合に限るであろう。

 

247

それと同様に被告人は、被害者が[=解体する対象である人形が]、真の人間かもしれないという疑いが頭をよぎったとしても[=人形の中に人間が入っているかもしれないという疑いが頭をよぎったとしても]、その疑いを完全に打ち消したからこそ、犯行に踏み切った[=人形解体作業を中止しなかった]のである840)

 

248

すなわち被告人は、攻撃対象が人間であるという認識が完全に失われていたからこそ犯行を実行したのである。つまり正常な精神機能に基づいて自分の行動を制御することはできなかった。

 

249

ダラムルールへの抑制力の第三、、正常な意思の影響(上記の制御能力に直接的には関係しない部分についての影響)については法廷でBP3医師が、要旨、250-252のように証言した。

 

250

犯行について、正常な意思の影響が残っていたか否かを考えるときには、その犯行を思いとどまる方向への影響について考えなければならない。なぜなら、その反対の方向、すなわち犯行を実行する方向については、正常な意思の影響は必ずあるからである。

 

251

犯行への動機が発生したとき、それが犯行の実行に至るためには、合理的な行為の連鎖があることが必須であって、それなしではそもそも犯行が成立しない。

 

252

たとえば、殺傷という動機が発生したとき、それが犯行として実現されるためには、どういう物を使ってどういう攻撃をすれば人を死ぬかということが正しく判断できている必要がある850)。この判断は正常な精神機能による判断であるが、かかる判断さえ失われていることを心神喪失の必要条件にするのであれば、心神喪失者は決して犯罪を成就することはできず、したがって犯罪を行った被疑者・被告人が心神喪失ということはあり得ない。

 

253

かくして図15は、神戸事件においては図23のように修正される。

 

                                                                                                               図23

 

 

 

 

 

 

 

 

 

254

214に記した事情のため論拠についての詳細を今ここに示すことは控えるが、本件神戸事件が一審で心神喪失認定された要因は、図23にそって、次の通り整理できる。

 

255

① 総括的な見方としての精神障害の影響について。本件被告人においては、犯行に至る経緯(ドミノ図でいえばAからZ-1まで)と犯行そのものの異常性は顕著であり、異常精神論のみに基づいた場合でも心神喪失に大きく傾く860)。前述の通り、通常なら不起訴となる事例である。

 

256

② 弁識能力について。被害者らを人間ではなく哲学的ゾンビであると認識していたという認定の時点で、違法性の認識としての弁識能力は失われていたことになる。

 

257

③ 制御能力について。犯行が幻聴の直接の指示により行われたこと、及び、たとえ仮に被害者らが哲学的ゾンビでなく真の人間かもしれないという観念が被告人の頭をよぎったとしても、だからといって犯行を思いとどまることはできなかったと考えられること、ということから、制御能力は失われていたという認定に大きく傾く。

なお、②と③は、中止可否論に分類できる。

 

258

④ 正常な意思の影響について。いかに全体として異常性が顕著であっても、犯行の最終部分だけを切断・抽出して、「最終的に犯行を行ったのは本人の意思である」という、独特とも奇怪とも言える論理が現実にはいくつかの判例に認められ、もしこの論法を是とするのであれば、犯行が行われた以上は心神喪失というものはあり得ないということにもなり、すると心神喪失を否定する立場に立てばこれは万能の切り札ということになる。この切り札を切らなかったのは、本件一審裁判所の良識を示したものであるとするのが最も妥当な解釈であると思われるが、本件の異常性があまりに顕著であったこと(したがって①のベクトルが非常に強かった。換言すれば、異常精神論の説得力が強烈だったとも言えよう)も、不当な切り札を切ることを躊躇させたと言えるかもしれない。また、正常な意思の影響についての考え方を示した250-252も少なからず作用したのかもしれない。

 

259

かくして一審では心神喪失が認定されたのであるが、255から258の①から④という要因すべてを証拠に基づいて具体的に示すことができるという事態は、大多数の事例ではまずあり得ず、本件では例外的に心神喪失認定への条件が整っていたということができる870)

 

260

①の精神障害の影響は、異常体験を被告人本人がかなり詳細に供述できたことで認定されたものであり、統合失調症の重症例ではむしろ異常体験を言葉で詳細に説明できないことが非常に多い。

 

261

②の弁識能力については、被害者らを人間ではないとする確信が被告人にあったことでクリアされているが、そのような事例は非常に稀である。225に前述の通り、それは殺人罪の成立が危うくなる限界事例ということになる。

 

262

③の制御能力については、幻聴の直接の指示がかくも確実に認定できる事例は稀である。

 

263

④の正常な意思の影響については、裁判所の良識はさておくとしても、精神症状の強烈さが、不当な切り札を切ることを阻止したと見ることができる。

 

264

ここまで条件が揃う事例は稀である。だからこそ心神喪失が認定されたのであるが、逆に、ここまで条件が揃わなければ心神喪失は認定されにくいとすれば880)、現代の刑事裁判における認定手法の是非が問われなければならないのではないか。

 

265

しかし全く逆の立場も考えられる。

 

266

神戸事件一審で心神喪失が認定され無罪判決が出されたとき、法廷は騒然となった。

 

267

3人も人を殺した人間がなぜ無罪なのか。これは実に自然な疑問であろう。

 

268

無罪の判決を受け退廷する被告人には傍聴席から罵倒の言葉が浴びせられた。ご遺族からは「ほんまにひどい」「法律を変えて」という悲痛な叫びも発せられていたと伝えられている890)

 

269

傍聴人、特にご遺族の怒りは十分に理解できるところである。それでも刑法39条というものがあり、被告人が心神喪失と裁判で認定されれば、無罪となるのが法律的に正しい判断であって、それは怒りや感情によって覆すことはできない。

 

270

ここで責任能力の原点に戻ってみる。

 

A. あまりに精神が異常な場合は、罰しても意味がない (本稿120: 異常精神論。)

B. 犯行を思いとどまることが不可能だったのであれば、罰することはできない (本稿121: 中止可否論。)

 

271

人々が広く共有している感覚であるところのA.が責任能力の根本原理である。A.を起源として「心神喪失者の行為は罰しない」と定めた刑法39条は、我が国の刑法の根底にある責任主義を具現したもので、犯罪の大小にかかわらず、責任能力がない者は無罪であると法は定めている。

 

272

A.が人々が広く共有している感覚であるというのはその通りであろう。しかしながら、それが犯罪の大小にかかわらず真であると言えるかどうかは別の問題である。

 

273

現行法上は刑法39条の通りで、犯罪の大小にかかわらず、責任能力がない者は無罪としなければならない。だが実務においては、実は犯罪の大小、言い換えれば結果の重大さが、裁判所の責任能力認定に密かに影響しているのではないか。

 

274

あえて極端な例を考えてみる。「被害者が悪魔であると確信して殺害した」という事例2種類の対比である。

 

275 (架空事例1)

第一は、その被害者は百人の小学生である。被告人はもともと大人しく真面目な市民で、前科などもちろんない。その被告人が、ある時から、被害者らが悪魔であるという強固な妄想を持つようになり、この妄想に基づき、小学校を襲撃し百人の小学生を殺害した。

 

276 (架空事例2)

第二は、その被害者は一人の暴力団員である。被告人も暴力団員で、前科があり、被害者の属する暴力団とは敵対する暴力団に所属している。その被告人が、被害者が悪魔であるという強固な妄想を持つようになり、この妄想に基づき、襲撃して殺害した。

 

277

第一事件は全く了解不能であるが、何らかの理由がつけられ(たとえば、「動機は妄想であったが、殺害という手段を選択し実行したのは被告人の価値観である、または被告人の意思である」など)、完全責任能力の認定により死刑になるであろう。

 

278

第二事件は、第一事件と比べるといくらかは了解の余地があるが、心神耗弱と認定される可能性は十分に考えられる。心神喪失認定もありえないとは言えない。

 

279

以上は論点を明確化するための極端な架空事例であるが、類似の認定手法が現実の裁判では水面下で行われているのではないか。もし行われているとすれば刑法の責任主義に反する結果主義にあたることになるが、275の被告人を極刑に処することが大部分の国民の感覚として正義であるとみなされるのであれば、架空事例1の被告人を完全責任能力と認定することが不当であるということはできまい。

 

280 (結果重視論)

するとここには、A, Bに加えて、結果重視論とでも呼ぶべきCが隠されていることになる。次の通りである。

 

A. あまりに精神が異常な場合は、罰しても意味がない (異常精神論)

B. 犯行を思いとどまることが不可能だったのであれば、罰することはできない (中止可否論)

C. あまりに結果が重大であれば、他の事情の如何にかかわらず、罰しなければならない (結果重視論)

 

281

たとえば熊谷事件の一審判決は、事実認定も論考も、判決文から読み取れる限りにおいては、これが文明国の裁判所の仕事かと目を疑うほど粗雑かつ非論理的で、我が国の司法の汚点といってもいいくらい恥ずべきものであった。しかし結果重視論という観点からは全く別の景色が見えてくる。熊谷事件では小学生2人を含む6人が殺害されている。ここまでの重大犯罪を犯した被告人は厳罰に処すことのみが正義であるというのが、人々が共有している感覚であると仮に認めるのであれば900)、一審判決は、その結論が正義にかなうことが何より重要なのであって、判示の非論理性を超えて正しいとする見方もありうるであろう。死刑判決が二審で覆されたことに対するご遺族の悲痛な失望も報道されている910)920)930)

 

282

但し、熊谷事件の一審判決が、判示の非論理性を超えて正しいとする見方もありうるというのは、あくまでもありうる一つの見方ということであって、被告人の精神の異常性が正確に開示されない限りは、人々が何を正しいと考えるかは決定できない940)。そして、何より、現行法においては結果重視論は違法なのであるから、熊谷一審判決が深刻な誤りであるという事実は動かない。

 

283

そうした理論的な整合性に加えて、実際的な整合性も考える必要がある。それは公平性ということである。

 

284

このとき、不起訴事例というものがクローズアップされる。

 

285

裁判で心神喪失が認定される事例は非常に稀であるが、そもそも裁判にかけられない、不起訴事例は相対的に膨大である。法的には無罪と不起訴は全く意味が異なるが、「犯罪を犯したのにもかかわらず罪を問われない」という点では全く同じであり、市民感覚的にはほとんど差はないと考えられる950)960)

 

286

すると、公平性という点について考えるとき、裁判例だけをいくら検討しても全く不十分であることは明らかで、不起訴事例を視野に入れることで初めて健全な議論が可能になる。

 

287

裁判例の研究すなわち判例研究には判例研究としての大きな意義はあるものの、犯罪に対する社会の適切な対処というものについて考えようとするとき、不起訴事例の脱落、すなわち医学論文でいうところのpublication biasが、判例研究という分野のかなり致命的な問題なのである。

 

288

不起訴事例は公表されないので表面化しないが、現実には心神喪失や心神耗弱の相場ともいうべきものが存在し、それによって起訴・不起訴の判断は大きく規定されている。その相場はほぼ精神障害の重症度すなわち異常精神論によって決まっている。かかる実態があることを十分な経験ある検察官はわかっているはずである。刑事弁護を多数経験している弁護士も同様にわかっているであろう970)980)。そして起訴前と起訴後の両方の段階の鑑定を多数経験すれば、精神科医にも十分この現状が見えてくる。

 

289

起訴便宜主義(検察官が起訴・不起訴の決定権を有している)は、しばしば批判の対象になっている。国際学会では日本独自の制度として驚かれるのが常である。だが批判はともかくとして、起訴前、すなわち、起訴・不起訴を決定する段階での検察官は、きわめて深い洞察に富んだ判断をしているというのが私の印象である。

 

290

検察官の洞察は起訴・不起訴の決定段階にとどまらない。あまり知られていないが、検察庁には社会復帰支援室というものが設置されており、再犯防止に向けて、関係機関・関係団体と協力し、大局的な観点に基づく活動が行われている990)

 

291

ところが、そのように洞察に富み、かつ、社会のために真摯な努力を緻密に続けている検察官が、ひとたび起訴をすると、しばしば豹変する。ターミネーター化するのである。

 

292

『ターミネーター』(原題: The Terminator)は、1984年のアメリカのSF映画であり、タイトルのターミネーターとは、この映画の主役Arnold Schwalzenegger アーネルド・シュワルツェネッガーが演ずるヒューマノイドロボットである。

293

ターミネーターの使命はある一人の人物の抹殺である1000)。ターミネーターはこの使命を、文字通り金科玉条的な目標として、文字通り手段を選ばず、成就に向けて文字通り冷徹に邁進する。

 

294

291の「ターミネーター化する」という表現は、厳罰判決獲得に向けての一部の検察官の姿を描写したものである1010)

 

295

296は『ターミネーター』のネタバレを含むので、これからこの作品をご覧になる方はスキップして297に進まれたい。

 

296

最終場面近く、至近距離のタンクローリーの爆発によって、ターミネーターは破壊されたかのように見えた。しかし焼失したのは服と表面の生体組織だけで、超合金製の骨組みだけとなったターミネーターは、使命達成=目標人物の抹殺に向けて、どこまでも追撃を続行するのである。

 

297

紅蓮の炎の中から立ち上がり、肉体を失ってもなお使命の成就に向けて邁進するターミネーターは、起訴後の一部の検察官の姿そのものである。

 

298

映画のターミネーターは暴力を武器に戦うのに対し、ターミネーター化した検察官は論理を武器に戦う1020)1030)。その武器の中で最も強力なものの一つが、本稿のタイトルを構成する「切断」である。そして切断した部分、特に最終部分である犯行への「意思」の関与である。

 

299

288に記した通り、起訴・不起訴の決定に際しては、心神喪失・心神耗弱についての相場ともいうべき暗黙の基準が存在する。この相場からいえば、本件神戸事件は不起訴になるのが自然な事例である。犯行時の被告人の精神の異常性があまりに顕著だからである。

 

300

それでも検察庁としては、3人が殺害され2人が傷害を負わされるという結果の重大性に鑑み、本件神戸事件は起訴しないわけにはいかなかったと思われる。そこまでは正当である。不起訴とは結局のところ闇の中での処理にほかならず、社会的にも重大な事件には公の法廷で光を当てなければならない。

 

301

だが正当であると言えるのはそこまでである。ターミネーター化し、厳罰判決獲得を至上使命と心得てなりふり構わず突き進むのは、検察官として不当な行為である。検察官は公の代表であり、被告人もまた公の中の個人である以上、事実を歪曲し、法で保障された被告人の権利を蹂躙するような行為は検察官として、そして人として、道を踏み外している。

 

302

検察官のターミネーター化の根底には、結果重視論が隠されているのではないか1040)

 

303

具体的な事例でそれを検証することは難しいが、検証に向けての論考は可能である。結果重視論の混入の可能性を排除した事例(①)について考察し、結果重視論が混入しうる事例(②)と比較するという方法である。

 

304

精神障害の「犯行」への影響を考えるとき、人には処罰感情というものが発生するから、結果重視論の混入は避け難い。しかし、精神障害の「行為」への影響を考えるのであれば、その混入は排除できる。

 

305 (精神障害の「行為」への影響)

① 自分が襲われるという被害妄想にかられた人物が、襲撃から自分の身を守るため、ある日突然、空港に行き、そこから飛行機で離島に移動した。

 

306

①の最終行為は、飛行機への搭乗である。この行為への被害妄想の影響はどの程度であると評価するのが妥当であろうか。

 

307

「著しい影響を受けた行為」とするのが妥当であろう。「完全に支配された行為」という方がむしろ妥当かもしれない。

 

308

「飛行機への搭乗」は、襲撃から逃れるという意味では合目的的であり、その意味では正常な意思の作用であると言いうるが、だからといって妄想の影響や支配を否定したり、それらの強さを軽減することにはならないであろう。

 

309

襲撃から身を守るための合目的的な行動は飛行機の搭乗のみではないから、飛行機の搭乗を選択したのは被害妄想によって一義的に決定されたものではなく、被害妄想とは別の正常な意思の作用であるとまでは言いうる。このとき、しかし、仮に彼が出張に飛行機を常用していた人物であり、飛行機による逃走を選択したのはその習慣にそった行為であったとしても、妄想の影響や支配を否定したり、それらの強さを軽減することにはならないであろう。ましてや、これまで飛行機に乗ったことが一切なかったとか、あったとしても彼にとっては例外的なことであったとすれば尚更である。そのような人物が飛行機に乗ってまで身を守ろうとしたことは、妄想の影響の強さを裏付けるものであるとみるのが正当であろう。

 

310

この判断は、いったんは一連の行為を切断し「飛行機への搭乗」を抽出して焦点化したものではあるが、一連の行為全体を視野に入れてのものである。この判断手法が正しいことは自明である。

 

311

これが精神障害の「行為」への影響である。次に精神障害の「犯行」の影響について考えてみる。

 

312 (精神障害の「犯行」への影響)

②自分が襲われるという被害妄想にかられた人物が、襲撃から自分の身を守るため、ある日突然、被害妄想の対象である襲撃者を殺害した。

 

313

②の最終行為は「襲撃者の殺害」である。この行為への被害妄想の影響はどの程度であると評価するのが妥当であろうか。

 

314

「著しい影響を受けた行為」とするのが妥当であろう。「完全に支配された行為」という方がむしろ妥当かもしれない。

 

315

「襲撃者の殺害」は、襲撃から逃れるという意味では合目的的であり、その意味では正常な意思の作用であると言いうるが、だからといって妄想の影響や支配を否定したり、それらの強さを軽減することにはならないであろう。

 

316

襲撃から身を守るための合目的的な行動は襲撃者の殺害のみではないから、襲撃者の殺害を選択したのは被害妄想によって一義的に決定されたものではなく、被害妄想とは別の正常な意思の作用であるとまでは言いうる。このとき、しかし、仮に彼が暴力的な性格傾向を有する人物であり、暴力による自己防衛を選択したのはその性格傾向にそった行為であったとしても、妄想の影響や支配を否定したり、それらの強さを軽減することにはならないであろう1050)。ましてや、これまで暴力に訴えることなど一切なかったとか、あったとしても彼にとっては例外的なことであったとすれば尚更である。そのような人物が襲撃者を殺害してまで身を守ろうとしたことは、妄想の影響の強さを裏付けるものであるとみるのが正当であろう。

 

317

この判断は、いったんは一連の行為を切断し「襲撃者の殺害」を抽出して焦点化したものではあるが、一連の行為全体を視野に入れてのものである。この判断手法が正しいことは自明である。

 

318

あらためて①と②を並列してみる:

 

① 自分が襲われるという被害妄想にかられた人物が、襲撃から自分の身を守るため、ある日突然、空港に行き、そこから飛行機で離島に移動した。

② 自分が襲われるという被害妄想にかられた人物が、襲撃から自分の身を守るため、ある日突然、被害妄想の対象である襲撃者を殺害した。

 

319

①と②は論理構造としては同一であるから、精神障害の影響についての判断も同一にならなければならない。もし①と②で精神障害の影響についての判断が異なるとしたら、そこには因果関係とは別の要因が混入している。

 

320

そして②において、「殺害を選択したのは自分の意思である」あるいはまた「最後に殺害の決断をして実行したのは自分の意思である」という論法によって妄想の影響を否定ないし矮小化するということがもしあったとすれば、それは①と②の論理構造以外の相違、すなわち①は「行為」であるのに対し②が「犯行」であることによるというのが論理的帰結である。ここには犯罪によって発生した被害に着目するという、結果重視論の混入がある1060)

 

321

そこには被告人を非難しなければならないという結論の先取りがある。それは結果主義にほかならず、責任主義の否定であり、刑法39条の否定である。

 

322

かかる論法を是とするのであれば、刑法39条を廃止するか修正しなければならない。修正とはたとえば、39条3項として、「殺人の被害者が4名以上の場合はこの限りではない」という一文の追記である。

 

323

誤解を避けるために付言すると、私は39条を廃止せよとか修正せよと主張しているのではない。結果重視論を是とするのは、現行の39条がある以上は違法であり、不当であると指摘しているのである。

 

324

現行の39条をそのままに、「その犯行を選択したのは自分の意思である」あるいはまた「最後にその犯行の決断をして実行したのは自分の意思である」という論法で被告人を非難するのは強弁であり不合理である。

 

325

その不合理は、論法そのものが不合理であるということにとどまらず、起訴前と起訴後に著しいダブルスタンダードを発生させているという意味でも不合理である。心神喪失ないしは心神耗弱の認定の推定に基づく不起訴事例の中には、324の論法を適用すれば、完全責任能力認定になりうる事例が少なからず存在する1070)。起訴事例に適用する論法を不起訴事例に適用しないというのは著しい不公平であることは論をまたない。

 

326

本稿のサブタイトル「精神障害の行為への影響」は、このテーマを含意したものである。「犯行への影響」ではなく「行為への影響」である。そうすることによって、結果重視論の密輸を除外せんとしたものである。

 

327

そして本稿のメインタイトルは「切断是非論」である。一連の行為を切断し、部分を抽出して論ずるという手法は、精神障害の行為への影響を論ずる場合に是か非か。犯行への影響を論ずる場合であればどうか。

 

328

人間の行為は一連の流れとして生起するから、行為する人間を理解しようとするときはこの流れ全体を視野にいれなければならないが、そのためのステップとしては、まずは流れを切断して部分を抽出することから始める必要がある。刑事裁判では最も重要なのは言うまでもなく犯行そのものであるから、一連の行為を切断し犯行という行為を抽出しそこに着目するのは当然であり適切な手法である。

 

329

したがって、切断は「是」である。

 

330

だが最終的な結論を出すためには、抽出部分についての理解が全体の理解とも整合性があることが必要である。

 

331

人間の行為は一連の流れとして生起するから、行為する人間を理解しようとするときは常に、この流れ全体を視野にいれなければならない。理解するためには、まずは流れを切断して部分を抽出することから始める必要があるのは事実であるが、切断抽出部分についての分析は結論に至るまでのステップであって、結論にはなりえない。結論を出すためには、部分から全体に戻る必要がある。

 

332

したがって、切断したまま結論を出すのは「非」である。

 

333

このことは、精神障害の「行為」への影響を考える場合でも、「犯行」への影響を考える場合でも同じである。

 

334

そこに違いが発生したとすれば、それは結果重視論の混入であって、不当であり違法である1080)1090)

 

335

非難という概念を封印しなければ、因果関係についての正確な判断は不可能である。そのためには、「犯行」を無色透明な「行為」とみなし、「切断」は結論に至るステップとしなければならない。

 

336

「切断是非論 --- 精神障害の行為への影響について ---」と題した本稿は、335で完結とする予定であった。

 

337

しかし本稿執筆のために裁判資料を精読するうちに、ここで完結することは許されないと強く感じるに至った1100)1110)。それは周南事件の死刑判決をめぐる裁判所の認定と論考の不条理についてである。

 

338

周南事件一審裁判所が責任能力認定において依拠したSP2鑑定には複数の致命的ともいえる欠陥があり、本稿97に記した通り、控訴した弁護人はその欠陥を指摘する複数の司法精神医学者の意見書を提出しているが、高裁は検討する必要がないとしてそれらをすべて却下している。却下理由の一つはSP2鑑定が信用できるという判断であるが、同判断が誤りであるというのが提出された意見書の骨子であるところ、却下理由の二つ目として、一審弁護人がSP2鑑定を支持していたことを高裁は挙げている。その支持自体がそもそもの誤りであったというのが控訴弁護人の主張なのであるが、被告人を死刑に処するという重大事例において、かかる主張を門前払いにすることが正当とはとても考えられない。

 

339

上告を受けた最高裁の判示(本稿99)は簡潔にすぎて論証困難であるが、基本的に高裁判決を支持しているとみることができ、すると高裁判決が不当である以上は同様に不当であると考えざるを得ない。

 

340

本稿103に記した再審請求審での弁護人の主張を再掲する:

 

(1) 妄想性障害の「妄想」を「思い込み」と置き換えて,妄想性障害の病理性を軽視している

(2) 睡眠薬の服用状況について検討が不十分である

(3) 他の司法精神医学者の意見等を総合的に検討すれば、SP2鑑定に依拠した「元来の人格」の説明は誤っている。

 

341 (妄想の矮小化)

340(1)についての問題は注440)に記した。付記すれば、SP2医師は法廷でのプレゼンテーションの冒頭近くで、「妄想」という言葉を出す前に次のように述べている:

 

中心になる説明は今から上に上げる三つになりますけれども、一つ目は、今回の事件を起こした理由、それが思い込みによるものであるということ

 

そしてこの「思い込み」について具体的に延々と説明した後にした後に初めて「妄想」という言葉を出している。次の通りである:

 

ちなみにということで聞いていただければ結構なんですけれども、ちなみに、このように事実と異なる誤った内容、そして訂正がきかない、端から見ると何でそんなことを思い込むんだろうというものを精神医学の世界では妄想というふうに呼ぶことが多いです。単にそういうふうに呼ぶという呼び名だとお考えください。妄想だからこういうふうに思い込むとうのではなくて、逆ですね、こういうふうな思い込みを精神医学者は妄想と呼ぶというだけのことです。

 

再審請求審の判示(本稿104)の「SP2鑑定人は、被告人の近隣住民に対する認識が妄想性障害に基づく病理現象としての「妄想」であることを明確に説明したうえで、分かりやすく説明するために「思い込み」と置き換えたにすぎない」が事実と異なることは上記から明白である。SP2医師は、犯行に向かう被告人の思考を「思い込み」であると説明したうえで、「ちなみに」という意味不明の前置きのもとに「こういうふうな思い込みを精神医学者は妄想と呼ぶというだけのこと」と述べているのである。SP2医師は「逆ですね」とまで述べているが、彼の説明こそが精神医学の常識とは真逆である。SP2医師のこの説明は、妄想という症状の深い病理性を矮小化するもので、とても精神医学的な説明とは言えない失当なものである1120)

 

342 (睡眠薬の影響の完全な無視)

注450)に引用した通り、再審請求審が睡眠薬の影響なしと判断した根拠はSP2医師の判断をそのまま受け入れたものであるが、SP2医師の判断とは「特に薬を飲んだから急にやろうと思ったとか,そういう話ではないので,特に関係ないと思っています。」であって、つまりこれは犯行の決意には睡眠薬の影響はないと述べているにすぎない。しかるに、睡眠薬の影響として検討すべきは犯行の決意への影響ではなく、犯行時の意識状態への影響である。被告人が犯行前に大量に服用したゾルピデム (マイスリー) が意識変容をきたし、同意識変容が深刻な行動異常をきたしうることは周南事件よりはるか以前からよく知られており、臨床精神科医の間では常識とさえ言える知見であった1130)1140)1150)。そして2022年にはついにPMDA(医薬品医療機器総合機構)がゾルピデムの添付文書に次の改訂を加えるに至っている1160):

 

1. 「禁忌」の項に「本剤により睡眠随伴症状(夢遊症状等)として異常行動を発現したことがある患者」を追記。

2. 「重大な副作用」の項に死亡を含む重篤な自傷・他傷行為、事故等の報告がある旨を追記。

 

これだけ危険性が大きい薬の大量服用下での犯行であるにもかかわらず、何の検討もしようとせずに薬の影響はないと断ずる裁判官とは何者であろうか。

 

343 (元々の人格の影響)

上の341(妄想の矮小化)、342(睡眠薬の影響の無視)は、どちらか一つのみでも再審請求審の信じ難いほどの無稽さをありありと示しているが、本稿のテーマである切断に直接関係するのは、本稿105に記した通り、元々の人格の影響についての欺瞞そのものの論考である。再審請求審の言い分は、「SP2医師は、妄想の影響は動機形成過程であり、本件犯行に及ぶ決意には影響していないと判断しているのであって、被告人の性格(元々の人格)を過大評価しているわけではない」というものであるが、これでは弁護人からの指摘に全く答えていない。周南事件一審裁判所はSP2鑑定を援用し「被告人が殺人や放火といった報復の仕方を選択したことは,被告人の性格によるものであり,妄想的な理由によるものではない。」と明確に断じているのであるから、一審判決で決定的だったのは本稿100、図12の通り、犯行を一連の行為から切断・抽出し、そこには妄想の影響はなく元々の人格の影響であるとする認定なのである。これは元々の人格こそが犯行を実現したと言っていることにほかならず、それは元々の人格の過大評価であることは火を見るよりも明らかである。

 

344

かくして周南事件は、同じく妄想性障害の被告人によってなされたとされる淡路島事件と同様に、動機形成に決定的に影響した妄想が、最終的な犯行にまで影響し、その影響の強度は「犯行を支配していた」とさえ言いうる水準である。加えて睡眠薬が犯行時の意識を変容させていた蓋然性が十分に高いのであるから、淡路島事件と比べても、また、妄想が関与した多くの事件と比べても、犯行への正常な精神機能の影響は相対的に小さいというのが論理的帰結である(図24)。

 

 

 

 

 

 

                                                                                              図24

345

このように、一審から再審請求審に至るまで、周南事件の裁判所は、SP2鑑定についての精神医学的欠陥の指摘をことごとく無視してきた。

 

346

そして死刑判決が維持され続けている。

(本文は以上)

 

10) さいたま地方裁判所 平成30年3月9日判決.

平成28年(わ) 第631号. 住居侵入、強盗殺人、死体遺棄被告事件.

20) 神戸地方裁判所 平成29年3月9日判決.

平成27年(わ)第930号. 殺人、銃砲刀剣類所持等取締法違反被告事件

30) 山口地方裁判所 平成27年7月28日判決.

平成25年(わ)第207号 殺人,非現住建造物等放火被告事件

40) 熊谷事件一審判決文10)には、事件までの被告人について次の通り記されている(判決文は実名等は記号化されて公開されている。その記号については、本稿では、他の事件等と区別するため、公開されている判決文とは別の記号にしてある。判決文からの他の引用部分についても同様)

(2)ア 稼働先の寮を出奔するまでの行動・生活状況等

 被告人は,平成17年4月に初来日して以降,母国のペルーに帰国していた時期もあった(平成20年9月から平成22年9月,平成24年2月から同年10月)が,平成24年10月に再来日後は稼働先を転々と変えながら日本で暮らしていた。

 平成27年(以下の日付も同年を指す)8月15日,被告人は,群馬県伊勢崎市内の食品加工会社の工場で稼働を開始した。同じ職場のペルー人男性(KC1)と親しくなるも間もなく仲違いし,同人は被告人と話さないようになった。被告人が日本人社員に注意されたのは前記のペルー人男性の告げ口であると勘違いしたことから,同人と口論になったこともあった。その後,職場内で被告人の相手をする者はなく,被告人は一人で昼食をとるようになった。

 同じ職場の日系ブラジル人男性(KC2)は,日本においてやくざという怖い存在がいることを被告人に話したことがあった。同僚の日系ブラジル人女性(KC3)も,被告人に対し,「私の身に何かあったら,KC2が呼んだやくざにやられたと思って」などと話したことがあった。被告人の勤務中,工場内で同僚の日本人女性が泣いていたこともあった。

 9月8日,前記の日系ブラジル人女性(KC3)が解雇され,同月9日,前記のペルー人男性(KC1)も別の工場に移った。

 同日,被告人は,知人(KC4)に対して「俺は,人と話すのが苦手,本当は人と話したい,小さいころ家ではいろいろなことがあって,本当に悪いことだよ,俺にとっては実はお兄ちゃんが見本だった,でもある日,そのお兄さんが突然無差別に人を殺したんだ」「一つの場所に落ち着きたいし,もうこういう生活じゃだめだと思う」などと電話で話した。

 同月10日,被告人は,最終居住先となる職場の寮に転居した。

 同日,ペルーの運転免許を日本の免許に切り替えるための手続を業者に問合せる電話をした。

 同月11日は出勤し,午後5時頃退社した。

イ 9月12日の被告人の行動等

 被告人は,午前5時から勤務予定であったが出勤せず,この頃までに寮を出奔した。出奔後の午前中,職場関係者に対し,退社すると伝えてほしい旨や会社の中でスーツを着ている3人の日本人が自分を殺しに来たなどのことを電話で話した。前日も電話した知人(KC4)にも電話をかけて「俺がお前に話したことが全部職場にばれている,5人組のスーツの日本人の男たちが俺の方をずっと見ていた,自分の目の前で働いていた日本人女性が噂を聞いて泣きながら職場に戻ってきていて,その後俺を避けている,他のブラジル人たちは俺が今日家に帰って明日出勤するまでにはお前は誰かに殺されると言っていた」などと話した。別の職場関係者に対し,仕事を辞める,給料を払えと電話で伝えた。

 夕方頃,群馬県伊勢崎市内にある被告人にとって関係のない会社敷地内にいたところを社員(証人KW1)に声を掛けられると,被告人は,持っていた財布を見せながら五千円札の両替を求めるとともに,「自分の友達 みんな悪い人 刑務所つかまってる 電話して 自分探している」などと片言の日本語で話した。途中で社長(証人KW2)も被告人に対応したが,「姉 伊勢原」などの発言を聞いたことから,被告人が伊勢原にいる姉の所に行きたいのだと考えた。社長が被告人を前橋駅近くまで車に乗せて送っていくことになり,被告人は社長の運転する自動車に同乗したが,途中稼働していた工場近くを通った際に嫌がるそぶりを見せた。さらに,駅に到着する前に社長に対して突然降車を求めたため,前橋駅近くで降車して社長と別れた。

 午後6時過ぎ,被告人は,前橋駅近くのコンビニエンスストアにおいて五千円札を使用して飲食物等を購入した。

ウ 9月13日の被告人の行動等  

 午前5時過ぎ,前橋駅近くのコンビニエンスストアで飲食物を購入するとともに,ATM機を利用して1000円引き出し,口座(実質的に唯一の使用口座)残高が301円となった。

 神奈川県内在住の実姉KS1(以下「KS1」という)の知人に電話をかけて「アパートには帰っていない」「待っているか,追ってくると思うから」などと話し,知人が誰が追ってくるのかと尋ねると,「男たち」と述べ,さらに,もう一人のペルー人男性と働いていたが,刑務所に入っていたと聞いて距離を置き始めた旨,同人が自分に対して嫉妬があったようである旨,一人でたばこを吸っていると一人の男が自分を見ており,三,四人のスーツを着た人たちがいた,男たちは課長の友達である旨を話した。職場関係者にも電話をかけて「工場にスーツの日本人が来た,自分を殺しに来た」「給料を早めに振り込んでほしい」などと話した。電話をかけてきたKS1に対して「川で寝てズボンが濡れている」「アパートの×階と△階にペルー人とブラジル人が住んでいて,帰ると殺される」「スーツを着ている人たちが自分を監視している,黒いスーツの男たちが自分を追っている」などと話したため,KS1は警察に相談するように言った。

 その後,被告人は,前橋駅近くの店舗で飲食物等を購入し,午前11時過ぎには前橋駅で切符を購入して電車に乗り,午後零時50分頃に籠原駅で電車を降りて午後零時50分頃に駅員に対して運賃の精算をしてから改札を出た(なお,被告人は,起訴前鑑定の際,電車内の乗客の様子がおかしいと感じ,警察に行って伝えなければならないと思ったため予定していなかった籠原駅で下車した旨を説明していた)。

 午後1時頃,被告人は,籠原駅付近の民家の玄関先にいたところ,自ら家人(証人KW3)に近付いていって,電話をかける仕草を交えながら「けいさつ,けいさつ」と話しかけたり,ポケットから取り出した財布を示しながら「おかね,おかね」と言ったりした。

 その後,同人から連絡を受けた近隣の消防署内に移動して事情を聴かれるなどした。被告人は,対応した消防署員(証人KW4)らに対し,「かながわ ねえさん あぶない」と発言し,籠原駅で下車した理由を消防署員に問われた際には,電車の中に悪い人がいるとか,スーツを着た男の人がいる旨の話をした。また,被告人自ら財布を出して「おかねない」などと発言した。被告人は,被告人が姉のところに行きたいものと考えた消防署員に促されてKS1に電話をして話をした後,消防署員らに対して,姉はブラジル人のところにいることや,聞いたことがない声がするなどという旨の話をしていたが,被告人の様子に切迫したところはなかった。

 午後1時半頃,消防署員の通報を受けて近隣交番の警察官が消防署に到着した(証人KW5及び同KW6)。警察官から籠原に来た理由を尋ねられた際には「前橋 高崎 電車 女 ふたり」などと答え,他にも「スーツ 男 いじめ」と発言したり,これからどうしたいのか問われた際に「ペルー 帰りたい かながわ 姉」などと発言したりした。

 午後2時20分頃,被告人は警察官とともにパトカーに乗車して熊谷警察署に到着した。被告人は,署内の応接室に入り,複数の警察官が同席し立ち会う中,所持品(財布,携帯電話,旅券等)を確認されたり,事情聴取を受けた。午後2時28分頃,警察官に促されてその場でKS1に電話をかけた被告人は,電話口から子どもの騒いでいる声が聞こえてくる状況で,「彼らはもう着いたのか,殺されるぞ」などと発言し,KS1に「そういう人はいない,子どもたちが騒いでいるだけ」と言われても「何を言っているのか,殺されるぞ」などと発言した。被告人は,KS1との通話中に突然泣き出して自ら電話も切ってしまった。被告人は,再びKS1に電話をかけて警察官(証人KW7)が話を聞こうとしている際にトイレに行くことを希望したため,警察官1名(証人KW8)が同行してトイレに行ったところ,トイレ内でも座り込んで泣く様子がみられた。その後,被告人が喫煙を希望したため,同様に警察官が同行し,玄関前の屋外喫煙所で喫煙した。午後3時半頃,警察官が喫煙を終えた被告人とともに署内に戻ろうとしたところ,被告人は,隙をついて不意に反転してその場から走り出し,警察署前の国道を渡って付近の飲食店内を通り抜けるなどして逃走した(被告人は,起訴前鑑定の際,警察署においていろいろ調べられたので警察官たちもグルなのかなと思った,金色の車が来たり(なお,実際に同色の覆面車両が警察署前に当時存在した),刑事が変わったヘアスタイルをしていてサングラスをしていたり,制服姿で手袋をしていたりしたので,なにかおかしいと思った,絶望感が強まり,色々なことがつながって,一つにまとまったように思えたので警察から逃げ出した旨を説明していた)。被告人に同行していた警察官が後を追ったものの間もなく失尾した。被告人は,応接室内に現金3417円,在留カード及びキャッシュカード等在中の黒い折り畳み財布,携帯電話機,旅券といった貴重品一切を残して基本的に身一つで逃走したため,同時に所持金の全てを失った。

 午後5時頃,民家(熊谷警察署から図測約500メートルの位置)敷地内の物置に入っていたところを家人(証人KW9)に発見された。家人から「出てきなさい」と言われると素直に応じて外に出た。同人がどこから来たのか尋ねると,被告人は,家人において被告人が「かん」「かな」と言っているように聞こえる言葉を発した。家人が被告人に背を向けて「警察に電話」と家族に伝えている間に,被告人はその場から立ち去った。

 午後5時30分頃,被告人は,熊谷市内の路上(熊谷警察署から図測約740メートル)で通行人(証人KW10)に対して,いきなり「かね,かね」と声をかけたものの同人に「ない」と言われ,その際に舌打ちをして首をかしげる仕草をした。その後,被告人が付近の民家敷地内に座っている様子をみて不審に思った前記の通行人がその場で110番通報をするために電話をかけたところ,被告人は移動を始めた。被告人が敷地内の軽自動車を助手席側から中をのぞき込むような動作をしたのを見た前記の通行人が「おい」と大声を出すと,被告人は民家敷地内を通ってそのまま逃走した。なお,当時の被告人は上着に赤を基調とするストライプのシャツを着ていた。

50) 事件 (熊谷事件一審判決文10)より)

(罪となるべき事実)

 被告人は,

第1 金品窃取の目的で,平成27年9月14日,埼玉県熊谷市×××番地所在のKV1方に侵入した後,同日午後3時37分頃から午後5時41分頃までの間に,この際,家人を殺害して金品を強取しようと決意し,その頃,同人方2階において,殺意をもって,KV1(当時55歳。以下「KV1」という)に対し,その左側胸部等を同人方にあった包丁(刃体の長さ約18センチメートル)で数回突き刺し,さらに,殺意をもって,KV2(当時53歳。以下「KV2」という)に対し,その胸部左側等を同包丁で数回突き刺すなどし,よって,その頃,同所において,KV1を左側胸部の刺創による肺損傷に基づく失血により,KV2を胸部左側の刺創群による肺損傷に基づく失血によりそれぞれ死亡させて殺害した上,KV1所有の自動車1台及び自動車の鍵2本並びにKV2所有又は管理の現金約9000円,スマートフォン1台及び前記包丁1本を強取し,

第2 金品強取の目的で,同月15日午後3時32分頃から翌16日午後3時10分頃までの間に,同市×××番地所在のKV3方に侵入し,その頃,同人方1階東側8畳和室において,殺意をもって,KV3(当時84歳。以下「KV3」という)に対し,その左側腹部等を前記包丁で数回突き刺すなどし,よって,その頃,同所において,同人を左腎臓損傷及び下腸間膜動脈離断を伴う左下肋部の×開創による腹部下行大動脈離断に基づく失血により死亡させて殺害した上,同人所有の包丁(×××と打刻されたもの。刃体の長さ約19.9センチメートル)1本を強取し,

第3 前記第2記載の犯行の発覚を防ぐため,前記第2記載の犯行後,同月16日午後3時10分頃までの間に,前記KV3方において,KV3の死体を,同人方1階東側8畳和室から同階風呂場に移動させ,同人の死体を浴槽内に入れて,その死体にフロアマットをかぶせた上,同浴槽に蓋をかけて隠匿し,もって死体を遺棄し,

前記第2記載の犯行の発覚を防ぐため

第4 金品強取の目的で,前記第3記載の犯行後,同月16日午前7時20分頃から午後5時27分頃までの間に,同市××××番地×所在のKV4方に侵入し,その頃,同人方1階トイレにおいて,殺意をもって,KV5(当時41歳。以下「KV5」という)に対し,その上胸部左側等を前記第1記載の包丁で数回突き刺すなどし,さらに,前記P5方2階寝室において,殺意をもって,KV6(当時10歳。以下「KV6」という)及びKV7(当時7歳。以下「KV7」という)に対し,その各前頚部を前記第2記載の包丁(×××と打刻されたもの)で切り付けるなどし,よって,その頃,各同所において,KV5を上胸部左側の刺創に基づく左肺動静脈損傷による出血性ショックにより,KV6を頚部の刺切創に基づく左総頚動脈を主とする血管損傷による失血により,KV7を頚部の刺切創に基づく左右総頚動脈を主とする血管損傷による失血によりそれぞれ死亡させて殺害した上,KV5所有又は管理の自動車の鍵2本を強取し,

第5 前記第4記載の犯行の発覚を防ぐため,前記第4記載の犯行後,同月16日午後5時27分頃までの間に,前記KV4方において

前記第4記載の犯行の発覚を防ぐため 

1 KV5の死体を,前記KV4方1階トイレから同階クローゼットに移動させ,KV5の死体を同所に入れて,その死体に敷毛布をかぶせた上,同クローゼットの折戸を閉めて隠匿し,

2 KV6及びKV7の各死体を,順次,前記P5方2階寝室から同階ウォークインクローゼットに移動させて,KV6の死体の上にKV7の死体を重ねて同所に入れた上,これに敷パット等をかぶせて両死体を隠匿し

もって死体を遺棄した。

60) 裁判用語としての「認定」は、「事実がこうであるという判断」を指す。したがって「裁判所がこう認定した」という文は「裁判所がこう判断した」という意味になる。日常用語的にはこのような「認定」という言葉の使い方には違和感があるが、裁判の世界ではごく普通の言葉の使い方であるので、本稿では「裁判所の判断」などとは記さず「裁判所の認定」と記す。

70) 責任能力の定義は下の1931年(昭和6年)大審院判決に基づくのが定法となっている:

心神喪失ハ精神ノ障碍ニ因リ事物ノ理非善悪ヲ弁識スルノ能力ナク又ハ此ノ弁識ニ従テ行動スル能力ナキ状態ヲ指称シ心神耗弱ハ精神ノ障碍未タ上叙ノ能力ヲ欠如スル程度ニ達セサルモ其ノ能力著シク減退セル状態ヲ指称スルモノトス

本稿21に示した責任能力の定義はこの判決文に基づいているが、21に記した通り、「通常」はそのように定義されているということにすぎない。責任能力を厳密に定義することは困難であり、この困難さはそのまま刑事裁判の実務における責任能力判断の困難さに直結している。この点については本稿『転』で論ずる。

80) 幻聴による命令に抗うことができず犯行を行ったのであれば心神喪失で無罪となるのが通例である。但しここには、「抗えたか否か」を証明することの困難と、幻聴の命令といってもそれは本人の脳内から発生したものであるから、「幻聴による命令に抗うことができず犯行を行った」といってもそれは本人の意思を実行したことにすぎないという2つの大きな問題がある。 参考:  村松太郎他: 幻聴と責任能力をめぐる一考察.

90) 妄想が影響したと考えられる犯行は多数あるが、「影響した」とまでは判定できても、「支配された」ことを証明することは多くの場合困難である。それどころか「影響した」という証明さえ容易でないのはまさに本稿のテーマにかかわっている。

100) 「切迫した死の危険があった」ことは「支配されていた」と認定される大きな根拠になる。逆に同危険がないときには、「支配されていなかった」と認定される大きな根拠になるのが我が国の裁判の通例である。「支配」を「切迫した死の危険あり」という事態に限定するかのような裁判所の認定手法はある意味不可解であるが、盗犯等防止法1条2項からの類推と考えれば、法律家の思考パターンとして納得することは不可能ではない。すなわち、自己の住居に不法侵入した者を驚愕のあまり殺傷したような場合には、「切迫した死の危険があった」から「そうせざるを得なかった」と認められ法律では罪に問われないのであるが、これを妄想の場合に援用し、妄想に基づいて「切迫した死の危険」ありと確信したときには「(被害者を)殺傷せざるを得なかった」と認定し、これを「妄想に支配されていた」と同値とみなすのである。

昭和五年法律第九号(盗犯等ノ防止及処分ニ関スル法律)

第一条 左ノ各号ノ場合ニ於テ自己又ハ他人ノ生命、身体又ハ貞操ニ対スル現在ノ危険ヲ排除スル為犯人ヲ殺傷シタルトキハ刑法第三十六条第一項ノ防衛行為アリタルモノトス

一 (省略)

二 兇器ヲ携帯シテ又ハ門戸牆壁等ヲ踰越損壊シ若ハ鎖鑰ヲ開キテ人ノ住居又ハ人ノ看守スル邸宅、建造物若ハ船舶ニ侵入スル者ヲ防止セントスルトキ

110) 「自発的意思」という言葉は、人間の意思に、「自発的」と「非自発的」の2種類があるという見解を前提としている。これは責任能力論の根幹にかかわるテーマであり、本稿『転』で論ずる。

120) 事件まで(淡路島事件一審判決文20)より抜粋)  

被告人が,各犯行当時,かつてリタリンを長期間,大量に使用していたことを原因とする薬剤性精神病に罹患していたことが明らかである。

(中略)

被告人は,インターネットや書籍などから得た知識によって,「日本国政府やそれに同調する工作員らは一体となって,電磁波兵器・精神工学兵器を使用し個人に攻撃を加えるという行為,すなわち『精神工学戦争』を行っている」との世界観を持つに至り,現在もそのように確信しているものと認められる。

(中略)

他方,被告人は,被害者一家らは上記の工作員であり,被告人やその家族は,長年にわたり電磁波兵器・精神工学兵器による攻撃を受けていたと認識していた。このような認識は,鑑定人によれば,被害者らと道ですれ違ったときに被告人の思考を読み取られる,被告人の脳内に被害者らの声が送信されてくるといった病的体験と関連している。

130) 判決文には「思想」と記されているが、「思想」という単語にはすでに評価が入っているので、本稿では評価から中立な「考え」に替えて記した。

140) 事件(淡路島事件一審判決文20)より)

 被告人は,精神刺激薬リタリンを長期間,大量に使用したことにより薬剤性精神病に罹患し,その症状として体感幻覚,妄想着想,妄想知覚等があったところ,インターネットや書籍でその原因を調べるうちに,「日本国政府やそれに同調する工作員らは一体となって,電磁波兵器・精神工学兵器を使用し個人に攻撃を加えるという行為,すなわち『精神工学戦争』を行っている」という思想を持つに至った。さらにそのような思想を前提として,自分やその家族も精神工学戦争の被害者であり,近隣住人のAV1一家やAV2一家(以下「被害者一家ら」という。)は自分たちを攻撃する工作員であるとの妄想を抱くようになった。そこで,被害者一家らへの報復及び国家ぐるみで隠蔽されている精神工学戦争の存在を裁判の場で明らかにすることを目的として,被害者一家らの殺害を決意し,次の各行為をした。

第1 平成27年3月9日午前4時頃,兵庫県洲本市×××町×××番地所在のAV1方離れ寝室において,同人の妻に対し,その左前胸部等をサバイバルナイフ(刃体の長さ約18.6センチメートル)で多数回突き刺すなどし,その頃,同所において,心臓及び上行大動脈多発刺創による失血により死亡させた。

第2 その頃,前記AV1方母屋寝室において,同人に対し,その左前胸部等を前記サバイバルナイフで多数回突き刺すなどし,その頃,同所において,多発性胸部大動脈刺創による失血により死亡させた。

第3 同日午前7時10分頃,同市×××町×××番地所在のAV2方離れ玄関付近において,同人の母に対し,その左背部等を前記サバイバルナイフで多数回突き刺すなどし,その頃,同所において,心臓及び胸大動脈貫通刺創による失血により死亡させた。

第4 その頃,前記AV2方母屋玄関付近において,同人に対し,その胸部等を前記サバイバルナイフで多数回突き刺すなどし,その頃,同人方北側あぜ道において,右肺臓刺創及び左内胸動脈切断による両側性血気胸により死亡させた。

第5 その頃,前記AV2方母屋において,同人の妻に対し,その左背部及び左側胸部等を前記サバイバルナイフで多数回突き刺すなどし,その頃,同所において,心臓及び胸大動脈貫通刺創による失血により死亡させた。

第6 業務その他正当な理由による場合でないのに,前記第1及び第2の日時頃,前記AV1方敷地内において,前記サバイバルナイフ1本を携帯した。

第7 業務その他正当な理由による場合でないのに,前記第3から第5の日時頃,前記AV1方敷地内において,前記サバイバルナイフ1本を携帯した。

150) 「薬剤性精神病」はAP1、AP2鑑定による診断名である。この診断名は公式の診断基準には存在しない。DSM-5では精神刺激薬中毒 Stimulant intoxication、ICD-11ではDisorders due to use of stimulants including amphetamines, methamphetamine or methcathinoneに近いが、国際的な診断基準では薬物使用中止から一定以上の時間が過ぎた後の精神病症状については薬物の影響とはみなさないので、被告人の精神病症状をメチルフェニデート使用に起因すると診断することはできず、「この診断名は公式の診断基準には存在しない」が正確な表現ということになる。

160) 精神病性障害とは、いわゆる精神病圏に含まれる障害の総称で、端的には幻覚・妄想・思考障害等を呈する障害を指している。統合失調症、妄想性障害がその典型である。

170) 妄想の定義は難解であるが、特定の文化圏で共有されている迷信のようなものは妄想とは区別される。認知症や知識・教育不足から生じた誤解、偏見、特定の文化・思想・宗教集団における迷信superstitionや判断の誤りなどは妄想と呼ばない(濱田秀伯: 精神症候学 第2版. 弘文堂 東京 2009年 p.350)。DSM-5の妄想の定義: 外的現実に対する間違った推論に基づく誤った確信であり、その矛盾を他のほとんどの人が確信しており、矛盾に対して反論の余地ない明らかな証明や証拠があるにもかかわらず、強固に維持される。その確信は、その人の文化や下位文化の他の人等からは普通では受け入れられないものである(すなわちそれは宗教的信仰の事項ではない)。(以下略) (DSM-5 専門用語集 Glossary of technical terms)

なお本件一審裁判所は、精神工学戦争に関連したテーマについての権威ある人物が著した書籍が存在することも、それが妄想でないとする根拠として指摘している。

180)「犯行には病気の影響は小さい」は、判決文の次の記載を要約したものである:

被害者一家らは工作員であり,被告人が攻撃を受けているとの被告人の妄想を前提としながらも,被害者らの殺害を決意し,実行した被告人の意思決定と行動の過程には,病気の症状は大きな影響を与えていないと認められる。

190) 事件まで(周南事件一審判決文30)より抜粋) 

ア 被告人は,両親が他界した平成16年頃から,近隣住民が自分の噂や自分への挑発行為,嫌がらせをしているという思い込み(以下「本件妄想」という。)を持つようになった(なお,被告人が語る個別のエピソードが現実にあったかなかったかは後の考察に大きく関係はしない。実際にあったとしてもおかしくない内容が含まれている。)。

イ 精神医学上,妄想が生ずる確かな原因は解明されていないが,被告人の場合は,自分のものの見方だけにとらわれる,自分が正しいという発想をしやすいといった性格傾向と,周囲から孤立した環境(人との付き合いを好まない性格傾向にも関係している。)が大きく関係して本件妄想を持つようになったと考えられる。妄想が孤立を深め,孤立がまた妄想を深めるという悪循環も起こっていた。

ウ 被告人は,本件妄想を持つようになった結果,噂や挑発行為等をする近隣住民に対して怒りを感じると同時に,なぜそのようなことをするのか疑問を持ったり,噂や挑発行為等をされても我慢しなければならないと考えたりもした。自分が黙っているから更なる噂や挑発行為等をされるとも考え,近隣住民の行為を告発しようという趣旨で張り紙をするなどの行動にも出た。そして,近隣住民から嫌がらせを一方的にされたまま,何も言わずにここから出ていけば,また戻ってきたときにはいいようにされてしまうに違いないので一矢報いてやろうという考えや,嫌がらせをしている人間を捕まえて白状させたいという思いを持つに至っていた。

エ 本件妄想の中には,被告人が作ったカレーに毒を入れられたという身体的な被害を内容とするものもある意味唯一存在するが,被告人は,これについても自分の命が危ないという意味では余り受け取っておらず,何者かが被告人に挑発行為等をしてくるといった受け止め方をしていた。

200) 事件(周南事件一審判決文30)より抜粋) 

 被告人は,平成8年頃から,両親の住む山口県周南市大字×××において,両親の介護等をしながら生活をしていた(母親は平成14年に死亡した。)が,父親が死亡した平成16年頃から,近隣住民から自分の噂をされたり,挑発や嫌がらせをされたりしているという思い込みを抱くようになり,近隣住民の中でも,特に,SV2,同人の妻であるSV3,SV4,SV5,SV6及び同人の妻であるSV7に対して,報復をすることを考えるようになっていたところ,

第1 平成25年7月21日午後6時30分頃から同日午後8時50分頃までの間,山口県周南市大字×××番地所在のSV2方において,SV2(当時71歳)に対し,殺意をもって,手製の木製棒(全長約56.3cm,重量約600g。平成27年押第10号の1)や金づち様の物でその頭部等を多数回殴打し,よって,その頃,同人を頭部打撃に基づく頭蓋骨骨折に起因する硬膜外出血,硬膜下出血,くも膜下出血により死亡させて殺害し,

第2 前記日時場所において,SV3(当時72歳)に対し,殺意をもって,前記木製棒や金づち様の物でその頭部等を多数回殴打し,鋭い先端等のある物体でその右側頸部を突き刺し,よって,その頃,同人を頭部打撃及び右側頸部外力作用に基づく頭蓋内及び右側頸部出血に起因する出血性ショックにより死亡させて殺害し,

第3 SV2及びSV3が居住していた前記第1記載の木造瓦葺一部2階建建物(床面積合計約263.3平方メートル。被告人以外の者の所有に係るもの。以下「SV8方建物」という。)に放火しようと考え,前記第1及び第2記載の犯行後同日午後8時50分頃までの間,同所において,手段不明の方法で火を放ち,その火をSV8方建物の床等に燃え移らせ,よって,SV8方建物を全焼させて焼損し,

第4 前記第3記載の犯行後同日午後8時59分頃までの間,同市大字×××番地の×××所在のSV4方において,SV4(当時79歳)に対し,殺意をもって,前記木製棒でその頭部等を多数回殴打し,よって,その頃,同人を頭部打撃による頭蓋骨陥没骨折からの脳挫滅により死亡させて殺害し,

第5 SV4が居住していた前記第4記載の木造セメント瓦・亜鉛メッキ鋼板葺平家建建物(床面積合計約80.96平方メートル。被告人以外の者の所有に係るもの。以下「SV4方建物」という。)に放火しようと考え,前記第4記載の犯行後同日午後8時59分頃までの間,同所において,手段不明の方法で火を放ち,その火をSV4方建物の床等に燃え移らせ,よって,SV4方建物を全焼させて焼損し,

第6 前記第5記載の犯行後同日午後9時5分頃までの間,同市大字×××番地所在のSV5方において,SV5(当時80歳)に対し,殺意をもって,前記木製棒でその頭部等を多数回殴打するなどし,よって,その頃,同人を頭部打撃による頭蓋骨陥没骨折に伴う脳挫滅により死亡させて殺害し,

第7 同月22日午前1時30分頃から同日午前6時頃までの間,同市大字×××番地所在のSV6方において,SV7(当時73歳)に対し,殺意をもって,前記木製棒でその頭部等を多数回殴打し,よって,その頃,同人を後頭後頸部打撃による頸椎骨折及び大後頭孔,環椎脱臼からの脳挫傷及び脳幹損傷により死亡させて殺害し

た。

 

210)  住居侵入、強盗殺人、死体遺棄被告事件.平成30年(う)第651号 令和元年12月5日東京高等裁判所第6刑事部判決

220)  殺人,銃砲刀剣類所持等取締法違反被告事件 平成29年(う)第501号 大阪高等裁判所令和2年1月27日第6刑事部判決   

230)  殺人、非現住建造物等放火被告事件 平成27年(う)第127号 広島高等裁判所第1部平成28年9月13日判決   

240) 熊谷事件一審の誤りについて、控訴審判決文には次の通り要約されている:

原判決の前記認定,判断は,責任能力について誤った判断枠組みに基づいている上,精神鑑定等の証拠評価に看過し難い誤りがあって,是認することができない。すなわち,〔1〕動機の内容だけでなく,その形成過程が了解可能なものであるか否かは,精神障害が犯行に及ぼした影響をみる上で重要な考慮要素と考えられるのに,それを捨象した判断をしたことに加え,〔2〕被告人の精神障害の影響を十分に考慮せずに本件各犯行の動機や目的の認定を誤り,ひいては,KP1鑑定を正しく理解せずに判断をしたものといわざるを得ない。

250)  熊谷事件控訴審判決文には次の通り記されている:

責任能力を判断する上で重要な要素となる動機や目的からみていくと,原判決は,被告人の精神障害のうち本件各妄想のみを前提にして客観的,外形的な事実経過を中心に検討し,K鑑定により認定できる被告人の犯行当時の精神状態を十分に考慮しておらず,以下のとおり,論理則,経験則等に照らして明らかに不合理な認定をしており,これを支持することはできない。

260) 「被告人の精神症状について、一審は、妄想のみを前提とし、不穏状態を無視した」という指摘が控訴審から一審判決に向けられた批判の中心にある。控訴審のこの論法は、精神医学的には、違和感があるとともに学ぶところが大きいものである。なぜなら、熊谷事件のような場合に精神障害の犯行への影響を論じるにあたって、「妄想のみを前提」として説明することが精神医学的に決して誤りとは言えないからである。いわゆる不穏状態が存したことは事実であるが、それは妄想から派生したもの、あるいは妄想の一部、あるいは妄想の基底にある精神病状態の表れであって、説明において必ずしも妄想と併置して述べる必要はない(現に、熊谷事件控訴審判決文においても、妄想の影響が描写されていると読める認定事実について「本件各妄想や精神的な不穏状態が・・・」と記述しているところが多々見られている)。その意味で「妄想のみではなく、不穏状態もあわせて論考しなければならない」とする控訴審の指摘には違和感があるが、他方、逆に、鑑定医が症状の代表として妄想のみを挙げた場合には裁判所が致命的な誤解をする可能性があることをこの控訴審の指摘は示唆している。いかなる事象についても、それを言葉に変換した時には一定の変質が避けられず、変換後の論考は事象についての論考ではなく言葉についての論考になることはありがち且つ不可避であるが、裁判においてはこの問題が著しく顕在化することがしばしばあり、すると鑑定意見の提示にあたっては言葉の使い方、特に症状を言葉に変換する際には細心の注意が必要であることを、熊谷事件控訴審の判決は教えてくれている。

270)  熊谷事件控訴審判決文には次の通り記されている:

統合失調症の症状が本件各事件に及ぼした影響をみると,被告人は,本件各犯行当時,精神科医療を受けておらず,病識を欠いた状態にあったから,妄想を現実のこととして受け止めていたところ,本件各妄想は,職場関係者やその者が差し向けた黒いスーツを着た男ややくざから命を狙われる,それらの者が自分や親族に危害を加えるために追っており,警察官も追跡者とつながっているという自らの生命への危険についての強烈な内容を含んでおり,被告人にとって,非常に強い影響力を有していたと考えられる。そもそも,被告人は,本件各妄想がなければ,勤務先やその寮から出奔することはなかったし,熊谷警察署に戻れば少額とはいえ現金が入った財布,身分証明書,携帯電話等を取り戻すことができ,援助してくれる親族も近隣の県に在住していたのであるから,金銭に窮していたとはいえ直ちに犯罪に及ばなければならない状況にはなかった。そして,本件各妄想によって認識していた内容を前提としても,被告人が必要としていたのは逃走に要する比較的少額の現金や飲食物等であったはずであり,手段を選ばずに,ましてや繰り返し殺人を犯してまでこれを実現しようとすることには,大きな飛躍がある。そうすると,被告人の本件各妄想や精神的な不穏状態が住居侵入や殺害等の行動の全般にわたって影響を与えた蓋然性が高いというべきである。実際に,本件各事件における被告人の行動には,第1事件現場で血文字を残したり,第2事件現場でペティナイフを壁の隙間に刺したり,第3事件現場でFの携帯電話を靴下に入れて結んだりといった,意味が判然としない行動が含まれているのであり,精神障害の影響なしに理解することは困難である。

280) 熊谷事件控訴審判決文210)には弁護人の主張が次の通り記されている:

〔1〕原審の担当裁判官がKP1医師の証人尋問において被告人の本件各犯行が純粋な金品入手目的であったと仮定した質問をしており,被告人が完全責任能力であるとの予断を持っていた,

それに対する控訴審の回答はこうである:

〔1〕については,裁判官が何らかの予断を有していたとは認められず,

上の引用は一部分の抜粋ではない。控訴審の回答は文字通りこれだけである。「予断を持っていた」という指摘に対して「予断を有していたとは認められず」という回答とはいったい何であろうか。高裁判決にこう記されていたら国民は受け入れるしかないのではあるが、このような回答が堂々となされてそれが受け入られるのは裁判以外の世界では、政治家の答弁を除けば、あり得ないであろう。

そして控訴審判決文の別の部分には、一審裁判官のこの「被告人の本件各犯行が純粋な金品入手目的であったと仮定した質問」について、次の通り記されている:

その証言の前提となった裁判官の質問は,KP1医師が証言するように精神障害の影響がないという前提での質問としか解されず,それまで重ねられてきた証言の趣旨を逸脱し,誤った心証に結び付きかねない不適切な質問

つまり控訴審は、一審裁判官の当該質問が不適切であることは認めているのである。ではなぜそのような不適切な質問がなされたのか。予断に基づくものではないと言うのであれば、別の納得できる理由を高裁から教えていただきたいものである。

なお、元裁判官である稗田雅洋は自著論文290)の中で、熊谷一審裁判官のこの質問を一審裁判官の「思い込み」と表現している。私は「予断」と「思い込み」は同義語であると考えるが如何か。

ちなみにこの質問を発した熊谷一審裁判所の裁判官は右陪席であることが刑事弁護の専門誌300)に曝露されているが、右陪席個人の問題にとどまらず、熊谷一審裁判体の問題であると捉えるべきであろう。

290) 稗田雅洋: 妄想等が犯行に影響を及ぼした場合の責任能力判断 --- 高裁破棄判決2件を契機に考える ---   刑事法ジャーナル No.68: 84-104  2021年

300) 菅野亮、村山浩昭、五十嵐禎人、坂根真也: (座談会) 責任能力をめぐる裁判員裁判に法曹三者と精神科医はどのようにとりくむべきか.季刊刑事弁護110号 Summer 2022. 特集① 高裁破棄事例で考える責任能力弁護.  63頁-77頁

310)  AP3鑑定には、被告人には自閉スペクトラム症があったことも指摘されている。精神医学的にはこれも重要な点であるが、本稿のテーマには直接関係しないので自閉スペクトラム症についての議論は省略する。

320) 妄想性障害は現代の操作的診断基準に収載されている診断名であるのに対し、パラノイアは伝統的(または古典的)な診断名であるから、この両者は同義ではない。しかしAP3鑑定のように、そして淡路島控訴審のように、同義であるとして論を進めても大きな問題は発生しない。

330) 薬剤、精神刺激薬(アンフェタミン、メチルフェニデートなど)の使用後に精神病症状が出現したとき、同症状と薬剤使用の因果関係については、ありとする意見となしとする意見がある。たとえばDSMは、薬剤使用から一定以上の期間が過ぎている場合には因果関係なしと定めており150)、我が国ではアンフェタミンについては使用から長期間が過ぎても因果関係ありとする意見が少なくない。

しかしこの議論は不毛である。Aという事象の後にBという事象が発生したという事実のみが判明しているとき、AとBの関係が偶然なのか必然なのかを証明する方法は存在しないからである。

このとき、①統計的に、Aの後にBが発生することが偶然を有意に超えて高率である または②AがBを発生させるメカニズムが科学的に示される のいずれかがあれば、AとBに因果関係ありという結論が得られるが、精神刺激薬と精神病症状については①も②も示されていない。したがって精神刺激薬使用と精神病症状の因果関係については「わからない」が唯一の正しい答えである。

淡路島控訴審裁判所は、SP2鑑定人による薬剤性精神病という診断を否定する根拠として、被告人の精神病症状がメチルフェニデートの最終使用から年月がたちすぎていることを指摘し、これはSP3鑑定人が薬剤性精神病の診断を否定する根拠でもある。しかし上記の通り、年月は薬剤性精神病を否定する根拠にはならない。さらに淡路島控訴審裁判所は、「リタリン(メチルフェニデート)単剤で,それを大量に摂取してから7年,8年,10年という期間が過ぎた後にも精神病状態が持続した報告例は一つもなかったし,当審鑑定人が独自に複数の依存症専門医に聞いても,そのような事例を経験した医師は一人もいなかったというのである。」というSP3鑑定人の証言を薬剤性精神病否定を強化する根拠としているが、これはいかにも根拠薄弱である。「聞いても・・・一人もいなかった」というのはもちろん事実であろうが、そのような伝聞が否定の根拠としては弱すぎることを別としても、「Aという事象の後にBという事象が発生した」すなわち「メチルフェニデート使用後に一定の年月が過ぎてから精神病症状が発生した」という症例が存在することは動かぬ事実であって、しかしそのような場合に「AとBの関係は偶然にすぎない」と判断されれば、「メチルフェニデート使用後に一定の年月が過ぎてから、メチルフェニデート使用に起因する精神病症状が発生する症例はない」という結論になる。「リタリン(メチルフェニデート)単剤で,それを大量に摂取してから7年,8年,10年という期間が過ぎた後にも精神病状態が持続した・・・事例を経験した医師は一人もいなかった」ことの背景にはこうした事情があることが考えられる。本件被告人がまさにその典型的な症例で、本件被告人の症状は「メチルフェニデート使用に起因する精神病症状ではない」というのが公式的な結論になるから(実際は起因するかしないかは「わからない」が唯一の正しい答えである)、「リタリン(メチルフェニデート)単剤で,それを大量に摂取してから7年,8年,10年という期間が過ぎた後にも精神病状態が持続した・・・事例」には分類されないことになる。したがって、「メチルフェニデート使用後に一定の年月が過ぎてから、メチルフェニデート使用に起因する精神病症状が発生する症例はない」という命題は、「メチルフェニデート使用後に一定の年月が過ぎてから、メチルフェニデート使用に起因する精神病症状が発生することはない」というドグマに基づいたものであって、真実を反映した命題ではない。

340) 被告人は310)に記した通り、自閉スペクトラム症と診断されている。自閉スペクトラム症と統合失調症に連続性ありとするデータは2010年頃から次々と出されている(たとえば King, B.H. & Lord, C.  Is schizophrenia on the autism spectrum?  Brain Res 1380: 34-41, 2011. それを実証する試みの中で、根拠として示されている代表的なものは、遺伝子に基づくデータ、及び、脳内の機能的結合に基づくデータである。前者の例としてGeschwind, D.H. & Flint, J. Genetics and genomics of psychiatric disease.  Science 349, 1489-1494, 2015 、後者の例としてYahata N., et al. A small number of abnormal brain connections predicts adult autism spectrum disorder.  Nature Communications 7:11254  DOI: 10.1038/ncomms11254  2016がある。)。これらは、被告人が妄想性障害ではなく統合失調症であるとする主張を支持する事実であるといえる。

一方で、メチルフェニデートの使用が脳に影響し、その後の精神病症状を発症させるリスクになるという研究もある(たとえば、Hollis C et al: Methylphenidate and the risk of psychosis in adolescents and young adults: a population-based cohort study. Lancet Psychiatry 6: 651-658, 2019.  DOI: 10.1016/S2215-0366(19)30189-0 ; Shyu YC et al: Attention-deficit/hyperactivity disorder, methylphenidate use and the risk of developing schizophrenia spectrum disorders: A nationwide population-based study in Taiwan. Schizophrenia Research 168: 161-167, 2015.)。したがって上記330)とあわせ、被告人の精神病症状がメチルフェニデートと無関係であると断ずることはできない。

350) 被告人は「(自分の体に)不自然な痛みやしびれがある」等の体験を述べており、これらは幻覚と解し得るから、妄想性障害の診断基準との整合性が問題となる(DSM-5の妄想性障害の診断基準項目には「B. Criterion A for schizophrenia has never been met. Note: Hallucinations, if present, are not prominent and are related to the delusions of theme (e.g. the sensation of being infested with insects associated with delusions of infestation); B. 統合失調症の基準Aを満たしたことがない.  注: 幻覚はあったとしても優勢ではなく、妄想主題に関連していること (例: 寄生虫妄想に基づく虫が寄生しているという感覚)」があり、少なくとも操作的診断の観点からは、幻覚の有無が統合失調症と妄想性障害を鑑別する主要なポイントになる)。これに対するAP3医師の見解は淡路島控訴審判決文中に次の通り記されている:

前記のC教授の論稿中,妄想性障害にあっては,妄想(観念)と異常体験(感覚)は融合し,一体をなしている。患者はしばしば「体験」から妄想を説明するが,体験は「証明のための」確証として一面的に歪められていることが多く,時には「幻覚」の様相を帯びることもある,との一節を引用し,妄想性障害は,攻撃を受けているという妄想の観念と,自分の知覚体験とが混然一体となっていて,それが知覚なのか観念なのか区別がつきにくい上,妄想性障害の患者は,身体的な異常を訴える人が少なくないので,妄想として起こっているのか,体感幻覚なのかは究極的には分からないから(当審鑑定人〈1〉61頁以下),これによれば,被告人に生じたとする「幻視,錯覚,体感幻覚」の説明もつくというのである。

判決文中の「C教授の論稿」とは、1997年の村上靖彦の論文360)であると思われるが、同論文を持ち出すまでもなく、精神病性の疾患に罹患している患者が(「精神病性の疾患」には統合失調症も妄想性障害も含む)、幻覚と解し得る主観的体験を述べたとき、それが精神病理学的な意味での幻覚にあたるか否かの判断は時に非常に困難である。前記DSM-5の「Hallucinations, if present, are not prominent」の「prominent」という文言はこの事情を反映している。「prominent」という文言には幅があり、AP3医師は被告人の体験はprominentではないしそもそもhallucinationではないと認定したのであるが、私はhallucinationであり、且つ、prominentであると認定する。したがって被告人の診断は妄想性障害ではなく統合失調症ということになる。

 私がそのように認定する理由は、一つは操作的診断の思想に基づくものであり、もう一つは伝統的診断の思想に基づくものである。

 操作的診断においては、診断基準に文字として記されていることを超えた判断をしてはならないと私は考える。そのような判断を容認すれば、操作的診断基準の持つ客観性は失われ、操作的診断基準の特長である信頼性は失われる。操作的診断基準を用いる以上は、患者の言葉は言葉通りにとらなければならない。本件被告人の申し述べるところの「(自分の体に)不自然な痛みやしびれがある」は、幻覚の最もシンプルな定義である「対象なき知覚」に合致するから、これらは幻覚(体感幻覚)である。したがって妄想性障害という診断は棄却される。

 一方、伝統的診断においては、各疾患に推定される本質が重視される。このとき、その「本質」なるものが推定にすぎない以上、何が本質であるかについては真のコンセンサスは存在し得ないが、統合失調症については自我障害が本質であると私は考えるし、自我障害を統合失調症の本質であるとするのはかなり有力な考え方である370)。そこで淡路島事件被告人の症状に目を向ければ、「ブレインジャックされて感情を植え付けられる」「強制的に殺意を植え付けられる」などは典型的とも言える自我障害であって(「思考を読み取れられる」「脳内に被害者らの声が送信されてくる」なども自我障害に分類し得る。また、これらは「幻聴系」370)に分類される体験であり、操作的診断基準の「幻覚」にはあたらないが、統合失調症の幻聴と本質において同一の症状である)、自我障害が存する以上は妄想性障害という診断は棄却される。

 操作的診断基準のみに基づく診断も、伝統的診断の思想に基づく診断も、どちらも実際は欠陥が満載しており、現実には両方を適宜併用するという、ある意味柔軟、ある意味日和見主義的な手法を採らざるを得ないことが多いが、本件被告人においては、どちらの立場からも妄想性障害の診断は棄却され、統合失調症という診断が結論となる。但しこれは書面の記録のみに基づく診断であるのに対し、AP3医師は被告人を実際に精密に診察しているのであるから、そもそも統合失調症と妄想性障害の境界は不明瞭なものであることとあわせ、彼女が下した妄想性障害という診断を否定することはできない。よって本稿では淡路島事件被告人の診断を妄想性障害であるとして論を進める。なお、少なくとも本件においては、診断が妄想性障害であるか統合失調症であるかによって、控訴審の論考に対する精神医学的評価はほぼ不変である。

360) 村上靖彦: 持続性妄想性障害. 精神医学講座: 精神分裂病Ⅱ  中山書店 東京 1997. pp.389-413 (406-407)

370) 村松太郎: 統合失調症当事者の方法論 中外医学社 東京 2021年

380) 判決文には「妄想の影響が大きい。ゆえに心神耗弱か心神喪失である。」と明記されているわけではないが、「妄想の影響が大きい」という認定に続く論考からは、事実上、同認定が「心神耗弱か心神喪失である」という認定に直結している。

390) Wahn --- Eine Deskriptiv-phänomenologische Untersuchung schizophrenen Wahns.  Gerd Huber, Gisela Gross.  Stuttgart: Enke  1977  (邦訳書: 『妄想』 G.フーバー/G.グロス著 木村定/池村義明訳 金剛出版 東京 1983) には次の通り記されている:

Auswirkung wahnhaften und anderen psychotischen Erlebens auf das faktische Verhalten ein Kriterium für den Grad der Wahngewißheit:  Je stärker die Wahngewißheit ist, um so eher ist auch mit erkennbaren Auswirkungen auf das Verhalten zu rechnen.  (pp.60-61)

< 現実行為への妄想体験やその他の精神病体験の影響は妄想確信の程度の規準> である。妄想確信が強ければそれだけみとむべき影響が行為に出ると考えるべきである。(邦訳書 112頁)

すると端的には、犯行になされたことがその行為への影響の強さの何よりの証拠ということになるが、刑事裁判においてはこの論はトートロジーとなるため採用できない。

400) 類似の裁判用語に、「論理則、経験則」「自然」「相当因果関係」などがある。これらは「相当である」とあわせ、裁判官が「私はこう思う」ことを権威化・正当化し言い換えるための表現にすぎない。しかし「私はこう思う」とストレートに判決文に記すわけにはいかないのは当然であって、判決文には、わからないものでもわかったかのように書かなければならず、そのためには権威化・正当化の表現が必要であることは十分に理解できる。裁判官のご苦労が偲ばれるところである。ついでに言えば、当事者(検察官、弁護人)の用いる「明らかである」も裁判に特有の表現で、これは「私は明らかであると思う」から「私は本当は明らかであるとは思わないが、立場上、ここは明らかであると強弁することにした」までの幅のある意味野をカバーしている。

もっとも、世間にはとても通用しそうにない独特の用語法の濫用という点では、精神医学も刑事裁判に決して負けていないのではあるが。

410)  周南事件控訴審判決文は、SP2鑑定は信用できるとしたうえで、さらに、(弁護人もSP2鑑定人の供述だけを最良の専門家意見として考慮されたいと主張している。)と付記している。また、判決文の別の部分には次の通り記されている:

公判前整理手続,公判手続を通じ,原審弁護人は××医師の証人尋問請求を行うことはなく,弁論では,SP2鑑定は十分信用でき,同鑑定のみを最良の専門家意見として尊重されたい旨主張した。

(中略)

以上のような原審における公判前整理手続及び公判審理の経過に照らせば,原審弁護人は,SP2鑑定の内容について,公判前整理手続の段階で十分な検討の機会を与えられた上,××医師の意見を含めたその他の専門的知見を原審公判に顕出するという選択肢が存したのに,これをしないという選択をしたと認められ,その後原判決に至るまで,その選択の変更を迫られるような事情は存しなかったといえる。

つまり裁判所は弁護人に対し、一審ではSP2鑑定が信用できると言っておきながら、いまさら何を言っているのだ、と論難しているのである。

420) 最高裁判所第一小法廷平成28年(あ)第1508号 令和元年7月11日判決  

430) (再審請求審) 山口地方裁判所令和元年(た)第2号 令和3年3月22日第3部決定   

440) 「SP2鑑定人は、本件各犯行時に請求人が持っていた近隣住民に対する認識が妄想性障害に基づく病理現象としての「妄想」であることを明確に説明した上で,その現象面である客観的事実と異なる認識を有するという点を分かりやすく説明するために「思い込み」と置き換えたに過ぎない。430)が仮に事実であったとしても(実際はこれが事実であることには大いに疑問がある。本稿『結』341参照)、その言い換えは「分かりやすく説明するため」に正確さを致命的に犠牲にしたものであり、裁判が真実を発見するための制度であるとするのであれば、到底受け入れられる言い換えではない。

450) 再審請求審決定文430)には次の通り記されている:

SP2鑑定人は,「睡眠導入剤(マイスリー)が本件犯行に与えた影響の有無及び程度・機序」について,起訴前鑑定書中の服薬状況等を鑑定資料とした上で,本件各犯行時の請求人の行動等に基づき,「特に薬を飲んだから急にやろうと思ったとか,そういう話ではないので,特に関係ないと思っています。」旨述べ,睡眠薬の服用と本件各犯行には関係がない旨の判断を明確に示している。そして,起訴前鑑定医であるSP1医師(以下「SP1医師」という。)も「睡眠薬の影響は大きくない。」旨証言していることも踏まえると,睡眠薬の影響に関するSP2鑑定は合理的であり,不十分であると疑わせる事情はない。

つまり裁判所は、SP2鑑定がそう言っているからそうなのだと言っているにすぎず、真摯に検討する気があるのか大いに疑問である。また、そもそもSP2医師のこの意見は、犯行の決意への睡眠薬の影響を否定しているものであって(その限度においてSP2医師の認定は首肯できる)、本件犯行への睡眠薬の影響として問題になっているのは犯行のころの意識状態へのそれなのであるから、上記のSP2医師の認定と論点が全く別である。しかも裁判所は、診断の時点で誤診しておりしたがって信用性がないSP1鑑定の意見の一部をここに持ち出し、睡眠薬の影響を否定する根拠であると主張している。このように、専門家の意見の中から、裁判所の結論に都合の良い部分だけを抽出して裁判所の判断を支える根拠とするのは、一部の裁判所の常套手段である。この手法を虎の威を借る狐と表現したら裁判所に失礼であるが、表現はともかくとして、再審請求裁判所の論法がとても人を納得させることができないという事実は動くまい。再審請求裁判所は睡眠薬をめぐる論点について全く理解していないか、または、理解することを拒否している。

460) 再審請求審決定文430)には次の通り記されている:

SP2鑑定人は,妄想が生ずる原因に性格が影響していたと考えられるとした上で,報復の仕方の選択については請求人独自の考えや感情で動いた旨説明しており,性格が精神障害に与えた影響と犯行に与えた影響を区別して判断した上で,請求人がり患していた妄想性障害の影響があるのは本件各犯行の動機形成過程であり,本件各犯行に及ぶ決意をする点には影響を及ぼしていないという判断をしているのであるから,特に請求人の性格の本件各犯行への影響を過大評価しているわけではない。

470) 周南事件一審判決文30)には、被告人の性格と犯行についてのSP2鑑定意見を次の通り引用したうえで、「以上の鑑定結果は合理的,説得的なものであって,これを採用し得ない事情は認められない」としている。すなわち被告人の性格の犯行への影響を認定している:

精神医学上,妄想が生ずる確かな原因は解明されていないが,被告人の場合は,自分のものの見方だけにとらわれる,自分が正しいという発想をしやすいといった性格傾向と,周囲から孤立した環境(人との付き合いを好まない性格傾向にも関係している。)が大きく関係して本件妄想を持つようになったと考えられる。

(中略)

被告人が殺人や放火といった報復の仕方を選択したことは,被告人の性格によるものであり,妄想的な理由によるものではない。

 SP2医師が被告人の性格の影響を重視していることは上記から明白である。それを否定する再審請求審は、事実を歪曲している。

 

480) A. あまりに精神が異常な場合は、罰しても意味がない(120)とB. 犯行を思いとどまることが不可能だったのであれば、罰することはできない(121)は、現代の我が国の責任能力をめぐる理論と実務から抽出した二大判断基準である。この理解は後述500)佐野文彦論文の次の記述に一致している(下線は村松による):

現在の通説は、(精神障害の罹患の有無には理論的には独自の意義はないとの法律的病気概念を採用しつつ)「犯行を思いとどまることができる」か否かを決定的な判断基準とする一方で、刑事実務、特に近時の一連の司法研究は、とりわけ統合失調症について、犯行に対する「精神障害の影響」・「正常な精神作用」、の影響の程度を決定的な判断基準としており、両者の関係を如何様に考えるかを巡って、学説上様々な立場が示されていた。 (佐野2021  138巻 1977-1978頁)

本稿120A. あまりに精神が異常な場合は、罰しても意味がない=異常精神論は上の第二の判断基準である「精神障害の影響」・「正常な精神作用」、の影響の程度に対応、本稿121B. 犯行を思いとどまることが不可能だったのであれば、罰することはできない=中止可否論は上の第一の判断基準である「犯行を思いとどまることができる」か否かに対応させたものである。

490) 本稿では心神喪失を中心に論ずる。心神耗弱については「完全責任能力ではないが心神喪失には至らないもの」という概念としての把握にとどめる。これは昭和6年大審院判決の判示「心神喪失ト心神耗弱トハ孰レモ精神障害ノ態様ニ属スルモノナリト雖モ其ノ程度ヲ異ニスルモノ」に基づく。

500) 佐野文彦: 刑事責任能力の判断について―原理・基準・適用. 法学協会雑誌137巻9号-138巻10号.  2020年-2021年

510) さらに遡れば、旧刑法制定過程の案においては「瘋癲白痴ノ者ハ其罪ヲ論セス」と言う文言も存在した。 (上記500)佐野137巻1586頁-1597頁.)

520) 上記500)佐野137巻 2040頁-2105頁、138巻169頁-254頁に詳述されているが、530)540)550)は必ず言及されるランドマークケースである。

530) いわゆる「昭和53年・59年判例」「元自衛官強盗殺人事件」: 最判昭和53年3月24日刑集32巻2号408頁、最決昭和59年7月3日刑集38巻8号2783頁。
540) いわゆる「平成20年最判」: 最判平成20年4月25日刑集62巻5号1559頁。
550) いわゆる「平成21年最決」: 最決平成21年12月8日刑集63巻11号2829頁。

560) 裁判所による実際の責任能力判断は、弁識能力・制御能力に直接切り込む「直接法」と、精神症状の犯行への影響を論ずることで、間接的に弁識能力・制御能力を判断する「間接法」に二分することができる570)

570) 村松太郎 認知症の医学と法学 中外医学社 東京 2018年 221頁

580) 佐伯仁志: 裁判員裁判と刑法の難解概念 法曹時報 61巻8号 には次の通り記されている(29頁)

刑法の難解な法律概念のなかで最も説明が難しいのが責任能力であろう。法律の概念を説明することが難しいという場合には、法律家が理解していることを一般の人にうまく伝えるのが難しいという場合と、法律家(学者を含めて)がその本当に意味するところを十分理解できていない(したがって一般の人にうまく説明できないのはあたりまえである)という場合があるが、責任能力は後者であるように思われる。

法律家がそんな頼りないことでは脱力してしまいそうになるが、これが現実ということなのであろう。

590) 難解な法律概念と裁判員裁判 司法研修所編 2009年

600) 但し、責任能力判断において、「もともとの人格」を考慮から完全に外すべきであるという意味ではない。制御能力というものを考えるとき、それは「思いとどまることができたか否か」の問題ではなく、

「その内実は、一般人であれば持ち得た(とされる)制御能力が、精神の障害を有する行為者に欠落していたかを問うもの」で、「精神の障害によって,行為者の意思形成過程や衝動制御が一般人のレベルから大きく逸脱し、異質なものになっていたか」

であるとする立場もあり(橋爪隆: 裁判員裁判と刑法解釈.  法曹時報 73: 2089-2145  2021年)、この立場においては、「思いとどまれたか」という仮定的な検討ではなく「思いとどまらなかった」実際のプロセスを対象とすることができることになり、その際に、「もともとの人格」が考慮の一要素になるとされる。
はたしてこの立場が実務に有用かということについては疑問もあるが(この立場を取ったとしても、結局は「思いとどまれたか」という仮定的な検討から逃れられていないのではないか)、「もともとの人格」を考慮の一要素にすべきであるという限度においては十分に首肯できる。

610) 裁判員裁判と裁判官 --- 裁判員との実質的な協働の実現をめざして --- 司法研修所編 2019年

620) 150に引用した協働2019の論は、統合失調症を念頭に置いたものではあるが、「責任能力が問題となる事案における基本的な判断枠組み」として記されているものである。

630) 裁判員裁判制度は、導入そのものは有意義であったが、現在は死に体であることは、最高裁判所事務総局: 裁判員制度10年の総括報告書. 2019年5月. を読めば明らかである640)

640) 村松太郎: 裁判員裁判の功罪. 精神神経学雑誌 123: 32-37. 2021年.

650) 淡路島控訴審220)の責任能力判断部分の判決文は次の通りである:

(4)総合的検討

ア 以上,本件犯行の動機,犯行前から犯行後までの一連の被告人の行動等を検討しても,当審鑑定が示す,被告人の妄想性障害の病勢が悪化し,被害妄想が一層深刻なものとなって,被告人の衝動性,攻撃性が極めて高まった結果の犯行であるとの基本的な見方は支持される。

イ 被告人が,本件犯行を違法なものと認識していたのは明らかである。その意味では,事理弁識能力は,少なくとも最低限保たれていたといえる。犯行前にどれくらいの刑になるのかを調べたり,犯行直後に,裁判になるのでもう会えないといったメッセージを送ったり,警察官に対し弁護士が来るまで話さないなどと述べたこと等に照らしても,原判決の,被告人が,自分の行動が殺人としての犯罪になり,逮捕され裁判を受けることになると認識していたとの説示自体に,誤りはない。

ウ しかし,被告人は,たとえ処罰を受けることになっても,妄想性障害に基づく妄想の強い影響を受けていたために,自己の復讐を果たすとともに,精神工学戦争の実在を明るみに出したいとの動機に基づき,そのような行為に出ることが正しいことであると認識して,規範障害を乗り越え,本件に及んだと認めるのが相当である。本件犯行を思いとどまる能力(制御能力)は,妄想のために著しく減退していたとみられる。その結果,被告人は,本来の人格からは相当解離のある,残虐な殺害行為を,短時間のうちにためらいもなく,次々と行ったと考えられるのである。

エ もっとも,制御能力は,なお多少は保持されていたとみるべきである。

 被告人は,本件犯行が,刑事処罰を受ける違法な行為であると理解しつつも,妄想が極めて強くなり,その妄想に基づく動機によって殺害行為に出ることが正しいことと位置付けて,規範障害を乗り越えたといえるが,このような場合,制御能力がほぼ完全に失われていたか否かを判断するには,被告人が本件犯行を余儀なくされた,すなわち,被告人において他の行為を選択する余地がなかったか,このような殺害行為を避けることはできなかったのかを検討する必要がある。被告人が,強い妄想の影響下にあったとはいえ,被害者一家らの殺害に直結するような命令性の幻覚や幻聴があったわけではない。また,殺害行為に及ばなければならないほど切迫した恐怖感(今そのような殺害行為に出なければ,自分の生命等に重大な危害が及ぶというようなもの)までは,被告人が抱いていなかったことも明らかである。そうすると,被告人が,妄想の影響によって,直接的に行為を支配された結果本件犯行に及んだという疑いはなく,制御能力は,被告人の犯行時の精神障害の状態を基準に考えてもなお,完全には失われていなかったと評価すべきである。

660)先の分類560) 570)でいえば間接法にあたる。

670) 但し、違法性の認識があることで弁識能力に問題がなかったとは断ぜず、「少なくとも最低限保たれていた」という認定になっている650)

680) Durham rule:  a criminal defendant can't be convicted of a crime if the act was the result of a mental disease or defect the defendant had at the time of the incident

690) 中谷陽二: 精神障害者の刑事責任能力  --- 最近の事例にみる裁判の動向 --- 精神神経学雑誌 122: 105-117, 2020.

700) 現代の操作的診断基準を用いる以上は、妄想性障害では妄想以外は正常という論は到底受け入れられない。この論は一種のドグマであって、ガウプやクレペリンが記載した古典的なパラノイアであれば(古典的なパラノイアはもちろん現代でも存在する)、妄想以外は正常という論は成立するが、現代の操作的診断基準における妄想性障害は、320)に既述の通り、古典的なパラノイアとは一致しない。妄想が(または妄想のみが)前景に立つ精神病の分類学は、精神医学の黎明期から現代に至るまで未解決の議論が続いており、操作的診断基準は一つの妥協点にすぎず、そこには妥当性validityはないが、現時点では操作的診断基準を用いて診断せざるを得ない。

なお、刑事司法の世界においては、統合失調症とは一線を画するものとして妄想性障害を捉え、その責任能力論が発展しているようであるが、妄想性障害の概念自体がこのように曖昧なものであるから、「妄想性障害の責任能力論」なるものはその土台が卵のように脆弱であり、価値を認めにくいものである。そして刑事司法の世界では妄想性障害の概念についてのこの現実が把握されていないばかりか、かなり根本的なレベルでの誤解が、権威ある書籍にも堂々と記されている710)

710) 大コンメンタール刑法 第三版. 大塚仁、河上和雄、中山善房、古田佑紀編. 青林書院 東京 2015年.   453頁に「パラノイアに類似する心因性精神病の1つである妄想性障害・・・」という記載があるのを見出し私は驚愕した。

もっとも、このように妄想性障害の概念が混乱しているのは精神医学の側に責があるのではあるが。

 

720) 神戸地方裁判所第1刑事部  令和3年11月4日判決

平成30年(わ)第453号. 殺人,殺人未遂,住居侵入,建造物侵入,銃砲刀剣類所持等取締法違反被告事件.

730) 2021年10月20日に村松が神戸地裁法廷で証言した事件である。

740) それは本稿の注に追記する予定である。本稿の本文には加筆しない。

750) (1)平成29年5月頃までの事実経過

ア 被告人は,平成2年○○月○○日に神戸市内で出生し,本件当時は26歳で,被告人方において,祖父であるBV1(以下「BV1」という。),祖母であるBV2(以下「BV2」という。),母であるBV3(以下「BV3」という。)と4人で生活していた。なお,被告人には精神障害の病歴はない。

イ 被告人は,高等専門学校を中退後,運送会社でのアルバイトを経て,神戸市内の専門学校に入学し,平成28年春に同校を卒業して就職したが,同年9月末頃に退職した。それ以降,被告人は,自宅に引きこもって不規則な生活を送りながら,金を稼ぐ方法を考えていたところ,同年末頃,「××」というゲーム,漫画及び音楽CD等のシリーズのうち,東日本大震災以前に発売されたゲームの中に,同震災やそれに起因する福島第一原子力発電所の事故の発生を予言する暗号が隠されていたと考えるに至った。被告人は,他にも「××」のゲーム,漫画及び音楽CDに,世界で起きる出来事を予言する暗号が隠されているなどと考えるとともに,宝くじのCMの出演俳優が出演している番組にも宝くじの当選番号が暗号になって隠されているなどと考え,これらを利用して金儲けをすることを思い付き,それらの暗号解読に没頭していくようになった。

ウ 被告人は,「××」の暗号が複雑であり,その解読に集中したいと思うようになり,遅くとも平成29年5月頃には,宝くじの暗号解読をやめ,「××」の暗号解読に没頭するようになったが,その頃,「××」の漫画及び音楽CDの中に,自身が攻撃を受ける旨の被告人に関する暗号が隠されていると思い至り,怖いと感じるとともに,暗号を仕組んでいる勢力に監視されているのではないかと考えた。

(2)本件前日までの事実経過

ア 平成29年(以下,全て同年である。)7月12日,被告人は,高専時代の同級生であった女性(以下「BG」という。)が,インターネット掲示板上の投稿を介して,被告人に対し「自分を頼れ。」というメッセージを送ってきていると考えるに至り,運命的なものを感じるとともに,BGに対し好意を抱くようになった。

イ 7月14日,被告人は,インターネットで動画を視聴していたところ,いきなり喉がいがらっぽくつかえるように「んん。」と鳴るように感じた。被告人は,BGからのメッセージではないかと思い,自ら声を出して「BGさんか。」と聞くと,再び自分の意思とは無関係に勝手に「んん。」と自分の喉が鳴ったので,BGが自分に対しメッセージを送っていると思い,非常に驚いた。

ウ 被告人は,BGが画面上に表示された株価を介して以前被告人がアルバイトをしていた運送会社に集合しろとのメッセージを送っていると考えた。そこで,被告人は,BGに対し「服を選んでほしい。」と頼み,タンスを開けて複数の服を見ていくと,最初のうちはいずれも「んん。」と喉が鳴っていたが,ある服に目が留まった時だけ何の反応も示さなかったことから,その服を着ていけということなのだと思い,その服を着た。

エ 被告人が風呂に入って出てくると株価が変わっていたことから,集合場所が変更になったと思い,いくつか場所を挙げて聞いていくと,以前被告人の通っていた専門学校を挙げた時だけ自分の喉が鳴らなかったことや,変更後の株価から,集合場所が専門学校へと変更になったと考えた。そこで,被告人は,BV3に対し「高専時代の友達に会う。」と言って,専門学校までBV3に車で送迎してもらうことにした。

オ 被告人は,専門学校に向かう車中で,初めてBGの声を聞くに至った(BGの声が聴こえたように感じたというのが正確だと思われる。以下も同様である。)。そして,専門学校到着前には,BGから「お母さんに会いたい。結婚するって言って。」と言われたが,そのことをBV3に伝えると同人がびっくりすると思うし,自身に好きな人がいて結婚することを言うのは恥ずかしい,これらに加え当時BGは世界の裏事情に関わる人物であると思い込んでいたので,BGのことを口外しない方が良いなどと考えて,BV3にはあえてその旨を伝えなかった。なお,被告人は,BV3にはBGの声が聞こえていない様子だったことや,元々暗号を通じて自分に向けてメッセージを送られてきていたことなどから,自分にしか聞こえない声だと察知した。

カ 被告人は,専門学校に到着した後,BV3を残して一人で降車した。校内に入った被告人は,勝手に自分の指がある女性を指さすように感じるとともに,BGから「その人が私だよ。」と言われたので,背後からその女性に近付いていったが,その女性が振り向くとBGではないことが分かった。その後は,かつての担任教諭と会い,仕事を辞めた旨自身の近況を話すなどした。被告人は,これ以上BGに関する手掛かりはないと考え,BGに対し「一旦戻って良いか。」と聞くと,BGがこれを了承したため,BV3のいる車へと戻り,その後はBV3とともに百貨店に寄り,妹を車に乗せて妹方へ行くなどした後,帰宅した。

キ 帰宅後,被告人は,BGから「仏壇の前で両手の甲同士を合わせて拝んでくれ。」と言われ,BGの指示どおりに両手の甲同士を合わせて仏壇にお参りをしたり,BGから「トイレを動画で撮影してくれ。」と言われ,BGの指示どおりにトイレの中を動画撮影するなどした。その際,トイレの中にゴキブリがおり,BGから「そのゴキブリは私が見に来ているんだよ。」と言われた。その夜には,BGから「何度も輪廻転生を繰り返しながら,あなたが気付くのを待っていた。」と言われ,被告人は,そのことをうれしく感じ,BGに対する恋慕の情を強めていった。

ク 7月15日午前,被告人は,BGから「今日は××神社に来てくれ。古い五円玉と新しい五円玉の両方を持って,古い五円玉の方でお参りをしてくれ。待ち合わせの時刻は午後6時13分14秒。神社で待ち合わせをして会った後,ロシアンルーレットをやる。」などと言われ,前日にBGから「結婚」という言葉を聞いていたことなども相まって,BGと結婚するための試練であると思った。そこで,被告人は,礼服を着用し,BGから指示された古い五円硬貨と新しい五円硬貨に加え,婚姻届に押印するために必要であるなどと考えて印鑑を持った上で,××神社へと向かった。××神社到着後,被告人は,自身の手と口を清めた上でお参りをしたが,その後もBGが現れる様子はなく,知人から電話が掛かってきたのを機に,BGに対し「もう帰っていいかな。」と問うと,BGがこれを了承したので,知人と電話をしながら帰路に着いた。被告人は,知人との会話の中で,同人が仕事仲間で待ち合わせを守らない人物がいることについて不満を述べていたのを聞いて,自分が神社でBGのことを待っていなかったことについてBGが怒っているのだと思った。

ケ 同日深夜,被告人は,BGから「自慰行為をして。」と命じられたので,BGに対し,「画像や動画を選んでくれ。」と頼むと,マウスを持っていた手が勝手に動いて選んでくれているように感じたが,いずれも自分の好みのものではなかった。そこで,BGに対し「BGさんに似ている画像とか動画はないの。」と聞くと,BGから「アダルトサイトに行って。」と言われたので,自身がよく閲覧していたアダルトサイトにアクセスすると,再度手が勝手に動き,BGと思しき人物が自慰行為をする動画をクリックしたように感じた。被告人は,BGに対し「動画に映っている人物はBGさんだよね。」などと聞くと,BGから本人であると言われたので,自分に対しBGがそのような姿を見せてくれたことをうれしく感じ,自慰行為に及んだ。

コ 被告人は,自慰行為終了後,引き続きベッドでBGと世界の事情等について話していたところ,BGから「この世界の人間は,君と私以外はみんな哲学的ゾンビなんだよ。」と言われた。「哲学的ゾンビ」とは,人間と全く同じ姿形をしており,人間と全く同じ振る舞いをするが,自我や感情のない存在を意味する哲学用語であり,被告人は,以前からインターネットでこの用語を知っていた。被告人は,当初BGが世界の裏事情に通じる人物であると思っていたが,この頃には,BGが株価を動かしたり,何度も輪廻転生を繰り返して待っていたと言われていたことから,BGが半ば神なのではないかと思うようになり,BGなら自分の願いを叶えてくれると思い,BGに対し「もうちょっと顔をかっこよくして,背を伸ばしてほしい。」などと頼んで,翌16日未明に就寝した。

760) 公訴事実は次の通り:

「被告人は,第1 平成29年7月16日午前5時13分頃から同日午前6時27分頃までの間に,神戸市××区××番地被告人方において,祖母であるBV2(当時83歳)に対し,殺意をもって,その頭部等を金属製バットで殴打し,その後頸部及び背部を文化包丁(刃体の長さ約16.3センチメートル)で突き刺すなどし,よって,その頃,同所において,同人を左総頸動脈及び左椎骨動脈切損,右外頸静脈切断並びに右肺刺創により失血死させて殺害した,第2 同日午前6時15分頃から同日午前6時20分頃までの間,前記被告人方及び被告人方敷地内において,祖父であるBV1(当時83歳)に対し,殺意をもって,その頭部等を前記金属製バットで殴打し,その頸部等を前記文化包丁で突き刺すなどし,よって,その頃,同所において,同人を右総頸動脈及び右内頸静脈切損により失血死させて殺害した,第3 同日午前6時15分頃から同日午前6時20分頃までの間,前記被告人方において,母であるBV3(当時52歳)に対し,殺意をもって,その頭部等を前記金属製バット及び合板(重量約2キログラム)等で殴打し,その頸部を両手で絞め付けるなどして同人を殺害しようとしたが,同人が逃走したため,同人に加療約32日間を要する頭部挫創等の傷害を負わせたにとどまり,その目的を遂げなかった,第4 正当な理由がないのに,同日午前6時27分頃,同区××番地のBV4方敷地内に侵入し,その頃,同所において,BV4(当時79歳)に対し,殺意をもって,その頸部等を前記文化包丁で突き刺すなどし,よって,その頃,同所において,同人を左内頸動脈及び左外頸動脈切断並びに左内頸静脈切損により失血死させて殺害した,第5 正当な理由がないのに,同日午前6時28分頃から同日午前6時33分頃までの間に,fが看守する同区××番地所在の小屋内に侵入し,その頃,同所において,BV5(当時65歳)に対し,殺意をもって,その頭部等を前記文化包丁で突き刺すなどして同人を殺害しようとしたが,同人から抵抗されたため,同人に全治約14日間を要する頭部刺創等の傷害を負わせたにとどまり,その目的を遂げなかった,第6 業務その他正当な理由による場合でないのに,同日午前6時33分頃,同区××路上において,前記文化包丁1本を携帯した」

770) 神戸新聞 2021年10月21日

780) 判決文は「精神症状の圧倒的影響下で本件各行為に及んだとの疑いを払拭できない」で、法律的にはこの通り転記するのが正しい表現であるが、本稿は法律の専門家以外にも幅広い読者を想定していることから本文では「圧倒的な支配であったと言いうる」という表現とした。

790) 東京高裁 平成20年3月10日第7刑事部判決

800) ケモノか人か.  村松太郎: 妄想の医学と法学 中外医学社 東京 2016年  220-252頁

810) 「疑い」という表現については780)参照。

820) 幻聴の指示は決め手になっていたと解釈することもできるが、そこに至るいくつもの他の要因があって決め手に昇格したとするのが妥当であろう。

830) 全経過の中のある時点において という意味である。

840) それでも続けるとすれば、もともとの人格がそこまでに偏っていたことになるが、被告人がそのような人格であったと考える根拠はない。

850) たとえば、殺人の実行方法としてうちわで切りかかったのでは目的は決して達成できず、ナイフなどの殺傷力ある道具で切りかかって初めて犯行は成立する。このとき、うちわには殺傷力はなくナイフには殺傷力があるというのは正常な精神機能による判断であるが、かかる判断さえ失われていることを心神喪失の必要条件にするのであれば、それは心神喪失という概念を刑法から削除することと同値である。

860)佐野2021のいう「法的了解」という概念が導入できる。また、本件犯行への精神症状の影響の説明について、妄想や幻聴といった比較的わかりやすい症状に加えて、統合失調症の本質あるいは基本障害と考えられるところの自我障害に、BP1医師、そしてBP3医師が言及している。精神医学的にはこの自我障害という概念を導入することで初めて統合失調症という精神障害の犯行への影響を説明することができる。判決文には自我障害という語そのものは見出せないが、一審裁判所は自我障害についてもある程度理解したうえで判示していることが読み取れる。本稿で「妄想」あるいは「妄想と幻聴」ではなく「妄想など」「妄想と幻聴など」と記してあるのは、「など」に自我障害を含めた表現である。

870) 裁判員裁判では心神耗弱も認定されにくい。心神喪失は即無罪であるから、ハードルの高さの設定においては別の次元として考える必要があるが、心神耗弱はそうではない。本来は複雑で難解なものである責任能力概念をシンプルに説明すれば、図15に見られる通り、責任能力ありの方向に誤って傾くことが避けにくいのである。本稿で取り上げた熊谷事件・淡路島事件・周南事件には、この問題が如実に現れている。裁判員裁判における責任能力の認定手法は、心神耗弱認定へのハードルが高すぎて、容易に完全責任能力に傾く傾向があるのである。それは認定手法以前に、公判の期間が短く限定されるという裁判員裁判の性質上、精神障害について十分に理解する機会がないままに責任能力認定が行われているという事情が非常に大きいと思われる

880) 大コンメンタール刑法 第3版 第3巻 431頁-432頁には、弁識能力、制御能力について、「しかし「欠如」といっても、厳密にいえば、これが全く欠けている状態というものが果たしてあるのかどうかは疑問であり、少なくとも、ないに等しいような状態は、むしろ心神喪失とすべきである。その意味では、同じくこの能力が低いといっても、さらにその程度の差により、心神喪失ともなり心神耗弱ともなるわけである。」と記されている。これは現実に即した妥当な記載であると思われるが、「ないに等しい」か否かは結局は判断者の主観次第であるし、「程度の差」も具体的な基準にはなり得ない。その意味で本件神戸事件BP3医師の250-252の証言は、心神喪失認定への具体的な指標を提案したものと言えるかもしれない。 

890) 毎日新聞 2021年11月5日

900) 仮に結果重視論(280 C. あまりに結果が重大であれば、他の事情の如何にかかわらず、罰しなければならない)が人々が共有する感覚であるとしても、異常精神論(280 A. あまりに精神が異常な場合は、罰しても意味がない)もまた人々が共有する感覚である以上、結果重視論と異常精神論は相反する緊張関係にあるのであって、両者の間のどこかに適切な妥協点を定めなければならない。このとき、結果の重大さについては報道等によって人々に広く知られる一方で、精神の異常さが人々に広く知られることは少ない。適切な妥協点を定めるためには、結果の重大さと精神の異常さの両方が同等に広く知られることが前提条件として必須である。本稿275のように結果が文字通り「あまりに重大」な事例はあくまで架空事例なのであって、現実の事例はあのような極端なものではない。

910) 読売新聞 2022年4月12日

920) 熊谷事件は「無期懲役か死刑か」という問いであるのに対し、神戸事件は「有罪か無罪か」という問いであるから、この二つの事件の問いを同列に論じることはできない。熊谷事件の問いには死刑の是非論という別次元の議論が入り込んでくることになり別の複雑さが発生しているからである。

930) それどころか逆に、熊谷事件の被告人には無期懲役でさえも不当なのではないかという議論も考えられる。精神症状の重篤さからも、また、他の事件の被告人との公平性からも、熊谷事件においては、心神喪失による無罪、あるいは不起訴が妥当であったという見解も十分にありうる。人々がそれは納得できないとするのであれば、犯罪の大小にかかわらず心神喪失者を無罪とする刑法39条を改正しなければならないということになろう。裁判所が結果主義を密輸することは許されることではあるまい。

940) 重篤な障害者の、その障害に基づく行為に対して、刑罰を科することが正しいのかという問題である。その刑罰が死刑であれば尚更である。ここには異常精神論と結果重視論の間の、鋭利な刃物をつきつけられているかのような緊張関係がある。

950)重大犯罪を犯したのにもかかわらず容疑者が不起訴になったときのご遺族の失望と怒りは察するにあまりある。起訴を求めるご遺族による悲痛な叫びも出版されている(『犯人を裁いてください 横浜・東高校生殺傷事件の被害者は訴える』被害者の会 野口幹世著)。同書のカバーには次の記述がある: 1984年3月12日。フルスピードで走ってきた一台のワゴン車が、いきなり、下校中の高校生四人を、背後からはねた。車から降りた運転手は、はねた子を助けるのではなく、登山ナイフで、倒れている少年達をつぎつぎと突きまくった。一名死亡、三名重傷、男はその場で逮捕されたが、四カ月後には、不起訴になった !

960) 訴訟能力の喪失を理由とする公訴棄却も同種の深刻な問題である。今後認知症の犯罪が増えることによりこの問題が顕在化することは避けられない。

970) 深刻な問題は、裁判官にはそれがわかっていないかもしれないという点である。内因性精神病理の深い病理性が裁判では十分に理解されない傾向がある980)ことの背景にはそれがあるのではないか。

980) 中島直: 内因性概念と司法精神医学. 臨床精神医学 40: 1097-1103  2011年

990) 横田希代子: 検察庁における再犯防止対策. 第115回 日本精神神経学会学術総会シンポジウム68 医療と司法からみたダイバーシティ.  新潟 2019年.

1000) 2029年にはスカイネットと呼ばれるAIが全世界を支配していた。スカイネットと戦う人類のリーダーであるジョン・コナーの出生を阻止すべく、ターミネーターは1984年に送られる。ターミネーターの受けた至上命令はジョンの母となるサラ・コナーの抹殺であった。

1010) 「一部の検察官」の「一部の」とは、少数を意味する表現ではない。かといって多数を意味する表現でもない。「全体ではない」ことのみを意味する表現である。

1020)但しその論理の、少なくとも一部は擬似論理であり、法の歪曲や事実の歪曲が散りばめられている。

1030) ついには、「このような被告人には刑罰を科すことこそが社会の要請にかなう」という主張が検察官からなされることがある。これは結果重視論の自白であり、密輸品の自己開示にほかならない。

1040) 検察官の一部がターミネーター化するのは、加害者を厳罰に処してほしいという犯罪被害者の立場に立ってのことであって、その意味で結果重視論は、抽象的な理論など超えて正当であるという考え方もありうるかもしれない。NPO法人犯罪被害者当事者ネットワーク 緒あしす の青木聰子氏は次のように述べている:

「多くの被害者のみなさんが、またこれ幾度となく口にされるのは、真実を解明して厳罰に処してほしい。本来被害回復は元どおりにしてもらうことです。でも残念ながら奪われた命は戻ってきません。そういう意味で”せめて”と思うのは、私たちと同じ苦しみ、悲しい思いになる人が出ないように。そんなことを願っています」(青木聰子: 犯罪被害者にとって加害者の”精神鑑定”とは. 第18回日本司法精神医学会大会  特別講演 Web開催 2022年)

ここに述べられているのは、①真実の解明 ②加害者への厳罰 ③同様の出来事の防止 の3点である。この3点の重要性に順位をつけることはできないと思われる。しかしそれでも確実に言えることは、①真実の解明 なしには、③同様の出来事の防止 は決して達成できないということである。ターミネーター化した検察官の行動は、精神障害の犯行への影響という事実を否定してでも、すなわち、①真実の解明 を犠牲にしてでも、②加害者への厳罰 を獲得しようとするものである。この方針は、検察官が文字通りターミネーター(=ロボット)なのであれば正しいであろう。しかしながら、仮にターミネーターとしての目標を達成したとした場合には、精神障害というものの現実が社会から隠蔽されることになる。もし③同様の出来事の防止 を真に目指すのであれば、①真実の解明 を出発点にしなければならないのであって、それは精神障害が大きく影響した犯行というものが存在することの開示にほかならない。そして未来における同様の出来事を防止するためには、すなわち青木聰子氏の述べる「”せめて”と思うのは、私たちと同じ苦しみ、悲しい思いになる人が出ないように」するためには、かかる精神障害の重要性を人々が認識し、社会がその予防や治療の必要性を十二分に理解することが第一歩である。ターミネーターはこの第一歩を妨害し、未来における同様の出来事の発生を促進している。それはすなわち、青木聰子氏の述べるところの「私たちと同じ苦しみ、悲しい思いになる人」を減らす努力ではなく、増やす努力をしていることにほかならない。神戸事件のような悲劇を繰り返さないためには、精神病の早期発見と早期介入以外に有効な方法は存在しない。

1050) ここは「なる」という見方もありそうである。しかし、①の飛行機による逃走の場合は元々の行動傾向が妄想支配の程度軽減の根拠にならないのに、②の殺害の場合は根拠になるとしたら、その違いは何か。また、316の設定は被告人が「暴力的な性格傾向を有する人物」であるというものであり、この認定が正しくなされない限り、「妄想の影響や支配を否定」することはできない。その被告人が暴力的なシーンの多いゲームを好んでいたとか、高校生時代に友人を殴ったことがあるなどの事実が仮に明らかにされたとしても、それだけでは、殺人に繋がるだけの「暴力的な性格傾向を有する人物」と認定するには到底足りず、「妄想の影響や支配を否定」することはできない。

1060)このように、「精神症状の「犯行」への影響」と「精神症状の「行為」への影響」とでは、見える景色が異なってくる。「行為」が「犯行」という「悪い」行為の場合には、それを非難する気持ちが判断にバイアスをかけるのである。逆に「良い」行為の場合も想定できる。たとえばうつ病患者が、自己否定的な認知のもとに、利他的な行為をしたとき、それを症状の影響とみるか、もともとの人格の影響とみるか。利他的な行為を賞賛する気持ちがあれば、判断にバイアスがかかり、もともとの人格の影響とみる方向に傾くのではないか。すると「良い行為への影響」は、そして「悪い行為への影響」も、「どうみるか」ではなく「どうみたいか」という問いになっているのではないか。

1070) 「少なからず」ではなく「膨大に」存在するかもしれない。不起訴事例の全貌が公表されていない現状では、これを検証することはできない。だが起訴前鑑定を一定数以上行った精神科医であれば、膨大という印象ありという見解に首肯するであろう。

1080)全体を見るということは、さらに視野を広げれば、被害者のことも見るということにもなる。すると心情的には結果重視論を導入したくなるというのは自然ではある1090)。だが結果重視論の密輸を目的とする法の歪曲は許容できることではない。そして、結果重視論を被告人厳罰に単純に直結させることは、真に被害者のことを見ていることにはならない1040)

1090) 刑事弁護の世界で非常に高名なある弁護士は、「(刑事弁護人は被害者のことは)考えないでいいに決まってます」と明言している(刑事弁護人列伝 後藤貞人. 季刊刑事弁護増刊 刑事弁護Beginners 22-27, 2007年。この部分だけを読むと誤解を招きかねないが、記事全体からは、同弁護士の深い洞察が読み取れる)。これを精神鑑定医に応用すれば、「(鑑定人は)被害者のことも被告人のことも考えないでいいに決まってます」ということになろう。より正確には「考えないでいい」のではなく「考えてはならない」というべきであろう。それを考えるのは裁判官と社会の役割であって、鑑定人がそれを考えると判断にバイアスがかかり不適切である。

1100) 『沈黙し続ける権利はない』というタイトルの書籍が2009年に出版されている(Roy L: No right to remain silent. Three Rivers Press, NY, 2009.) 。2007年4月16日、米国の大学キャンパスで教員学生を含む33名が射殺された、いわゆるヴァージニア工科大学銃乱射事件について、容疑者(同大学の23歳の男子学生。現場で自殺し死亡)を事件前に指導していた教員の一人である。出版に向けての苦悩について著者は同書の中で次のように述べている。

Better to remain silent, people whispered, afraid of attorneys, afraid of the media, afraid of jeopardizing the rights they treasured, afraid of what it would cost.

ここには、開示しにくい事実、一部の人々にとって不都合かもしれない事実を覚知した者の苦悩がありありと表現されている。およそ事実とは、誰かにとって不都合なものなのである。

1110) 注1040)は、ターミネーター化した検察官のみならず、真実の解明の努力を怠る一部の司法関係者すべてに適用できる。

1120) しかもSP2医師は、被告人の妄想形成について次のように説明している:

精神医学上,妄想が生ずる確かな原因は解明されていないが,被告人の場合は,自分のものの見方だけにとらわれる,自分が正しいという発想をしやすいといった性格傾向と,周囲から孤立した環境(人との付き合いを好まない性格傾向にも関係している。)が大きく関係して本件妄想を持つようになったと考えられる (周南事件一審判決文より)

これはあたかも、本件被告人に限ってはその妄想(SP2医師によれば単なる「思い込み」と同値である)は性格の影響によって形成されたことが精神鑑定によって判明したと述べているに等しく、妄想についての精神医学の常識からはかけ離れている。そして、犯行に影響したのが「性格傾向等により形成された思い込み」であるとするSP2医師の説明が、妄想という精神病症状を矮小化し、被告人への非難を最大限の方向に傾けるものであることは言うまでもない。

1130) Poceta JS: Zolpidem ingestion, automatisms, and sleep driving: a clinical and legal case series.  Journal of Clinical Sleep Medicine 7: 632-638, 2011.

1140)Mitka M: Zolpidem-related surge in emergency department visits.  JAMA 309: 2203, 2013.

1150) Gunja N: In the Zzz Zone: The Effects of Z-Drugs on Human Performance and Driving.  Journal of Medical Toxicology 9: 163-171, 2013.

1160) https://www.pmda.go.jp/files/000247531.pdf